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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝7:帝国の銀月姫
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【23】復讐者への報酬

 バルコニーから転落したツェツィーリアを風の魔術で受け止めた後、モニカはツェツィーリアを追い詰めた犯人を探して、上の階に走った。

 そうして駆けつけた先、最上階の廊下でモニカは呆然と立ち尽くす。廊下には、〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターが鼻血を流し、手足を縛られ、猿轡をかまされた状態でひっくり返っていたのだ。


「な、何が、どうなってるの……? ル、ルイスさぁーん……」


 頼りない声で同期の名を呼ぶが、返事はない。

 モニカはうんうん唸りながら、なんとか状況を把握しようと頭を働かせた。

 考えられるパターンは二つ。

 一つ目は、ツェツィーリアを襲った犯人が〈夢幻の魔術師〉を襲い、逃走。ルイスはその犯人を追いかけているというパターン。

 二つ目は、ツェツィーリアを襲ったのは〈夢幻の魔術師〉で、ルイスが撃破したというパターンである。

 ご丁寧に縛り上げられている〈夢幻の魔術師〉の有様を見ると、後者の可能性の方が高い気がした。

 もし、襲撃犯が他にいるなら、〈夢幻の魔術師〉を生かして拘束する理由が無い。


(……でも、それならどうして、ルイスさんは、ここにいないんだろう……?)


 ルイスならこの場に残って、「おや、同期殿。随分と遅い到着で」ぐらい言いそうなところである。


(他に共犯者がいて、追いかけたとか……?)


 ルイスがこの場にいない理由を真剣に考えるモニカは、かの同期が女装を見られるのが嫌で、着替えるためにすっ飛んでいったなどと、想像できるはずもなかった。

 ルイスの行方について悩みつつ、モニカはバルコニーから身を乗り出して、庭を覗き込む。

 眼下の庭では、ライオネルとツェツィーリアが何やら話しているようだった。

 降りて駆けつけるべきだろうか。それとも、〈夢幻の魔術師〉が逃げないように見張るべきか。

 モニカが悩んでいると、背後から足音が聞こえた。振り向けば、金髪の近衛騎士がこちらに駆け寄ってくるのが見える。一度、見た顔だ。名前は確か……。


「あっ、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットちゃん、十九歳」

「…………えぇと」

「おっと、失礼。非番気分が抜けていなかった」


 近衛騎士はゴホンと咳払いをし、一礼する。


「近衛騎士のアインハルト・ベルガーです。この度は、ツェツィーリア姫の御身を救っていただいたこと、我が国を代表して、深く感謝いたします」

「お、恐れ入ります……」


 モニカがペコリと礼を返すと、アインハルトは床に転がっている〈夢幻の魔術師〉のそばにしゃがみ、怪我の具合を確かめた。


「うっわ、歯が折れてらぁ…………俺って、かなり手加減されてたんだな」


 ブツブツとよく分からないことを呟き、アインハルトは〈夢幻の魔術師〉を肩に担いだ。


「〈沈黙の魔女〉殿、今夜の出来事について、我が主人から話があるそうです。このような夜分に恐縮ですが、ご同行願いたい」

「は、はいっ、分かりました……っ」


 〈夢幻の魔術師〉を担いだアインハルトは、人を担いでいるとは思えない足取りで、スタスタと先を歩きだす。

 彼がモニカを案内したのは、ツェツィーリアの私室だった。

 長椅子にはライオネルとツェツィーリアが座っており、ツェツィーリアはモニカの姿を目にすると、立ち上がって、深々と頭を下げる。


「〈沈黙の魔女〉様……ありがとうございます。貴女には、なんと御礼を言えば良いか……!」

「い、いえ、あの、わたしは全然、何も……」


 モニカが異変に気づいたのは偶然だし、ツェツィーリアを助けることができたのも、ルイスのおかげだ。

 それにしても、そのルイスは本当にどこに行ったのだろう?

 モニカがオロオロしていると、控えめに扉をノックする音が聞こえた。

 アインハルトが〈夢幻の魔術師〉を床に転がし、ライオネルとツェツィーリアを見る。


「ライオネル殿下、ツェツィーリア様、今後のことを踏まえ、私の独断で協力者を呼びました。信用のできる男です。中に入れてもよろしいでしょうか?」


 アインハルトの言葉に、ツェツィーリアは戸惑うような顔をしていたが、ライオネルは何かを察したように頷いた。


「分かった。構わぬ」

「ありがとうございます、殿下」


 アインハルトは恭しくライオネルに礼をして、扉を開ける。

 モニカの予想通り、扉の向こう側にいたのは、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーだった。

 もう夜更けだというのに、きちんと髪を編み、七賢人のローブと杖を身につけている。


「あ、あのっ、ルイスさん……」


 モニカが咄嗟に口を開くと、ルイスはモニカの声を遮るように流暢に喋りだした。


「おや、ごきげんよう同期殿。そこの近衛騎士殿から、お聞きしましたよ。なんでも、〈夢幻の魔術師〉の企みをいち早く見抜き、ツェツィーリア様を守ったとか。流石は我が国の英雄。お見事です」


 モニカは唖然とした。あの時、モニカの首根っこを掴んでバルコニーにぶん投げたことなど無かったような口ぶりである。


「あのっ、えっと、あの時は、ルイスさんが……」


 モニカが床に転がる〈夢幻の魔術師〉をチラチラと見れば、ルイスは「おや」とさも驚いたかのように、眉を持ち上げてみせた。


「これはこれは、なるほどなるほど……」

「え、えぇっと……あのぅ……」


 〈夢幻の魔術師〉の打撲痕は、どう見ても魔術で攻撃された痕じゃない。

 ルイスさんがやったんですよね? とモニカが視線で問えば、ルイスは大真面目な顔で言った。


「ツェツィーリア姫の命を狙う悪人を、〈沈黙の魔女〉殿が渾身の右ストレートで地に沈めたのですね。いやはや驚きました。まさか〈沈黙の魔女〉殿に、そのような才能があったとは」

「うぇぇぇ……っ!? ち、違っ、違いますっ、だって、これ、ルイスさんがぁ……」


 モニカが最後まで言うより早く、ルイスはモニカの肩にポンと手を置いた。その手に、ジワジワと圧がかかる。

 ルイスは青ざめるモニカの顔を覗き込み、怖いぐらいにこやかに笑った。


「私は休暇中でした。そうでしょう、同期殿?」


 片眼鏡の奥で爛々と輝く目が「頷け」と言っている。

 モニカが反射的にカクカクと頷くと、ルイスは「分かっていただけて、なによりです」とモニカの肩から手を離して、ライオネルを見た。


「さて、本題に入りましょう。これから始まるのは、我がリディル王国と帝国の未来を決める、大事な話……ですよね、ライオネル殿下?」

「うむ」


 ライオネルが頷くと、ルイスはモニカの肩を押して、着席を促す。モニカは促されるままに椅子に座った。

 全員が着席したところで、ツェツィーリアが口を開く。


「まずは、皆々様に心よりお詫び申し上げます。今宵の出来事は全て、我がシュバルガルト帝国の内部抗争によるもの。リディル王国の皆様には、一切非はありません。ご迷惑をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます」


 深々と頭を下げ、ツェツィーリアはゆっくりと顔を上げる。

 その顔は可憐で、儚く……それでも、月夜に美しく咲き誇る花の気高さがあった。


「その上で我が国の恥を晒すことを、お許しください。そもそもの発端は、わたくしが古代魔導具〈ベルンの鏡〉に拒まれたことにあるのです。古代魔導具は意思を持つ道具。〈ベルンの鏡〉は、わたくしを明確に拒み、契約こそ結んだものの、力を貸すことはないと宣言しました。わたくしは、契約者ではあるけれど、鏡を使うことはできないのです」


 ツェツィーリアの言葉に、モニカは息をのんだ。

 古代魔導具に関する情報は、一般にはさほど出回っていない。モニカも精々、本で読んだぐらいだ。


(古代魔導具が意思を持ち、持ち主を選ぶっていうのは、本で読んだことがあるけど……)


 とある血筋を条件とする古代魔導具が、その血筋の人間を拒むなんて、考えもしなかった。

 拒まれたツェツィーリアの苦しみは、想像を絶するものだっただろう。

 彼女が、いつも罪悪感に満ちた顔をしていたのも、自信が無さげだったのも、それが理由だったのだ。


「我が祖父アッヘンヴァル公は、この事態を憂い、わたくしを切り捨てる判断をされました。わたくしが死ねば、新しい聖女を擁立できる……〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターはそのために寄越された刺客です」


 肉親に死を望まれたという、残酷な事実。

 それを語るツェツィーリアの白い顔が、悲しみに歪むことはなかった。

 彼女はきっと、モニカの知らないところで葛藤して、苦しんで……その上で、腹を括ってこの場にいるのだ。


「祖父のために、この命を捨てるべきとも一度は考えました。ですが……わたくしは、一度救われたこの命を、我が帝国とリディル王国のために使いたいのです」


 ツェツィーリアは、順番に室内にいる者を見る。

 淡い菫色の目は燭台の火を映して、鮮やかに燃えていた。まるで、生命の火のように。


「この秘密を抱えたまま王妃になるために、ここにいる皆様のお力添えを、お願いいたします」

「私からも頼む。どうか、力を貸してほしい」


 ツェツィーリアとライオネルが同時に頭を下げる。

 モニカがオロオロしていると、ルイスとアインハルトがよく似た顔で、ニィと笑った。

 そうして二人は立ち上がり、各々、騎士と魔術師の礼をする。


「近衛騎士アインハルト・ベルガー。承知いたしました。この秘密を胸に、御身に尽くすことを誓います」

「七賢人が一人、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラー。リディル王国とシュバルガルト帝国の繁栄のために、尽くすことを誓いましょう」


 そう言ってルイスが、チラリと横目でモニカを見た。

 モニカも慌てて立ち上がり、杖を足元に置いて、魔術師の礼をする。


「えっと、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット……ツェツィーリア様の秘密を守ることを、誓いますっ」


 あまり格好良い宣言ではなかったけれど、ツェツィーリアは「ありがとうございます」と柔らかく微笑んだ。

 そうしてツェツィーリアは椅子から立ち上がり、床に倒れている〈夢幻の魔術師〉の前に立つ。


「起きていますね、〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッター?」


 固く閉ざされていたヒュッターの瞼がピクリと震え、持ち上がる。

 どうやら、ずいぶん前から意識を取り戻していたらしい。

 ヒュッターは手足を縛られたまま、上半身だけを起こし、ツェツィーリアを睨みつけた。


「アインハルト、彼の口布を外してください」

「かしこまりました」


 ツェツィーリアの命に従い、アインハルトがヒュッターの口を塞いでいた布を外す。

 魔術師は手足を拘束されていても、口さえ自由になれば魔術を使える。故に、拘束する時は口を塞ぐのが常識だった。

 ヒュッターが詠唱を始めたら、すぐにでも斬り捨てるとばかりに、アインハルトが腰の剣に手を当てる。

 ヒュッターは何も言わない。ただ、憎悪に燃える目でツェツィーリアを睨みつけた。

 そんなヒュッターに、ツェツィーリアは淡々と言い放つ。


「わたくしは、もう帝国には戻れません。戻ったら、今度こそお祖父様はわたくしを生かしてはおかないでしょう。そして、それは貴方も同じこと」


 暗殺に失敗したヒュッターを、アッヘンヴァル公爵は生かしてはおかない。

 もはや、〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターには、逃げる場所などどこにもないのだ。

 だが、ヒュッターの顔には後悔も恐怖も無い。


「私の首を刎ねて、アッヘンヴァル公に送りつけるか?」


 皮肉っぽく言うヒュッターに、ツェツィーリアは首を横に振る。


「〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッター。貴方には、このままリディル王国に留まり、わたくしの身辺警護役を続けることを命じます」


 ツェツィーリアの言葉に動揺したのは、モニカと〈夢幻の魔術師〉の二人だけだった。

 ライオネルも、ルイスも、アインハルトも、まるでこうなることが分かっていたかのように、表情一つ変えない。


(な、なんで? 自分を殺そうとした人なのに?)


 モニカが内心オロオロしていると、ツェツィーリアがライオネルに声をかけた。


「ライオネル様、しばし、ヒュッターと二人で話をさせていただけませんか?」

「むぅ、流石に二人だけというのは……」


 拘束された状態でも、口を塞がなければヒュッターは魔術を使える。ヒュッターを見張る人間が、必ず一人は必要だ。

 ツェツィーリアもそれは分かっているのだろう。彼女はチラリと横目でモニカを見た。


「では、〈沈黙の魔女〉様」

「は、はいっ」

「立ちあって、くださいますか?」


 何故、自分なのだろう、とモニカは不思議だった。それでも、頼まれたら断る理由はない。


「わかり、ました」


 モニカが頷くと、ライオネル、アインハルト、ルイスの三人は立ち上がり、部屋の外へ向かう。

 扉を閉める直前に、ルイスが右の拳を持ち上げて言った。


「同期殿、〈夢幻の魔術師〉が暴れたら、右ストレートですよ」

「え、えぇっと……」

「冗談です。貴方の無詠唱魔術なら、問題なく制圧できるでしょう」


 そう言って、ルイスは扉を閉めた。

 室内に残されたのは、ツェツィーリアと〈夢幻の魔術師〉、そしてモニカの三人だけだ。

 ツェツィーリアはモニカに向き直ると、居住まいを正して口を開く。


「ヒュッターの妹は、聖女の命を狙う不届き者から、わたくしを庇って亡くなりました。偽の聖女を庇って妹が死んだことを許せないという彼の怒りには、正当性があると、わたくしは考えます」


 モニカは〈夢幻の魔術師〉が抱えていた事情に驚き、そして、それを正当性があると言うツェツィーリアに二度驚いた。


「で、でも……それでもっ、ツェツィーリア様が傷つくのは、おかしい、ですっ!」


 どんなにヒュッターが無念でも、悔しくても、ツェツィーリアを殺して良い理由になんてならない。憎むべきは、ツェツィーリアを襲った人間ではないか。

 モニカが必死で言葉を続けようとすると、ツェツィーリアは目尻を下げて微笑み、言った。


「ありがとうございます、〈沈黙の魔女〉様。貴女の優しさ、とても嬉しいです」


 ツェツィーリアの笑顔は儚いけれど、それでいて、真っ直ぐに背を伸ばす花のような、しなやかな強さがあった。

 儚いけれど、弱くない。


「わたくしは何の力も持たない聖女です。それでも、貴女のような方の優しさに報いたい。だからこそ、この命が尽きる時まで、帝国とリディル王国の平和の象徴として、あり続けましょう」


 ツェツィーリアはモニカの想いを受け止めた上で、それでも覚悟を貫こうとしている。

 彼女はもう、己がすべきことを決めているのだ。

 ツェツィーリアは美しい銀の髪を揺らして、〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターと向き合う。


「わたくしは、平和に貢献する聖女になる。そして貴方の妹は……ミアは、本物の聖女を守った英雄です。ミアを、わたくしのために死んでいった方々の死を、無意味なものにはしない」


 ヒュッターは忌々しげに顔をしかめた。顔に攻撃を受けている彼は、頬を動かすだけでも相当痛むだろう。それでも痛みを堪えて、彼は不快感を露わにし、吐き捨てる。


「平和の象徴など、幻術のようなもの。仮初の幻だ」

「ヒュッター、貴方は幻術を使う時に見ていないのですか?」

「…………?」


 訝しげに眉を寄せるヒュッターに、ツェツィーリアは両手を広げ、告げる。


「貴方の美しい幻術を見た人々が、どれほど顔を輝かせていたかを」


 モニカは夜会で幻術を披露した時のことを思い出した。ワァッとあがる歓声、顔を輝かせる人々。

 たとえ幻でも、その美しい光景は、確かに人の心に残るのだ。


「わたくしは平和の象徴となって、皆を笑顔にしてみせましょう。貴方が美しい幻術で、人々を笑顔にしたように」


 呆然としているヒュッターに、ツェツィーリアはどこまでも柔らかな声で告げる。


「さぁ、ヒュッター、取引の時間です。貴方は、わたくしが死ぬまでわたくしに仕えなさい。そして、わたくしが死ぬ時は、わたくしに復讐することを許します」

「……なに?」

「わたくしが死ぬ時は、貴方の魔術で、わたくしにとびきり残酷な悪夢を見せなさい。わたくしは、その悪夢を胸に抱きながら、死にましょう」


 ツェツィーリアの提案にモニカは目を剥き、叫んだ。


「ツェツィーリア様……っ、それは……!」

「〈沈黙の魔女〉様。これは、わたくしなりのけじめ。そして、この復讐者への正当な報酬です」


 ツェツィーリアはモニカの悲鳴じみた声を遮り、キッパリと宣言する。


「わたくしの最期の瞬間に、復讐を許します。カスパー・ヒュッター。だから、わたくしに貴方の力を貸しなさい」


 ヒュッターは呆気に取られたような顔をしていたが、やがて唇の端を小さく持ち上げた。

 喜んでいるようにも、呆れているようにも見える、そんな笑い方だ。


「……どんな大金よりも、栄誉よりも、魅力的な報酬だ」


 ククッと喉を鳴らし、〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターはツェツィーリアの宣言に応じる。


「良いだろう、ツェツィーリア姫。この有り余るほどの憎悪を胸に、死の瞬間まで貴女に仕えよう。そして、貴女の最期には、とびきりの悪夢を贈ってやる」

「望むところです」


 穏やかに頷くツェツィーリアの横顔は、儚くも(したた)かな聖女の顔だった。


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