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三章 第19話 誘拐

!!Caution!!


このお話はお盆一週間連続投稿の3話目です!

 ガタッゴトッ


 暗い。熱い。体がだるい。


 ガタッゴトッ


 だるいくせに宙に浮いているような妙な感触がする。まるで浴びるほど酒を呑んだ翌日のようだ。あるいは風邪を引いて熱に目が覚めた夜中だろうか。


 ガタッゴトッ


 規則的な音が頭に響く。浮いているようなのに、音に合わせて衝撃が俺を襲う。


「う……」


 不快極まりない感触と、それさえどうでもよくなるほどの虚脱感の狭間で声が漏れた。普段のこの体からは想像もつかないほど乾いた、しんどそうな声だ。あるいは俺の声ではないのかもしれない。


「こいつ、もう目を覚ましたのか」


 粘つく声が聞こえる。耳障りな、下卑た雰囲気の声だ。しかも変なエコーがかかっている。


「あと2時間は寝てるはずなんだが……まあいいか。もうすぐ到着だしな、自分で歩いてもらおうぜ」


 2人分の声だ。どこかで聞いた覚えのある……いや、そもそも俺は今まで何をしていたんだったか。


「おい、起きたんならおはようございますくらい言えや、お嬢様よ!」


「!?」


 妙な反響を伴って俺の鼓膜を打つ怒鳴り声に続いて、なにか生ぬるい物がかけられた。横になっている俺の頭や肩にあたったその液体は微かに爆ぜる。

 炭酸……?

 その刺激で思いだしたかのように鼻が臭いを嗅ぎとる。埃っぽい空気を押しのけて漂うそれは麦のような独特の臭気。かけられたのはエールらしい。


「う……ん」


 鼻に続いて段々と感覚が戻ってくる。耳が捉えていた規則正しい音は馬車が轍を刻むそれだ。口の中はどこか切ったのか鉄臭い味がし、肌は自分が横向きに硬い床に投げ出されていることを教えてくれた。

 あまりにも重たい目蓋をゆっくり押し上げると、最初に見えたのは逆光でぼやけた人型のなにか。きっと俺にエールを浴びせた奴だ。


「へっ、こうなっちまえばただのガキだなぁ!」


 勝ち誇ったような嘲笑を浮かべる顔がだんだんとはっきり見えてくる。どこかで見た顔。どこだったか……。


「だ……れ……」


 相変らず乾ききった喉で言葉を発する。それを聞いたとたん、嘲りの笑みを浮かべていた男の顔が歪む。


「このガキ!あれだけ俺たちをコケにしておいて忘れたってか!?」


 コケにした?

 この体になってからなにかしただろうか。生前なら思い当たることが多すぎるが……。


「お貴族様はたかがDランクパーティーの1つや2つどうなっても気にならないんだろう。いいご身分なことだ」


 視界にいないもう1人が吐き捨てる。

 ああ、少し意識がはっきりしてきた。

 そんな俺が真っ先に思ったのは「当たり前だろう」ということ。よほど有名なパーティー以外どうなろうと知らんのは貴族に限らず当然だ。しかしその言葉でようやく何の話をしているのかが分かった。俺がごくわずかにでも関係しているパーティーの問題といえば、数週間前に絡んできた冒険者だろう。言われてみればこんな顔だったかもしれない。


「青き……なんとか……」


「礫だ!「青き礫」!」


 そう、そんなかんじだった。


「お前のせいでパーティーはバラバラになっちまうし、狩りは上手くいかなくなるし、何もかも滅茶苦茶なんだよ!」


 言いがかりにもほどがある。喧嘩を売ったのは自分だろうに。仲間に見限られたのも自己責任だ。狩りが上手くいかなかったのだって俺の知ったことじゃない。パーティーを編成しなおしもせずにダンジョンに突っ込んだのだろう。


「しかも後から聞いてみりゃあ、()(らく)が買えなくなったのもお前のせいらしいじゃねえか」


「こら……く……?」


「お前らが薬師をとっつかまえやがったせいで流通しなくなった薬だよ!」


 俺たちが捕まえた薬師と言われて思い出すのもただ1人、最初の依頼人にして違法薬物の生成を行っていたマルコス=ルンベリーだ。

 そうか、あの薬物が湖楽……こいつらはあの薬物組織の顧客だったのか。


「あれはな、俺たちみたいに実力を出し切れない冒険者にとっての希望だったんだ。それを……それをお前は!」


 実力を出し切れない冒険者ときたか。あきれてものも言えない。喉が掠れてさえいなけば、あるいはこの異常な倦怠感と虚脱感さえなければ口をついて嘲笑の言葉を投げかけていたかもしれない。


「あれは1000倍に薄めて使えば痛みも恐怖もなく戦える、冒険者なら誰もが欲しがる魔法の薬だったんだよ!お前らはそれを俺たちから奪ったんだ、その罪の重さをこれからたっぷり思い知らせてやる!」


 それが手に入らなくなったから最初に会った時のこいつらは荒れていたのか。それとも単に副作用で凶暴化していただけなのだろうか。たしかそんな副作用があるとマザーが言っていた気がする。


「おい、頭に来るのはわかるが、あんまり痛めつけて死なすなよ。報酬がもらえなくなるのは困るからな」


「ちっ、わかってるよ!」


 かけられた言葉にわめき返す目の前の男。俺が今いるここは馬車の中だろうから、もう1人は御者でもしているのか。

 待て、それよりも報酬と言ったか。

 薬物が手に入らなくなったことと意味の分からない責任転嫁から馬鹿な気を起こしたのかと思いきや、これは単純な腹いせの誘拐ではなくもっと面倒な話のようだ。

 んー……ああ!

 しばらく周りの遅い頭でぐるぐると考えていると、ふっと記憶がよみがえってきた。そういえば意識を手放す瞬間に見えたのはボロ布に身を包んだ目の前の男だ。あの格好は生前見たことがある。たしか気配を遮断する魔導具の布だ。自分が『完全隠蔽』を使えるというのにすっかり警戒を怠っていた。


「喜べよ!本来なら俺たちがぶっ殺してやるところだが、今回は身なりの良い依頼人がいるからな。そいつも仲介らしいが、とりあえずお前らは今からそいつに売られるんだ。きっと変態貴族の下で可愛がってもらえるだろうぜ!」


 貴族の長女を攫って飼おうなんて思うリスキーな馬鹿はそうそう居ないだろうが、俺が気になったのはそのことではない。彼は「お前ら」と言った。「お前ら」は売られる、と。


「え……れ……な……」


 俺が不意を突かれたのはエレナを追いかけているときだった。考えてみれば当然だ、エレナも俺と共にマルコス=ルンベリー捕縛に関わっている。逃がす道理もない。だが俺の視界にそれらしい姿はないのだ。

 力の入らない体で周りを見回そうとし、そこで俺はようやく気付いた。体のいたる所に頑丈な縄がかけられていることに。力を込めてはみるが、まだ全身にほとんど力が入らないせいで縄を強引に切ることもできない。


「はっ、お前に注射したのは100倍に薄めた湖楽だぜ?もう目を覚ましてるってだけであり得ない話なのに、その縄を切れるとでも思ってんのか」


 変なものを注入してくれるなと叫びたいが、今はそれどころではない。


「エレナ……どこ……」


「おうおう、もうそんなに喋れるようになったのかよ。ホント化物だな」


 男は気味の悪い物を見るような目で俺を見下ろして、おもむろに剣を持ちあげた。鞘に納めたままそれを小さく振りかぶり、俺の足めがけて躊躇いなく振り下ろす。


「があっ!?」


 鈍い音がすると同時に俺の喉から叫び声が漏れる。ふくらはぎを強かに打ちすえられたのだ。前世を加えて考えても久しぶりのクリーンヒットに思いの外強烈な痛みを感じる。


「おい、なんだ?」


「あんまり回復が早いもんだからよ、ちょいと痛めつけてやったのさ。これで何かあっても満足に走れねえだろ?」


「……あんまり商品を壊すなよ」


「どうせ向こうも足の怪我くらい気にしねえよ。痣だって日が経てば治るしな」


 男たちのおしゃべりを他所に、俺は自分に回復魔法を施そうとして止めた。ここで聖魔法が使えることを悟られるのはリスクが高い。自分で回復できると知られれば今度は一体何をされるか……この脳みそがやや薬で溶け始めている馬鹿どもの行動を試したいとは微塵も思わない。


「ぐぅ……エレナは、どこ」


 奥歯をかみしめて痛みをこらえつつ質問を重ねる。不幸中の幸いというべきか、体に残った薬による頭の靄は痛みでかなり吹き飛んだ。


「あ?」


「もう1人の子、どこ」


 ありったけの苛立ちを込めて睨みつける。


「へへ、どこだと思う?」


 不安をあおるような下卑た笑みを浮かべる男。まるでもう最悪の結果がすでに起こってしまったかのようなその笑い方に嫌な汗が吹き出した。

 大丈夫だ、安心しろ。あいつは2人とも売ると言っていた。商品を過度に傷つけない程度の知性はまだ残っているらしいし、まだ安全なはず。

 焦りだす自分の心にそう言い聞かせて男を睨む。


「どこ」


「ちっ、怯えもしやがらねえ……お前の後ろの樽の中だ。門をくぐるのに詰め込んだからな」


 よかった……やはり無事だった。

 ホッと胸の内で息を吐く。

 街を囲う門を通り抜けるには荷物のチェックもされるが、俺の背後に積んであるのが樽なら話は別だ。酒は樽を開けてしまうと商品価値が下がる。だから酒を扱う専門業者には厳しい審査を行って許可証を発行しておき、一般の行商人相手なら樽を叩いて音を調べるのだ。後者なら全ての樽を叩いて液体が入っているのを確かめるので、おそらく何かしらの方法で許可証を偽造したか手に入れたのだろう。あるいは考えたくないが、領都の衛兵が買収されているか。


「もうすぐ着くぞ、ベディス」


 御者をしている男がそう言った。

 今更だが俺たちはどこへ連れていかれているのだろう。


「早く荷物を出せよ」


「わかってるっつうの」


 目の前の男、ベディスは俺の上をまたいで馬車の後ろ側へと向かう。そしてガタガタという作業音と木材がぶつかる音が聞こえる。おそらく俺の後ろでエレナの入った樽を開いているのだろう。

 その予想は当たっていたらしく、ほどなくしてベディスが俺をまたいで前側へと移動してきたとき、その脇にぐったりとしたエレナが抱えられていた。

 その薬まみれの汚い手で妹に触るな!

 そう吼えそうになる自分の喉を抑えつつ、それでも睨むことは止めない。


「まだ来てないようだな」


 体を打つ馬車の揺れが止まる。


「俺たちを待たすとは、いいご身分だぜっ」


 吐き捨てるようにそう言ってベディスは馬車の外へ降りた。


「トリンプ、そいつは任すぞ」


「自分で歩かせるんじゃなかったのか」


「なんでもいいからさっさと降ろせって」


 入れ替わりに上がってきた男、トリンプが俺の胸元の縄を掴んで持ちあげる。


「う……」


 太い指に縄を締め上げられて苦しい。


「意識があるなら歩け」


 唐突な加速と浮遊感が俺を襲う。馬車の入り口から投げ出されたのだと気づく頃には、俺の体はまたも強かに打ちすえられていた。今度は地面に叩きつけられたのだ。


「ほら、歩け!」


「うぐ……!」


 つま先で足を蹴飛ばされる。ちょうどベディスに鞘で殴りつけられたところだ。本当ならそっ首刎ねてやりたいところだが、今は骨まで達する痛みに顔をしかめるしかない。それにエレナの安全を考えれば無茶なことはできない。

 痛む足でなんとか立ち上がる。そうしないとまた蹴られるだろう。それはそのまま俺の我慢の限界が近づくことを意味しており、こんな状況でキレればエレナを安全に家に帰せる確率が下がる。


「……ここは」


 せめてもの抵抗にトリンプを睨みつけようと振り向くと、そこは見覚えのある場所だった。左右に延々伸びる高い壁、壁を覆い尽くす太い蔦、蔦の合間から顔を覗かせる先端が半透明な実。ここ数週間ですっかり通い慣れたDランクダンジョン「災いの果樹園」がそこにあった。


 ~★~


「ビクター様!」


「なにか手がかりはあったか!?」


 扉を蹴破るような勢いで執務室に入ってきた執事の1人へ怒鳴るように尋ねる。

 こんな余裕のない声を出したのはいつ以来だろうか。

 いつもならもっと冷静に自分を見つめる部分が大きく存在しているはずなのに、今やそれすらも脳裏をよぎる程度でしかない。それだけ焦っているのだ。そしてそれは私だけじゃない。この屋敷に務める全ての人間が程度の違いなど誤差と言えるくらい慌て、焦り、怒り、急いでいた。


 事の発端は今日の夕方、日もほとんど沈んだというのにお嬢様とエレナが返ってこなかったのだ。冒険者として活動する2人にはあの歳の貴族の少女では考えられないくらい緩い門限しか設けていない。だが本人たちもそれが当たり前でないことくらい分っているから日が沈む前には帰ってきていた。なのに帰ってこない。

 仕事が長引いているのか?

 ダンジョンで不測の事態でも起きたのか?

 誘拐されたのか?

 ただ時間を忘れてなにかに気を散らしているのか?

 あふれ出る疑問と心配からギルドに人をやり、そして今日の依頼は全て報告済みで教導をしている「夜明けの風」共々とっくにギルドを去ったということが分かった。

「夜明けの風」というパーティーについては実際に会ったトニーからよい報告を受けている。質実剛健にして誠実な人柄として知られるマザー・ドウェイラの肝煎りだとも。彼等がよからぬことを企んだとは考えにくい。一応確認のために彼等が泊まる宿へも人をやったが、やはりギルドの前で別れたという情報しか出てこなかった。

 足取りをたどるのはそう難しいことではない。ケイサルは領都と言ってもそう大きくないし、冒険者の格好をした少女が2人で歩いていれば嫌でも目立つ。お嬢様はオルクス家に継がれる乳白色の髪を持っているし、親の贔屓目を抜きにしても2人は抜群に可憐な顔立ちをしている。

 案の定、表通りにいる間の足跡は直ぐに判明した。しかしそこからが全く分からない。忽然と消えてしまった。これだけ探して出てこないのだから誘拐の線が濃厚だろう。


「正門から出発する馬車が1台だけ確認されているそうです。お嬢様とエレナちゃんはおそらくその馬車に……!」


 執事の報告にいくつもの疑問が湧く。


「こんな時間に出る馬車?荷物の点検は!」


「酒屋の許可証を所有していたそうです。積み荷も樽が少しで、乗っていた男2人がDランクの冒険者であったため衛兵は近くの村まで祝い酒を急ぎ届けるという言葉を鵜呑みにしたと」


「その衛兵をつれてギルドへ行け!なんとしてもその御者の男を探し出すんだ!それから使用された許可証についても調べろ!」


「はっ!」


 指示を聞いた執事は扉をもぎり取らんばかりの勢いで退室していった。普段はもっぱら私の仕事に携わっていてお嬢様とはそう関わりのない執事たちだが、彼等からすればお嬢様もエレナも大切な存在なのだ。親として娘がそこまで愛されていることに涙が出そうな思いだが、今はそんな感傷に浸っている暇はない。


「トニーたちにそれぞれ衛兵を少数率いて捜索に出れるよう準備をさせろ!」


「はい!」


 伝令役に何人か待機し居ている侍女の1人が小走りに出て行く。


「先程の要件に加えてギルドで「災いの果樹園」に関する情報を買うよう伝えろ!可能ならギルドマスターに要請して口の堅い冒険者を数人案内人として見繕ってもらえ!」


 思いついたことを付け加えるともう1人侍女が部屋から走り去った。

 領都から急いで逃げるのなら普通は近場の街が第1候補だが、相手は曲がりなりにも冒険者。彼等にとって正規の騎士や捜索の手を入れづらいダンジョンこそが最も安全な隠れ場だろう。乗っていた男たちがDランクなら荷物を抱えて潜伏できるのは「災いの果樹園」しかない。問題はあの複雑な場所のどこに潜んでいるかだが、こればかりは情報をギルドから購入しないことには見当もつかない。


「……」


 あらかたの指示が終わると私にできることはなくなる。本当ならすぐにでも捜索に加わりたい。だがそんなことをすれば指揮系統が壊滅してしまうことも理解している。新しい報告があるまで私はこの部屋で待機するしかないのだ。

 私はなんて無力なのだろう。いや、思えば無力さを痛感したのは今日だけじゃない。長くもなく短くもない30数年の人生、何度私は自らの無力と非才を呪えばいいのだろうか。


「……!」


 知らず知らずのうちに拳に力が入る。これで一体何度目なのだ、と。

 後悔の念を抱くとき、真っ先に蘇るのはまだ10代だった頃の記憶だ。王都の学院を出てすぐに家を飛び出した私は、家宰の仕事を継いだ兄が死んだことを手紙で知った。家宰として外遊している最中に事故にあって死んだと聞いたとき、彼の傍らで仕事を手伝っていればと後悔した。兄自ら外遊に出ず済んだかもしれない。少なくとも死に際くらいは立ち会えたかもしれない。そんな風に、責任から目をそらしてきた自らの愚かさを呪った。

 ラナとイザベルの母上が亡くなったときもひどく後悔した。彼女は2人に会いに来てくださった帰り、賊に襲われて命を落とされた。記録的な不作で領内外に餓死者が出ていたのに、税収の落ち込みを気にするあまり私が備蓄の放出を渋ったのだ。先代様の言う通り民を最優先にすれば賊はあそこまで増えなかったかもしれない。あるいは恩を感じて命まで奪わずにいてくれたかもしれない。ちっぽけな評価と杓子定規な規定に固執した己の欲深さを呪った。

 周囲の期待と自分の夢の間で歪んでしまった親友と決別したときは死のうかとすら思った。最も近い場所にいたのに私は結婚後のゴタゴタと領内の仕事にかまけて、血よりも深い絆を感じていた相手を見ていなかった。気付いてやれれば道を間違えさせずに済んだかもしれない。幸せな未来へと共に行けたかもしれない。今度は傍らにありながら気づけなかった己の鈍さを呪った。

 今度も後悔に呑まれるのだろうか?

 状況に流されるまま危険な仕事を娘たちにさせて、もし変わり果てた姿で見つかったら……あるいは二度と見つからなかったら……今度はどうするのだ?

 兄への罪滅ぼしに家宰としてできるだけの仕事をすると誓った。

 妻と義姉への償いに領民を第一に考える政策を研究した。

 友への贖いにどんな小さな声も聞き逃さないよう努めた。

 だがもしお嬢様とエレナを失ったら?

 ふと、机の上に置いてあるペーパーナイフに目が留まった。先代様が兄に下さった真鍮のペーパーナイフだ。彼の死後、ずっと私が使っている。私の努力と成功を、愚かさと失敗を、全ての喜びと後悔を見てきたたった1つの戦友だ。


『弟よ、もしまたお前が失態を演じ』


『孫娘たちを代償にするようなことがあるなら』


『そのときは、分ってるんだろ?』


 封蝋用の蝋燭に照らされてオレンジ色に輝く真鍮のペーパーナイフが、まるで兄の声で、義母の声で、友の声でそう語りかけているような気がした。


「ビクター、少し座ったらどうですか」


「……」


「ビクター?」


「……」


「ビクター!」


「……!」


 名前を呼ばれて顔を上げると、心配そうな顔をしたラナがいた。聡明で博識で優しい私の妻。その顔は極度の心労で少し老けたようにも見えた。


「ビクター、また思い詰めていたのですか?」


「あ、いや……」


「誤魔化さなくとも大丈夫です。あなたの事は大体お見通しですから」


 心配で気が変になりそうなのは彼女も同じだろうに、苦笑を浮かべて私の気を紛らわせてくれる。


「皆頑張ってくれています。あなたももちろん。少し座って休んではどうですか?」


 そう言われてようやく私は自分がずっと立ったままだということに気づいた。そして部屋に待機していた侍女たちが退室していることにも。根を詰め過ぎていた私を気遣ってくれたのか。


「でも今休むわけには……」


「なにか進展があればすぐに報告が来ますよ。それよりもあなたが今倒れたら誰が捜索の指揮をするんですか?」


「まあ、そうなんだけど……」


「それにほら、サンドイッチを作ってきたの。まさか私の手料理を無駄になんてしないでしょ?」


 出会った頃から変わらぬ優しい微笑みでそう言われると、なぜか張り詰めていた緊張が少しだけ解けた気がする。差し出されたのは鶏肉と卵のサンドイッチ。私の好きなハーブソースもかけてあった。


「お腹が空いてるとよくないことばっかり考えてしまいませんか?」


「……そうだね。折角だから呼ばれるとしよう」


 向かい合って座れば思いだしたように胃が空腹を訴えてくるので、早速1つ口に運ぶ。肉と卵にさっぱりした香りが絡んでとても美味しい。相変らずイオに迫る腕前だ。

 パンが少し焦げてるけど。


「……」


「……」


 しばらく2人でもくもくとサンドイッチを食べる。


「きっと大丈夫ですよ」


「……」


「アンナとシャルが手伝ってくれたんですよ、これ」


「ああ、パンが焦げてるのは……」


「シャルです。なんであの子はああも不器用なんでしょうね……」


 シャルール=メイスは元冒険者だ。本人は捜索に志願していたが、万が一屋敷でなにかあれば困るからとアンナ共々残留させた。アンナ=メイスも水魔法の使い手なので2人居れば侍女たちくらい守れるだろうと判断したのだ。


「アンナとシャルが言っていました。お嬢様とエレナはとても強い、きっと捕まったフリをしてるだけだ!って」


「それはそれで心配だけどね……」


「先日届いた刀をお嬢様が試したとき、あの2人はそれを見ていたそうです。太刀筋は見えていたけどきっと自分なら避けられない、とシャルが言っていました。戦いはよくわからないのですが、きっと凄いことなんですよね」


 私も戦いはさっぱりだが、なんだか凄そうな表現だとは思う。


「いつのまに、一体だれからそんな剣を教わったのか分かりませんけど……お嬢様はとてもお強い」


「エレナもレメナ様があれだけはしゃがれるんだ、きっととんでもない魔法使いなんだろうね」


 トレイス様を合わせてあの3人は大人が皆首をかしげるほど才能にあふれている。


「犯人はDランクなのでしょう?なら大丈夫ですよ」


「……」


 それほど楽観できるのだろうか。古今東西、無敗を誇った英雄がほんのわずかな油断であまりにも馬鹿馬鹿しい最後を遂げるといった話はありふれている。自分の子供だけはそうならないなどと思えるほど私は楽天家ではなかった。だが同時にそんなことを妻に言うほどの愚者でもない。


「そうだね、きっと大丈夫だ。むしろそんなに強いと嫁の貰い手を探す方がよっぽど大変そうだよ」


「あら、あの子たちの良さに気づけない男になんて最初からあげられませんよ?」


「はは、違いない」


 不思議なものだ。サンドイッチを食べて少し笑っただけで、私の気持ちは随分と楽になった。おかげでそれまで見えていなかった事件に付随しているだろう情報にも目が行きはじめる。


「さて、人を呼んでくれるかい?ちょっと調べないといけない線があるんだ」


 そもそもお嬢様とエレナが攫われた理由を探ってみなければ。強い強いと言われるお嬢様たちを攫うには何か搦め手を使った可能性がある。それなら搦め手が使えそうな筋を当たってみるのがいいだろう。


「ええ、信頼してますよ、ビクター」


「もちろん。早くお姫様たちを迎えに行かないとね」


想像以上に多くの方が毎日更新にノってくださって、嬉しい限りです。

ブクマしてくださる方もいて、ありがたいm(__)m

そんな中で一つワガママ、感想と評価をお願いします!!

どちらも作者にとって自分の作品を客観的に考える材料となり、

今後の活動でとても大切な指針作りになるのです。

是非是非、お願いしますねm(__)m


~予告~

その男は戦士である姉と姫である妹を探していた。

家族と再会するために、そして銀河を支配するために。

次回、暗黒卿


黒幕 「コォー・・・私がお前の父親だ」

アクセラ 「うそだぁ!とでも言えばいいの?それどころじゃないんだけど・・・しかも誰」


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― 新着の感想 ―
[良い点] >その薬まみれの汚い手で妹に触るな! このセリフめっちゃ好き。 セリフは自分のアクセラの言ったセリフ大好きランキングトップ3に入れる。ちなみに正式ランキングは作ってないので当時の感覚判断…
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