大陸の端
昨晩、寝る前に音が聞こえたからそろそろだとは思った。
野宿した松の林を抜けて岩場に着くと、視界は白く煙っている空と水の境目をやっと捕らえる。
ここは大陸の端。
僕たちがいるのは海に面した街道近くだ。ここから一番近い漁港は蛇酊州の港になる。
タキと会った町を出発してから一ヶ月ほどが経った。
僕たちはこの国の最東端の蛇酊へ向かうため、ひたすら東へ歩き続けている。その間、僕を狙いに来た奴らに遭遇したのはたったの二回。それも、この二十日間ほどは平穏な旅路である。
街道から外れて森やら草原やらを歩いていたせいかもしれない。
そして、やっと見晴らしの良い海辺に出たのだ。
今朝はあいにくの曇り空で薄く霧もかかり、かなり近くまで来てやっと海と砂浜の存在を確認できた。
「わぁっ! ね、あれって海よね!? 凄ーい!!」
「海水って塩辛いと聞いたが……本当に近くに行くと塩の匂いがするんだな」
コウリンとケイランが、目の前に広がった『海』というものについてやや興奮気味で話している。
「私は海は初めてなのだが……コウリンは旅をしていて、海を見たことはなかったのか?」
「なかったわね。私は薬草の採取もあるし、山が多い国の真ん中をうろうろしていたから。港なんかも行く機会もなかったし……」
この国の大きい街は内陸にある。
国の中心にある王都から、外へ広がるように大きくなっていったのがこの国だから、港町以外には人や物もそこへ集まるのが普通だろう。
「じゃあ、せっかくだしもっと近くで見る? ここは見晴らしも良くて何も建ってないし、誰かに襲われて暴れてもそんなに壊れるものもないよ」
「え? いいのか? なら、あっちの砂地にいってみたい!」
「わー! 水の所に魚とかいるかな!?」
「波打ち際には近付きすぎないでねー」
「わかった!」
「はーい!」
休憩のつもりで許可を出した途端、女の子二人は大喜びで走っていく。
う~ん、若いっていいなぁ。
僕は何度も訪れて海なんて見馴れてしまっているが、初めてだという二人のために、もう少しだけ近付いて砂浜まで付き合ってあげた。
「ゲンセンは? 一緒に見に行っていいよ?」
「いや……俺は。はしゃぐ年齢でもねぇだろ。それに、海は来たことあるしこの辺も知ってる」
「そう。あ、そういえば、蛇酊にも行ったことあるって言ったっけ?」
「まぁな。だいぶ前だけど……」
「ふぅん?」
珍しくはないらしい。ゲンセンは海の近くでもそんなに喜んでいない。それどころか、足を取られやすい砂浜も歩き馴れているようだ。
前を行っていたはずの二人は、砂のせいでよろよろと歩いていたので、あっという間に僕らに追い付かれる。
「二人とも大丈夫?」
「砂だらけで歩きにくいわね……」
「うわ……海の風ってけっこう寒いな」
ケイランは被っていた頭巾の隙間を手で押さえて、入り込む冷たい潮風を防いでいるようだ。
想像よりも優しくなかった環境に、二人はちょっと顔をしかめ始めた。それでも歩くのをやめないから、それなりに海を気に入ったんだろう。
「海はもう少し暖かい時に来た方が楽しいかな。今の時期は海で游いだりもできない。魚もここじゃなく岩場か、もう少し沖まで行かないと獲れないしね」
「そうか……でもせっかくだから、ちょっと砂浜を歩くのもいいかな」
「うん、もう少し歩きましょう!」
その後は何だかんだ言いながらも、二人はキャッキャッと笑いながら歩いている。
砂浜を海を眺めながら歩く。
不安になるくらいの平穏な時間だ。
ここは大陸の端で、十年ほど前まではかつての『伊豫の国』との国境地帯であり、この国の豪族がわざわざここに拠点を置くこともなかった。
そのためか、この周辺で僕を狙ってくる奴もいないようだ。朝からここを歩いていても、地元の人間に出会うだけで争いになるようなことにはならない。
やがて、曇り空の合間から薄く陽が射してくると、視界は見る間に広がり、水平線とそこにうっすらと陸の影が見えた。
「あ! あれ、島かな?」
「大きいな……」
「あれが蛇酊だよ。もっと北へ行けば、平坦な陸と大きな橋が掛かっているから、そこからなら馬車で楽に行けるよ」
「え? 馬車って……基本的に徒歩以外は認められてなかったよな?」
確かに。
命令書には徒歩移動とある。しかし、それは処刑場へ向かう道のりの話だ。
「ここまで来れば指定場所からはだいぶ離れているし、命令は無視しても怒られはしないよ。蛇酊は指定された場所じゃないからね」
「屁理屈のようだが?」
「あら、アタシは馬車移動は歓迎ね。屁理屈でも、たまには楽してもいいんじゃない?」
「まぁ、たまになら……」
眉間にシワを寄せたケイランだったけど、コウリンに言われて少しだけ納得したようだ。
方針が決まれば、あとは進むだけ。
僕たちはさらにそこから五日ほど掛けて、正規の街道に近い宿場町に着いた。
この宿場町はそれなりに人や物の往来があるため、宿や露店なども多く、これからも発展していくような勢いを感じる。ここからなら、蛇酊へ向かう馬車も出ているはずだ。
「……はぁ~、今日は宿で眠れるわねぇ!」
「馬車で移動するなら、すぐにでも蛇酊に着くな。久しぶりに賑わってる所に来たが、こんな所に町ができてるなんて俺は知らなかったぞ」
伸びをしているコウリンと、珍しそうに町を眺めるゲンセン。ケイランもキョロキョロと周りを見ている。
「ここは比較的新しい町だね。蛇酊との戦争で最前線になっていた場所で、物資を運ぶ路ができて、常駐するために井戸水の確保もできている。そんな立地が戦後どうなると思う?」
「なるほど……戦争が終わった後でも、設備が整っているから町として機能するのが容易かったのか。ここから蛇酊へいくのにも中間地点として便利だし……」
「正解。よく解ったね、エライエライ」
「な、撫でるなっ! これくらい解る!!」
ケイランの頭を頭巾越しにふわふわと撫でると、身を捩って脱け出されてしまった。口を曲げて、眉間にずいぶん力の入ったシワを寄せている。
僕がふと顔を上げると、ゲンセンとコウリンが何やら薄く苦笑いを浮かべて頷いていた。
「あー……あんたたちは宿屋探して決めてきてよ。アタシはご飯食べるとこ探してくるわ……半刻……いえ、二時したらここに集合で」
「部屋数は任せる……え~と……俺はどこ行くかな……」
「待て。何で急に別行動?」
「みんなで一緒に動いても、時間は掛からないよ?」
「「え~……」」
コウリンは『ケッ!』と言いたげな顔になり、ゲンセンは呆れたような困ったような様子だ。
「イチャつくならいっそのこと、宿屋の部屋でしてよね」
「俺たち他で時間潰してくるから……」
「なっ!? 何でそうなる!?」
「二人とも、変に考えないでくれる?」
僕は平気だが色々と誤解されるとケイランが怒る。
「く、くだらないことを言ってないで、最初に宿を探しに行くぞ!」
ずんずんとケイランが歩き始めてしまった。
頭巾を目深に被っているので、怒っているのかどうかは分からないけど、文字通りこれ以上は余計な手出しはしない方がいいな。
とりあえず冗談は置いておいて、みんなで宿を探しながら食事でもしようと歩いていた。その時、
ガシャアアアアアンッ!!
すぐ目の前の店から、皿やら器やらが表に投げ付けられて粉々に砕ける。
「うわ、何だ!? 危ないな!」
「ちょっと、あれって……子供じゃない!?」
見ると、食器が飛んできた店から、二人の子供が転がるように外へ這い出てきた。
「なっ……何しやがる!? オレたちは食事するために、ちゃんと払う金は持ってただろ!! 叩き出される覚えは何もねぇぞ!!」
子供のうちの一人が、倒れている片方を庇うように店の中へ叫んでいる。
ちょっと変わった着物を着ているが、その色と柄からどちらも少年だろうと思われた。
まず、一人の少年の普通の赤毛を通り越した『赤い髪の毛』が目に入ってきた。
その赤毛の少年は、背こそそんなに高くないが年齢は十五歳くらいだろう。がっちりとした腕と脚は健康そうで、見るからに『ヤンチャ坊主』と言われるのが似合う。
倒れている子は地面にうつ伏せになっているので、こちらからはよく見えない。
「うるせぇ!! お前たちのような奴らに食わせる飯はない!! 帰れ!! この蛮族ども!!」
「蛮族だと!? オレたちとお前たちの、どこに違いがあるって言うんだ!!」
店から出てきた体格の良い初老の男が、少年たちに吐き捨てるように言い放つ。
「はんっ! まだ『伊豫』の金を入れてる財布の金なんざ、汚くて触れねぇんだよ!!」
「このジジイ!! 伊豫の民を愚弄するか!?」
赤毛の少年が怒りに任せて立ち上がり、腰に差してある刀に手を掛けた。しかし、刀を掴んだ手にもう一人の少年がしがみつく。
「だ……駄目!! 止めて、スルガ!!」
「放せ、ヨシタカ!! こいつは赦せない!!」
「このガキ、やろうってのか! おい、こっち来てくれ!!」
店の男が奥へ声を掛けると、さらに二人の男たちが出てくる。
二人とも大柄で、いかにも用心棒というような風体だ。
怒鳴り合う声で通りには多くの人が集まってきた。
子供二人にちょっと大袈裟だな。それに、あの子達は…………
当事者たちの熱が上がっていくのが分かり、僕は真面目な連れの方を向く。
彼女もコウリンの横で一部始終を見ていたのだが…………そこに彼女はいなかった。
「うっわ……どうしよ、始まっちゃったよ。アタシたちには関係ないけど、見てらんない…………って……あれ、ケイランは?」
隣にいたコウリンも不安な様子で辺りを見回す。そして、僕と同じ場所へ視線が止まった。
「うん。絶対やると思った」
「アタシも…………」
一足遅かった…………こういう時の彼女は、僕なんかよりも行動的なんだよね。
「待て!! そこの者たち!!」
男たちと子供たちの間に入っのは、やっぱりというか、我らがケイランだった。
「何だ? お嬢ちゃんには関係ない、引っ込んでろ!」
「私は国の兵士だ。一体何をしているのか! 町での騒ぎは拘束案件だぞ!」
そうだね。僕らは嫌というほど知っている。
「そこを退け! 痛い目にあわされたいか!?」
「聞けん! 退けるのはお前たちだ!」
ケイランは完全に兵士の顔になって、子供たちの守りに入っていた。
「ルゥク、どうする?」
「う~ん……ここはケイランに任せてみようか。これは兵士の仕事でもあるし、危険なら“霊影”も出すと思うし……」
「危ないから止めよう……ってならないんだ?」
「いや、ちょっと過保護にならない練習」
「何よそれ?」
最近、彼女が特に気にしていると思われるのは『僕に子供扱いされること』みたいなのだ。
これは僕もいけないだろう。少しはケイランを信用して、ギリギリまで任せることも大事だと思った。
だから、ここはケイランに収めてもらおう。
「いざとなったら行くけどね……」
「ルゥク、ちょっと顔怖いんだけど……あと、任せるとか言ってるのに、手に札を準備しないでよ……」
これは仕方ない。いざという時だし。
……と、僕はコウリンと話していたのだが、何か忘れている気がした。
「ん? ゲンセンは?」
「あれ? さっきまでいたのに……」
目立つ大きいものがいないことに、僕とコウリンが気付いた時にはもう物事は終わりを告げている。
「痛ででででっ……!!」
「わ、悪かった勘弁してくれ!!」
男二人がそれぞれ片腕を掴まれて、背中の方へ捻りあげられていた。
子供たちを庇うようにして立つケイランの前に、あっさりと用心棒たちを捩じ伏せたゲンセンがいたのだ。
完全に落ちた男二人を放り投げ、ゲンセンは冷ややかな目で店主の男の前に立つ。
「女子供相手に、いきがったことしてんじゃねぇ」
「へっ!? は、はひぃっ!!」
わー。見た目で勝負ありだな。
ゲンセンはでかいから、上から低い声で凄まれれば、だいたいの奴は大人しくなるだろう。
良いなぁ、分かりやすくて……。
僕の容姿は一目だけでは説得力がない。だから最終的に手が出ることになるのだが、彼が出ていくと僕は傍観者に徹することになる。
「うちの真面目さん二人は、こういう場面に我慢ならないようね……」
「君は真面目さんじゃないの?」
「アタシ、根っこはあんたと同類だと思ってる」
「そうだね」
僕が助けなくても、ケイランを助ける人間は多い。十年前から思っているのだが、基本的に彼女は運がいいのだ。
「ほんと……黙ってても、運の方が寄って来てるみたいだ」
「どうしたの?」
「たぶんあの子達は『蛇酊』の住民だよ」
そしてきっと、ひと波乱ある…………僕の勘だけど。
こちらへ連れて来られた子供たちを見ながら、ケイランの強運と悪運を心の中で天秤にかけていた。




