閃光の乙女 二
※今回は若干の残酷表現があります。苦手な方は注意してお読みください。
森から出てくる集団の動きは決して早くない。
しかし、女性を追い詰めてきた者たちは、木にぶつかったり転んだりすることに何の抵抗もなく、表情ひとつ変わらないのだ。
「何、あの気持ち悪いの!?」
「あいつら普通じゃないよ!?」
コウリンとユエも気付いたようだ。
森の足場というのは、木の根や石などに足を取られやすいものだ。だから、普通の人間はそれを気をつけながら進む。
それが逃げているのならなおのこと、もちろん追う側も躓き転げれば自分が不利になるのだ。
逃げてくる女性と、追う集団。
そして、彼らが近付いてきたので、違いがはっきりと分かった。
まるで……土の人形みたいだ……。
明らかに女性を追ってきている者たちの瞳に生気がない。
さらによく見れば、打ち所が悪かったであろう酷い傷を頭に負っている者までいる。全員の瞳も肌も無機質のようで、触らなくても“冷たい”と分かるのだ。
「あっ!! そ、そんなっ……!!」
追い詰められた女性が後退りをしているが、あとちょっとで川へ落ちる。
「落ちるっ!!」
「このっ!! “霊影”!!」
ゾゾゾッと、わたしの足下に気が集まり一気に黒い柱が数本空中へ飛び出てきた。
「え……? きゃあああ――――っ!!」
崖から落ちそうになっている女性に霊影が絡み付く。女性は一瞬呆けた顔のあと、恐怖にひきつった表情で叫ぶ。
うん、しまった。確かに霊影は事情を知らないと、あの追っ手以上に不気味なはずだ。
だが、そんなことは助けたあとで説明しておこう。
彼女を絡ませた霊影が、わたしたちの間に静かに降りてくる。はみ出た手足が力なくぶら下がり、何の抵抗も見せてはいなかった。
「あう…………」
どうやら川向こうから、ここへ運ばれる一瞬で意識を放棄してしまったらしい。
あ……完全にオチている。怖がらせて、ごめんなさい。
「大丈夫か? しっかり!」
「……う…………」
足下で気を失っている女性の上半身を少し起こし、ごく軽く頬を叩いてみたが、目を覚ます様子がない。
女性の年齢は二十代前半だろうか。きれいな黒髪を頭の上で丸くまとめている。閉じられた眼のまつげが長い。顔立ちも体格も『可愛らしい』という印象だ。
身長は……たぶんわたしより大きい。コウリンと同じくらい。
「ケイラン!! 見て、あれ!」
「なっ……!?」
ユエの声で顔をあげると、森の崖からボトボトと追ってきた者たちが川へ飛び込んでいる。
急流で流され岩にぶつかる者。
浅瀬に飛び降り潰れる者。
うまい具合に川に落ち、こちらへ向かってくる者……それだけでも十数人はいるだろうか
「き、来た!! どうする、逃げる!?」
「この人も連れて行かないと! 私が背負うから、逃げ道を…………わあぁっ!?」
ユエが声をあげる。
それもそのはずだ、わたしたちはいつの間にか『人なき者』たちにぐるりと囲まれていたのだから。
『『………………』』
「こんなにいたのか……?」
わたしたちを囲んだ人数は、ざっと見て三十ほど。
声も物音も出さずに近付いてくる。気付かなかったのは、女性の方向にだけ気を取られて、周りの確認を怠ってしまったからだ。
「コウリン! ユエさん! できる限り、私の近くへ!!」
「何!?」
「うん!」
ユエが女性を背負い、三人で背中を向けて立つ。
「霊影!!」
わたしたちを中心に幾つもの影の柱が飛び出し、全ての影が鞭と化して横へ……人なき者を薙ぎ払う。
『『………………』』
悲鳴も無く吹っ飛んでいく。
今の霊影には『斬る』という機能はつけなかった。刀のように斬るのは意外に気力を削るからだ。
だが、それ以上にこの追っ手を見た瞬間、背中に悪寒が走ると同時に嫌な予感がした。
もし『斬って』も死ななかったら…………?
そしてその予感はたぶん当たりだろう。吹っ飛ばした衝撃で、ひとりの肩口の布が外れて見えたのだ。
首元……胡桃のようなものが、まるで皮膚に食い込むようにくっついている。
ぐるんっ! と、その胡桃が目玉のように開いた。
「“魂喰いの実”…………」
わたしはこの名を、存在を知ったばかりなのに、こいつだけは一生忘れそうにないと悟った。
「ユエさん、この辺りで人が住んでいない場所は?」
「……えっと……、あっち! あっちなら崖もあるし、隠れる場所もあると思う!」
「分かった! 霊影!!」
足下から伸びた影はわたしたちを絡めて、川で倒れている化け物たちから離れた場所へ運ぶ。
わたしたちは女性を連れて、奴らに気付かれるように走って逃げた。
『『………………』』
のそり……と、奴らが起き上がってこちらを見ている。その動きはゆっくりだが、確実にわたしたちを狙っているのが分かった。
「ケイラン! あいつら、どうするつもり!?」
「人間じゃない、人間を襲ってくるなら倒さないと!!」
来い、他の人間を追わないように……!!
気を失っている女性には、悪いがついてきてもらおう。この辺に置いていくわけにもいかないし。
追ってくる者たちを視界に入れながら、思い出したのはあの事だ。
――――これを使って簡単に『不死』を造り出す
ルゥクが言っていた『魂喰いの実』によって生み出される『不死』の化け物。
人間の命を喰い、仲間を増やす。
ルゥクは魂喰いの実を警戒していた。その作り出された化け物が、この人間たちだとしたら……わたしは正直、こいつらと戦いたくないのだ。
…………不死……魂喰いの実がもたらす効果。その性質がルゥクと同じだとしたら。
動きや言葉がないところから、自然界で希に発生する『妖獣』と同等と見ていい。おそらく、ルゥクとは知力や戦闘力などはまったく比べものにはならないだろう。
しかし、身体の頑丈さや回復力が同じであれば、持久戦でわたしに勝ち目はない。
動きの鈍い敵は、一斉にこちらへ移動を始めている。
ルゥクは夕方までには戻ると言っていたが……
領主が事の発端なら、ルゥクはこの化け物たちを見逃しはしない。たぶん『殲滅』とは、こいつらも含まれるはず。
ルゥクが戻るまで保たせれば…………
そこまで考えて、わたしは固まった。
………………わたしは何を思っている?
『影』の仕事は、ルゥクが嫌がっていることだろ。
「……そうだ、私はルゥクに『影』を辞めさせるつもりなのに」
血生臭いことをルゥクにさせたくないと思っておきながら、今まで敵に止めを刺してきたのはルゥクで、わたしは足止め程度。
何を頼ってばかりいるのか。
ここは、わたしが覚悟を決めないと。
血の海からルゥクを引っ張り出すなら、わたしはそこへ手を突っ込まなければいけないのだ。
「よし……!!」
両手で頬を叩いて気合いを入れる。
戦い生き延びるためにはまず、自分の力を温存して相手の戦力を減らす。
最初から全力で攻撃して、それが効かなかった場合が最悪だ。敵に囲まれているときに、気力切れをおこすわけにはいかない。
わたしだけではない、コウリンたちもいるんだ。
できれば弱点を見付けて一網打尽。それが無理なら少しずつ、確実に倒さなければ。
「この辺…………ここなら……!!」
森が続いていたが、走り続けたら岩ばかりの場所へ着く。
そこは岩が柱のように、細長くあちこちに幾つも立つ場所だった。細いといっても柱の先端は人が五、六人乗っていても大丈夫そうな岩だ。
「霊影!!」
霊影で自分たちを空中へ持ち上げて、なるべく高く平らな岩へ降り立つ。高さは人の五倍以上あるものを選んだ。
岩の中心に女性を寝かせて、わたしたちは背中合わせに岩の端から下を覗く。
「奴らが素早く登ったりはしないと思うが……」
「う……来た……」
わたしたちがいる岩の柱の下には、化け物たちがずるずると集まって登ろうとしている。しかし、この直角の岩を素手で登れても、だいぶ時間は掛かると思った。
「……コウリン、ユエさん、半分以上登って来る奴がいたら教えて…………始末する」
「ケイラン、始末って……」
「数を減らすなら一人ずつ『行動不能』にする。叩くだけじゃ、永遠に追い掛けてきそうだから……」
覚悟を。わたしは兵士だ。
「霊影……!!」
足下から縄状の影が飛び出す。
その先端は細く鋭くさせた。
「ケイラン、こっち! 二人登ってきた!!」
「あぁあああっ!!」
霊影が岩の下へ氷柱のように落ちる。
ズシャッッ!!
鈍い音がして、登りかけていた者たちの『首』を捉えて落下させた。そして、彼らは地面の上で動かなくなる。
さすがに首がなければ動かないみたいだ。
「うっ…………」
コウリンかユエが小さく呻いた気がしたが、もう止めるわけにはいかない。
ザッ! ガンッ!! ザクッ!!
登ってきた奴らを順番に首から沈める。
やはり奴らは死人だったのだろう。地面に落ちても傷から血が流れ出ていない。
「……はぁ、はぁ、はぁ……くそ……まだ、いるのか」
「あと、十体くらい…………ちょっとケイラン、大丈夫?」
「大丈夫……まだ、気力はある」
思ったより気力を消費するが、まだ余裕はある。
しかし…………
「う…………」
「顔、真っ青よ? 具合い悪い?」
これは、わたしの気分の問題だ。
霊影で落としていく度、手には感触が、鼻には古い血の匂いが残る。直接奴らに触らなくても、霊影を通して五感が働いてしまっているのだ。
目眩がしてきたところ、コウリンがわたしの腕を掴んで支えてくれている。
……吐き気が、する……。
「無理しないで。何なら、アタシが爆発の札でも……」
「……いや、ダメだ。岩に付いている状態で爆発を連続したら岩が崩れる」
柱のような岩の強度は分からない。しかし周りにも似た岩がある。つまり、風か増水した川の通り道で、削られてできたものかもしれないのだ。
自然にできたものはいつ崩れるか想像ができず、なるべく岩に衝撃は与えたくないと思った。
「……でも……ん? きゃあっ!!」
コウリンの視線の先、頂上に掛かっている手が見え、そこから男がゆっくり上半身を乗り出してきた。
そいつは喉に魂喰いの実が張り付いている。
「ぐ…………りょ……」
「待って! これなら私ができる!!」
わたしが動くよりも早く、ユエが拳を握って男へ向かう。
「『雷光』っ!! 食らえぇっ!!」
ドンッ! バチンッ!!
ユエの拳に小さな光が絡み、それが敵のアゴへきれいに決まる。岩から剥がれると同時に、拳が当たった場所に小さな爆発が起きて、首ごと魂喰いの実が粉々になるのが見えた。
「ふぅっ……。至近距離なら私が対処できるね。ケイランは休み休み術を使った方がいいよ」
「ありがとう、ユエさん」
やはり、わたし一人では限界がある。
見張りはコウリンが行い、わたしの取りこぼしはユエが殴り飛ばす。それを繰り返して、残りの化け物は二人くらいになる。
もう少し……わたしたちだけで倒す!!
「……最後っ!!」
下の方で登れずうろうろしている一体をわたしが霊影で倒し、残りが岩を登ってきたところをユエが雷光を纏わせて蹴り落とした。
「やった! 二人とも頑張ったわね!」
「私よりケイランだね。と……、大丈夫?」
「大丈……うぇっ……」
う……もうダメ……。
ユエに支えられて、そろそろと岩の端まで行き座り込んでしまった。
堪らず咳き込んでいると、腰に提げていた水筒を渡しながらコウリンが背中を撫でてくれる。
「ありがとう……」
「ほら。ちょっとうがいしてから、ゆっくり飲みなさいよ。あとで漢方調合してあげるから」
「ケイランは血……苦手だったんだ? 無理させたね……」
「大丈夫……無理じゃない」
強がったが顔が上げられない。
項垂れた先……眼下にはわたしが斬り捨てたものが、岩の周りに折り重なっていた。
化け物になっていたとはいえ、元は自分と同じ人間。
今さらだが、胸に吐き気と共に憐れみのような思いが込み上げてくる。
「あの人たちは……何でこんなことに……」
人間であったことを考えたら、同情めいた言葉が思わず口から出た。
その時、
「ふふっ、元がクズ人間だもん。仕方ないよぉ」
この場に不釣り合いな軽い声色。
「「「え?」」」
振り返ったわたしに突き付けられたこと。
――――恐怖というものには限りがない――――
ズドォオオオオオオッ!!
轟音と共に岩の柱が砕ける。
――――――ルゥク……!!
ゆっくりと落ちていく感覚の中、真っ先に思い浮かべたルゥクの表情は「やっぱり僕がいないとダメだね?」と苦笑いをしているようだった。




