痛みの残る場所
子供の頃は、幽霊を見たと大騒ぎをした。
実際に大事故や戦争での被害が多かった場所だったりしたので、僕は霊感少年だと言われた。
少し得意になっていた時期もある。
でも、まあまあな年齢になってきて、別の考え方をするようになった。
大友跳 オオトモハネル(本名です) 19歳
大学受験に失敗しての予備校生。
多分、霊感とかではないと思う。
僕は、痛みのあった場所が見える。
でも幽霊という存在は、人間が後の人間に、この場所は危険だと伝えるために場所が記憶して、同種に伝えようとしているのだという説もある。
僕のは、その説に近いのかも知れない。
古いものは沢山の人が関わっていると、長く残る。
第二次世界大戦や関東大震災は見えても、戦国時代や戊辰戦争は見えない。
長く残っても100年単位ではないようだ?
でも、第二次世界大戦は僕が生きている限りずっと見ることになりそうだ。
焼け爛れた人々の水を求める声。
こんなの、幽霊ではなくて場所の記憶だと思えば、何とか過ごすことが出来る。
他の場所とかでも見る。
得したことは全くない。
横断歩道に、「痛いよー」と鳴く女の子が居ても、ただ、ここは事故が起きやすいのか、とか思うくらいだ。
もしかしたら、女の子は幽霊ではないかとも思ったことがある。
翌日、新聞で見たら女子児童が交通事故でけがをした。
と書いてあったので、幽霊ではないようだ。
あと、自分の姿を見たことがある。
夜にトイレに立ち、タンスの角に小指をぶつけた時だ。
やはり5日間くらい、自分の情けない姿を見ることになった。
一週間ほど怪我をした状態で見えて、やがて消えていく。
ラーメン屋さんに入って、厨房で「熱い!熱い!」と膝から下をスープ鍋をこぼして火傷し、転がる人が見えても、翌週か十日くらいで消えている。
だから、最近は少し確信に近く思っていることがある。
「幽霊」という存在は、実は僕のような能力を持った人が見る、過去の映像なのではないかと。
また見だした。
予備校に通うようになって、最寄りの駅だ。
週に4日通っているが、月の半分は見ている。
という事は、月に二回くらい事故が起きているという事だ。
場所は、駅の地下鉄乗り場でだいたい下りエスカレーターの下。
若い、といっても社会人の女性が、エスカレーターの降りた場所でうずくまっている。
膝や手から血が出ている。頭から血を流している人も多い。
中には、「痛ったいなぁ!」くらいの感情で数日で消える人もいた。
そういう人は軽傷だったのだろう。
僕は、それを一人ずつ見てきた。
なぜか性別と年齢が偏っていた。
これは、この場所に事故を起こす意図的な存在が在るという事だろうか。
下しか見ていなかったから気付かなかったけれど、エスカレーターの終わり近くの壁に両手のマークと注意の字が書きこまれた張り紙があった。
ああ、ここで押す存在が在って、それは若い女性ばかりを狙って、そして落ちて怪我をさせているんだなと気づいた。
ああ、今日も居る。
女性がエスカレーターの下にうずくまっている。
そして、
「痛い、明日もきっと痛い。いや、今もすっごい痛いが」
と呟いている、その女性の中を通り抜けてホームに向かった。
翌週もその人が居て、酷い怪我だったんだな~くらいは思っていたけれど、その翌週には消えていた。
ああ、あの人の「痛い」は霞んでいったと思ったら、その人を最後に、その場所で女性がうずくまることは無くなっていた。
それからしばらくして、エスカレーターの降りる少し前の両手の張り紙も無くなっていた。
それまで、事故の続いていた場所で、事故が無くなった。
という事だ。
それは、良い事だけれど・・・
僕は気付いてしまった。
駅側の不備でなければ、悪質ないたずらをする人が居ないのなら。
故意に事故を起こし、怪我を与える存在。
捕まえることが出来ない存在。
幽霊というものが、居るという事に僕は気付いてしまった。
僕は霊感がない。
僕は、予備校に通う半年の間、幽霊が居るかもしれない場所をずっと通ってきた事になる。
僕が無事だったのは、その幽霊の攻撃の対象にはならなかったからだ。
なら、若い男をターゲットにする幽霊が居てもおかしくない。
いや、誰でもいいとか、そんなのも居るかもしれない。
しかし、僕はそれを見ることは無い。
なぜなら、僕が見るのは結果であって、それを起こす存在ではないのだから。
僕は、「幽霊」が見えないせいで、子供の頃よりも怖がりになってしまっている。




