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衛兵の目撃談 1 ウルツの奇行


 ロアナとフォンジーと別れたあと。まっすぐ職場である宮廷に向かったウルツは、日が暮れた頃に彼の住まいである一の宮に戻ってきた。

 王の息子として政務の一部を担う彼は、普段から何かと忙しい。

 不在中には執務室にいくつかの厄介ごとが舞いこんでいて、夕刻はその対処に追われた。

 おかげで夕食はとりそこねたが、特に気にはならなかった。いつものことなのである。


 そうして日没後、やっとひと段落つき、こうして私室に戻ろうとしているわけだが……。

 ウルツの足取りは何故かいつもよりも重たそうに見えた。

 普段なら、彼はどんなに疲れていても毅然と前を向き、誰も声をかけられぬようなスピードで、わき目もふらずに颯爽と歩いたが。今夜はどこか足取りに迷いが見える。というか……前を見ていない。

 視線はいつもより下に落ちていて、顔面は前方に向けられていても、意識が思考の中に向いているのがはっきりと分かった。


 その頭のなかを占めていたのは、やはり、二の宮の厨房に残してきたロアナのことであった。


(……あの者は……大丈夫だっただろうか……)


 薄暗くなった廊下を一人で歩きながら、ウルツは気が沈む。


 菓子は最後まで作れただろうか。

 作業で負傷した手や背中の傷は悪化しなかっただろうか。


(薬は届けさせたが……使ってくれただろうか……)


 と、心配事でぼんやりしていると。

 その間に彼は、そこらへんの柱やら廊下のかどにやら顔面や肩をぶつけてしまっているが。そのたびに一ミリたりとも変化しない真顔でそれをスルーするもので。目撃した廊下の通行人たちが皆奇怪なものを見た目で通り過ぎていく。(が、気にしなかった)

 

 今のウルツには、まわりの目を気にしているような気持ちの余裕はない。

 不安なことは、まだまだ他にもある。


 去り際、彼は律儀にもロアナに不意の接触を謝罪したわけだが、あれはきちんと伝わっていたのか。

 歩きながらよくよく思い出してみると、あの時彼女はとてもポカンとした顔をしていたような気がして。


(……もしや、俺の声がきちんと聞こえていなかったのだろうか……?)


 そう気にしはじめると、どうにも落ち着かない。

 ウルツのいかめしい顔が、さらに不愉快顔に。(※困っている)

 何故だか、あれからずっと、こういった細かなことがいちいち気になって。そのたびに足をとめる青年は、いつもは一の宮広しといえど、宮に入って数分もあればたどりつく私室までの道のりを、いつの間にかすでに三十分はさまよっている。 

 考えに没頭し過ぎて階段をのぼるのを忘れ、そのまま歩き続けているのだが……青年はまだそのことに気がついてはいない。

 そんな彼の様子を見た立ち番の衛兵たちは、彼があまりにも深刻な顔をしているもので、誰も声をかけられなかった。(※政務のことで悩んでいると思われていた)


(……俺の声は小さすぎたか? 今からでも聞こえていたか確かめに行くべきか……? 聞こえていなければ、もう一度謝罪する……? いや……しかし……)

 

 ウルツは苦悩。

 彼は、不測の出来事とはいえ、自分がロアナに触れてしまったことをとても後悔している。

 このあたり、ウルツの考えは固い。

 男が女性にはみだりに触れていいものではなく、ましてやあの瞬間、己の腕のなかに迎え入れた娘に動揺してしまった自分を思い出すと──……。


「………………」


 不意にウルツは足を止めた。

 沈黙のまま立ち止まった彼は、昏い顔をくるりとまわし、そばにあった柱を見た──かと、思うと。

 何を思ったか、その固い石柱にゴッと顔面を打ち付けた。

 廊下に響き渡った鈍い音に、遠くから様子のおかしい彼を見守っていた衛兵がギョッとした。

 だが、そんなことには気がつかず。

 ウルツは真顔で痛む額に触れて重苦しくつぶやく。


「………………無駄か……」


 容赦なしに打ち付けてみたが、沸き上がった動悸はとまらずウルツは一人苦悩。耳まで届く心臓の音が意味が分からな過ぎて。青年はその場で数分間硬直。

 けれどもそうしているうちに、彼はやはりもう一度ロアナに謝ったほうがいいような気がしてきてため息。


(……、……やはりもう一度様子を見にいくか……? いや、もう扉は閉じられているか……)


 それぞれの宮は独立した棟であり、夜間には扉が閉じられる。その刻限はとうに過ぎていた。

 前もって二の宮の主である母に許可を得ていれば話は別だが、王子といえどそう無理は通せない。

 ならばとウルツはある者の顔を思い浮かべる。


(……フォンジーに……訊ねにいくか……?)


 自分と入れ替わりで厨房に残った弟なら、彼女のその後の様子は知っているはず。

 フォンジーならば、同じ王子として一の宮内に私室がある。一の宮はほかの宮に比べても格別広く、階数も多いが、すぐに行ける距離である。……だが。


 ウルツは何故かそれは気が進まなかった。

 自分の代わりに彼女の側に残った弟。人当たりのいい弟はきっと、自分よりもはるかにうまくロアナの手伝いをしたことだろう。

 そう思うと、弟の口からロアナのことを聞くのは非常に癪に感じられた。

 ムッとした男は、しかし……と、苦い顔。その表情にはありありと葛藤がにじむ。


(…………しかし……気になる……)


 薄暗い廊下で途方に暮れて、昏い顔でズーンと立ち尽くす男。その表情はいかめしいにもほどがある。



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