去るものの儚さよ
目を開けるとそこには真っ白な光景が拡がっていた。
一瞬、雪が降っているのかとも思った。しかし、それは雪ではなく白い花びらで、風がさぁっと吹く度に吹雪のように白い花びらが吹き付けてくる。
周りを見ればそこはなんとでもない、白い花びらをつけた花の咲く木が一面に生えている森のようだった。
その花吹雪の中を流れに逆らってひとつの幹の元にたどり着くと、ゴツゴツとした岩肌のような幹の表皮に、見上げるほどでもなく眼前に白い花が見えて、背丈はそんなに高くないようだった。
満開の花を咲かせている幹に手を当てると、満開の花とは裏腹に弱々しい鼓動が伝わってくる。こんなにも立派な花を咲かせていると言うのに、この木はもうすぐ途絶えてしまうのか。それが残念でならなかった。
どうにかしてこの木を助けることが出来ないかと、宛もなく、ふらふらと、相変わず花吹雪が追い風になっている森の中を歩いた。
景色は変わらないが、はたとここは森の奥の奥なのだと気づいた。目の前に白い花をいちばんきれいに咲かせた気が目の前にあったのだ。みきに手を当ててみれば、ズク、ズク、と15秒に一度、それも手をしっかりと触れないと感じとれないほどの微弱な鼓動だった。
これはいけない、と思った。もしもこれがこの森の心臓であるならば、この気を絶えさせてはならないと思った。
顔をかかる影が急に赤くなったような気がして、気を見上げるとそこには赤い双子の実が視界いっぱいに広がる。それは紛うことなきさくらんぼで、ここまで自分はさくらんぼの木が群生している森の中を歩いていたのだと今知った。
あ、目が合った。と感じた時にさくらんぼはぽとん、ぽとんと音を立てて自分の体に当たってくる。それは先程の花吹雪の代わりのように、今度はまるで雨のように降り注いだ。
肩の上に留まったままのさくらんぼを観察すれば、艶々とした赤、完璧とは言えない丸い形、ニョキリと伸びたくすんだ緑色の茎。鏡面のようにつやりとした球体は顔が映り込むほど、誘われるままに口に含めば甘酸っぱい果汁が口の中いっぱいに染み渡った。
種をぺっと捨てれば寂しそうに地面に転がる。勢い余って口の中にまで放り込んだ緑の茎は、口の中で弄んで固く結ぶ。
口の中に青臭い味が広がるまで弄んで口から吐き出すと、それは古ぼけた木製の鍵になっていた。
なんだ、これ。でも、これでいい。あれ、自分は、何を恐れていたのだっけ。
そう感じた時、ミシミシとさくらんぼの木が音を立てて倒れてくる。逃げはしなかった。自分は、こうなる運命だったと、知っていた。
逃げもせずその倒れてくる幹を見つめたままでいると、ぐしゃりと音を立てて自分の頭が割れた。緑色に黒い波線が這った皮に、中身はじゅわりと音を立てそうなほど水分を含んだ真っ赤な果実。黒い異物のような種はあちこちに飛び散っていた。
そうだ、そぅだ。自分の頭はスイカだったのだった。
それをようやく思い出すと、どこからともなくザザンザザンと小豆を転がしたような波の音が聞こえたような気がする。
さくらんぼの木が倒れたその向こうには波打ち際に割れたばかりであろう、なにかに砕かれたような、荒く削れた赤いシーグラスが流れ着いていた。




