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サイレント・ウィッチ(外伝)  作者: 依空 まつり
外伝7:帝国の銀月姫
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【5】黄金螺旋なら仕方ない

 リディル王国城から最も近くにあるアウザーホーン宮殿は、客人の宿泊のために最もよく使われる宮殿であり、今回のツェツィーリア姫の滞在にも、このアウザーホーン宮殿が選ばれた。

 ツェツィーリア姫は既にこの宮殿に到着し、現在は旅の疲れを癒やしている最中である。

 この後、身支度を整えたら、国王陛下に謁見し、晩餐会に参加する流れとなっていた。モニカがツェツィーリア姫に挨拶をするのは、かの姫の身支度が整え終わってからだ。

 それまで手持ち無沙汰になったモニカは、アウザーホーン宮殿の庭園を散策し、不審者や不審物が無いかの確認をしていた。

 春の庭園は美しい花で満たされており、どこを見ても鮮やかだし、良い香りがする。

 特に客人が泊まるこの宮殿は、諸外国に自国の技術や権威をアピールする場でもあるので、珍しい品種の花が多かった。

 外壁のそばに植えられた薔薇の根元には、魔術式が刻まれている。これは、〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグが仕掛けたもので、踏むと薔薇の蔓が絡みつく罠だ。

 罠は全て外壁のそば、煉瓦で仕切った花壇に仕掛けた物だから、客人がうっかり踏むことはないだろう。

 今回の護衛任務は七賢人の中では〈沈黙の魔女〉が主体となっているが、〈茨の魔女〉と〈深淵の呪術師〉もサポート役として、城で待機してくれている。

 〈砲弾の魔術師〉は使う魔術の威力が高すぎて、護衛任務向きでは無いし、〈星詠みの魔女〉は戦闘向きではない。そして、〈結界の魔術師〉は休暇中。

 なので、今回の護衛任務は七賢人若手三人衆が連携して取り組むことになっていた。

 無論、七賢人だけでなく近衛兵隊や魔法兵団も一丸となって警備に取り組んでいるので、不審者は近づくことはおろか、ツェツィーリア姫を目にすることすら叶わないだろう。


(でも、今回の婚姻は反対している人間も多いらしいし……ちゃんと、気を引き締めなきゃ)


 モニカが自分に言い聞かせていると、庭園の奥の方から甲高い悲鳴が聞こえた。若い娘の声だ。


「うっひゃ──! なにこれ、なにこれ、なーにーこーれー! たーすけてー! 誰かー!」


 モニカは慌てて声の方に駆け出す。声の主はすぐに見つかった。

 大きな樫の木の枝から垂れる蔓に、黒髪の若いメイドが絡まって、プランプランと揺れている。

 あれはラウルが「木に登る奴なんて、庭師と侵入者しかいないもんな!」と言って、木の上に仕掛けた罠だ。

 庭に仕掛けた罠については、庭師には事前に通達がいっているので、引っかかるのは木に登った不審者ぐらいのはずなのだが、何故、メイドが引っかかっているのか。


(もしかして、メイドに変装した、侵入者……っ!?)


 モニカは気を引き締め、キリリとした顔で声をかける。


「あのぅ……侵入者さん? ですか?」


 もしこの場にルイス・ミラーがいたら、後頭部をひっ叩かれそうな発言であった。

 プラプラと揺れていたメイドはモニカに気づくと、パッと顔を輝かせてモニカを見る。モニカを映す猫目は、夕焼け空のようにオレンジがかった薄茶色だ。


「あのねあのね、あそこの外壁にある彫刻! あれね、よく見ると、飾り彫りが黄金螺旋になってるの」


 メイドが指さした先、外壁の彫刻には渦を巻く貝のような彫刻が施されていた。

 縦横が黄金比の長方形を描き、そこから最大の正方形を除くと、残った長方形もまた黄金比の長方形になる。そこからまた、最大の正方形を除き……と同じことを繰り返していき、その正方形の角を繋いでいくとできる渦巻き状の螺旋。それが黄金螺旋だ。

 その美しい造形美にモニカが目を奪われていると、メイドは足をプラプラさせながら言った。


「そんでね、あれをもっと近くで見てみたくて木に登ったら、蔓がニュルル〜ンってなって、こうなっちゃったの」


 無邪気にニコニコと笑いかけられ、モニカは困惑しつつ、改めてメイドを観察した。

 年齢は十代半ばから後半程度だろうか。痩せ型で小柄。黒髪を後頭部で大きなお団子にしていて、化粧っ気は無い。

 それにしても、蔓に絡まってプラプラと揺れている姿は、イタズラをして毛糸玉に絡まった猫のようであった。

 侵入者と言うにはあまりにも無邪気な態度である。あと、声が大きい。


「あのぅ……あなたは、侵入者じゃないんですか?」

「ちっがうよぉ。あたし、ツェツィーリア様の侍女だもん。あっ、侍女っていうか下っ端メイド? 侍女ってあれ、良いとこのお嬢さん方がやるんだよね、あたし別に良いとこのお嬢さんじゃないし……あっ、でも、今回は侍女ってことでいいのかな? 建前侍女? なんちゃって侍女? ……って、わっはー! 余計なこと喋るなって偉い人に言われてるんだった、いけないいけない」


 目を白黒させているモニカに、黄金螺旋に見惚れて罠にかかった、自称「なんちゃって侍女」はニコニコと笑いかけた。


「あたし、カリーナ。助けてくれる?」


 カリーナが着ている服は、帝国の侍女達が着ている物と同じ物だ。武器を携帯しているようにも見えない。

 仮にカリーナが侵入者で魔術師だとしても、無詠唱のモニカの方が先手を取れるだろう。

 他国のメイドが木に登るなんて、不審なことこの上ないが……。


(黄金螺旋なら、仕方がないよね。うん)


 モニカは大真面目にそう納得し、無詠唱魔術で風の刃を作って蔓を切断する。そうして落下したカリーナの体を、モニカはすかさず風のクッションで受け止めた。

 柔らかな風に受け止められたカリーナは、猫目を大きく見開く。


「わっはー! なにこれなにこれ、魔術? でも今、詠唱してなかった! 魔導具? そういう魔導具? あっ、もしかして、その杖が魔導具?」


 カリーナは、珍しいものに飛びかかる猫の如き素早さでモニカとの距離を詰めると、モニカの杖をマジマジと眺めた。

 モニカが「あのぅ……あのぅ……」と声をかけても、お構いなしである。


「んんんんん、杖に風の魔術式は付与されてないっぽい? でもすごい! この杖、三種の魔力増強、魔力操作補助効果が施されてる! 杖自体も保護魔術でめちゃくちゃ補強されてるから、下手な武器より頑丈じゃん! あっ、装飾もすごっ、これは腕利き職人の仕事ですな? うっはー、燃えるー!」


 一目見ただけでモニカの杖の効果を見抜くなど、誰にでもできることではない。

 モニカが警戒し、体を強張らせていると、カリーナはモニカの周囲をグルグルと回り始めた。どうやら、モニカのローブを観察しているらしい。


「ねねね、そのローブも可愛いね! 魔術師のローブってダボダボ〜ってイメージだったんだけど、そのローブ、シルエットが今どきだよね! 若い職人さんの仕事かな?」

「えっと、これは……友達が、作り直してくれて……」

「良い腕してるぅ!」

「………………えへ」


 ラナを褒められ、モニカの警戒心が少しだけ緩む。

 カリーナは小さな体を落ち着きなく動かして、モニカのローブの裾や装飾を眺めては「うっはー!」だの「ひゃー!」だのと、はしゃいだ声をあげた。


「刺繍もすごいねこれ、金糸銀糸で魔術式織り込むのって、滅茶苦茶複雑なやつでしょ! あたし、刺繍は専門外だけど、コルヴィッツさんが見たら、感動のあまり踊りだしちゃいそう!」

「……コルヴィッツさん?」

「えーっと、あたしの知り合い。刺繍とレース大好きオジサン」


 偏屈刺繍職人ポロック氏と気が合いそうな人物である。

 モニカがしみじみとそんなことを考えていると、カリーナはハッと顔を上げ、口元に手を当てた。

 そうしてキョロキョロと周囲を見回し、他に人の姿が無いことを確認して、胸を撫で下ろす。

 モニカが困惑顔をしていると、カリーナは人懐っこい猫のように、ニンマリと笑った。


「ねっねっ、あたし、リディル王国語上手でしょ? 昔、外国のお客様相手に商売してたことがあってさ、得意なんだよね。それなのに今回のお仕事では、みーんな、あたしに『お前はうるさいから余計なことを喋るな、言葉が分からないフリしてろ』って言うの。だから道中ずーーーーーっと黙ってたんだよ。もうあたしの人生史上、こんなに黙ってたことある? ってぐらい黙っててね。誰かとお喋りしたくてお喋りしたくて仕方なかったんだぁ……」

「は、はぁ……」

「あっ、ごめん、あたしばっかり喋ってたね。そういえば、まだ名前訊いてなかったよね? あなたの名前は?」

「……モニカ・エヴァレット、です」


 この名前を聞けば大抵の人間は、モニカが七賢人の一人〈沈黙の魔女〉であると気づくものである。

 ところが、カリーナは「可愛い名前だね!」とニコニコしているだけだった。どうやら帝国出身の彼女は、〈沈黙の魔女〉の名前を知らないらしい。

 どうしよう、とモニカが途方に暮れていると、カリーナは至近距離からモニカの顔を覗きこむ。


「モニカちゃん、何歳? あたし十九歳!」

「お、同じ年、です……」

「同じ年! うっはー、若く見えるね。いや、あたしもよくそう言われるんだけど、この間なんて十六歳って言われちゃってさ。やっぱ落ち着きがないからかなぁ。あはははは。それにしても、十九歳で宮殿に出入りしてるなんてすごいねぇ。魔法兵団に所属してるの? 上等な杖とローブ持ってるし……ははーん、これは有望株ってやつですな」


 有望株も何も、国内の魔術師の頂点である。

 モニカはあぅあぅと口ごもりながら、それでもなんとか、自分が七賢人なのだと伝えようとした。

 ところが、カリーナはよほど喋りたくて仕方がなかったのか、モニカの言葉も待たずに口を動かし続ける。


「ねっ、ねっ、滞在中さ、モニカちゃんさえ良ければ話し相手になってよ。あたし、仕事が一つしかなくて、割と暇なんだよね。ねっ、お願い!」

「は、はい」


 勢いに押されたモニカが頷くと、カリーナは「やったぁ!」とピョンピョンと跳び回って喜んだ。そうしていると、モニカよりもよっぽど幼く見える。

 元気が有り余っているところや、人懐こくてなんだか憎めないところは、いつも元気なグレン・ダドリー君(十九歳)を思わせた。

 グレンが人懐こい大型犬なら、カリーナは甘え上手な猫だろうか。モニカがそんなことを考えていると、宮殿の方からカリーナの名を呼ぶ中年女性の声が聞こえた。


「カリーナ! カリーナ・バール! どこにいるのですか!」


 声には明らかに怒気が滲んでいる。

 カリーナはイタズラがバレた猫のように目を細め、チロリと舌を出した。


「わっはー、侍女頭のコールさんが呼んでるー! あたし、もう行かなきゃ。モニカちゃん、まったねー!」


 そう言ってカリーナはエプロンの裾を翻し、バタバタと宮殿に走っていった。



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