98.ガイアス・デラクエル
「あーうんあれはなー」
アイラが特殊科のテストの成績が悪かったと言うので、屋敷の図書室に参考図書を取りに来た時。
深刻な表情でついてきたアイラが俺の服の裾を引っ張ったかと思うと、聞いてきたのは「レイシスが元気ない。何か知ってる?」という質問だった。
「さっき、目も逸らされちゃって、ちょっと驚いたんだけど……」
「目を逸らした? あいつが、アイラから?」
「うん、フォルとお茶を淹れているときにね」
「あー……」
理由を知っているが、非常に言いにくくて意味もなく頬をぽりぽりとかく。
アイラが心配するのは当然だ。あれほどわかりやすくレイシスは落ち込んでいるのだから。
……というより、落ち込んでいる、という事すら本人がよくわかってないのだから、たちが悪い。
しかもあのレイシスが、その悩みのせいで成績まで落としたのだ。アイラに感づかれるなんてちょっと考えればわかるだろうに、結局自分でどうにもできなかったらしい。
しばらく考えて、一人うんうんと頷く。本棚の高い位置にあった参考図書にぷるぷると足を震わせながら手を伸ばしているアイラに代わって本を取ってやりながら、アイラを見ずに大丈夫だと根拠のない発言をした自分に、笑う。さすがにこんな時どうすればいいかという対処なんて、思いつかなかった。
何か病気ではないのか、と心配するアイラに、まさか言える筈がない。
当てはまるとすれば『恋の病(本人無自覚)』じゃないか、なんて。
「あれはな、んー、そう! 思春期だ思春期! もしくは反抗期!」
「し、しゅんき? はんこうき?」
「そうそう。だから、ちょっと放っておけ。自分で解決しなきゃだめだろうし」
「放っておけって……」
アイラは眉を下げてものすごく顔に「困惑しています」と書いてある。あー、こっちもこっちでこのままだと悪影響が……
どうすっかなーと頬をかきつつ、二週間ほど前を思い出す。思えばあの時の俺の対応がまずかったかもしれないんだよなぁと考えながら。
「ガイアス」
夜中に思いつめた表情で俺の部屋を訪ねてきたレイシスを、不思議に思いながらも部屋に迎え入れて。
しばらく何も言わずに俯いていたレイシスを眺めながら、今日の事だろうかと思っていた。
夕食後、アイラをつれて外に出ていたルセナが戻ってきた時、様子がおかしいなとは思っていたが……ルセナは大きな情報を持っていたのだ。
ルブラが盲目的に特殊な血――特別な能力を持つ血筋を崇め、数年おきに儀式に必要だかなんだか知らないが特殊な血の子供を攫っているようだ、という裏の世界では良く聞く話だけでも非常に迷惑で勝手な話だとは思うが、まさか特殊な血を持つ人間を研究し、その能力を奪い新しく能力を持つ人間を造りだしている可能性がある、だなんて。
俺達が守るべき大切な人はエルフィだ。それも、緑のエルフィかと思っていたらどうやら違うらしいとデュークが言っていた。アイラはエルフィの中でも珍しい二種のエルフィである確率が高い、と言うのだ。
ルブラに目をつけられたらと思うとぞっとする。心配性のレイシスはきっとそれを心配してここにきたのだ、と思い、なんと言ってこの見た目は大人しいが今現在感情が荒れ狂っているであろう弟を宥めようかと思案している時、ふと俺と同じ顔である筈の弟がその目を潤ませ、普段の淡々とした様子からありえないショックを受けた感情丸出しで俺を見た。
「おい、レイシス……」
「ガイアス。アイラが外にいるんだ」
一瞬いろいろな事が理解できずに思考がふっとんだ。
なんだって? つか今お前アイラって言った? あれほど兄貴みたいに「お嬢様」って呼ぶのに固執してたのに?
じゃない、アイラが外にいるだって!?
「おい、何やってんだはやく迎えにいくぞ!」
冗談じゃない、こんな夜遅くに、また攫われたらどうする!? 今日ルブラが今まで以上に警戒するべき危険であるとわかったばかりだろうが! と珍しく弟を怒りかけた時、弟は俺と同じ顔を真っ赤にして首を振って、違うと叫ぶ。
「フォルと一緒なんだ!」
「はあ? フォル? ……なんだ、また一人で精霊に会いにいったわけじゃなかったか」
思わず立ち上がって窓から飛び出そうとしていた身体から力を抜き、ぐったりと壁に背を預け息を大きく吐く。
まったく、焦らせやがって。……そうだよな、一人なわけないか。あれほど俺、アルにアイラが一人で外に出ないようにしてくれって頼んだしな。
そうか、フォルと用事でもあったのか。……そこまで考えて、目の前で泣きそうになってる弟の異変の理由に気づいた。ってか、俺と同じ顔でその顔はやめてくれよ。
まったく。アイラとフォルが夜に二人きりでいたのを見て、ショックでも受けたのか? ……今更すぎる。ああ、今日の夕方の事が原因か。
夕方、特殊科の授業を終えて、屋敷の皆が飲んでいるお茶の茶葉が一種類切れそうになっているのに気づいたレイシスが買いに行くというので、アイラはグリモワの改良で引きこもったようだし、フォルとラチナにアイラが探していたらすぐ戻ると言ってくれと頼んで、俺も武器の手入れ道具でも買ってこようと外に出た時だ。
学園敷地内の商店ならすぐ近くだしと軽い気持ちで出た俺達だが、非常に気合を入れた様子の女子生徒二人に呼びとめられた。私服だったのでわかりにくいが、侍女科の生徒で見た顔だった気がする。
屋敷を出てすぐの所で呼び止められたが、どうやら彼女達は今から俺達を呼びに屋敷に行こうとしていたところだったらしい。なんだろうと尋ねれば、女子生徒はそれぞれが俺とレイシスの前に立ち、真っ赤な顔で口を開いた。
ガイアスさん、レイシスさんとそれぞれがほぼ同時に俺達の名前を呼ぶ。そして次の言葉は見事に揃って、「好きです! 付き合ってくれませんか!?」というもの。……告白かい!
まさか二人揃って現れて俺達に別々に告白してくるとは。まるで練習してきたように言葉が同じタイミングだったな、と頭をかきながら、まったく知らない相手だしどう断るかなと思っていると、隣にいる弟からはすっぱりと否定の言葉が聞こえた。
「すみません」
丁寧な口調ではあるが、確実に否定の意味である口調で短い言葉を視線も合わせず淡々と言う弟に、レイシスの相手の女子が怯んだ。薄い茶色の髪を肩の辺りでゆるく巻いた、少し釣り目がちだが美人な子だと思う。
その子は、わなわなと唇を戦慄かせると、次の瞬間レイシスにとって爆弾を落とした。
「それは、アイラ様がいらっしゃるからですか? でもお二人は、お付き合いなさってませんよね? アイラ様はフォルセ様につきまと……いえ、フォルセ様と仲がいいと有名ですもの!」
あちゃーと思わず小さく呟く。今の発言は言い直してはいたが明らかにアイラを貶した言い方だ。フォルの友人として合わない、という意味でも困ったものだが、今の流れからしてフォルの恋人としてありえないとかそう言った意味だ。
案の定ぴくりとレイシスが肩を揺らした後、魔力の雰囲気が変わる。侍女科は主を守る為にある程度魔法を学ぶ。つまり、レイシスの今の変化にもしっかりと気がついたようで、今更ながら慌てていた。
あ、あの、と身体を震わせた少女に、レイシスは顔を上げると笑みも忘れて鋭い視線を向けた。
「俺達やお嬢様が誰とどう付き合おうが君達には関係ないよね? 少なくとも、俺は君みたいな人とは付き合いたくはない。帰ってくれない?」
「そんな!」
相変わらずアイラ以外には容赦ない。
目に涙を溜めた少女はしかし、レイシスと目を合わせた後ひっと息を飲んで後ずさりしたかと思うと、走り去った。それを見て戸惑っていたのは、俺に告白してきたもう一人の女の子。
「あー、うん。ごめん、俺も今誰かと付き合うつもりないんだ」
「は、はい、あの、すみませんでした」
困った様子でぺこぺこと何度も頭を下げた少女は、先に走り去った少女の後を追って走りだした。
それを見ながらどうすっかな、と考えていると、無言でレイシスが歩き出したのでそれについていく。後ろを歩いているので表情はわからないが、漂う張り詰めた空気が「怒ってんなー」と思わせる。
まあ、アイラを侮辱されたら確かに腹が立つ。少なくとも、ベルティーニの娘は子爵では飽き足らず王家に連なる者のところに嫁ごうと媚を売っている、というような噂話は聞くが、あのアイラに限ってそれは確実にありえない。
デュークやフォルがアイラを呼んでいても、平気で自分の世界に浸ってお菓子を堪能しているような女性なのだ、俺達の主人は。もちろんそれはそれで、もう少し周りを見ろと注意したくなる光景ではあるが。奥様の前でそんな事をしたら、間違いなく爵位が上の相手に対して最低限の礼儀を忘れるなと怒られるところだ。
だがしかし、レイシスが気にしていたのはどうやら「フォルにつきまとっている」発言では、なかったらしい。
「ガイアス。お嬢様は、フォルが、その……好き、なのだろうか」
「……はあ?」
いったい何の話だと思わず眉を寄せた。あのアイラを見てどうしてそうなった。フォルがアイラを意識しているような発言をしてみせても、完全スルーで口いっぱいにマシュマロを頬張っていたじゃないか。
「アイラはそんなのまだ何も考えてないんじゃないか? フォルは違うだろうけど」
フォルは恐らくアイラを気に入っている。ただ、なんだったか……ルレアスの令嬢だったか? との婚約話が進んでいる、という話もあるが。貴族だから感情に左右されず結婚しなければならないというのもあるのかもしれない。……フォルらしくはない話だが。
だが、フォルはあれ程アイラを気に入っているのにどこか一線を引いている気がするんだよなぁ。付き合っても結婚しないとか、そういった遊び相手としてみているわけではないと思うんだけど……。
そうなったら……うーん、アイラが辛い思いするなら中途半端に近づくなとフォルには釘を刺したほうがいいのかもしれんなーと考えていると、レイシスは無表情で「そうか」と言う。
「フォルは、本気だろうか」
「……だったらお前は応援するの?」
この一言が余計だったのだ、と思う。
あの時は、レイシスはずっと無言で買い物を済ませ、さっさと屋敷に戻ってしまった。まあ、小さい頃から一緒にいて、俺はアイラを妹だと思っているが、レイシスは少し違うかもしれないなーとは思っていた。だが本人がまだそこまで愛や恋といった感じはなかったので様子をみていたが。
これは、気づいちゃったかな?
「で、レイシスはなんでそんな泣きそうなの」
「別に泣きそうなわけじゃない! ただ、なんだか」
なんだか、を繰り返して声が小さくなっていく弟を見ながら、これは重症だとその姿を見守る。
しばらく見ていると、大きく息を吸って吐いてと繰り返していた弟は、これだけ悩んでいたのに「わからないんだ」と呟くように言った。
「アイラが遠くに行ってしまう気がしたんだ。俺の手の届かないところへ。フォルが……フォルなら、と思うのに。もしそうなら応援するのが使用人として、友人として、兄妹としても当然だって思うのに。二人揃って楽しそうにしていると、なんだか喉に何かつっかえているみたいになる」
「ふうん。……フォルだけ?」
「……わからない」
悩むレイシスを見ながら立ち上がり、ちらりとカーテンを寄せて外を見る。と、窓の外に兄貴にそっくりな精霊の姿を見つけてぎょっとした。
『ガイアス。アイラはちゃんと部屋に戻ったから。それだけ、そっちはよろしくね……ああ、フォルセが一人で外に出て従者に会いに行ったのを見てアイラが飛び出したんだ。二人とも大丈夫だから』
兄貴に似た顔で言いたいことだけ言って、ひらひらと手を振ってまた隣のアイラの部屋に戻っていく精霊を見て、ああ、姿現しの魔法を使って知らせてくれたのかとほっとする。って言うか、アイラとフォル二人きりじゃなくてアルもやっぱ一緒にいたんじゃん。弟の目には二人しか入ってなかったのかもしれないが。
しっかしやっぱり、まだ好きだとか恋だとか自覚はしてなかったみたいだ。
アイラが遠くにいく……確かに、アイラが誰かを好きになったら、俺達護衛はどうなるのだろうか。離れるのは、確かに寂しいかもしれない。
実は昔奥様が、アイラがガイアスかレイシスと結婚してくれたら素敵だわ! と目を輝かせてうちの母親と語っているのを見たことはあるが、少なくとも俺にとってアイラは可愛い妹であってそれはないだろうと思っている。……たぶんね。
その日はなんだか一人でもう大丈夫と呟いて俺の部屋を出たレイシスだったが、あの日からレイシスは明らかに調子を崩していた。気がつけばぼーっとしている。テスト前なのにまずいなと思ったら案の定で、あのレイシスが成績を落として周りが気づかないわけがない。本人は周りが見えていないが。
俺は目の前にいる同じく泣きそうなアイラの頭を数回撫でて、笑ってみせる。
「大丈夫。すぐにいつものレイシスに戻るよ。ほら、早く資料持って部屋に戻ろうぜ……夜、雪花の採取の任務があるだろ?」
「うん……反抗期……」
なんだかぶつぶつ呟いているアイラをつれて部屋に戻りながら、アイラには放っておけとは言ったがこのままじゃ任務も危ないよな、と考えていた俺は、部屋に戻って落ち込んだレイシスを見つつも対策を考えたのだった。
青春だねぇ、と親父くさいことを呟きながら。




