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「危険ではありませんか」
レイシスが王子に小さな声で問う。
「ああ、危険だ。だが、これだけの人間が亡くなったというのに弔いをせずに、しかも怪我の治療を終えたばかりの人間が長距離を歩くのは無理だろう」
そういいつつも、王子は眉を寄せて王都の方角へと視線を移した。
いくら治癒魔法を施したとしても、今日の事で大切な家族、友人、仲間を失った村人達の精神的なダメージは大きい筈。そんな彼らに、弔いもせずすぐに離れろといったところで、確かに王都までの道のりは歩けないだろう。治癒魔法は精神的疲労を回復したりしないのだ。
ここから王都は、風歩なら一時間程だ。だが、歩いて、それも子供やご老人がいるとなると、一日かかるかもしれない。そんな道のりを、心残りがあるまま精神的に疲れてしまっている人たちに歩けというのは酷な話だ。
だが、危険と隣り合わせのこの状況でそれを考慮するのも厳しいというのも事実。私達で妥協できるのは騎士が到着するまでであろう。
とにかく、騎士が到着するまでは安全を確保したい。
残りの魔力が少なく感じるが、私はずっと猫の姿で待機しているアルくんを呼んだ。
周囲に怪しい人が現れたら知らせて欲しい、と魔力を渡すと、周辺の精霊に協力を得て必ず異変があれば知らせると約束してくれた。
ほっとして周囲を見回しつつ、王子にそれを伝える。
「悪かった。お前にばかり負担をかけた」
「そんなこと……私は何も出来ませんでした」
いまだに井戸の前から動くことがない先生を見つつ、私は首を振る。
「デューク様」
「なんだ?」
「あの男……エルフィではないですか? 恐らく地精霊の」
あの男、と、フォルに氷漬けにされ、今もなお両手両足、そして口が氷で塞がれ、鎖の蛇で縛り上げられた男を見る。
「ああ……その可能性は高い、が」
王子は一度口を閉ざし、ふらつく私をまだ支えてくれていたガイアスに合図をすると、土の蛇に押さえつけられた闇魔法に操られている女性……村長の娘さんだという人物に鎖の蛇を巻きつける。
「あの男は地属性魔法を無詠唱で使う時、妙な動きをしていただろう。さっき見てみたら男の手の中にこれがあった」
「これは……魔法石、ですか」
王子が手の中に持つ石を、許可を貰って受け取る。大きい、水晶玉のような石だ。私の手の平にのせると少しはみ出すくらいの、玉子のような大きさの少しずっしりした石だ。
既に薄暗くなってしまっている周囲を見回して、村人が灯した火の明かりにその石を透かすように持つ。
「うっすら茶色……魔力が充満してますね」
「ああ、やはり地属性の魔力か。だが、魔力が濃すぎないか?」
王子の疑問を受けて、もう一度光りに透かす事で確認しなおす。確かに、普通の魔法石とは少し違う、極端に言えば宝石というよりガラス球のようなこの石に詰まった魔力を少し不審に思い、くるくると回す。私が茶色に見えるだけで、実際はただの透明。つまり、この中に地の魔力がものすごい量入り込んでいるのだ。
まるでスノードームのように、まわすと中の魔力がゆらゆらと揺れる。
「なんだろう」
首を傾げつつ見ていると、あーっ! と大きな叫び声が聞こえた。びくりと驚きで身体が跳ねたのは私だけだ。
「アルくん?」
叫んだのは猫の姿のアルくんだった。アルくんはぱっと姿を精霊のそれに戻すと、くるくると石の周りを回る。
「どうした」
王子が急に消えたアルくんを探すような動作をして、精霊に戻ったのかと呟くので頷きながらアルくんの言葉を待つ。
アルくんはしばらく石を観察した後、少し怒ったような顔をした。
『アイラ、この石、中に地の精霊が一人閉じ込められてるよ』
そう、私にしか聞こえない精霊の姿のアルくんの言葉を頭で理解した時、私は思わず「ええっ」と叫んだ。
「アイラ?」
「お嬢様、どうされましたか」
顔が青ざめた自覚がある私は、震える唇でぱくぱくとしながらそれを言葉にしようとして、かすれた声を捻りだす。
「精霊がここにいるって、アルくんが」
私の言葉は、聞いていた王子にレイシス、少しはなれた位置で話していたガイアスとフォル、ルセナ、おねえさまにも聞こえたらしく、皆がぴたりと体の動きを止めて私の手の中の石を凝視した。
ひゅうひゅうと冷たい風が吹きつけ始めた中、先にはっと我に返ったらしい王子が、慌てて石を持ち上げる。
「ちょ、おい、閉じ込めてるってことか? なんてことだ!」
くるくると回して中の精霊を出すための出口でも探したのか、しばらく石をくまなく調べていた王子は、薄闇の中ではあとため息を吐いた。
「どうやったか知らんが、これを割って中の精霊が無事という保障もないしな……これは城の研究機関に持っていったほうがよさそうだ」
「アルくん、中の精霊とお話できたりする?」
精霊の姿で私の周囲を飛ぶアルくんに尋ねると、アルくんはゆっくりと首を振る。
この中に声が通らないらしく、魔法も弾かれるらしい。
「助けるなら中の精霊が見える人間が必要だな」
いろいろと考え始めた王子は大事そうに精霊が閉じ込められているらしい石を布に包むと、腰のポーチに仕舞い込む。
「思ってた以上だな、ルブラの酷さは」
ガイアスが傍にやってきて、離れた位置にいる男を見る。
「あれがその裏組織とやらの人間ですの?」
「間違いないでしょう、あの胸の紋章はルブラのものです。剣に巻きついた蛇と、烏の模様は」
レイシスが忌々しそうな視線で男を見ると、フォルとルセナにもっと頑丈に拘束してもらいますと言って離れる。
あれ以上どうするんだ、と思っていたら、フォルとルセナを呼び寄せたレイシスはフォルに相手の耳と、既に閉じていた目までを氷の魔法で塞いでもらい、更にルセナに周囲に壁を作り出してもらっていた。なるほど、あれならどうあがいても全ての魔力を遮断し相手にこちらの情報も一切与えないだろう。いくら拘束用の氷魔法といっても、見ているほうが冷えてぞくぞくしそうな姿ではあるが。
そこまで念を入れるべき相手が傍にいるのはなんだかさらにぞっとするが、私はおねえさまと手を繋いで井戸の前へと移動した。村人を手伝う為だ。
井戸の前では足を失った女の子の母親が一生懸命娘に話しかけていた。無事だった妹の方が悲しそうに俯いてしまっていたので、おねえさまが傍に行って慰めている。
私は、井戸の前で目が覚めたらしいアドリくんと何かを話している先生を見た。アドリくんがまっすぐ先生を見つめているのにほっとして、先生に任せようとそこを離れ、一人になるなよと駆け寄ってきたガイアスと一緒に大慌てで動き回る村人の手伝いをする為に彼らの傍へと歩み寄った。
この国の一般的な埋葬は火葬後だ。
騎士達は大急ぎで来たらしい。二十人程で現れた彼らはすばやく仕事を開始し、壊れた家屋の点検やら亡くなった村人の火葬を始めた。それも、村人の声を限りなく聞ける範囲で聞き、魔法を使い手伝ってくれている。
私達は騎士が到着した時点で先に戻るように指示され、心配していたようで顔色が悪かったいつもの王子の護衛二人とさらにもう二人ジェントリー家の騎士がついて、犯人を護送しつつ戻る事になった。
「連れて行くんですか?」
「ああ」
先生はルセナの質問に短く答え、腕に抱いたアドリくんを抱きなおした。
「先生、風歩で移動するなら風の抵抗と冷えに注意しないと」
「大丈夫だ、防御を自分だけでなくアドリにもかかるように広げる」
先生は、村での弔いが終えた後出発する後発組ではなく、先に王都に戻る私達と一緒にアドリくんを連れて行くらしい。アドリくんは静かに先生の服の胸の辺りを握り締め、俯いて大人しく抱かれている。
王子が、それならと自分の護衛を先頭にし、続いて王子が並ぶ。
道中の安全の為に、私は常に精霊状態で待機しているアルくんから精霊達の情報を得ながらの移動になる。不審な人物の報告を頼むのだ。
必然的に少し無防備な状態で続くので、私の横はがっちりガイアスとレイシスが囲んでいる。
アルくんが、今のところ王都までの道のりに怪しい人はいないという情報を知らせてくれたのを合図に、私達はすっかり暗くなった森の中を、跳んだのだった。
「敵の姿はないみたい」
「こうもあっさり行くとこいつも憐れだな」
王子がまったくそうは思ってない口調で自らが縛り上げている鎖の蛇に絡まれた男を見上げた。もっとも男はとっくの昔にぶんぶんと空中で振り回されていたせいか失神していたようだが。
闇魔法で操られた女の方は鎖の蛇に捕らわれたままいまだに落ち着きなくもがいているが、先に連れて行くと決まった時の村長の悲しげな瞳を思い出すとなんとも申し訳ない気分になる。
「あの組織の人間が情報を持っているこの男が捕まったというのにそのまま放っておいているというのも不気味だけどね」
フォルが、男の姿など一切視界に入れずにそう呟きながら前を見る。既に王都への門が見えてきているここでは、この男を連行するためにだろう、何人かの騎士が門の辺りに集まっているのが見える。
「こいつが捕まっていると気づいていない可能性が高いな」
「そうである事を祈ります」
短い会話を繰り返しながら周囲を警戒する私達は、疲れと不安を誤魔化すように話し続ける。
「そういえば、デューク様。今回の件、私の能力の話はどこまで伝わるのでしょうか」
私は、恐らくそれどころではなかったであろうが村人がいるところで能力を使ってしまっている。一番知られてはまずいルブラは捕まえているので問題ないだろうが、騎士の調査が入るのは間違いない。
能力を使って後悔はしていないが、それで私が狙われるとなれば学園にも迷惑がかかるし、何よりガイアスとレイシスの負担も増える、というか私も嫌だ。
「村人にはアイラだけではなく俺達全員の能力、使った魔法、戦い方全て今後口をしないように既に告げてある。村長を始め全員が絶対に口にしないと約束してくれた。まあ、恐らく村人達は外部の人間に接触する前に『魔力で』口外を禁止するよう指示が出るだろう」
「魔力で……?」
「要は制約だ。それをされると、指定されたことだけができなくなる。魔法でな。記憶を消すこともできるが、そちらは今回の件では成されないだろう。騎士の方も上層部以外は情報が行かない筈だ」
王子の説明を受けて、疑問はわくもののそうですかと口を閉じる。とりあえず、大丈夫そうだというのがわかればよしとする。村人には申し訳ないが、あの時あの場で最速で助ける方法というのは無詠唱で魔法を使うエルフィの能力以外ではなかったであろうから。
問題は山積みだ。捕らえられたらしい地の精霊の救出もそうだが、いったいどうして精霊が捕らえられたのか、闇のエルフィを作り出すとはどういうことなのか、グーラーはなぜ群れて人を襲うようになってしまったのか、まだ、この事件は続くのか、……ルブラとはいったいなんなのか。
私が緑のエルフィであると気づいた時のあの男の高揚した様子を思い出すと、背筋が冷える。あいつらは本当に特殊な血を崇めているのだろうか。私がエルフィだと知った瞬間のあの爛々とした目の男が組織の一部だと考えると、崇めているというよりはいい玩具を得た子供の集団なのではとも思う。
どちらにせよ、ここまで国民が巻き込まれた事件ともなれば、グーラーの調査で国が動くのは間違いない。
無事に王都への入口にたどり着き、王子とフォルが騎士にあの男と操られた女性を引き渡すのを見ながら、私は協力してくれた精霊達にお礼を言いつつ、星が光る空を見上げた。
そこに、確かに不審な『人間』は、いなかったのだ。




