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 訊いた瞬間は嬉しかった話が、よくよく訊けば酷く煩わしい予感を抱かせるなどよくある事だ。


 公爵家に仕えるなどと名誉な話が舞い込んで浮かれたのも一瞬、訊けばまだ幼い姫君に仕えるという話だった。

 泣き喚いていたかと思えば下らない事で大喜びし、少し目を離した隙に好き放題に遊び、逃走するくせに寂しがって甘える。

 子供がどれだけ厄介な存在かなど甥や姪達で思い知っている。

 増してや国王にも対等に渡り合う公爵家の姫。

 蝶よ花よと育てられ、権力を笠に着た我が儘娘に、どれだけ振り回される羽目になるのかと想像して、私はウンザリした。



 館を訪れた日は広大な敷地全体に霧が立ち込め、案内してくれた家令を見失わないよう眼を凝らして庭園を進んだ。

 完璧に整えられた庭木を横目に歩けば、鼻腔を擽るえもいわれぬ甘い香りが徐々に強まる。

 女に花を贈った事など無い私でも、それが薔薇の香だという事ぐらいは判る。

 気紛れに抱く女達から漂う香水よりも、好ましく感じる香気をクンと吸い込めば、いきなり体の力が抜ける。

 目眩に足を止めれば、先を歩く家令の男が怪訝な表情で振り返った。


 「ああ、フィルタの薔薇に惑わされたのですね」

 「薔薇に惑わされた?」


 曖昧になる視界に、油汗をかきながらふらつく躰を支えて足に力を入れた。


 「この先に咲く薔薇の香りを嗅ぐと、慣れない方は酩酊状態になるのですよ」

 「薔薇の香りで?」

 「はい、フィルタ公爵家門外不出の白薔薇です。ああ…御注意下さい。花弁一枚たりとも、屋敷の外には持ち出したりされませぬよう」


 警告する慇懃な男の顔からは、一切の感情が削ぎ落ちて、花一輪で言葉通り“首が飛ぶ”のだと気付かされた。


 微かに耳に届いた音が、散漫になりかけた意識を修正する。


 立ち込める霧の向こうから、金属を触れあわせるのに似た音が聞こえる。

 途切れ途切れのそれに引き寄せられるように、私達は歩を進めた。


 蒸せ返るほどの芳香に圧倒されながらも見回せば、白銀の花が咲き乱れている。

 白い薔薇など何度となく目にした事があるが、こんなにも美しい花は視た事が無い。

 霧にしっとりと濡れるその姿は、土に根を張る命というよりは、魔性が練り上げた禁忌の魔具を想わせた。

 その極まり過ぎて無機質で排他的な美しい茂みの奥から、先ほどの音が聞こえてくる。

 その正体を一刻も早く知りたいような、きびすを返して逃げ出したいような、落ちつかない気分で近付いていった。


 最初に目に入ったのは、お仕着せを着た侍女達の姿だった。

 彼女達は、私達が近付いても振り返る事もせず一点を凝視している。

 その視線の先には、こちらに背を向ける小さな姿があった。


 深い青のドレスに流れ落ちるのは、白髪に見えるほどの見事な銀髪。



 「ベルナデット様、クロード・ラウエファン殿をお連れしました」


 家令の言葉に振り向きもせず、私が仕える筈の少女は薔薇を弄っている。


 パチン。


 響く音の正体を私は漸く知った。

 傍らに立つ侍女に薔薇を手渡す少女の片方の手には、銀のハサミが握られている。

 小気味良い音を鳴らして切られた薔薇を、侍女が受け取り腕に下げた籠に恭しく入れていく。

 置き去りにされた私は、湧き上がる苛立ちに耐えた。


 不意に振り返った少女と眼が合う。

 その途端、緊張の為に治まっていた目眩に再び襲われた。

 回る視界、中心に在るのは紫紺の瞳。

 その冷たく神秘的輝きを軸に私の世界が廻る。


 近付く私の小さな主に、私は呼吸も忘れて見入った。

 たった今鼓動し始めたように、煩く脈打つ心臓。


 冷静になれと頭の中で繰り返す私の傍らを少女は通り過ぎた。

 返り視れば背後の枝に手を伸ばす姿があった。


 パチリ。


 ハサミの音を聴きながら悟る。


 私は無視されている訳では無いと。


 眼を反らされているのでは無く、視界に存在さえしては居ないのだ。


 私はこの少女にとって、一輪の薔薇よりも価値が無い。


 「御前失礼致します」


 恭しく頭を下げ、庭園を後にする家令に続く。

 惑わされ、覚束ない脚を叱咤しながら。

 紫紺の瞳に映る事など叶わないと知りながら、それでも無様な様を晒したく無いと…。

 

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