【9】平和の象徴なんてのはね、政治利用するためにあんのよ
「ツェツィーリア様のお祖父様であるアッヘンヴァル公とは、ローツェンの会食でお会いしまして……」
「いやはや、かように可憐な姫君であられたとは……」
「本日はお会いできて光栄にございます……」
入れ替わり立ち替わりやってくる貴族達を相手に、ツェツィーリアはにこやかに相槌を打つ。
この会場にいる貴族達は皆、ツェツィーリアを見極めようとしている。一瞬だって気を抜けない。
レースのストールを握るフリをして、ツェツィーリアはキリキリと引きつる胃を押さえた。
本当は今すぐに宮殿に戻って、引きこもってしまいたい。だが、今夜はギリギリまでこの場に滞在して、一人でも多くの人間と挨拶を交わさねばならないのだ。
自分は堂々と振る舞えているだろうか。自信の無さが表情に出ていないだろうか。上手く言葉を返せているだろうか。
一つ言葉を交わす度に、ツェツィーリアはその言葉の意味を深読みし、自分に非礼が無いかを振り返る。
(あぁ、わたくしは上手く笑えているかしら。今の返しで合っていたかしら。あの方は気を悪くされていないかしら、もっと気の利いたお返事があったのではないかしら……)
また新しい人間が入れ替わりでツェツィーリアの前に立つ。
次の相手は薔薇模様のドレスを着た、派手な女だ。
女の斜め後ろには〈沈黙の魔女〉が控えているから、彼女も魔術師関係者なのだろうか。
ツェツィーリアがそんなことを考えていると、女は真っ赤な唇を持ち上げて微笑んだ。
「お初にお目にかかりますわ、ツェツィーリア様。わたくし、四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグと申します」
ローズバーグ家は、リディル王国で最も有名な魔術師の名門だ。
なにより初代〈茨の魔女〉は帝国との因縁も深く、各方面から恐れられている名前である。
メリッサは緑色の目を細めて、ツェツィーリアをじぃっと見ていた。その、ねっとりと絡みつくような視線が意味するものを、ツェツィーリアは知っている。
(……値踏みされている)
こういう時は、穏やかに微笑んで受け流すのが正解だ。
当たり障りなく、無難に。今までもそうやって、社交界を乗り切ってきたのだ。
「初めまして、メリッサ様。ローズバーグ家の名声は、我が帝国にも届いております。高名な〈茨の魔女〉様にお会いできて、とても嬉しく思います」
「まぁ、光栄ですわ」
ほほほ、と笑うメリッサの目は笑っていなかった。
その目は、ツェツィーリアの一挙一動を観察している。
ここは、どんな話題を振るのが正解か。ローズバーグの現当主のことを話題にあげるべきだろうか? だが、もし万が一にもメリッサと現当主が不仲だった場合、空気が悪くなる可能性がある。
ここはドレスやアクセサリーを褒めるのが無難だろうか……とツェツィーリアが話題に悩んでいると、メリッサが一歩近づき、内緒話でもするかのように口元に扇子を添えながら言った。
「わたくし、こう見えても、魔法薬作りが得意ですのよ。何かご入用の際は、なんなりとお申し付けくださいませ。きっと、ツェツィーリア様にもご満足いただけると思いますわ」
「はい、その時はどうぞよろしくお願いいたします」
なるほど、どうやら彼女は営業が目当てだったらしい。ツェツィーリアが正式に王太子妃になれば、商売相手として、これほど美味しい相手はいない。
ならばここは、魔法薬に興味があるように振る舞っておくのが正解か。
だが、ツェツィーリアが魔法薬の話題を振るより早く、メリッサはツェツィーリアの背後に目を向けて「あらぁ!」と大きな声をあげた。
「あちらにいらっしゃるのは、かの有名な〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッター様じゃありませんこと! ほらほら、〈沈黙の魔女〉様、ご覧になって! 〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッター様ですわよ!」
露骨にはしゃいでみせるメリッサに、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは困り顔をしていた。
メリッサはあたかも何かに気づいたような顔で目を細め、声のトーンを落とす。
「……あらぁ、もしかして、〈沈黙の魔女〉様は、〈夢幻の魔術師〉様をご存知ありませんの?」
この一言に、ツェツィーリアは青ざめた。
〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターは、ツェツィーリアの護衛役の魔術師だ。
その彼のことを〈沈黙の魔女〉は知らなかった──つまり、まだ挨拶を済ませていないのだ。
(なんてこと! ヒュッターが、まだ挨拶をしていなかったなんて!)
この外交的欠礼は、ヒュッターの主人でもある、ツェツィーリアの失態だ。
ツェツィーリアは慌ててモニカに向き直る。ここはすぐに謝罪して、ヒュッターを呼びつけ、挨拶をさせなくては。
「〈沈黙の魔女〉様、ご挨拶が遅れまして大変失礼を……」
「きゃあ、初めまして、〈夢幻の魔術師〉様ぁん! わたくし、四代目〈茨の魔女〉メリッサ・ローズバーグと申しますぅ」
ツェツィーリアの声を遮るように、メリッサは甘ったるい声をあげる。
メリッサはもうツェツィーリアなど視界に入らぬとばかりに、ヒュッターに擦り寄り、猫撫で声ではしゃいでいた。
「〈夢幻の魔術師〉様は、なんでも幻術がお得意なのだとか! その幻術の精巧さは並ぶ者はいないとお聞きしましたわぁん」
「……恐縮です、四代目〈茨の魔女〉殿」
〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターは、今年で三十二歳。短い黒髪で、眼鏡をかけた長身の男である。
どちらかというと無骨で寡黙な彼は、口数少なくメリッサに応じた。
メリッサがキャアキャアと分かりやすくはしゃいでいるものだから、ツェツィーリアは口を挟めず、オロオロすることしかできない。
あぁ、まずは先に〈沈黙の魔女〉に非礼を詫びるべきだろうか、でもその前に、〈夢幻の魔術師〉を呼びつけた方が……とツェツィーリアが悩んでいる間に、メリッサは勝手に話を進めていった。
「幻術って、とても難しいのでしょう? 我が国でも使い手は、殆どおりませんの! わたくし、〈夢幻の魔術師〉様の幻術が見てみたいですわ! ……ねぇ、よろしいでしょう? ツェツィーリア様?」
(あぁ……どうしましょう。断ったら、角が立ってしまう……)
それならば、ヒュッターに幻術を披露させて、それから〈沈黙の魔女〉に挨拶が遅れたことを詫び、ヒュッターに自己紹介をさせればいい。
頭の中で素早くその算段を立てたツェツィーリアは、メリッサの言葉に小さく頷いた。
「えぇ、構いません。ヒュッター、何かお見せしてあげて」
「……仰せのままに」
ヒュッターが頷くと、メリッサがすかさず口を挟んだ。
「それならわたくし、鳥が見てみたいですわ! 平和の象徴の白い鳥なんて如何でしょう! 帝国と我がリディル王国の明るい未来にピッタリ!」
悪くない演出だ。この場を盛り上げることができるし、帝国がリディル王国に対し友好的であるとアピールできる。
「分かりました。ヒュッター、お願い」
「かしこまりました」
ヒュッターは目を閉じて意識を集中し、詠唱を始める。
幻術は魔術の中でも少し特殊な位置付けだ。結界術や呪術のように、通常の属性魔術とは体系が違う。
ヒュッターが長い詠唱を終えると、彼の周囲に白い鳥が浮かび上がった。それが十数羽。本物の鳥と遜色ない動きで飛び回る。
動かない物より、動き回る物の幻術の方が、当然に難易度が跳ね上がる。
十数羽の鳥を一度に──それも全て違う動きをしているともなれば、その技術の高さは疑いようもない。
会場にいた紳士淑女らが、わぁっと歓声をあげた。
ヒュッターに幻術をねだったメリッサも、隣にいる〈沈黙の魔女〉の肩を揺さぶりながら、一際大きな声ではしゃいでいる。
「〈沈黙の魔女〉様、ご覧になって! なんて素晴らしい幻術なのでしょう! ……でも、少し彩りが寂しいですわねぇ?」
自分から白い鳥をリクエストしておきながら、しれっと彩りについて言及したメリッサは、〈沈黙の魔女〉の肩を軽くつついた。
すると、〈沈黙の魔女〉がスイッと右手を持ち上げ、白い鳥が舞う天井を指さす。
周囲の人々がその指先に意識を向けると、天井に大きな虹が浮かび上がった。〈沈黙の魔女〉が幻術で虹を作りだしたのだ。
白い鳥と虹は、どの国でも平和の象徴としてよく挙げられるモチーフである。
帝国の魔術師と、リディル王国の魔術師二人による平和のモチーフの再現──完璧な演出だ。
(あぁ、良かった……〈沈黙の魔女〉様は、お怒りではなかったのだわ)
それどころか、彼女はこの平和の演出に一役かってくれたのだ。
ツェツィーリアはホッと胸を撫で下ろした。
* * *
ツェツィーリアが胸を撫で下ろしていた頃、モニカもまた、同じようにこっそり安堵の息を吐いていた。
(お姉さんは、ここまで計算してたんだ……)
一発かましに行く、と言われた時は、何をする気かとハラハラしていたが、メリッサがモニカに出した指示は、実に平和的なものだった。
即ち「アタシが合図したら、無詠唱の幻術で虹を出しなさい」
これだけである。
モニカは幻術を使えることには使えるが、決して精度は高くない。
幻術は便利な術ではあるが、魔力の消費が激しい上に、とにかく制御が難しいのだ。
だからモニカは、幻術を使っている時は他の魔術を使えなくなるし、〈夢幻の魔術師〉のように、動き回る物を複数幻術で見せることはできない。
虹は幻術の中では比較的難易度の低いモチーフだった。動かないし、形も単純。なにより、多少ボヤけている方が、それらしく見える。
(最後に幻術使ったのって、何年前だっけ……)
苦笑しつつ、モニカは会場の人々に目を向ける。誰もが天井を飛び回る白い鳥と美しい虹に夢中だ。
メリッサはきっと、〈夢幻の魔術師〉の顔を立てつつ、〈沈黙の魔女〉の存在感をアピールできるように計算して、この演出を仕組んだのだ。
何より平和のモチーフともなれば、周囲の印象も良い。
(やっぱり、お姉さんはすごい……!)
もし、この場にラウルがいたら、こう言っていただろう。「いや、姉ちゃんのことだから、絶対オチがある」
或いはレイがいたら、青ざめながらこう言っていただろう。「あの女のことだ。見てろよ、絶対にやるぞ。やらかすぞ……」
だが、モニカはまだ、メリッサ・ローズバーグという女の過激さを、よく理解していなかったのだ。
「まぁ! まぁぁぁ! なんて感動的な光景なのでしょう、わたくし涙が溢れそう!」
メリッサは芝居がかった仕草で両手を広げ、会場中に響くような声で、高らかに言う。
「流石は一流の魔術師。お二人とも、素晴らしい幻術ですわ!」
そして、メリッサは目を細めて、独り言じみた口調で──それでいて、会場中に聞こえる声で一言。
「……まぁこっちは、無詠唱ですけどぉ」
場の空気が凍りつく。
モニカは思わず目を剥いた。
(お、お姉さぁぁぁぁぁぁん!!)
モニカが最後に幻術を使ったのは、約四年前、モニカが七賢人に就任した時です。
同期に脅されて泣きながら頑張りました。




