三章 第18話 叫刺騎士
!!Caution!!
このお話はお盆一週間連続投稿の2話目です!
「おはよ」
「ああ、おはよう」
冒険者ギルドのいつもの場所、俺とエレナは「夜明けの風」と朝の挨拶を交わした。するとガックスの視線が俺の腰に向かう。目ざとく新しい武器を見つけたのだ。
「刀か、珍しい武器を手に入れたんだな」
「知り合いに頼んであった。一昨日届いたばかり」
ピクニックの途中に強烈な眠気に襲われてふらついたせいで、一日休息を増やされてしまった。
「なるほどな。いいと思うぞ、アクセラの動き方は重い剣を振り回すよりそちらの方がしっくりくる」
それはそうだろう。元々刀を扱うのが本業なのだから。とはいえこれまで使っていた鋼のショートソードも十分剣としては切れ味に優れていたのだが。まあ、切れ味に優れている剣と切れ味に特化している刀では抗いがたい差があるのもしかたない。
ちなみに鋼のショートソードは自室の壁に掛けてある。もう使うこともないだろうが、ここまで命を預けてきたのだから捨てるなどあり得ない。
「けどよ、刀ってのは剣より斬れる分刃毀れしやすいんだろ?もうアレ斬ろうとするのは止めた方がいいんじゃねえ?」
「大丈夫、今日は斬る」
「……はぁ、なんでそこまで斬りたがるかねえ」
呆れるトーザック。
悪いがこれは俺の個人的な拘りだ。
斬れなければ砕けばいい。砕けなければ燃やせばいい。燃えもしなければ埋めればいい。それが俺の考え方だが、それでも一番頼ることになるのは斬撃。それを高めることが全ての向上につながると信じて生きてきたのだから。実際、あの魔物と出会ってからは斬撃の鈍りに苛立ちが溜まる一方で、一日増えた休養のせいもあってかなり俺は焦れている。
「さ、いこ」
「へいへい」
朝から聖魔法で眠気を払う必要があったせいで頭はいつもよりすっきりしている。刀もあることだし、今シュリルソーンソルジャーと戦えれば何かがつかめそうな気がするのだ。きっと焦りも少しは収まるだろう。
時間が惜しいとガックス達を急かして今日も未処理依頼がないかを尋ねに受付の列へと並ぶ。
俺はこのとき、エレナが難しい顔でじっとこちらを見つめていることに気づかなかった。
~★~
果樹園探索中に壁抜きで作ってしまった新しい道を今日も進む。そこはボスに連なるレア魔物の巣窟で、出てくるのはほぼシュリルソーン系のみ。それ以外もEランクの中では面倒な性質を持つ者ばかりだ。
壁を覆う蔦に紛れるグリンロープ、物陰から現れてはデバフをかけようとするシュリーク、いつものアイツを強化したレッドソーンフット……多種多様な敵がいるのが中層の厄介なところだ。なお深層になると出てくる魔物が強くなるのは当然として、通路が狭くなって攻略が難しくなるらしい。
「なんか今日は敵少なくねえ?」
トーザックが首をかしげる。浅層に比べると種類も数も増える中層にあってなぜか今日はそんなに敵に遭遇しない。今のところソーンフット1羽以外はシュリークが4体。
シュリークはシュリルソーン系の最底辺に位置する魔物で、金属質な蔦でできた玉のような外見をしている。コアがありシュリルソーン系特有の金属質な鳴き声をあげ、今まで一度も喰らったことがないが、特殊なデバフ効果を持つ叫び声も使えるらしい。とはいえ拳2つくらいの大きさで、叫び声以外は棘くらいしか攻撃力を持たず物凄く弱い。
「2日に1回は狩ってるのよ、さすがに魔物が枯渇してきたんじゃない?」
「ないことじゃないが……確かに妙だな」
そんな疑問を抱きつつも、簡単に奥に行けるのは願ったりかなったりなのでどんどん進む。新しいルートを進めばごくまれに珍しい遺物が発見できたりするので、皆のモチベーションも高いのだ。
「し!ちょっとまて」
一昨日の到達点からさらに1時間ほど踏み込んだ頃、俺がまた台頭してきた眠気にこっそり聖魔法を使っているとトーザックが口元に指を立ててそう言った。警戒しながらも多少の会話をしていたガックスとマレクが口をつぐむ。
「なんか聞こえるぞ」
言われても俺には何も聞こえない。気配察知ならまだしも感覚系は彼の方が上だ。
「こっちか……?」
抜き足差し足でトーザックが数メートル離れたところの曲がり角へ向かい、そっと顔を出して様子を見る。そしてほどなく、そこに音の源あったのだろう、静かにこちらへ来いと手招きした。
「どうした?」
「あれ見ろ」
小声でガックスの質問に答える彼の指さす先へ、俺たちは曲がり角から顔だけ出して視線を向ける。
「あれは……」
そこにいたのはシュリルソーンソルジャーとよく似た魔物だ。しかし手足は構成する蔦の本数が多いのかきわめて太く、身長もガックスよりかなり高い。形状もシンプルな人型だった叫刺兵と比べて、普通の人間にはない装飾的なパーツがある。それ以上に目を引くのはその左手、1メートルほどの大きな盾がついていた。蔦と同じく金属質な葉でできた盾だ。それが左の手の先に生えている。右手の方は見えないがそちらもなにかついている可能性は高い。
その大柄な魔物は今地面に屈んで、足元に転がっているソーンフットを食っていた。頭の蔦を解いて伸ばし、惨殺された兎の死体へ突き刺している。餌食にされた棘兎の数は小さな山ができるほどだ。目を凝らせば他の種類も混じっているのが分かる。
魔物が変に少なかったのはコイツのせいか。
「シュリルソーンナイトだ」
「上位種?」
「ああ、防御力も攻撃力もソルジャーより高い。どうする?」
「戦う」
決まっている。ガックスが尋ねてきたということは十分倒せるか、最悪でも「夜明けの風」が動けば危険なく処理できるということだろうから。
「そう言うと思ったよ。隊列はどうしたい?」
「さきに斬り込ませて」
「なに……?」
俺が先に斬り込むということは前衛を俺が1人で務めるということだ。
「これを試したい」
そう言って刀の柄を叩いて見せる。それまでの相手は斬っても大して手ごたえのない敵ばかりだった。
「……危ないと思ったら介入するぞ」
いつもよりわずかに長い間をおいてガックスが許可をくれる。
「ん」
「え、ア、アクセラちゃん!?」
「行ってくる。再生阻害、おねがい」
「ちょっと!」
追いすがるエレナの叫びを置き去りに、俺は壁の陰から飛び出す。
「ギギギュリ……」
食事中の闖入者にシュリルソーンナイトが振り向く。やはり右も変わった形状だった。隠れて見えなかった腕は異様に長く、側面に小さな鉄の葉が何枚も並んでいる。騎士の名の通り剣、というよりは鋸が近いか。左の盾と相まってなんとか名前の風体を成している。
「巡れ、熱き血潮よ、生命の源よ。其は流れであり、鼓動であり、力である。巡り燃やして呼び覚ませ。火の理は我が手に依らん」
走りながら火属性の筋力強化魔法ヒートブラッドを唱える。イメージするのは足の血管とそこを巡る赤き血。足の筋力が上昇し、瞬発力と速度を強化された俺は一気に距離をつづめる。そのまま抜刀。相手の硬さを確かめるための一撃であると同時に、加速の問題を走る速度で誤魔化すという試みでもあった。
ギッ!
振り抜いた薄紅の刀身はシュリルソーンナイトの掲げた盾を半ばまで斬り裂くが、それ以上は無理だった。やはり走ってつけた勢いは足から腕に伝えるのが難しい。というよりそれをまだ柔らかい子供の体でするのは無理だ。伝わる間に骨格や関節で散ってしまう。
「ふ!」
斬りつけたのと同じ角度で引き戻し、巨体の敵が次の動きを始める前に両手持ちへと変える。そのまま正眼に構えて間髪入れずに振り下ろす。勢いではなくただ体の中線をなぞることを極意とする、紫電一刀流・雫。
「ギュルラ!」
危険を感じたのかソーンナイトが大きく後ろへ下がるが、盾を斬り捨てる方が断然早い。それでも7割ほど斬ったあたりで間合いから逃れられてしまったが、見ればその盾は初撃と相まって左側上半分を失っている。
ここでソルジャーなら回復のために下がるのだが、ナイトともなるとあたりの魔力が希薄なことに気づいているのか攻撃を優先してくる。
鋸のような剣の間合いには引き下がった分遠いので、盾のある腕から太い蔦を伸ばして鞭のように振るってきた。規則的に金属質な棘がついたそれが風切り音と共に迫る。
半身で躱す。俺が空けた場所を鞭が通り過ぎる。叩かれた大地が小さく爆ぜ、遅れて風が髪を揺らした。そのまま反撃を叩き込もうとするが、4本の蔦はすぐに引き戻されてまた振り回される。当たればいくら俺でも大怪我待ったなしだ、下手に近づけない。
踏み込むのを躊躇っていると、鞭のように蔦を振り回しながらシュリルソーンナイトが前進を始める。近づけないエリアを形成しておいて自分はその鋸を振るうつもりらしい。よく見れば最初より右腕が伸びている。他の部分から蔦を移動させて伸ばしたようだ。
便利な奴……だけどそう簡単にいくと思ってくれるなよ。
一旦納刀する。そのまま鞭の軌道を読んで躱し続ける。狙うは鋸での攻撃に転じるその一瞬。
「ギュルリリ!」
体力だけは有り余っているのでひたすらに避け続けていると、十分にその大きな腕の間合いに入ったと判断したのか攻撃モーションが変わる。たしかに伸長した鋸は届いても小柄な俺の刀では届かない距離だ。
シュリルソーンナイトが左腕を大きく振り上げて、右腕を突きのために引き絞る。鞭が腕本体に引きずられて目の前から消えたとき、強く踏み込んでほぼ0距離まで近づく。半秒遅れて繰り出された右腕の葉が髪を掠めた。
「ギチギチギチギチギチギチ」
体を構成する蔦が互いに棘で噛み合うグロテスクな音を聞きながら、真上に抜刀。赤味を帯びた白刃が右腕に喰らいつく。
やはり腕の長さがネックとなって切っ先の速度は誇れるほどには至らなかったが、それでも薄く切れ味がある代わりに強度に乏しい葉と、金属質とはいえ植物でしかない腕の蔦を絶ち斬る。
「ギュィイイイイイ!!」
痛みか怒りかは分らないが、耳障り極まりない絶叫を上げるシュリルソーンナイト。しかし続くアクションは俺の想像を裏切った。
「!?」
胴体の半ばに通っていた蔦が4、5本自切して襲い掛かってきたのだ。
顔を逸らしてなんとか回避し、たたらをふみつつ後ろへ下がる。
ビックリ箱みたいな体をお持ちだな。
「おい、手伝った方がいいんじゃないか!?」
「アクセラちゃん、無茶しないで!」
「大丈夫!」
ガックスの提案を拒否している間にも左腕の鞭が再度振るわれる。それを避けながら成果を確認すると、やはり右腕は下から半分までしか斬れていない。上までは届かないのだから斬れるわけがない。しかも観察している間にも足や胴体から蔦が移動して切れた部分を埋め戻している。
「ちっ」
思わず舌打ちしながら向かってきた鞭を1本斬り捨てる。蔦そのものは鋼のショートソードでも難なく斬れる強度だ。
「ギュルラ!」
到底元通りとはいかないが、それでも振れる程度まであっという間に修繕された鋸が振るわれる。葉までは戻せないらしく、刃は根元の方がかなり欠けている。
ギリギリ当たらないように2歩下がる。目の前を通過した鋸に追いすがるよう刀を振るい、切っ先30センチほどを斬り飛ばした。速度さえ合えば追い越しでも斬れない硬さではない。
「すげえ、1人で善戦してるぞ……」
トーザックの呆れとも感心ともつかない言葉を耳にしながら、今度は振りきられた右腕の外側から走って接近する。人体ではありえない角度に腕が曲がって追いかけてくるがまだ半分は補修した程度、そう機敏には動けまい。
「はっ」
すれ違いざまに右足の膝に当る位置を斬りつけ、通り過ぎたところで転進。肩幅に開かれた足の間へ後ろから飛び込み、すれ違いざまに同じ位置を斬る。小柄な9歳児の体だからこその戦法だ。
「ギュル!?」
両側から半分ほど斬られた右足はそのまま切断され、巨体が大きく前に傾ぐ。しかし倒れるまでは至らない。
咄嗟に断面の蔦同士を絡ませたか……器用なことだ。まあ、いいけどな。
対処に意識が向いて大きな隙ができた。それに屈んでくれたので全体が俺に近い位置まで降りてきている。
「やぁ!」
再度真上に刀を振るう。今度は一拍の溜を設けられたので先程より完成度の高い一撃だ。
紫電一刀流・弧月
天空に座す三日月のような残光を残し、ついに右腕が完全に本体から離れた。寸分たがわず補修された部分を狙ったのだ。強く密着していなければ命令を受け取れないのか、鋸のようだったそれはだらりと力を失って地面を打つ。
「ギリリリリリ!!」
絶叫を発しながら上体を起こした叫刺騎士は判断を迷ったようにわずかな硬直を見せた。それはなんとしても目の前の敵を狩るべきか、それともなんとかして逃げるべきか。主武装を破壊された者の当然の迷いだった。
俺を前に迷うとは、中途半端に知性があるが故の失敗だな。
内心で冷徹な評価をしながらさらに弧月を放つ。胴体のど真ん中を斬り払われたシュリルソーンナイトは赤く大きなコアを露出させた。
「ギュリラララララ!!!!」
本格的に逃走を決めたらしいシュリルソーンナイトは頭の蔦を広げてとてつもなく耳障りな叫びを上げた。
「きゃあ!?」
後ろでエレナの悲鳴が聞こえる。
なるほど、これが特殊能力の叫びか。恐怖心を煽るのか?ついさっき精神に安らぎを与える聖魔法トランクイリティをかけた俺には効かないな。
対策をしているのか動じた様子のない「夜明けの風」にエレナは任せ、俺は逃げようと反転する叫刺騎士に追撃を加える。斬られた蔦を絡み合わせて辛うじて繋がっている右足。その無防備な傷口に、追い討ちする者の特権として、深々と斬りつけた。
「ギュルル!?」
支えきれずに前のめりに倒れるシュリルソーンナイト。その背中に飛び乗って刃を突き立て、蔦を斬り捨てて赤いコアを剥き出しにする。
「ギギギギギ……ギィイイ!」
悪あがきのように振り上げられた左腕も斬り払い、返す刀でさらに深く斬る。重たい音をさせて蔦の束になった左腕が転がった。
「ギギ・・ギギィ」
さすがにダメージが大きすぎるのか、全体の動きが弱ってきている。
「はっ」
俺はコアに対して上から刀を構える。余分な力は抜きつつも今込められる最大の筋力を使って速度を出す。そう念じながら、一思いに振り下ろした。
ガッ
「!!」
コアに刃が入った瞬間、俺の体幹がぶれたことに気付く。気付いたとほぼ同時に刀を引き戻して刃毀れを防ぎつつ、込められた力を腕や腰に伝播させて散らす。
わかった、何が問題なのか。
「はぁ……」
ようやく問題が明らかになったことへの悦びなど皆無な溜息が口からこぼれた。
今度はいよいよ気負いなく、滑らかでゆっくりとした刀捌きを心掛け、刀を振るった。あっさりとコアの中心を切っ先が通過する。
「ギッ」
全ての蔦がすくみ上ったかと思うと活動を停止した。実に簡単にコアは斬れたのだ。
「た、倒したのか……」
「す、すごいですよ!Eランクでシュリルソーンナイトをソロ狩りは凄いです!」
マレクが興奮した声でそう叫んでいるのが聞こえる。
「はぁ……」
そんなオーディエンスを他所に、俺はもう一度溜息をついた。一撃目で斬れず二撃目ではたやすく斬れた理由。それを理解してしまったがゆえに。
~★~
時間いっぱいまで活動して戻ってきた俺たちはシュリルソーンナイト討伐をギルド事務官のカレムに驚かれた。EランクというよりDランクに近い魔物らしい。解散間際にも無茶は控えろとガックスに言われた。苦笑交じりに称賛も贈られたので注意程度のつもりなのだろう。
屋敷への帰り道、俺は刀の柄に手をあてながら考える。今日の敵は比較的いい調子で倒せた、と。しかしそれは成長ではなく、武器の性能と剣では今まで使えなかった技を使えるようになった結果でしかない、とも。
街の壁を掠めて降り注ぐ夕日を浴びながらさらに考える。コアを斬ろうとしたとき、俺は今出せる全力を以って斬りつけようとした。そのときは体幹にブレが生じたため慌てて軌道を変えたが、2回目では浅く斬るようにした結果まったくブレなかった。
余分な力が入っていたわけではない。いまさらそんなミスは侵さない。ただ、おそらく俺の筋力面や技術面での全力はこの体と不一致なのだ。
手が短ければ描く弧の軌道も変わる。どのタイミングで力をいれるかも変わる。俺の技術が生前の俺の体に合わせて習得したものである以上、今の肉体とは感覚的にズレが生じる。そのまま物心ついたときから影稽古などでできるだけ馴染ませてきたつもりではあるが、根幹の感覚はそう変わる物ではなかったらしい。つまりは最適に刀を振っているつもりでほんのわずかに間違っていたのだ。
エクセルの剣ではなくアクセラの剣を。
それができなければ誤差の影響しないような技しか使えないということだ。新しい戦闘スタイルを確立しなければ、ここから先の錆落としはできない。体格と性別の関係上どうあがいても弱体化するというのに、それ以前の問題で足踏みを続けるのはストレスを通り越して拷問に近いものがある。
ただ技術というのは長い長い研鑽と試行錯誤を繰り返して完成するもの。一度その工程を経て魂に染みついた太刀筋を、あと5年でなんとかできるものだろうか?
早く、早く、早く……時間がない!
焦ってもどうしようもない。そんなことは分かっていても、苛立ちと焦りは一度火がつくと野火の如くなかなか収まらない。
「……ちっ」
「……ねえ、アクセラちゃん」
胸に燻る思いに舌打ちをしたとき、やや後ろをついてきていたエレナが声をかけてきた。
「ん、どうかした?」
「どうかしたじゃないよ、さっきからずっと話しかけてるのに!」
あまりにも考え込んでいたせいでまったく聞こえていなかったらしい。珍しくエレナの声は震えていた。道行く人が何事かと振り返るほどの叫びによほど怒らせたかと、つい身構える。
「ご、ごめん」
「ねえ、アクセラちゃん」
立ち止まって俺の名を呼んだエレナは、眉をハの字にしてうつむいた。怒りというよりも憤りと悔しさを混ぜたような表情で、なにかを我慢するかのように手が小さく震えている。きゅっと結ばれた口も何かを言いたげに時折開かれてはまた閉じられる。普段よくしゃべる彼女が今朝からえらく無口だったことを、俺は今更ながらに思いだした。
「アクセラちゃん、最近おかしいよ」
雑踏が俺たちをよけていく中で5分ほど、再び開いた彼女の口から出た言葉はそれだった。
「この間の手紙からずっと、ずっとなんだか変だよ。あんまり笑わないし、好きな食べ物もおかわりしないし、お休みの日でもずっと練習してるし。それにいつもなら色んな戦い方をするのに、ここしばらくは剣で斬ることしかしなくなった。気付いてる?コアの時以外も、弱い魔物や魔法の方が効きやすい魔物もぜんぶ斬ってるんだよ?普段のアクセラちゃんなら効き目の良い方法を優先するのに、わたしの魔法の射線だって空けてくれるのに!」
堰を切ったように溢れ出すその言葉に初めて気づいた。そう言えばあれから攻撃魔法を使っていない。シュリルソーンソルジャーのコアを斬ることしか考えていなかったから、それより弱い相手の倒し方なんて頓着すらしていなかった。ましてエレナに攻撃を譲るということは思い浮かんでもいなかった。
「一昨日のピクニックのときだって、突然倒れそうになってた……立ち眩みじゃないことくらいわかってるよ!あんなに息が荒くなってたし、それにあの変な魔力。ずっとずっと感じてた、変な魔力をアクセラちゃんが使うの!あの魔力、回復魔法でしょ?」
悲痛な叫びに俺は納得する。
そうか、エレナは気付いていたのか……。
いや、当然といえば当然だ。彼女はとても頭がよく、観察眼にも優れているのだから。
「ねえ、どうしちゃったの?困ってるなら教えてよ!アクセラちゃんには負けるけど、わたしだって色々勉強してるんだよ?もしかしたらアクセラちゃんが思いつかなくてもわたしなら思いつくかもしれないのに、なんでなにも相談してくれないの!?」
段々と語気を強めたエレナの叫びは、家路に急ぐ人々が足を止めて人だかりとなるほどだ。だがそんなことは気にならない。俺が今気にすべきは目の前の少女の想いだから。
「エレナ……」
「わ、分ってるよっ、アクセラちゃんはわたしよりしないといけないことも多いし!考えないといけないことも多いんだって!でも、でもさぁ……一緒に悩んで一緒に考えることはわたしにだってできるよ……?」
顔を上げて真っ直ぐに俺を見るその目には今にもこぼれそうなほどの涙が溜まっていた。理性と知性が歯止めをかけ、それを上回る感情が迸る。小さな胸の中で色々な物が軋み声を上げているのが分かった。
「わたしじゃダメなの?」
ダメとかダメじゃないとかではない。そう答えるのは簡単だが、きっと彼女の知りたいのはそういうこととは違うのだ。
「……」
「わたしはアクセラちゃんの何なの……?考えても考えても分らないよ……分んなくなるんだよ!」
沈黙を答えと思ってか、少女の慟哭が大通りに響く。
俺はエレナの賢さに甘えていたのだと、この時ようやく理解した。いくら賢くても9歳の子供だ。知識も心も未完成。その胸に抱え込める悩みは決して多くはない。それを、俺はかつての仲間たちにするのと同じような気軽さで頼ってしまったのだ。
「わたし……わたしは……っ!」
「あ、まって!」
自分でも整理のつかない感情をあふれ出した涙と共に零し、彼女は俺に背を向けて走り出した。事情が分からないまま様子を見守っていた大人たちの間を縫ってどこかへと。
追いかけないと!
追いかけて何を言うべきかとか、そこまで子供に苦悩させてしまった大人失格の自分が追いかけてどうするのかとか、そんなことが脳裏をよぎる。それでも追いかけないとダメだ。ここで追わなければエレナとの関係は絶対に壊れてしまう。
嫌な予感に突き動かされるまますぐに走りだす。それでも周りに人が多く距離が空いてしまう。石畳を冒険用のブーツで踏みしめて、人の波を避けながら走るほどに痛感する。目の前の背中はこんなにも小さかったのだと。どれだけ苛立っていようと、どれだけ面倒な状況にあろうと、俺が守らなければいけない相手はすぐ傍にもいたのだ。
なぜ忘れていたっ!
募る焦りと自己嫌悪に我知らず奥歯に力が入る。
エレナの背中が店じまいを終えたパン屋の角を曲がった。ごちゃごちゃとした裏通りで俺を振りきるつもりなのだろう。絶対に追いついて見せる。
「うお!?危ないじゃないか!て、こ、これは失礼を……」
「ごめん、急ぐ!」
勝手口から出てきたパン屋のオヤジにぶつかりそうになるが、簡潔に謝って更に走る。避けた分でまた距離が空いた。ギリギリ曲がり角でエレナの背中が見える程度だ。
「足、はやっ……」
確かにエレナは9歳の魔法使いとは思えないほど体力もあるし足も速い。
しかしそれだけでこんな差が……肉体強化の魔法を使っているのか!泣かせておいて言うことじゃないとは思うが、そこまでするか!?
慌てて俺も火属性の強化系をかけようとして、最悪のタイミングで襲い掛かる眠気に邪魔される。
「癒しの御手にてこの者の心を鎮め癒したまへ、クソ!」
走りながら聖魔法をかけ、続けざまにヒートブラッドを唱える。
ぐんと上がった速度で狭い路地裏を走り、角を3つ超えた先でようやく見失いかけていた背中を捉えた。
「エレナ!」
「えっ……つ、ついてこないで!」
ここまでついてくるとは思っていなかったのか、驚いたように振り向いたエレナ。丁度そのタイミングで彼女の進行方向にふらっと人影が現れた。
「あ、前!」
ぶつかりそうな距離に叫ぶも、もう遅かった。
「きゃっ」
「……」
曲がり角で減速はしていても強化魔法までかけて走っていた。勢いは並みの大人の全力突進くらいあっただろう。それなのにぶつかられた男はよろめくことなく受け止めた。冒険者だろうか。
「へへ、ギリギリ先回りできたぜ」
「!」
聞き覚えのある、粘つく声。脳内で警鐘が鳴り響く。
「エレナ、離れて!」
「もうおせえよ!」
男が距離を取ろうとしたエレナの首に細長い何かを当てると、そのまま彼女は意識を失ったようにくずおれた。
「何を……」
刀に手をかけ、足に力を籠める。
「おとなしくしてろ」
同じ粘度を持った声が、耳元で聞こえた。
「!?」
近寄られた気配なんて微塵もなかったのに!
振り向き様に抜刀しようとするが、それよりも早く首に痛みが走る。
「う、あ……」
酩酊感と虚脱感をぐちゃぐちゃに混ぜたような感覚に襲われて膝をつく。脳みそにスプーンでも突っ込まれてかき混ぜられるような嫌悪感が神経を蝕む。
薬……?
吐き気と頭痛を足して2倍にしたような不快感に手が柄から離れた。
ガランと思いの外重たげな音をたてて紅兎が石畳を打った。
「く……」
いくらなんでも薬物への耐性は俺もない……しまった……。
急激に狭まる視界に映ったのは黒い襤褸衣で頭からつま先まで隠した男たちだった。
「へっ、ざまぁねえや」
誰だ……誰……
誰何しようとして、俺はあっけなく意識を失った。
~予告~
刀の斬れは鋭く、少女のキレは鈍い。
交錯する想いを解けないまま少女たちの道は進む。
次回、サプライズ
ステラ 「サプラーイズ!」
アンナ 「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」




