どこか透明な淋しさ
「……まだ起きていらっしゃいますの? 王妃殿下は随分と海がお気に召したのですね」
リリアがくすっと小さく笑う。
公的な場で、私はあまり強く好き嫌いを表してはいけないのだけれど、禁じられているわけではない。
ようは、それを利用されたり、つけ込まれたりしなければいいだけなのだ。
(私が「海が好き」と公言することで不利益を被る者が出るとは思わないし、利用するにしてもどう利用するのか思いつかないんですよね……)
ようは私が気をつければいいのだし、まあ、ダメなことだったらナディル様やリリアが止めてくれれますよね、と勝手に決めている。
「ええ、とっても」
さやかな月の光を映す夜の海は、どれだけ見ていても飽きない。
床に足をつけているときはそれほど感じないのに寝台は波と共に揺れる。その規則性のあるゆるやかな揺らぎに身を任せてぼんやりと外を眺めているのはとても心地よく、心身共にゆったりとした気分になる。
(たぶん今、私、すっごくα波出てます)
まるでちょっと濃いめの林檎酒をいただいた時のように心がふわふわしている。心底リラックスしている気分だ。
「港町のお生まれ、というわけでもありませんし、何か特別なご縁があるわけではないのに珍しいです」
「そうね」
そうはうなづいたものの、心の中では「違う」と私は呟く。
(……麻耶は、港町の生まれだった)
私が現在の私になる前……別の名前で呼ばれていた時────私は、短い夏がとても美しい北の国の小さな漁師町に生まれたのだ。両親を亡くしてからはほとんど縁が無くなってしまったけれど、あの町こそが私の故郷だった。
心の中にさまざまな記憶と思いとが去来する。
私はそれをやり過ごすように深い呼吸を一つして、目を閉じる。
心を落ち着けるようにと努め、何度か静かに呼吸を繰り返す。
「……王妃殿下? どうかされまして?」
もしかしたら私は随分と無言でいたのかもしれない。
目を開くと、リリアが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「……何でもないわ。何か……少しだけ思い出せそうな気がしたの」
思い出したのは失われた記憶ではなくて、それよりもずっと以前の記憶だったけれど。
「……王妃殿下……」
リリアの表情が痛ましげなものになる。
「やだ、そんな表情をしないで。全然そういうのじゃないの……ただすこし感傷的な気分になっただけ」
これは哀しみに似た淋しさだけど、決してネガティブな……マイナスの感情ではない。
そのどこか透明な淋しさを呑み込んで、私は微笑う。
きっととても美しく笑えているだろう、と思いながら、私はナディル様を想った。
ここに、ナディル様がいたのなら、この淋しさを埋めるために、きっと私は抱きついていたに違いない。
「……ちょっとだけ、ナディル様に……陛下に会いたくなってしまっただけなの」
まるで告白するように、そっと私は告げる。
リリアは少し驚いたように何度かぱちぱちとまばたきし、そして笑った。
「……アルダラについて、区切りがつきましたら王都に戻ります。すぐにお会いできますとも」
「そうね」
「さあ、そろそろお休み下さいませ」
私はうなづいて、リリアに促されるままに寝台に身を横たえる。
ゆらゆらとまるで波間に揺れるようなゆらぎに誘われ、すぐに意識は眠りの底へと沈む。
眠りにおちてゆく私の裡にはどこか透明な淋しさが充ちていたけれど、ナディル様のことを想うと不思議とその淋しさが和らぐような気がした。




