蛇酊と伊豫
わたしたちの先を走っていた馬車が横倒しにされていた。その先のものが、馬車越しに顔を上げるのが見える。
『ぐるぅああああっ!!』
雄叫びをあげながら二本足で立つ姿は、真っ黒の毛むくじゃら。所々赤い斑点のようなものが、化け物の表面を光って消える。
馬車から最初に走り出したのは、ルゥクとわたし、そしてスルガだ。
後ろでコウリンが躓きながら、馬車から降りているのが見える。カリュウは他の仲間と待機。ホムラはここからは見えない。
ゲンセンは来られないかな……?
舗装されている街道は走りやすく、すぐに前方の馬車の近くまで到達する。
わたしと並走しているルゥクが、札を取り出しながら呟いた。
「あれは……『熊』かな?」
「熊の妖獣か!?」
それの身の丈は、小さな奴でもわたしの倍以上はあるだろう。
妖獣の中でもかなり大きい方だと思う。
「“霊影”っ!!」
ここへ到達する前に足下に集めておいた影たちを地表に放ち、倒れた馬車の周りへ幾つも這わせる。
――――怪我人が五人か。これくらいなら……!!
細い綱のような影を怪我人に巻き付け一気に後退させ、わたしのさらに後ろから走ってくるコウリンの近くへ運んだ。
「すっげぇ、これが術か……」
わたしの横でスルガが感心したように呟いた。
「走れる者は後ろへ!! コウリン! 怪我人を頼……」
「ケイラン! 前見て!!」
「……なっ!?」
ルゥクの声に前方を見ると、怪我人を一本釣りしたせいか『熊の妖獣』がこちらを向いている。
見えている数は五体。
「ケイランはそこで止まってて!」
ルゥクが倒れた馬車を目掛けて跳躍し、高みから妖獣たちを見下ろした。
「“地殻”!!」
妖獣たちの足元へ数枚の札がばらまかれ、ルゥクの声と共に強烈に発光する。
――――ズズンッ!!
地鳴りが響き地面が隆起する。まるで妖獣たちを包むように、大量の土が足を巻き込んでいった。
『がぁあああっ!!』
完全に足元を固定された獣が叫びをあげる。
「はいはい、ちょっと静かにしてね。“睡煙”!」
固定された妖獣たちの頭上に札が投げられ、ポンッと小さな音と同時に砕けて粉塵を撒き散らす。
『がっ…………ぐがぁ…………』
「あ……熊が……」
ドサドサドサドサ!!
降ってくる粉のせいか、地面に半分埋まりながら上半身を倒して眠り、次々の巨大な熊の置物が出来上がっていく。
いつものルゥクにしたら、かなり大人しく戦闘を終えた方だろう。馬車の周りにいた獣たちは一瞬で倒された。
当たり前だ、ここには戦える人間がそろっているからな。
「ルゥク、もう終わ……」
「……ケイラン、スルガ、まだ終わってない」
ルゥクが上から道の脇の森を睨んでいる。
その視線の先を追っていくと、森の木々の間の暗闇にいくつも光るものが見えてきた。
『グルルルル……』
「森……仲間か……」
「たぶん、囲まれてるよ。こいつら、よく集団で里を荒らすんだ」
スルガが教えてくれた。
この手の奴に襲われることが多いのだろう。しかし、熊が群れを成すとは聞いたことがない。
「妖獣になって、次々と化け物仲間を増やしやがる……」
大きく息をついて、スルガが刀を抜いて構える。その刀はよく見ると大陸のものより細く長い。
「オレだって、父ちゃんみたいに倒せる……!」
『ぐるぅああああっ!!』
一斉に森から飛び出してきた熊の妖獣は、わたしの予想よりもかなり多い。
きっと、わたしたちの様子を見て判断したのだろう。
森の中から現れた十数頭の妖獣たちは、ルゥク、わたし、スルガと、分かれて襲いかかってきた。
特にルゥクへ向かっていく個体は、固まらずに横一列に近い陣形をとっている。
これは一網打尽にされないようにという、作戦が出来上がっており、妖獣になって知性が上がっている証拠だ。
「小賢しい……!!」
霊影を四方へ飛ばし、向かってくる途中の奴らの足元に巻き付け転がす。さらにそれに躓いて転ぶ奴もいるので、少しの時間稼ぎにはいいだろう。
だが、さすがに全ては抑え切れず一体がこちらに突進してきた。
「術っていいなぁ、オレも使ってみたい……」
「スルガ、ボーッとするな! こっちに来る!」
「任せろ! あいつはオレがやる!!」
スルガが刀を振り上げ突っ込んでいく。
「霊影……!」
わたしはあの子の力量を知らない。だから、すぐに助けられるように霊影の半分を足下へ呼び戻した。
彼の倍以上ある熊の体が、正面から覆い被さるように飛びかかってきている。
「はぁああああっ!!」
――――は、速い!?
スルガは私が思った以上に素早かった。
熊の前足の攻撃を避け、そこからすぐに反対側へ抜けるように斬り込む。それを何度も繰り返しているのだ。
しかも攻撃の一打が決して軽いものではない。しっかりと深い傷を負わせている。
あの歳であの子は立派な剣士だ。
なるほど、カリュウの護衛として来たと言っていたな。わたしの手助けなどはいらないか……
しかし、そう思った時、
――――バキィイインッ!!
「…………あ」
「あぁあああっ!!」
妖獣にドドメを刺すスルガの刀がキレイに折れた。
「ぎゃあああっ!! また父ちゃんにどやされるっ!!」
「っ!? 何やってる、まだ……前を見ろ!!」
折れた刀に気を取られて頭を抱えていた彼のすぐ後ろ、仲間の体を盾にして隠れていた一体が、スルガに腕を振り上げている。
「りょうえ……」
「――――“堅狼砕牙”っ!!」
ズドンッ!!
スルガに獣の爪が届く前に、妖獣は衝撃と共に横へ吹っ飛んだ。
「スルガ!」
「た……助かった……」
折れた刀を手に、スルガは安堵のため息をついてその場にしゃがんだ。
「大丈夫か……二人とも……」
「すまない。助かった、ゲンセン」
「まぁ……無事なら…………うっ!」
駆け付けたゲンセンは真っ青な顔をして、すぐに街道から外れてかがんでしまった。
「う~……ごほっ、ごほっ……」
「ちょっと、しっかりしなさいよ。今日のあんたは全然締まらないわねぇ……」
「ほ、ほっといてくれ……」
「はい、水とこれ飲んでおいて」
「悪ぃ……」
馬車酔いが抜けないうちに戦闘に加わったせいで、ゲンセンの具合は余計に悪化したみたいだ。背中をコウリンにさすってもらって漢方を飲まされている。
「みんな、安心するのは終わってからにしてほしいんだけど?」
「あぁ、悪い。お前の方は手伝いは要らないと思って、特に気にしてなかった」
「……僕の心配もしてよ」
いつの間にか妖獣を倒し終わって来たルゥクが、不満そうにぶつぶつと横で拗ねている。
「妖獣、もういないみたいだな」
「まったく……ずいぶんな団体さんだったよ。僕とホムラが倒しただけで二十体はいたかな……全部で……三十くらいか」
ルゥク越しに向こうを覗くと、街道いっぱいに黒い巨大熊が転がっていて、その一体一体の頭にホムラが使う鉄の杭が刺さっていた。
ホムラの姿は見当たらないが、わたしが転がしたのも丁寧に倒してくれている。
「まとまった数の妖獣が、こんな人の通るところにくるなんて。話しには聞いていたけど……いきなり来たな……」
ルゥクは疲れた様子もなく、妖獣の死骸を眺めて顔をしかめる。
どうやら、この状況を少し予測していたようだ。
「元は熊だよな……こんなに群れで出てくるのか?」
「妖獣になると生態が変わるものもいる。この先の蛇酊州はそんな妖獣が多い土地だよ。気力の流れが大陸よりも激しいって噂もある……気をつけた方がいいかも」
「そうか……でも今日はお前、ずいぶん静かに倒していたな?」
「……僕でもここは慎重になるよ」
今回、ルゥクが爆発の札を使わず、眠らせて倒すという手段をとったのは、大きな音をあまり立てずに終わらせたかったためだという。大きな音で寄ってくる妖獣もいるらしいのだ。
ルゥクは蛇酊に行ったことがないというし、わたしも気を引き締めていかないと……。
「皆さ~ん!! 無事ですか~!?」
戦闘が終わったことでカリュウが乗った馬車が到着し、怪我人を乗せて、倒れた馬車をみんなで引っ張り上げた。
蛇酊の面々が馬車の具合を見て、表情を曇らせている。
「完全に横倒しになってたな……幌も破れてるし。車軸は大丈夫か?」
「あ~あ~……こりゃ、軸がやられてんな。若、こっちは人は乗れねぇです! いつ潰れるがわかったもんじゃねぇ!」
壊れた馬車を動かすには、人力で押したり引いたりしなければならないという。
「すんません、ここからは馬車が使えねぇ……お嬢さん方だけでもこっちに乗ってもらっても……」
馬車の一台が駄目になり、もう一台には怪我人と荷物が乗っている。これ以上、負担は掛けられない。
「いや、私は徒歩で構わない。普段は歩いているし。コウリンは?」
「アタシも同じね。歩くのは平気」
「申し訳ねぇ。もう少し行ったところの橋を越えたら蛇酊に着くんで…………なんなら、誰かに背負ってもらっても……」
「気遣いはありがたいが、本当に平気だから」
「心配しすぎよ」
ちょっと気付いたのだが、蛇酊の人たちはどうやら女性はか弱い存在と考えているらしい。これも文化の違いか?
ルゥクはすでに、馬車の前方で手伝うことにしたようだ。
「ゲンセンは?」
「歩きの方が楽……」
「……だよね」
わたしも霊影を使い、ルゥクの隣で馬車引くのを手伝う。悪戦苦闘しながらも、しばらく歩くと大きな川と、それに架かる大きく頑丈な石造りの橋が現れた。
「ずいぶん、立派な橋だな……」
「ここはかつての国境だからね。大陸側が資材を出して造ったと聞いたことがある」
「へぇ。蛇酊との交流のためか?」
「いや、戦争中に大陸側が攻め入るために造った大橋。これができたから…………伊豫との戦争は終わった」
「そうなのか……」
後半の部分、ルゥクは声量を落として言う。
伊豫からして見ればこの橋は凶兆の証だ。しかし、後にこれが流通の要になっているというのだから皮肉なものだ。
宿場町で伊豫人が差別されていたが、戦争に負けたことによるものも多いと思う。
戦争に負け国ではなくなっただけでなく、国名や個人の名前の読みまで変えさせられている。
少なからず、大陸側の人間に恨みを持つ者もいるのではないか。
ルゥクがカリュウに自分たちの身の安全を保証させたが、それはけっこう重要なことかもしれない。
やがて、広い橋を渡りきると、やけに広い場所が現れた。その先は景色が大陸とどことなく違う。
「ほら、そこの石柱が見えるところから、現在の『蛇酊州』に入るわけだ」
「ここが……」
馬車と共にゆっくり石柱を越えて『蛇酊州』へ入る。
………………ん?
気分の問題だろうか、それとも疲れたせいか。
一瞬だけ、体が重く感じた。




