塾の帰り
最近、息子が反抗期なのか、どんなに言い聞かせても私立の中学に行くのを嫌がっている。
彼の将来の為なのに。
夫は「そんなにカリカリしなくても」って言うけれど、
「学歴が大事なのは、あなたが一番実感しているはずでしょう」
と応えたら、何も言わなくなった。
中途半端な気持ちで反論しないでよ。
蟹江正一11歳
小学5年生。
今、9時。
塾からの帰り。
怒られて、早く帰された。
「やる気がないなら、帰りなさい」
って先生に言われた。
僕は、授業が開始してから10分近くノートを広げなかったから。
やる気がないのは、じじつだと思った。
疲れた。
中学受験ためだって分かっているけれど、公立中学じゃあ不良ばかりで勉強が遅れるのも分かるけれど、疲れる。
友達は公立に進むのが多い。
友達と離れるのは嫌だな。
学校が違ったくらいで、離れちゃう友達なら、それは友達じゃあないんだよって。
お母さん。でもね、クラスが変わっただけで友達じゃなくなっちゃうのが大半なんだよ。
でも僕は、友達が好きなんだ。
たとえ再来年、別の学校になってフェイドアウトしちゃうとしても、僕はクラスの仲の良いグループの一員で居たいんだ。
昨日からお母さんとケンカをしている。
今日はお母さんも一言も話していない。
疲れたな。
僕は、混んでいる電車の中、車両の連結部分でランドセルをお尻に敷いて、塾のカバンを枕にうとうとしてしまった。
ここは、ガタンゴトンの音が大きい。揺れも大きい。
座っている鉄板の板がズレて戻る。
「ねえ」
誰かに声を掛けられた。
大人の声じゃない。
怒られる声じゃない。
だから、安心して顔をあげることが出来た。
「ねえ」
声の出元を探す。
うえ?
自分より一つか二つ下の男の子の首が天井のアコーディオンの窪みから生えていた。
異常なじょうたいだ。
でも、不思議と怖くなかった。
「ねえ」
また、男の子が声をかけた。
穏やかな顔だったせいもあるのだろう。
僕も応えた。
「なに」
「ねえ」
「なに」
男の子の顔が変わった。
にっこり笑った。
「ねえ」
「なに」
なんだか楽しくなってきた。
男の子が笑いながら手を降ろしてきた。
「ねえ」
思わず手を繋いだ。
そういえば、男の子の手はすごく長かった。
手は思ったよりも強く僕の手を掴み、そのまま上に上げた。
天井のアコーディオンにぶつかる!
と目を瞑ったけれど、するりとすり抜けた。
僕は、電車の上でもなく、連結部分でもなく、周りが真っ暗な中に居た。
僕は真っ暗中で叫んだ。
「ねえ!」
声は響かず、他の音も聞こえず、暗闇に全て吸い込まれてしまったようだった。
僕の足が見えない。
真っ黒な沼にはまったみたい。
さっきの男の子を探す。
周りは、ただ真っ暗だった。
僕は、応えてくれる何かを求めて叫んだ。
「ねえ!」
正一が行方不明になった。
塾に出たけれど、3時間目の授業でノートも広げずにぼんやりとしていたので、先に帰したらしい。
そのまま帰宅しようと乗った電車の連結部分でランドセルと塾のカバンが見つかった。
正一の荷物を受け取ったとき、渡してきた鉄道警察(不審物として確認していたらしい)の人が「重いですね~。これを小学生がずっと持っていたんですね」と言われたとき、自分が責められた気がした。
私は間違ったことをしたのかしら。
正一。早く戻ってちょうだい。
なんだか、皆が私を責めるの。
私は、あなたのために、全部決めただけなのに。
ねえ。そうでしょう。
お母さんのせいじゃないわよね。
「夏のホラー2020」10の短編集を終わりに致します。
読んでいただき、ありがとうございました。




