二章 第4話 女神たちの茶会
リオリー宝飾店の後も、レメナ爺さんに連れられて俺たちは普段出入りしないような店にたくさん立ち寄った。高級なところでいうと革製品専門店、高級酒屋、骨董商など。職人が多い地区になると鍛冶屋であるとか付与職人の工房であるとか、果ては情報屋にも連れていかれた。おそらく冒険者として活動するための顔繋ぎであると同時に、領主の子供がどういう気性のどんな人物なのかを主要な店に知らしめるための作業だったのだろう。
「最後にギルドと教会じゃが、この2つは別にいいじゃろう」
レメナ爺さんは通りの端まできてそう言った。ギルドは登録するときにどうせ顔を出すし、教会に至っては俺がよく足を運ぶせいで特別仲がいい。態々出向く必要も特にないという判断だった。
「ちょっと寄っていい?」
「お嬢様は教会が好きじゃのう……儂なんぞ祈らなくなって久しいというに。まあ、信心深いことはいいこと、なのじゃろうが」
やや呆れられつつも、もはや見慣れた創世教会の門をくぐる。すでに日は傾き始めており、白い石造りの教会は暖かなオレンジ色に染まっていた。
「あ、アクセラ様にエレナ様、それにレメナ様まで!」
教会その物ほどではないが慣れた若い女性の声に視線を向ける。隅の方から箒片手に小走りでやってくるのはこの教会に5年前から着任している神官のシスター・ケニーだ。余談だが司祭や司教やらとシスターやマザーがどう違うのか俺は未だによく分っていない。
「よ、ようこそおいで下さいました」
恭しく頭を下げるシスター・ケニーは20代のまだ若い女性で、爺さんと同じ灰色の目が印象的な女性だ。創世教のシスターが着る白い簡素な衣の上からでもはっきり分るほど抜群のスタイルをお持ちなことでも有名である。顔立ちは純朴そうで性格もおっとりしているのだが体だけはこのスペック。着任から5年間、周囲の独身男性による勢力争いが裏で激化しているのは公然の秘密と言える。この場合は性力争いとでも言った方が……いや、俺も一応伯爵令嬢なわけだし、止めておこう。
「今日も個室ですね?」
「ん、寄付」
シスター・ケニーの問いかけに頷いてポケットから小銀貨を1枚渡す。安宿に1泊するくらいの金額なので貴族の寄付にしては少ない方だが、まだ働いていない俺が個人的に払うには十分すぎるだろう。
「ありがとうございます。主の恩寵がありますように」
見送るシスターに軽く手を振って礼拝堂を目指す。エレナとレメナ爺さんは彼女ともう少し話すらしく留まった。俺がいつも礼拝堂に入るときだけは1人を好むので、いつの間にかそういう流れが自然と出来上がったのだ。
個室礼拝堂は祝福を受けに来たときに入ったのと同じようなこじんまりした部屋だ。机と椅子と聖書の納められた本棚がおかれ、正面には神を象った像が置かれている。相変わらず誰だよと言いたくなるマッチョな男神の像だが。
「ひぅ」
突然背筋をなぞった悪寒に変な声が漏れる。しばらく前から続く眠気に始まり、倦怠感や悪寒などどうにも調子がよろしくない。使徒でも風邪の1つくらい引くだろうが、そういう感触でもない辺り気色が悪かった。態々教会に寄ったのはミアの顔を見に行くためだが、実はこの体調不良について思い当たることがないか聞くためでもあるのだ。
「ふぅ……」
椅子に腰かけて息を吐く。何回やってもこの後に控えている意識転移の酩酊感は慣れない。とはいえ時間を無駄にするわけにもいかない。椅子から転げ落ちないように安定性を確かめつつ目を閉じる。そして意識を集中させ……ブラックアウトした。
~★~
気色の悪い酩酊感を振り払って目を開けると、そこはいつも通りの景色だった。創世神ロゴミアスの天上宮殿へつながる転移宮。植物のレリーフが施された白い円形の部屋だ。
「こ、これはエクセル様!お戻りをお喜び申し上げます!」
扉を開けて外に出ると、緊張しまくった声が俺を出迎えた。普段転移宮を守っている寡黙な戦乙女ではなく、ピンクの髪の少女がガチガチに固まって敬礼をしていた。小柄なその身を包むワンピースドレスと、その上からまとった青い軽鎧姿からして戦乙女には違いないらしい。
「お勤めご苦労」
「は、はい!光栄であります!」
物凄く肩に力が入っている。おそらくシェリエル程古参ではないのだろう。
「警備か?」
「はい!」
「ミアは今どこにいるか分るか?」
「現在お部屋にてご来客の神々をもてなされておられるかと思われます!」
ふむ、来客中だったか。
「来ているのはどの神か、聞いても大丈夫か?」
「は、はい!エカテアンサ様とテナス様であらせられます!」
慈母神と戦神の末妹か。創世神に並ぶ最大手の大神だ。
慈母神エカテアンサには礼も言いたかったことだし、ちょうどいいか。
「ちょっと手を借りたいのだが」
「な、なんでありましょうか!」
石化しそうなほどに緊張するヴァルキリーに思わす苦笑が浮かぶ。
「とりあえず肩の力を抜くといい。何も取って食おうと言うわけじゃない」
「し、失礼しました!」
「……」
益々力が入ってしまったな。昔からあまりこういった手合いの扱いは上手くないのだ、俺は。
「名は?」
「な、名前でありますか!?キ、キュリエルと申します!」
キュリエルか、覚えたぞ。
「ならキュリエル、悪いがミアたちの部屋に先触れとして行ってくれないか?さすがに女神が3柱もいるところに断りもなく行くのは憚られる」
「た、た、た、大神様の先触れでございますか!?」
軽くお使いを頼んだつもりだったのだが、キュリエルは驚天動地といった様子で慌て始めた。
ああ、そう言えば俺も大神だったか……。
どうにもオルクス伯爵領では技術神を崇めてる人間など1人もいないので実感が伴なっていない。とはいえ別にヴァルキリーが大神の先触れを務めてはいけないということもないだろう。
「忙しいか?」
「は、はい!じゃなくて、いえ!あ、でもお勤めが……!あ、その、えっと!?」
「先触れに言ってくれている間は俺がここを見ておく」
「そ、しょ、承知いたしました!謹んで重責を全うさせていただきます!もうすぐ交代の時間ですから、その、そんなにお時間取らせませんので!い、行ってまいります!」
キュリエルはきっちりと敬礼をして走りだした。職務に忠実なのは素晴らしいことだが警備用の長槍を持ったまま半パニックで走られると不安になる。
いや、戦乙女なのだし大丈夫なのかもしれんが。
体感時間で15分ほど待った俺はちょうど交代か何かでやってきた戦乙女に警備を引き継いでからミアの部屋に足を向けた。先触れから15分というのが長いのか短いのか、高貴な社会をあまり知らないうえに神々の時間感覚は謎の極みなので何とも言えないが、時間差は設けたので礼儀としては及第点と思ってほしい。
いつものワープ階段と廊下を進んで宮殿の最奥部にある最高神の私室に向かう。あの少女趣味全開なピンク空間に最古の神々が3柱も集っていると思うとなかなか不思議なものがある。そんなことを思いながら深紅の装飾が施された通路を飛ばし飛ばしに歩けば、キュリエルを使いにやってから都合20分ほどで目的地に到着した。
そういえば彼女は一体どこに行ったんだろうか……いい加減帰ってくるところに遭遇してもいいと思うのだが。
コンコン
最高神の私室とは思えないごく普通な扉を軽くノックする。観音開きですらなく、いっそ俺の部屋の方が立派な構えをしている気がする。もちろん地上の部屋の話だ。
そういうところが意外と気さくなミアらしいと言えばらしい、か。
「ようこそおいでくださいました」
扉が開かれると同時に俺を迎えたのは何時聞いても耳に心地よい鈴の声。ミアのそばに控える戦乙女のシェリエルである。今日もいつもの装束に身を包んだ姿は凛々しく、その声はまさに天上の調べといった調子だ。
「しばらくぶりだな」
「いえ、足繁く通ってくださってありがとうございます。主がいつもご機嫌で、私も嬉しい限りです」
相変らずミアの部下なのに若干保護者っぽい。
「さあ、どうぞ」
1歩引いて道を譲る彼女に軽く会釈をして部屋に入る。ピンクな調度に溢れた部屋の中心には以前見たよりやや大きいテーブルが設置され、部屋の主を筆頭に3……いや、何故か4柱の人影があった。一番奥に陣取るプラチナブロンドのチンチクリンことミア、その右手に座る深緑の髪の女性、そして左手に座る朱金の髪の女性と何故か膝に抱えられて置物と化すキュリエルだ。
「おお、よく来たのじゃ!」
「あ、ああ」
いつも通りのミアに返す返事も我ながらぎこちない。
「まあ、元人間のそなたなら分っておるじゃろうが、こっちがエカテアンサでこっちがテナスじゃ。2人とも、こやつが例の新しい神エクセル、わしの友じゃ!」
慈母神エカテアンサは月光神シャロス・シャロス、深水神ハスパーと並んで善なる3大女神と言われ、慈愛と寛容を司る。そして最も重要なことに、母と子の守護者でもある。そんな彼女は深い緑の波打つ長髪に、タレ目がちで優し気な顔をした女神だった。ゆったりとした衣装を何重にも重ねていながら自己主張する胸元もまた母性の神らしい。
「うふふ、6年前に間接的にお会いして以来ですね。御業の神」
誰もキュリエルについて触れない様子なのでとりあえず俺も一旦保留にしつつ、かけられた言葉に応える。
「その節は我が乳兄弟に厚い加護を頂き、感謝する。もっと早くお伝えしようと思っていたのだが、遅れてしまったこと申し訳なく思う。揺り籠の神よ」
「感謝だなんて、わたくしのお仕事ですもの。でも嬉しいです」
小さく上品な笑みをその慈愛に満ちた顔に浮かべるエカテアンサ。やや仰々しくだが、ようやく例の感謝が伝えられてよかった。
「お初にお目にかかります、技巧を極めし刀の神。私はテナス、戦神の一翼を担わせていただいています」
こちらのやりとりが終わるのを見計らってかけられた声は不思議と聞き覚えのあるものだった。いずれの神からも神託など受けたことはないのだが。
戦運神テナスは戦神三兄妹の妹。戦に欠かせない幸運を司り、戦場にあっては無辜の民を守護する天界一の弓の名手だ。脳筋と名高いバトルジャンキー、長兄トーゼス神と戦術を考え出せば数年寝ないと言われる戦術フリーク、次兄バリアノス神の暴走を1人で管理する苦労人でもある。背中まで伸ばされた朱金色の髪に利発そうな瞳、引き締まった体と人好きのする笑顔。美しさと知性と力と社交性を全て備えた完璧超神だ。
うん、膝に微動だにしないキュリエルを乗せていなければそうとしか見えなかっただろうな。
それとあまり見かけない生地の服を着ているのも気になった。肩から腕にかけてと背中が開いたドレスシャツなのだが、地上にある素材には見えない。
「はじめまして、まだ新米の神だが今後よろしくお願いする。千里を射抜く弓の神」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
「ええい、そなたらいつまでそんな固い挨拶を交わしておる気じゃ!わしの部屋でわしの肩が凝るような振る舞いは禁止じゃ、禁止!」
かけられた天界風の格式ばった挨拶を模倣して返したりしていると、ミアの好みには合わなかったらしくそう言われてしまった。
これでも頑張ったんだが……。
「しかし……」
「しかしも案山子もないのじゃ!」
「ふふ、テナスちゃん。ミアちゃんがそう言ってくれるんですから、お言葉に甘えましょう?」
ぷんすかという擬音がピッタリな様子で怒るミアと、何故かやたら嬉しそうに微笑むエカテアンサ。
「エカテさんは順応が早いと言うかなんというか……私からすればまだまだ畏れ多いんですよ?」
そんな2人に微苦笑をうかべて答えるテナス。彼女たちの雰囲気はどことなく緩いものがあって、それは傍から見ると友達と呼ぶにふさわしいものな気がした。
「ミア、お前友達いないんじゃなかったのか」
「ぐふっ!?い、いや、そんなことはもう遥か彼方の大昔じゃからな!もう友達100人どころではないんじゃからな!」
「うふふ……」
「くふ……」
ミアは永い永いボッチライフを思い出してダメージを受けつつもふんぞり返って見せた。その姿に脇で2柱の女神が笑いを零す。
なにがあったかは知らないが楽しそうでなによりだ。
「あらあら、エクセル様。なにを不思議そうになさっていますの?これは全て貴方様の影響ですのに」
エカテアンサがおかしそうにそう言った。
「俺の影響?」
「以前は我々大神からしてもミア様といえば格別の存在、神格においても力においても遥か上にいたわけです」
テナスが言葉を継いで説明したことは、俺が使徒転生の日に本人から聞かされたことだ。
同じ神と言ってもミアは完全なる造物主であり、他の神は彼女の被造物ということになる。そのため根源的な服従心と、持っている力の強大さに対する畏敬が優っていずれの神もミアに頭を垂れる。それが開闢以来続いたミアの孤独の正体だった。
「そこに来てエクセル様は」
「エクセルでいい、俺の方が格下なんだ。様は勘弁してくれ」
「格下ということはないんですが……ではエクセルさんと。私のこともテナスでいいですよ」
「わかった。遮って悪いな、続けてくれ」
「おほん、エクセルさんはどういうわけかミア様をそこまで畏れなかった。そしてあろうことか友人になったわけです」
少し大仰に、冗談めかして言って見せるテナス。だが考えてみると気になることが1つある。
「そう言えばなぜ俺はあまり畏れを感じなかったんだろうか」
「さあ、それはなんとも」
テナスも困ったように小首を傾げた。被造物が造物主に本能的な服従を示してしまうのなら、間違いなくこの世界の被造物である俺もまた服従を示すはずだ。ある意味被造物としての純度が低い地上の人間で、しかも普通昇神するはずのないくらい信仰心に薄い者だったから……という説も、さすがにそれだけでは納得がいかない。
「もしかしてこの世界の被造物ではない、とか?」
「それはないのじゃ。もしそうなら昇神させられるはずがないからな」
人差し指を立てたテナスが1つの説を述べるも、当の造物主から否定されてしまう。間接的にでもミアが生み出した者でなければ、彼女の力で神へと昇華させることは叶わないらしい。
「まあ、なんだっていいんだがな」
理由が何であれ結果が変わるわけではないし、俺が初めての友達だとしても今はこうして友人らしい関係を他の神とも築けているのだから。苦笑を浮かべながら、シェリエルが出してくれた紅茶に手を付ける。暖かい液体が不思議な香りと共に口に広がった。
紅茶かと思ったらハーブティーの類だったか。
「それでどうして私やエカテさんまでミア様のと、友達になっているかといいますと」
すっかりミアとの距離を詰め切っているエカテアンサと違い、どうもまだテナスは馴染みきれていないようだ。当のミアがなにも言わないところを見るとおそらくゆっくり慣れていく方向で合意しているのだろう。
仲良きことは良き事かな、だ。
「エクセルさんと友人となったことでミア様の神格が変容したんです」
「……それは大丈夫なのか?」
ほのぼのとした感想を抱いているところに突然もたらされた穏やかならざる報告。俺はカップをおいて姿勢を正した。
神格とは神であり、神とは神格である。分りやすく言うと神格とは神のステータスのようなものだ。それが変容したというのはかなり大事な気がする。いや、確実に大事だろう。
しかしミア本人はあっけらかんとしたもので、「大丈夫じゃ」と断言して見せた。
「なんといえばいいか、過度な畏れを振りまかなくなったんじゃ。わしが振りまいとるというより他の神が感じ取っておるという方が正しいのじゃが」
「神々の感じる畏れ多いという感情が薄れた、と」
「そうじゃ。今までシェリエル以外では畏怖の影響を半分も抑えられなかったのじゃがな、今では友達100人も夢でないわ!」
薄い胸を張ってそう主張するミア。やはり友達100人突破は嘘だったか。
「それ以外に影響はないのか?そもそもなぜ神格が変容するなんて大事になったんだ?」
「他の影響は今のところはないな」
「理由の方は簡単ですよ」
ミアが首を振り、エカテアンサがニコリと笑った。
「わたくしたち神は絶対的な存在だと思われがちです。でも実際は意外と不確かな存在で、常に揺らぎ続けているのです」
「つまり神は信仰によってその在り方を僅かながら変えるのじゃ。信仰とは繋がりじゃな。そなたとの繋がりでわしが変容したのは、神である以上当たり前とも言える」
説明をそう締めくくった彼女は眉間にしわを寄せて見せる。
「それくらいは勉強せぬか」
「勉強と言っても、流石にそんなことまで聖書や経典には載ってないだろう」
神についてのガイドブックでもない限りミアの要求はかなり無茶なものだ。俺の知識はあくまで地上に残されている物を師匠が知識と推理で補完した資料、そのさらに一部なのだから。そう思って言い返したのだが、今度はキョトンとした顔をされた。
「そなた、まだ分っておらんかったのか」
「何をだ」
同じセリフを前回来た時にも言われたような……。
デジャブを感じながら問い返すと、やはり視線は呆れに変わった。
「神々の基礎知識はそなたの頭の中にあるんじゃぞ」
「何……?技術神としてできることなら手に取るようにわかるが、それ以外でか?」
「同じ要領で神の常識も探してみるんじゃ。おそらくすぐに思い浮かぶはずじゃ」
言われた通りにしてみる。脳内で神々の常識、たとえば神の分類について思い浮かべると……。
「おお、情報が意識に浮かび上がってくる!」
初日にミアから説明された神々の縦と横の分類が説明文のように脳裏に浮かんだ。
「まったく……いくらこれまで時間がなかったとはいえ、自分ができることくらい把握しとらんとはな」
「返す言葉もない。しかしそうか、これで多少は神々の事情に詳しくなれるわけだな。時間があれば参照してみるとしよう」
「遅まきながら、じゃ……」
「ま、結果よければなんとやらだ」
「軽いのう……まあ、いいのじゃ」
今は勉強とこれから始まる冒険者業で忙しいが、来年あたりになればゆっくり神の知識を理解する時間もあるだろう。そのときにはがんばりたい。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
話が一段落するのを見計らって出されたシェリエルの提案に全員が頷く。彼女の持つガラスのティーポットの中身はさっき飲み終えたハーブティーと同じ薄黄緑の液体で満たされている。そこから俺たちの手元にある揃いのガラスのティーカップへと注がれるのだが、何故かポットの中身は一向に減った様子がない。
「不涸のティーポットです、不思議ですか?」
エカテアンサの質問に俺は首をすくめて答える。
「いや、廊下からしてあの有様だからな、天界では何が起きても不思議じゃない」
1歩歩けば10歩進むような廊下があるのだ。注いでも注いでも中身のなくならないポットがあってもおかしくはないだろう。近い機能の物として地上で広く使われている創水の魔導具もあることだし。はたしてお茶を涸れると言うのが正しいかは疑問だが。
「ふふふ、このティーポットの凄いところはお茶がいくらでも出せることだけではないのです」
俺の指摘にちょっと自慢気な微笑みを浮かべる彼女。
「このポットはお茶を淹れるとそのお茶がずっと楽しめるという品。ポイントはお茶を淹れると、というところですよ」
「お茶を淹れると」ということは、つまりこのポットでお茶を沸かせばそれがずっと飲めるという意味だ。
「ということは淹れるお茶を変えれば飲めるお茶も変わるということか」
「その通りです、エクセル様!最後に1度入っているお茶は勿体ないことにしなければいけないという心苦しさはあるのですが、そこさえ目を瞑ればお好きなお茶をお好きなだけ頂けるというのは素晴らしいと思いませんか!?」
「そ、そうだな」
いきなり目を輝かせてテンション爆発となったエカテアンサにやや気おされつつ首だけ縦に振る。話の流れからおそらくこのポット、不涸のティーポットはエカテアンサの持ち物なのだろう。それにしても淑女然とした目の前の女神が、突然これほど熱心に語りだすとは思っていなかった。
「さらにこのカップなのですが、実はこれもお茶の香りと暖かさを保ってくれるという品でして!秘密はソーサーの方にあるのですよ。このソーサーの金縁のところにですね……」
「エカテさんは魔導具や天界の便利グッズを集めるのが趣味なんです。展示用の宮殿をダース単位で持ってるレベルです」
母性の象徴のように穏やかな物腰で喋っていたそれまでとは打って変わって、怒涛の勢いで解説を続けるエカテアンサ。そんな彼女を他所に、困り顔のテナスがこっそりと俺に耳打ちした。ロゴミアスの姿ほどではないにしても、地上の人間が知らない神の側面は多いらしい。
「趣味自体はとても上品だし、私たちも時々借りてるからあまり言えた義理じゃないんですが、説明しだすと止まらないところがあって……まあ、うちの兄さんたちに比べれば全然なんですけど」
「テナスの兄さんと言うとトーゼス神とバリアノス神か。たしかに2柱とも珍妙な逸話の多い方だな」
「トーゼス兄さんは仲間思いで裏表のない公正な神なんです。バリアノス兄さんも頭が良くて物知りでどんな諍いも解決してくれる神ですし。でもスイッチが入ると途端に変な行動にでるところがあって……」
恥ずかしさからか僅かに頬を染めて眉間を抑えるテナス。
トーゼス神は一騎打ちを好む英雄の神で、その「御病気」は自分が手合わせするに足る相手とみれば人でも天使でも神でもあらゆる垣根を飛び越えて勝負に行ってしまうことだと聞く。ロゴミアス神以外の全ての神と戦った経験があると神話に歌われるのだから筋金入りだ。
バリアノス神はというと兄トーゼス神とは逆に集団戦を好む参謀肌の神だ。知恵の神や遊戯の神の下に出向いてはチェスやその他の戦略ボードゲームに興じる姿をよく目撃されるらしい。問題は熱くなると時間や諸々の事柄を忘れて没頭すること。配下の戦神と戦略の話をしているとき意地悪を思いついたその配下がパラドックスじみた難問を出したことがある。バリアノスはその配下を捕まえて10年も不眠不休で議論を続けた結果、最後には干からびかけの配下がテナスの下に配置換えを泣いて乞いに行ったという神話があるのだ。
何かあるたびに決して暇ではない身を東奔西走させて兄たちの羊飼い役を行う彼女の苦労は並々ならぬものだろう。
「ところで」
「はい?」
突飛な兄たちの管理に奔走する彼女へ同情しつつも、俺は入室した瞬間からどうしても気になっていることをそろそろ抑えきれなくなって口にした。
「なぜキュリエルを抱えているんだ?」
「私、可愛い物が好きなんです」
「……」
即答であった。しかも当然のような顔をしての即答だ。
戦神三兄妹。なるほどたしかに血のつながった兄妹である。俺はしみじみとそう思った。
現実のキリスト教などでは「司祭・司教」は神官としての位で
「シスター・マザー」は修道女の呼び名だそうです。
細かい範囲と被るか被らないかは宗派によりけりみたいですねー。
ただ、改めて言っておきますとこの作品は「中世ヨーロッパ」ではなく「ファンタジーの異世界」です。
名前が同じでも細かい定義が同じとはかぎりませんし、時代背景や文明もかなり違います。
そこのとこ、ちょこっと頭の片隅書き留めて作品を読んでいただけるととても嬉しいですm(__)m
~予告~
現れる2柱の女神。
彼女たちはエクセルの現状にとても興味を持ち、とある提案をした・・・。
次回、女神(の使徒)転生
テナス「この子かっわいー!」
エカテ「テナスちゃん、せめて嘘予告に触れましょう?」




