人非人<ひとでなし>の愚進
ルゥクはこれまでに、自分のことを“化け物”だと度々言っていた。
でも、それは単なる自嘲であり、普通の人間よりも少し頑丈で長生きで、特殊な能力を持っているから……と、わたしは解釈していた。
「はぁい、お食べ~!」
バリ……コキュ、コキュ…………
ゴウラの脚に人間の二、三歳くらいの子供の大きさの蛙のようなものがいる。ガッチリとしがみついていて、ゴウラから魂喰いの実を与えられて食べているのを、わたしは茫然と眺めた。
さっき…………ゴウラは何て言った……?
『だって、この実がないとルゥクもこれと同じ化け物になるから、ボクがルゥクを助けてあげるの』
これって…………あれ……?
小刻みに動く何かを見ていると、頭と思われる場所がグルンッと勢いよく真後ろを向いた。
「おぎゃああ!」
「ひっ……!!」
真っ黒な白眼のないツヤのあるどろりとした瞳。
その眼を正面にして、わたしは思わず短い叫び声をあげる。
「あれぇ? ケイランちゃん、子供嫌い? ボクは子供好きだよ。この子は2才の女の子なの、可愛いでしょ?」
2才……女の子……
その単語はすでに記憶の中にある。
確か、領主には幼い娘が…………
「病弱で死にかけていたのを元気にしてあげたんだよ。今ではごはんもいっぱい食べて、いっぱい遊べるようになったんだ!」
――――簡単に『不死』を造り出す
不死とは言い難いが、『魂喰いの実』が身体に入り込んだ生物は頑丈で簡単には死なない。しかし、そこに人間の理性は無く、妖獣のように他の命を喰う化け物になる――――……そんなようなことを、ルゥクから聞いていた気がする。
「貴様が、子供を……こんな、化け物に……?」
「化け物だと思う? さっきまでいた烏合の衆よりずっと、人間だと思うよ。この子はルゥクと同じだからね」
「違うっ!!」
「…………何で?」
「違うだろ!! ルゥクはそんな……そんな、ものじゃ……」
そんな、醜い化け物じゃ…………いや、姿だけの問題、なのか?
言いかけて、自分が何を反論しているのか解らなくなった。
「ルゥクは…………違う!!」
呼吸が浅くなって視界が狭くなる。
それを振り払うように叫ぶと、ゴウラは目を細めて口の両端を大きくつり上げた。その顔はとても満足そうだ。
「確かに、ルゥクをこの子たちと比べたらいけないか。ルゥクはちゃんとした手順を踏んでいるのだから」
「…………手順?」
「不死の手順だよ。ボクもよくは知らないけどね、でも“似たようなモノ”なら造ることはできるんだ。スゴいでしょ!」
ゴウラはケラケラと笑う。
不死になるには決まりがある……それを外れると、ゴウラが造り出す化け物になる……?
「ルゥクは綺麗だよね。ボクは男は嫌いだけど、ルゥクは好き。あんなに美しい男がいるなんて、最初に見たときは信じられなかったよ……」
うっとりと恍惚のため息と共に語った。
そしてゴウラはその表情のまま、何の構えもなしに普通にわたしの方へ歩いて来る。殺気も攻撃の意思も感じられない。
それでもこいつに近付かれるのはまずい。なのに、それが解っているはずの自分の体は、鉛をくくりつけられたように重く冷えきって動けないでいる。
「もちろん、ケイランちゃんも可愛いから欲しいなぁ。そうしたらきっと、ルゥクも一緒に来てくれるよね。だってあなたはルゥクの『特別』だもんねぇ?」
「特別って……何が……」
「色々調べたよ。あなたはルゥクに拾われて将軍の家に預けられたこと。ルゥクがあなたのこと、陰からずっと見守っていたこと……とかね」
見守っていた……? 何を言って…………
ゴウラは両腕を伸ばして、わたしの頬を両手で覆うように挟む。ふにふにと顔を触られているのに、やはりわたしの体は動かない。
……おかしい、いくらなんでも指も…………
完全に自分の体が固まっている。動かせるのは口と眼球だけ、あとは凍ったようにびくともしないのだ。
体だけじゃない。背負っていたはずの霊影が、いつの間にか引っ込んでいて出てこない。
「気付かない? これ…………」
クッと、ゴウラの手がわたしの首の後ろから何かを引き抜いた。それは小指ほどの細い……針。
「これには痺れ薬を塗っていたんだけど、ちょっと効き目が遅いんだ。でも、お話ししていたらすぐだったねぇ」
「い……つ…………」
いつの間に!? と、発しようとしたが、唇さえもどんどん重くなって言葉も出ない。
考えられるとしたら、先ほど一瞬だけ背後を取られそうになった、あの時だけ…………あんなに早く霊影で逃げたと思ったのに……。
「良いことを教えると、少しでも『影』に背中を取られれば、痺れ針のひとつやふたつくらい、瞬き一回くらいで仕込めるもんだよ。それと、話し合いで解決しようとする『影』は…………滅多にいないねぇ……」
クスクスと静かな笑い声と、吐息のような言葉が耳元で囁かれる。
「きゃああああっ!!」
「…………っ!!」
叫び声に眼球を無理矢理横へ向けると、地面にぶつかり飛ばされているユエの姿が見えた。
「うっ…………」
「“雷光”などの風の術は、身体の元の素早さを底上げするが……一度攻撃が当たれば、貴様のような小娘の防御など障子の紙を破るようなものだ」
ムツデが櫂を手にずんずんと、倒れているユエに向かっていく。ユエは背中を打ったのか、なかなか起き上がれないようだった。そこにコウリンが駆け寄り、懸命に体を引っ張っている。
「あぁ、良い眺めだ。できれば、もっと戯れていたいものだったが……」
ムツデの表情は布に覆われて見えないが、女を追い詰めて楽しめる性格なのは十分伝わってきた。
ダメだ、ユエさん起きて!! コウリンも逃げて!!
自分は見ているしかできない。
まずい…………何とか……
「ケイランちゃん、よそ見してないでこっち見てごらん」
「…………!?」
頬を撫でる手が肩から、胸へと下がっていく。
わたしの腰に手を回し、もう片方の手の指でわたしの下唇を撫でながら、ゴウラは熱っぽい目で顔を近付けた。
「……はぁ……スベスベの肌と良い匂い。まだキレイなんて、勿体ないなぁ……ルゥクもさっさと手をつけちゃえば良かったのに…………」
「――――――っ……!?」
アゴに手が添えられ、顔を上向きにされる。
息が掛かるくらいの、もう少しで唇に触れそうな距離でゴウラの顔があった。
それと同時に足元の蛙の化け物が、わたしの太股をペチペチと触っている感覚もある。
「――――……やっ…………」
――――やめろ!! 声にならずに微かに出た音。
動かない自分に、悔しさと怒りで頭の中が真っ白になった、その時……
『うちのケイランに変なことしないでくれる?』
「…………っ!?」
「ルゥクっ!?」
ゴウラがその声に弾かれたように顔を上げる。
『本当にお前は節操って言葉が無いよね……目障りだから、僕の前に出てこないでほしいよ』
「ルゥク、どこー? 姿を見せてよー?」
ゴウラがわたしから離れて、キョロキョロと辺りを見回しているが、ルゥクがなかなか出てこない。
そんな、人を小馬鹿にしたようなルゥクの声に、情けなくも泣きそうになったが、ふと何かが心に引っ掛かる。
声もしゃべり方もルゥクなのに何故か実感がない。
これ……本当に、ルゥク…………なのか?
「『できれば最期なんて見とりたくないから、僕のいない間に地獄に逝ってくれると嬉しいのだけど』…………で、やすかね……」
んん?
今、語尾に聞いたことがあるのが…………
そう、思った瞬間、
ガガガガガガガッ!!
まるで急な集中豪雨のように、小さく重いものが降り注ぐ。
「――――――チッ!!」
“声の主”が投げたであろう、無数の金属の杭がゴウラが立っていた場所に突き刺さり、さらにムツデにも投げられたのか、奴も飛び退いているのが見えた。
「『僕のいない間に散々荒らしておいて、簡単に死ねると思うなよ』……と、ルゥクの旦那なら言うと思いやすね……」
ストンッ……麻痺して立ち尽くす横に、黒い影が静かに飛び降りてくる。
「すいやせん、遅くなりやした。災難でやしたね、嬢ちゃん」
ホムラがにんまりと、わたしの顔を覗き込んでいた。
「ホ、ム…………むぐっ!?」
ホムラは目が合うといきなり、わたしの口に指を二本突っ込み、喉まで指先を押し込んできた。
「ちょいと、頑張って飲み込んでくだせぇ。これ、痺れ治しの丸薬なんでさぁ。生憎、水がねぇんで唾で流して」
「ぐぅっ……ふぅっ!!」
く、苦しいっ!! もう少し丁寧にしろ!! とは…………口が動かないので言えない。しかし、ジト目で抗議くらいはしてみる。
その抗議をじっと見た後、ホムラは人差し指で自分の唇を指す。
「…………嬢ちゃん、せっかく純潔を守ったのに、あっしが口移しでもした方が良かったでやすか?」
にんまり。
「……………………」
ううん、ゴメン、ホムラ。わたしが絶対的に悪かった。…………と、目で謝ってみる。
「痺れが切れるまで大人しくしててくだせぇ」
「ぐ…………う、ん……」
こくん……と、アゴの辺りが下がった。
お、少し動いた。
にんまりしながら、ホムラがゴウラやその脚についている化け物と対峙する。
『影』であるホムラが、正面から相手に向かうことに違和感があるが、少しだけ焦りも感じた。
いつも通り、ホムラの素肌が出ているのは鼻から口の部分だけだ。しかしよく見ると、頬やアゴに血が流れた痕が残っている。
ここへくる前に、何かと戦ってきたのがわかった。
そんなホムラを、ゴウラは面白くなさそうに睨む。
「ホムラ……お前、あの二人はどうしたの? お前のこと殺すまで追い掛けているはずだったのに……」
「あぁ、あのヌルい奴ら……しつこかったんで、串刺しにして川へ流しやしたよ。今頃、海にでも向かってやすかねぇ」
「ふぅん、そう。じゃあいいや、役立たずは要らない」
「相変わらず人非人な女でさ。旦那が嫌うのも当たり前でさぁね」
世話話をするような口調とは真逆の殺気を放ち、ホムラとゴウラは飛び道具や刀を手に、お互いの間合いを詰めていく。
突然、二人の姿が消えた。
ギィイイイン!! ガガガッ!!
音が周りから鋭く聞こえてくる。
ここから、二人の気配があちこちに分散して、ホムラたちの姿は半分麻痺した目では追えなくなった。
わたしの痺れがとれるまで、ホムラに頼るしかない。
そうだ、ユエとコウリンは…………
『影』の戦いを追いかけるのをやめ、わたしはハッとして鈍い動きで首を動かす。
「ユ、エ……さん、は?」
視線を横へ動かす前に、周りの空気が“圧力”を持って一気に動くのを感じる。その力にわたしの足が一歩、前に押し出された。
「……堅狼砕牙っ!!」
ゴォオオオオオ――――!!
「ぐおぉぉっ!?」
叫びと共に地面が抉れて真っ直ぐ、突き刺さるように“圧力”がムツデに襲いかかっていく。
「あれ、は……」
首を曲げて見上げると、少し高い所に佇む大きな人物の影。
「ハァ……どうやら、間に合ったみたいだな……」
「ゲンセンっ!!」
「た……助かったぁ……」
息を切らせて笑うゲンセンがいる。そしてユエの嬉しそうな顔と、コウリンが脱力して地面に座り込んだのが見えた。




