【16】ヤンキー蹴りで竜にトドメを刺した男
ツェツィーリア姫の滞在から一週間が経ったある日の夕方、帝国近衛騎士団のアインハルト・ベルガーは、ブラブラとリディル王国城のそばを歩いていた。今日は非番なのだ。
花屋の娘に声をかけて、白い花を一つ買ったアインハルトは、フンフンと鼻歌を歌いながら、ゆっくりと道を歩く。
やがて進行方向に友人の姿を見つけた彼は足を止め、白い花を持つ手を軽く振った。
「よぉ、こっちだ。こっち」
白い花は、その友人と会う時の目印だ。
すぐにアインハルトに気づいた友人は、こちらに駆け寄ってくると、深々と被った帽子のつばを軽く持ち上げる。
帽子の下にある顔はゴツく、厳つく、だが優しい目をした男の顔。
「久しいな、アインハルト」
そう言って、アインハルトの十年来の友人──リディル王国第一王子ライオネル・ブレム・エドゥアルト・リディルは、穏やかに微笑んだ。
* * *
アインハルトがライオネルと出会ったのは、今から十年前。アインハルトがまだ、帝国騎士団の小隊に所属していた頃だ。
この時のアインハルトは、血気盛んな十六歳。
見目も剣の腕も良く、おまけに生家は帝国屈指の大貴族。
そんなアインハルトが騎士団に所属していたのは、ひとえに素行の悪さが原因であった。
端的に言うと、「騎士団で、規律と忍耐と常識を学んでこい、アホ息子!」と父親に命じられたのである。
不本意極まりない理由で放り込まれた騎士団だが、アインハルトは持ち前の要領の良さを活かし、それなりに上手くやっていた。
なんと言っても父親の目が届かないから、羽目を外し放題である。騎士団の規律など、不真面目なアインハルトが守るはずがない。
そうして、それなりに自由を謳歌していたある日、リディル王国との合同軍事演習が行われることになった。
かつて戦争をしたリディル王国との合同軍事演習は、周辺諸国への牽制が建前だが、実際は先帝の見栄であることを誰もが知っていた。
他国を招いての大規模演習は、当然に金がいる。先帝は湯水のように金を使ってでも、他国に権威を見せつけたかったのだ。
お偉いさんの見栄のための演習など馬鹿らしい、と適当にサボっていたアインハルトだが、演習三日目の昼過ぎに事件は起きた。
竜の群れが、演習会場近くで確認されたのだ。
どうやら冬眠から少し遅めに覚めた地竜が、先に目覚めていた火竜達の餌場を荒らしてしまい、争いになったらしい。
竜同士が勝手に潰し合ってくれれば話は簡単なのだが、抗争に負けた竜は、新たな餌場を求めて人里におりてくることが多い。今回の逃走では地竜に負けた火竜が、人里におりてきていた。
それが一匹、二匹ならまだしも、十数匹となれば当然に脅威である。
合同軍事演習に参加していた者達は国の垣根を超え、急遽、竜の群れに立ち向かうことになった。
* * *
死の恐怖を前にした時、人は驚くほど語彙力が無くなるものである。
(やっべぇぇぇぇぇ……っ!)
目の前の脅威に、まだ十六歳のアインハルトは、「やべぇ」の一言を延々と頭の中で繰り返していた。
彼の前に立ちはだかるのは、雄牛の倍はある巨体──赤茶の鱗の火竜だ。それも、かなり大型の。
火竜は外敵を排除する際、火を吹くことで有名な凶悪な竜である。故に、下手に近寄らず、魔術で仕留めるのが一般的だ。
だが、アインハルトが所属する小隊に魔術師はいない。そもそも、彼らの主となる武器は剣だ。槍のように、竜退治向きの武器ではない。
剣で竜に真っ向から立ち向かい、眉間を正確に貫くなどという命知らずな真似ができるのは、アインハルトが知る限り、剣聖の孫であるヘンリック・ブランケぐらいのものである。
アインハルト達の小隊は、あくまで民間人の保護と、避難誘導のために動いていたのだが、避難誘導中に群れをはぐれた火竜と運悪く出くわした。
小隊の隊員達は既に散り散りになり、アインハルトの近くにいた二人の仲間は火竜の尾で薙ぎ払われ、意識を失っている。
唯一無傷で意識のあるアインハルトは葛藤した。
気絶している仲間二人を助けるか、後ろに控えている仲間達にこの状況を伝えるか──被害を最小限にするのなら、二人を見捨てて仲間に状況を伝える。これが正解だ。
……それなのに、アインハルトの足は動かなかった。
(仲間を、見捨てる……この俺が?)
アインハルトは抜き身の剣を構えて、吠える。
「帝国一のイイ男、アインハルト・ベルガーが、そんなだっせぇ真似できるわけねぇだろ! ぶぁーか!」
アインハルトの剣では、火竜の眉間に届かない。
それなら自分が囮になって火竜を仲間から引き離し、高所に隠れる。そして、隙を突いて眉間を狙う。これしかない。
「おら、こっちだ! こい!」
アインハルトが剣を振り回しながら叫んだその時、火竜がすぅっと息を吸い込んだ。
あ、とアインハルトは硬直しつつ、麻痺した思考の隅で思い出す。
火竜は、獲物を排除する際に火を吐くのだ。
(やっべ……っ)
足を止めた時にはもう、眼前に特大の炎が迫っていた。
ただその場で燃えているだけの焚き火の火とは違う、意思を持つ炎。
熱風がアインハルトの前髪を揺らし、そして火の粉が髪に燃え移る……より早く、見えない壁に阻まれた。これは魔術師が使う、防御結界だ。
だが、その魔術師はどこに?
「貸せ」
すぐ真後ろで声がした。帝国の言葉じゃない。リディル王国語だ。そう脳が認識した時にはもう、誰かがアインハルトの手から剣をふんだくり、飛行魔術で宙に浮かび上がっていた。
「あっ、こらっ、俺の剣っ!」
叫びながらアインハルトは、自分から剣をふんだくった人物を見上げる。
栗色の髪を尻尾髪にした青年だ。年齢はアインハルトより少し年上……十代後半ぐらいだろうか。
詰め襟の制服とマントを身につけているから、リディル王国の魔法兵団の人間なのだろう。
だが、どうして魔法兵団の人間が、騎士から剣を奪い取る必要があるのか?
アインハルトが困惑していると、背後から「無事かぁぁぁ!」と馬鹿でかい声がした。見れば、立派な鎧を身につけた金髪の大柄な男が、空の荷車をガラガラゴロゴロと引きずりながら、こちらに駆け寄ってくる。
栗色の髪の魔術師は金髪の大男を見て、顔をしかめた。
「あぁ、まったく。殿下自ら前線に出てどうするのです」
「怪我人を運ぶのには、人手がいるであろう!」
大男がよく響く声で返せば、魔術師は空中に浮遊したまま肩を竦める。
「やれやれ……それでは殿下に害が及ばぬよう、さっさと片付けるとしましょう」
そう言って魔術師はアインハルトを見下ろす。
どちらかと言うと線が細く、女性的な顔の優男だ。そのお綺麗な顔に、ニコリと品の良い笑みを浮かべて魔術師は言う。
「殿下、そちらのボンクラ顔のボンクラに、帝国語でお上品に伝えていただけますか? ……雑魚はすっこんでろ、と」
次の瞬間、火竜が二度目の火炎を吐き出した。だが、炎は全て防御結界に弾かれ、霧散する。
(……なんて強固な結界だ!)
結界の張り直しをせず、二回も炎に耐えるとなると、結界の硬度も持続時間も相当なものだ。
それほど高度な結界を維持しつつ、魔術師の青年は飛行魔術で火竜に突っ込む。そして、その細腕で竜の眉間にアインハルトの剣を突き刺した。
だが、飛行魔術を使った不安定な体勢での突きだ。剣は火竜の眉間に刺さってはいたが、致命傷には少し浅い。
火竜が空気を震わす咆哮をあげ、巨大な爪を魔術師に振り下ろす。
魔術師は飛行魔術でなんなく爪をかわすと、竜の頭に着地し、片足を振り上げ……。
「──っらぁ!!」
鋭い声をあげながら、浅く刺さっていた剣の柄を足蹴にした。
槌で打たれた杭のように剣が深く沈み、竜の頭部を穿つ。
火竜は口を大きく開けたまま痙攣し、そのまま地に倒れた。
(なんなんだ、こいつ……)
どこの世界に剣で竜に挑み、挙句、剣を足蹴にしてトドメを刺す魔術師がいるのか。ここにいた。
呆然としているアインハルトの背後では、金髪の大男が引きずってきた荷車に怪我人をせっせと乗せている。一人一人に帝国語で「すぐに基地に連れて行く。頑張れ」と声をかけることも忘れない。
やがて宙に浮いていた魔術師が降りてくると、大男は毛虫のように太い眉をしかめながら言った。
「ルイスよ、もう少し安全な戦い方があったのではないか? 攻撃魔術を使うとか……」
「火竜と対峙した時点で、私は飛行魔術と防御結界の二つを使っていました。攻撃魔術を使うには、どちらかを解除して、また一から詠唱をする必要がある。その間に攻撃を受けたら、ひとたまりもないではありませんか」
「むぅ……なるほど、確かに」
言いくるめられているようにしか見えないが、大男は納得したらしい。
大男はそれ以上魔術師に追及はせず、アインハルトの方に向き直ると、帝国語で言った。
「お怪我はありませんか?」
とても丁寧で美しい帝国語だ。なるほど、こちらの大男は帝国語に堪能で、魔術師の方はそうではないらしい。
アインハルトは大男と魔術師を交互に見ると、リディル王国の上流階級の発音で、お上品に言ってやった。
「えぇ、助かりました。私はモルゲンシュタイン公爵家のアインハルト・ベルガー。貴方様は、リディル王国のライオネル殿下とお見受けしますが……」
「非常事態だ。どうか、かしこまらないでくれ、ベルガー殿。まずは、怪我人を安全な場所に運ぼう」
アインハルトはライオネルに深々と頭を下げる。
「お力添え、心より感謝いたします……あと、そこの不良魔術師。お前、さっきの悪口、全部聞こえてたからな。俺の剣、弁償しろよ、コラ」
くだんの不良魔術師は、お上品な笑顔のまま舌打ちをした。




