禍<わざわい>の糧
視点移動、ルゥク→ケイランに変わります。
僕の目の前には、曲がりくねりながらどんどん形を変えていく樹木が『いる』。
もう『ある』というより『いる』。
これは植物ではない。立派な妖木…………“魂喰いの親木”だ。放っておけば、霊喰いの実を殖やしてしまうことだろう。
妖木はまだ変形を続けている。叩くなら今が一番良いのだが、黒ずくめの人物に阻止されるのは容易に想像できた。
妖木の側に立つ男。こいつには見覚えがある。
「……あんた、確かゴウラの部下の『フブキ』だったよね? 最後に会った時、瀕死にして棄てたはずだけど……凄いね、生きてたんだ?」
「ほぅ……覚えていただけていたとは光栄だな。とっくに我のことなど忘れてしまったと思って、お前を思い出すたびに古傷が疼いてしかたなかった……だが、それもなかなかオツでしてなぁ…………クク、ククク……!!」
フブキはグラグラと体を左右に揺らしながら笑っている。僕はいっこも面白くないので、反吐が出そうな気分でその動きを見ていた。
「こいつ、頭おかしいのです!!」
僕の腰にくっついているカガリが、ぎりぎりと歯ぎしりをしながらフブキに吠えかかる。今にも飛び掛かりそうなカガリを手で制するも、気持ちは僕も痛いほど解る。
「ゴウラの腰巾着の分際で、ルゥクさまに殺されてもらおうなんて甘いんです!! てめーの相手はあちが引き受け――――……ふがっ!? ふぐぅっ!?」
カガリの口に手拭いを突っ込み、抱えてゲンセンに放り投げた。この子は考えなしにフブキに突っ込みかねないので、こういう緊迫した戦闘の場に出したくない。
「……ゲンセン、ごめん、その子ちょっと持ってて」
「お、おぅ……大変だな……」
「ふぐっ、ぷはぁ!! 放せです、デカブツ!!」
「カガリ、大人しくしてろ」
「うぅ……ルゥクさま~……」
ゲンセンに猫の子のようにぶら下げられたカガリは、彼に毒づきながらも命令を聞いてくれたようだ。
この間に妖木の動きはだんだん鈍くなってきた。たぶん、変化はそろそろ終わる。
「さて、ルゥク。お前の任務は“化け物退治”だったはずだ。それとも“人助け”だっただろうか?」
「“人助け”なんて仕事は『影』には与えられない。今回は“化け物退治”。ついでに、その原因になった奴らも倒すことになっている。つまり、ゴウラやお前のことだ」
国が『影』に“殲滅命令”を出すのは、普通の兵士たちでは手に負えない時。国はひとつの領地を荒らしたこいつらを許さない。
徹底的に叩き潰し、その『存在』さえも消し去る。
それは僕の役目だ。
フブキの背後で妖木がいる。形だけは人間に近付いているが、質感は流木のようだ。
あからさまな人外に、ゲンセンが嫌悪をふんだんに盛り込んだ顔を歪めている。
「人に、戻ったわけじゃない……か……?」
「残念ながら戻ってないよ…………最早、妖木でもなく『妖鬼』と呼べるものさ……」
『妖鬼』とは、妖獣よりも人に近い化け物。
知性は個体でまちまちだけど、身体的な能力は妖獣よりも強い。
なるほど……ほんっとに、胸くそ悪い……
「……この領主の娘も、こうしたのか?」
「ククク……さぁ? だが、お前はこの妖鬼を放っておくわけにはいかないだろう。例え、我がゴウラ様が遊んでいる『銀寿』の娘の処へ行ってもな」
「…………っ」
スゥッと異様に背の高く体毛などが一切ない、まるで骸骨にそのまま皮を被せたような妖鬼が、僕とフブキの間に入ってくる。
動物らしい柔らかさなどない、枯れ木のような化け物の姿。全ての手の指が針のように長いのが見えるので、襲うならあれが武器なのだと想像できた。
領主は完全に化け物の骨組みにされたらしい。
彼の首は床に転がっている。なのに、妖鬼には木のコブみたいな頭部がついていた。それは妖鬼となった魂喰いが主導権を握った証だから。
他人任せで考えることを止めた人間の末路。
自業自得と言うにはあまりにも憐れだ。
完全に人の形をとった妖鬼は、おそらく僕を足止めする行動をとる。
その隙にフブキはゴウラの元へ…………そこには、ケイランたちがいるのだ。
ザァッと上から下へ、冷たいものが突き抜ける。
「行かせるか……」
僕はフブキと化け物から目を離さずに、右の小物入れから札を二枚取り出すと、それをカガリとゲンセンに放り投げた。
「カガリ、ゲンセンに使い方教えてやってくれ」
「ハイです……でも……」
札にはケイランとユエの気力を追うように、捜索と追跡の効果の術を掛けている。札に気力を込めれば引っ張ってくれるはずだ。
ちなみにコウリンの札はない。あの娘は絶対にケイランと一緒にいると踏んでいるからだ。
「お前、一人でこいつら相手に……?」
「ルゥクさま! “銀嬢”だって術師……きっと平気です! だからあちはルゥクさまの手伝いを……」
「行ってくれ、二人とも。ここは見られたくない」
「…………へ?」
「う……ルゥクさま…………分かりましたです!」
カガリがゲンセンに向かってブンブンと首を振る。その顔が真剣だと解ったであろう彼は、黙って片手だけ上げて僕を見ると、カガリを抱えたまま部屋から走り去った。
部屋には僕とフブキ、化け物が残る。
「ほぅ、本気で我を潰す気か。“不死のルゥク”」
「………………」
潰す? あぁ、それが望みなら。
どれくらい細かくしてやろうか?
札を腕のあちこちに仕舞い込み、僕の脚はフブキと化け物に向かって音もなく踏み出された。
こいつは妖鬼と共にバラバラにする。
その後はゴウラもただじゃおかない。
――――――絶対に殺す。
僕は少しでも早く、ケイランのところへ戻らなければならないのだから。
明確な殺意を持って奴らに斬りかかる一歩前、
『がぁああああああっ!!』
しゃがれたような声があがり、『もう一体の化け物』が部屋の壁を突き破って僕の目の前に躍り出てきた。
領主の化け物より少し小柄だろうか。体つきもやや曲線が多い気がする。
「まだ、残っていたのか……!?」
そういえば、領主には娘がいた…………
「ククク……夫婦そろって、お前の相手をしたいようだなぁ……」
…………領主の“妻”!?
殺されたのではなく、化け物にされていたのか。
じゃあ……娘の方は…………
“娘はゴウラが連れていった”
ゴウラは一つだけ真実を言っていたようだ。
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――――やるしかない。
わたしは短刀を手に、霊影を背中にゴウラとその手下と思われる黒い大男と対峙する。
この状況は『撤退』を許してはくれないだろう。背中を見せれば確実に敗ける。
コウリンは離れた所でこちらを見守っているが、手にはくしゃくしゃになった札を握っている。攻撃は得意ではない彼女も、何かあれば身を守るくらいはするつもりなのだろう。
「ケイラン、私も手伝う……」
「ユエさん……」
ユエが私の隣で拳を構える。
正直、少しだけ迷った。ユエさんがどれくらい戦えるか分からないので、もし無理をしているならコウリンと一緒に逃げていてもらいたいのだが……
「……一人分の足止めくらいならやってみせるよ。ケイランの足は引っ張らない。絶対に」
相手から目を離さずにユエが呟く。
たぶん、二人とも覚悟はできた。
「…………死なないでください。きっと、ゲンセンが悲しむから」
「ケイランも。ルゥクさんのために」
ルゥクを護送するのがわたしの役目。
そして、不死の呪いの素である“術喰い”を解くために、わたしは死にたくない。
そんな事を思案していると、遠くからゴウラがニヤニヤとわたしの顔を覗き込むように見ている。
「ねぇ、ケイランちゃん。ボクたちは戦わなくてもいいんじゃないかな?」
「…………私たちを生かしてくれるのか?」
「貴女だけなら」
「じゃあ却下だ。ついでに想像すると、私も生かしたまま自由にはしないと思われるが?」
わたしの勘だ。きっと“御飾り”にされる。
「ふふ…………ほんと、貴女はかわいい……」
「否定はなし、か…………」
…………。
わたしの言葉の後の沈黙の間。
ピリッ。
張りつめた空気が一瞬伝わり、そのままそれが押し出された。
スゥッ!!
「…………ユエさんっ!?」
「――――っ!?」
もはや無意識で叫んだと思う。
ユエの目の前に大きな黒い影が移動したのが見えたのだ。
――――ガッ!!
ユエが半歩その場からずれた瞬間に、地面に巨大な櫂がめり込む。そのままユエは『影』の男……ムツデの間合いから抜け出し体勢を整える。
「危ない……!!」
「ふん、こいつも存外素早いな……」
拳術士であり雷光の能力を持つユエは、ムツデの攻撃をかわせるくらいの素早さはあるようでホッとした。
それが、ほんの瞬き二回分くらいの間。
「よそ見はいけないね、ケイランちゃん」
「っ!?」
ユエがムツデと戦い始めたのに気を取られ、耳のすぐ近くで聞こえる声に心臓が飛び上がる。ゴウラがわたしの背後に回っていたのだ。
――――やはり、背後に来たか!!
ズザァアアアッ!!
奴に触れられる前にある程度の行動の予測をし、霊影を体に巻き付けていた。そのおかげで、すぐに影に引っ張られて離れることができたが、背中にどっと冷や汗が流れる。
「あぁん、逃げた~。ケイランちゃん早いねぇ、きゃはははは!!」
「………………」
たぶん、ゴウラはまだ本気など出していない。今のは遊びだ。
『影』相手に油断、しちゃ駄目!!
もし、余裕があったらユエの援護をしようとも考えていたのだが、その考えはかなり甘いようだ。援護どころか、少しでもこの女から目を逸らせば殺られる。
「ルゥクが来るまでに、ケイランちゃんをオトしたらボクの勝ちねぇ♪」
「………………」
ごきげんで勝手に何かを決めているようだが、こいつと戦っているうちにルゥクが来るとは限らない。
だが、これだけは考える。
――――絶対に負けない。
ルゥクはルゥクの戦いに勝って帰ってくるだろう。
わたしだってわたしの戦いに勝つ。
ユエは先程からムツデを繋ぎ止めるように、攻撃を掻い潜り防御一方だが間を持たせてくれている。
来るならこい! ……そう、思っているのに……
ゴウラは針を手にしてはいる。しかし何故か、戦うような素振りがない。わたしは再び短刀を構え霊影をゴウラに向けた。
「…………」
「ねぇ、ケイランちゃん。もう一度言うけど、ボクたちは戦わなくてもいいんじゃない?」
「なら、わたしも……念のため言う、この土地から……ルゥクから手を引け」
「無理。ボクはここで二年もルゥクを待ち伏せていた。やっと会えるのに……それに、他の奴は邪魔だし」
「では何故、この土地を巻き込んだ?」
「そりゃあ、ルゥクの為だよ♪」
「…………?」
ルゥクの為? この土地を引っ掻き回すことが?
「ルゥクが“術喰いの術師”だって、貴女は知っているよねぇ?」
「…………知っている。それがどうした?」
他人の術を喰う……“術喰い”。
詳しくは知らないが、それが憑いているせいで“不老不死”に…………あれ?
分かりきったことに、今更引っ掛かる。
術を喰う、術喰い。
他人の命を喰う……魂喰い……?
術の素になるのは気術であり気力。
気力というのは人間の命を根源とする。
じゃあ……それを喰うということは……?
「ケイランちゃんは、ルゥクから大事なことは聞いてないんだね?」
「……大事なこと?」
短刀を持つわたしの手が、無意識に震えている。
「これ……“魂喰いの実”だけど……これがどういうのか解ってる?」
ニヤリと笑いながら、ゴウラは懐から“魂喰いの実”を取り出した。
「それは、化け物を作る……ための?」
「それもあるけど、基本的には……」
ボコォッ!!
「うわっ!?」
ゴウラの足下、地面から“何か”が勢い良く飛び出す。
『おぎゃあああっ……!!』
「あー、よしよし。基本的にはこの子たちのおやつね」
ばくんっ!
ゴウラの脚に貼り付いた“何か”が、ゴウラが放った実を飲み込む。
「でも、ルゥクにとっては、大事な“薬”だよ」
「え……?」
「だって、この実がないとルゥクも『これ』と同じ化け物になるから、ボクがルゥクを助けてあげるの」
バリバリ……バリバリ……
堅いものを咀嚼する音が響く。
ルゥクが何と同じ……に、なるって?
わたしの視線は『これ』を定められずにさ迷った。




