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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝7:帝国の銀月姫
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【17】未来の七賢人

 アインハルトが火竜と遭遇して、凡そ三週間が経った。

 アインハルトが所属する隊は竜討伐専門の隊ではないが、それでも要人の護衛だの、避難誘導だの、やるべきことは幾らでもある。

 そうして慌ただしい日々がようやくひと段落したある日の夜、アインハルトはコソコソと仮設宿舎を抜け出していた。馴染みの店で、息抜きをしようと思ったのだ。

 周囲を見回し、人がいないのを確認してアインハルトが歩き出すと、頭上で声がした。


「失礼、アインハルト・ベルガー殿」


 響いたのはリディル王国語だ。

 見上げればそこには、栗色の髪を尻尾髪にした、いつぞやの不良魔術師の姿があった。

 不良魔術師はマントを翻し、音も立てず静かに地に降りる。

 アインハルトは嫌なやつに会っちまった、という態度を隠そうともせず、下唇を突き出し、リディル王国語で応じた。


「いつぞやの、不良魔術師じゃねぇか。俺の剣を弁償しに来たのか?」


 あの剣は騎士団で支給されている剣ではなく、実家から持ってきた物で、そこそこ値が張るのだ。

 だが、不良魔術師はアインハルトの言葉を鼻で笑った。


「命の恩人に随分な言い草で。そういえば、自己紹介がまだでしたね。リディル王国魔法兵団のルイス・ミラーと申します」

「いや、自己紹介はいいから、俺の剣……」

「実はベルガー殿に頼みたいことが、ありまして」


 どうやら剣を弁償する気はサラサラ無いらしい。そのくせ、頼みがあるとは大した図太さである。

 アインハルトはあえて尊大で意地の悪い笑みを浮かべてみせた。


「ほぅ、俺に頼みだと?」

「えぇ、ベルガー殿が懇意にしている店を教えていただきたいのです」

「……うん?」


 それはつまり、帝国内にある美味い店を教えろということだろうか?

 首を捻るアインハルトに、ルイスはにこやかな笑顔で言う。


「ボンボンが羽目を外しても、金を握らせれば揉み消せる……そういう口の硬い店を、貴方ならご存知でしょう?」

「人のことを遠回しに、遊び人のボンボン扱いしやがったな。大正解だ」


 まさに今から、そういう店に行こうかなーと思っていたところである。

 アインハルトは、ふぅむと唸り、ルイスの様子を観察した。ルイスの口振りから察するに、どうやらお偉いさんをお忍びで接待したいようだが……。


「もしかして、ライオネル殿下か? 確か、謹慎中だと聞いたが……」


 アインハルト達の危機に、荷車を転がして駆けつけてくれたリディル王国の第一王子ライオネルだが、あの時の彼の行動は、騎士団の規律に背いてのことだった。

 たとえ騎士団に所属していても王族は王族。危険の多い最前線に出す訳にはいかない。だからライオネルは、安全な場所で待機するよう命じられていた。

 そんな中、アインハルトが所属する小隊が危機に陥った。

 後で聞いた話だが、あの時、竜討伐に長けた隊は全て別の現場にいたため、動けるのは竜討伐に慣れていない者ばかりだったらしい。

 そんな状況で、危険度の高い火竜と直接ぶつかるのを嫌がった帝国騎士団の上層部は、誰もアインハルト達を助けようとはしなかった。

 上層部は会議をするという名目で時間を稼ぎ、小隊全滅の知らせを待っていた。全滅した小隊に、わざわざ救援を送る必要は無いからだ。

 それを見かねて飛び出したのがライオネルだった。

 彼はアインハルト達がまだ生きていると信じて、怪我人を救出しようと荷車を転がして駆けつけてくれたのだ。

 無論、ライオネルの行動は独断行動。軍の規律違反だ。それ故、彼は謹慎処分を受けているという。

 アインハルトにとって、ライオネルは恩人だ(目の前の不良魔術師は恩人だと思いたくない)。

 恩人であるライオネルを、アインハルト一押しの店に連れて行くのは、やぶさかではないのだが……。


「あの見るからに真面目そうなライオネル殿下が、謹慎中に羽目を外すとは思えんな」


 アインハルトが眉を寄せて唸ると、ルイスは肩を竦め、ニィッと八重歯をのぞかせて笑う。

 そうして、お上品な容姿に似合わぬ悪い顔で言った。


「私が、友人を連れ回して羽目を外したい気分なのですよ」

「なんだそれ、最高じゃないか。おい、一枚噛ませろよ」


 アインハルトは目の前の男を不良魔術師と呼んだが、なんてことはない。

 彼自身もまた、結構な不良騎士なのだ。


 * * *


 かくして、不良魔術師ルイス・ミラーは謹慎中のライオネル殿下を半ば引きずるように連れ出し、アインハルトが懇意にしている店に三人で向かうことになった。

 アインハルトが懇意にしているその店は、ルイスの注文通り、店員の口が固く、個室があり、飯も酒も美味い最高の店だ。

 だというのに、ルイスは無理矢理連れてこられたライオネル以上に顔を引きつらせていた。

 個室の長椅子に腰を下ろしたルイスは、店の娘が飲み物を取りに一度下がったタイミングで、アインハルトを睨む。


「……ベルガー殿」

「おぅ、なんだ。気に入った娘でも見つけたか」

「誰が、娼館に、連れていけと?」


 一言一言区切って言うルイスに、アインハルトは盆の葡萄を一つ口に放り込んで首を傾げる。


「羽目を外すって、こういうことだろ?」

「失礼ですが、貴方、おいくつで?」

「十六」


 ルイスは目眩を覚えたように額に手を当てた。

 アインハルトが聞いた話では、ライオネルは十九歳。おそらく、ルイスも同じぐらいの年だろう。


「俺より年上のくせに、娼館ぐらいで大騒ぎするなよ。なんだ、もしかして、こういう店は初めてか?」


 アインハルトがニヤニヤと意地悪く笑うと、今までずっと消沈した様子で俯いていたライオネルが、ルイスを庇うように言った。


「ベルガー殿、ルイスにはもう心に決めた女性がいるのだ。からかわないでやってくれ」

「それは、からかうべき案件だろ。おい、ミラー。お前、胸派か? 尻派か? 俺は足派だ」


 キリリとした顔で問うアインハルトに、ルイスは鼻の頭に皺を寄せて呻く。


「よくもまぁ、他国の王族を前に、そんな品の無い口が利けますね」

「酒の席を手っ取り早く盛り上げるなら、猥談って決まってんだろ。それとも、お前が何か芸でもして、盛り上げてくれんのか?」


 アインハルトの言葉に、ルイスはいかにもお上品ぶった笑みを浮かべ、右手を握って開いた。

 キュッキュッと音を立てる革手袋の下で、指の関節がゴキュリと鳴る。


「実は私、片手でリンゴを握りつぶすことができまして」

「魔術師っぽくない特技だな。いいじゃん、宴会で盛り上がりそうだ」

「ここにリンゴは無いので、ベルガー殿の頭をお借りしても?」


 アインハルトは卓上の鐘をガランガランと鳴らして、「リンゴ! リンゴ持ってきてくれ! 大至急!」と叫んだ。


 * * *


 アインハルトの頭が木っ端微塵になる前に、店の娘は酒と果物の盛り合わせを持ってきてくれた。

 いつもなら、店の娘はそのままアインハルトの隣に座って酌をするところだが、アインハルトが目配せをすると、娘は少しだけ名残惜しそうに唇を尖らせつつ、そっと個室を出ていく。

 ルイスが目を眇めて、「ほぅ?」と呟いた。


「なるほど、理解のある店のようで」

「鐘を鳴らせばすぐに来てくれるし、なんなら別室でお楽しみもできるけどな」


 だがきっと、それはルイスの望みではないのだろう。

 この見るからに捻くれた男は、消沈している友人に酒を飲ませて、愚痴を吐かせたかっただけなのだ。

 ルイスはグラスに酒を注ぎ、ライオネルに押し付ける。グラスを受け取ったライオネルは酒に口をつけず、ポツリと呟いた。


「……ルイスよ、気をつかわせてすまぬ」

「私が羽目を外したい気分だっただけです」


 素っ気なく言って、ルイスは盆からリンゴを一つ持ち上げた。彼はそれを握り潰したりはせず、そのままガリガリとかじる。

 気取った態度が鼻につく男だが、たまに見せる粗野な仕草がやけに様になっていた。


(こっちが素だな)


 アインハルトがそんなことを考えていると、ライオネルがアインハルトに深々と頭を下げる。


「ベルガー殿も、巻き込んですまなかった」

「いや、俺は元々この店に来るつもりだったし。それに……」


 アインハルトは椅子から立ち上がり、ライオネルの前で膝をついて、騎士の礼をした。


「たとえ貴方の行動が騎士団の規律に反していようとも、貴方が我が小隊の恩人であることに変わりはありません。心より感謝いたします。ライオネル殿下」

「顔を上げてくれ、ベルガー殿。私は……」


 言いかけたライオネルの顔が苦悶に歪む。

 ライオネルは毛虫のように太い眉毛を歪め、ギリ、と歯軋りをした。


「私は感情のままに行動し、騎士団の規律を乱した愚か者だ。王族である私が前線に出れば、多くのものに迷惑がかかると分かっていながら、我慢が出来なかった……結果、ルイスを危険に晒した」


 あの現場にルイスが駆けつけたのは、ライオネルの独断行動を聞いた彼が飛行魔術で追いかけたかららしい。結果、ルイスはライオネルを追い越して、先に火竜の元に辿り着いたのだ。

 ルイスは舌を出して、リンゴの種をペッと吐き出し、ライオネルを横目で見た。


「私は竜の単独討伐数を稼ぎたかったから、願ったり叶ったりでしたけどねぇ」


 竜を単独で討伐をした者には報酬が出るし、何より箔がつく。

 アインハルトはライオネルの前で膝をついたまま、お行儀悪く口笛を吹いた。


「魔法兵団って高給取りなんだろ? 随分と、がっつくじゃねーか」

「王都に家を買うために、貯金中なのですよ」


 ルイスは軽く肩を竦め、自分のグラスに酒をジャブジャブと注ぐ。


「殿下、貴方がはかりごとや損得勘定が苦手なことは、よーく存じております。そういう狡いことは、私のような者に任せておけばいいのですよ。適材適所というやつです」

「だが……」

「貴方は胸を張って、自分が恥じない生き方をすればいい」

「その結果、友を危険に晒してもか!」


 アインハルトは見た。

 友を、の一言に、ルイスが気を良くしたように唇の端を持ち上げるのを。

 ルイスは灰紫の目を細めて、細い顎を持ち上げて高慢に笑う。


「──俺を誰だと思ってんだ。ライオネル」


 粗野な口調と悪い笑顔から一転、ルイスはニコリとお上品に微笑む。


「未来の七賢人ですよ?」


 アインハルトは、思わずブハッと吹き出した。


「七賢人! 随分と大きく出たな!」

「未来の七賢人に、今から媚びへつらって良いのですよ、ベルガー殿?」

「未来の七賢人殿、剣を弁償してくれ」

「寝言は寝てからどうぞ」


 アインハルトとルイスが軽口の応酬をする横で、ライオネルは前髪をかき乱し、赤く腫れた目で笑う。


「……ありがとう、ルイス」

「どういたしまして」


 素っ気なく返すルイスの横顔は、機嫌の良さが隠しきれていなかった。

数年後、夢のマイホームに、飛行魔術に失敗した弟子が激突してヒビを入れました。

ルイスは弟子の顔面を鷲掴みにして、窓の外にぶん投げました。


「ほーら、お前の好きな飛行魔術ですよ」

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