衛兵の目撃談 11
それは、今宵は一度諦めたものだった。
手に入れたかった、というよりは、完成を見届けられなかったことが心に引っかかっていた。
(……いや、今日重要だったのは、ロアナの一助になれたかどうか。彼女が休日を楽しめたのかだ)
……そう思いはするものの。フォンジーとの諍いのこともあり、苦い思いは残る。
ただ、救いだったのは、彼と彼女との間にある“文通相手”としてのつながり。
そもそも、今回彼女にそれを作ってほしいと頼んだのは自分なのだから、焦らずとも、彼女はきっとまた後日、名も知らぬ文通相手たる彼にそれを贈ってくれるだろう。
そう、ウルツは自身の失意をなだめていた……の、だが。
しかし思いがけないことに、彼女は出来上がった菓子を、こうしてわざわざ自分のところに届けてくれた。
仕事終わりのこのサプライズは、ウルツの疲弊した身に大きな感動をもたらす。
一度諦めていたせいだろうか。
差し出された小さな包みは、まばゆく光り輝いているように見えた。
尊さのあまり、手を伸ばすことすらもはばかられるほど。
胸は熱くなり、彼の心には大きな喜びがあふれる。
──が。
しかし残念なことに。
この歳まで多くの事象に無感動できた彼は、喜びとか、感動とか。そういった大きく感情を揺さぶられる体験とはあまりに無縁。
突如として胸にせり上がってきたマグマのような精神負荷を、どう扱っていいのか、どう表現すればいいのかが分からず。ウルツの頭は真っ白に。
それなのに、心臓の鼓動はどんどん高まっていく。──とても、処理しきれなかった。
結果。
ロアナの前で、にっちもさっちもいかなくなったウルツは、廊下際へ退避。
情けなく思う気持ちもあったが、とにかく立て直しが必要と判断した。
一度冷静にならねば、とてもではないが、菓子の包みも、ロアナのことも直視できなかった。
(⁉ な……なんなんだこれは……どういうことだ……⁉)
暗い壁を悪鬼がごとき形相で睨みながら、ウルツは困惑。
……そんな平らなところを睨んだとて、答えが得られるものでもないが……。
(……まさかこれは……彼女による、影響か……⁉)
これだけ動揺しておいて、今更影響もくそもない。
だが、ともかく、こうしてこれまで恋愛のレの字にも興味がなかった男は、自覚の芽生えに揺れていた。
そこへ、愉快犯ロスウェルが、ロアナを使い、無情な横やり。
「殿下⁉ ご気分でも⁉ いらないのならこれはロスウェル様に──わたし、すぐ(侍医のところへ)行ってきます!」
「⁉ (ロアナ⁉)」
いつの間にかそばに来ていた娘は深刻な顔。足は駆けだす寸前で。
その向かう先には、彼の弟ロスウェルが立っていた。嫌な笑いの張り付いた男の顔には、何やら企みを感じるが──ウルツはそれどころではない。
たった今、ロアナは聞き捨てならない言葉を口にした。
『いらないのなら、これはロスウェル様に……』
──“いらなく”など、あるはずがない。
これにはウルツは愕然。
当然彼は、彼女がせっかく自分へと持ってきてくれた尊いものが、あの弟に渡るなんてことは絶対に嫌だった。
とっさに頭に浮かんだ想像だけでも、それはあまりに失意の湧く光景。
(そ──そんなことは……承服できぬ……!)
焦燥に駆られたウルツは、反射的に離れ行くロアナへ手を伸ばす。
「ま、待て、待ってくれロアナ!」
「ぇわ⁉」
行かせたくないという思いでグッと腕を握ると、駆けだそうとしていた娘が体勢を崩す。
ウルツの鬼顔を見て、具合が悪そうだと焦ったロアナは結構な力で床を蹴っていて。急に引き留められたことで、その足がスカッと床を空振った。これにはウルツも、あっと思ったが──後悔する間もなく、ロアナが大きくよろめいた。
片腕を引かれた身体は反転し、その身はウルツに向かい合わせで近づいていった。
その一瞬の光景に、ロアナは目をまるくする。
慌てたような第三王子の顔。
開かれた腕と、見開かれたその青い瞳。
まわりで衛兵たちが、ぁ……と、小さく声をもらす。




