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弾かれたようにアーチボルド先生が駆け出す。
それを、王子が待てと大声でとめた。
「なんだ!」
いらいらとした様子で顔だけ振り返り睨む先生の視線を王子はまっすぐ見つめ返し、一度ぎりっ、と歯を噛んだ。
「これより先は覚悟がある者だけだ! 恐ろしいやつらに関わりたくなければ今すぐ学園へ戻ってくれ!」
怒鳴るように声を荒げる王子の言葉に、先生は僅かに首を傾げ眉を潜めたが、私達生徒はすぐに理解して息を飲んだ。
夏の任務で王子が言っていた覚悟を、今決めろと言っているのだ。この件は非常に危険な何かが、あるのだと。
だが、悩むということはできなかった。今ここで怖気づいて逃げれば、一生後悔するのなんてわかりきった事だ。グーラーに村が襲われている。つまり怪我人がいる可能性が高く、そして私は医療科の生徒である。
ただ迷いがあるとすれば、間違いなく「行く」と私が答えた時点でガイアスとレイシスが選択肢をなくしたといってもいい状態になる事だ。彼らの意思に関係なく、彼らはきっと私が行くと言えばそれに従ってしまうから。
そんな私の一瞬の迷いはガイアスにお見通しだったらしい。彼は私を見て、ぱくぱくと声を出さずに「いくんだろ」と言った。きっと、行く危険より行かなかった時の私の気持ちを尊重してくれているであろう言葉。
「俺は行く」
そんなガイアスが口火を切った。きっと私は、我侭なのだ。
「私も行く」
「俺も行きます」
ガイアスに続いて私、レイシスがすぐに口を開く。王子が意味ありげな視線を向けてきたが、それだけ。きっと、覚悟が決まらない人には聞かせられない内容をこれから語るのだ。
「俺はもちろんだからな」
先生がすぐに続き、フォルも頷く。視線がルセナとおねえさまに向かうと、二人は唇を引き結んだ。
「夏から覚悟しておりますわ」
「僕も」
全員が頷くのに、王子が困ったような、呆れているような、複雑な表情をした。
そして一度目を閉じた。次に目を開けた時、とても真剣な表情に変わっている。
「いいか、グーラーが集団になっている事件に、ルブラが関わっている可能性が高い」
そう、告げたのだ。
「アイラ、精霊に頼んで周辺に村人以外の人間がいるか調べられるか」
「すぐに!」
話を聞いていたアルくんが私から魔力を受け取るとすぐに周囲の精霊にも事情を話し、精霊達は散り散りに飛んでいく。
「ルブラ……くそっ、デュークとアイラは村が近くなったら絶対に能力を使うなよ、フードは深く被れ!」
話をすぐに理解したらしい先生が指示を出し、困惑した表情のおねえさまに特殊な血を狙う裏組織だ、となんとも纏めすぎな説明をする。ルセナは一瞬眉を寄せただけだ。どうやら、知っているらしい。
「あ、ジカルの実は持っていきます! 傷の応急措置に使える!」
精霊の情報は村に戻りながら待とうと走りだした時、衝撃吸収の魔法をかけ終えたジカルの実が詰まった布の袋を置いていこうとしていたのに気づいて叫ぶと、先生がなら俺が持つと手に取った。
ジカルの実は、主な使用方法は滋養強壮ドリンクへの加工であるが、その果汁は殺菌作用があり、どろりとしている為傷に張り付くので傷薬として使えるのである。もっとも、他の薬草を使った傷薬のほうが優秀である為普段そんな使い方をする事はなく、あくまで応急措置だ。
私達の世界は魔法で大抵の病も怪我も治る。それなのにそれよりはるかに治りが遅い傷薬や塗り薬、飲み薬があるのは、やはりその回復魔法というのが難しいせいだ。
もちろんどうしても魔法ではまだ治療法が見つかっていない死の病や大怪我というのも存在するが、傷を癒す魔法があるのに傷薬を用意するのはもちろん、そこにいる治癒魔法の使い手に限りがあるから。
ここに医療科の生徒は三人。先生は大会の時を思い返せば回復魔法を得意としていない様子だったし、王子やガイアスも苦手の筈。ルセナとレイシスはほんの少し使える筈だが、グーラーの退治もある。
軽傷患者は実を使った応急措置で凌ぎ、重症患者につかなければならない可能性を考え、私達はジカルの実を持って移動を開始する。
すぐに精霊が周辺の情報を探り知らせてきた。その内容を復唱するように周囲の仲間に告げる。
「不審な人間がいる。一人! あと村人が一人様子がおかしい、恐らく操作系魔法をかけられてる!」
「その村人もだが、部外者の人間は絶対に逃がすな、ルブラの可能性を考慮しろ!」
「アイラ、ラチナ、フォルセは村人の救出、ルセナは三人のフォロー! レイシスは救護班の援護でガイアスとデュークは俺とその怪しい二人を捕まえるぞ!」
私の告げる情報に王子がすばやく反応して注意を促し、先生が持ち場の指示を出す。王子が先生の指示を聞き終えると、私にもう一度「能力は使うな!」と釘を刺した。
ルセナが私達の気配を敵に悟られないように魔法の膜を張る。私は先生の指示で名前が出なかったアルくんに猫の姿に戻るように頼むと、ガイアスを呼んだ。
「アルくんをそっちに! 相手が逃げるようならアルくんに探索をしてもらって!」
「りょーかい!」
私がエルフィの力を使えなくても彼は精霊だ、周囲の協力を得ることができる。あらかじめ魔力を渡しておき、ガイアスのフォローを頼む。アルくんなら、見た目は完全に猫だ。精霊の力を借りて相手を追いかけてもなんら問題はないだろう。
走りながら作戦を立てた私達が村に近づいたとき、村には煙が上がっていた。
獣の吠える声、みしみしと建物が軋む音。その騒々しい音の中に、聞こえる悲鳴は僅かなものだ。
「行くぞ!」
ばっと村に飛び込んだ私達の目に映ったのは、ほんの数時間前に見た穏やかな村の雰囲気とはまったく違う惨劇。
村の中心にあった井戸が壊され、井戸の屋根が崩れ落ちているせいで水が汲めず、いたるところで燃え上がっている炎を消すすべは魔法しかないようだ。
そしてもちろん、グーラーを追い払う水も、軒下にある分は使いきってしまったらしい。あちこちに空になった水桶が倒れ転がって、土に無残に濡れ跡が残るのみ。
「ぎゃああああっ」
耳を劈くような悲鳴が聞こえ、慌ててそちらに飛び込めばグーラーに足を食いちぎられそうになっている男の姿。
「水の蛇!」
すぐにグーラーに蛇を叩きつけ村人から離し駆け寄れば、男は他にも腹を噛まれかなり危険な状態だ。これではジカルの実なんかでは追いつかない。
すぐさま治癒魔法を唱えるが、あちこちで悲鳴が上がる。
「アイラ! 怪我人を井戸の前に、一気にやる!」
フォルの叫び声が少し離れた位置で聞こえて、私は風の魔法を使う。
「はい!」
返事をしてすぐ怪我をした村人をふわりと風で浮き上がらせ運ぶ。すぐに全身を確認して、ほんの少しの猶予を見てとった私はそのまま飛び出し次のグーラーを叩き潰す。
「子供を助けてぇ!」
悲鳴が聞こえた。咄嗟にそちらに駆け出した私は目を疑う。
足が、おかしな方向に曲がった若い女が、その足を気にしたふうもなく歩きうずくまる別な女性へと手に持った鍬を振り上げていた。
うずくまる女性の腕の中に、小さな少女が二人。
「危ない!!」
私が叫んだが、鍬を持つ女が止まる筈もなくて。
背筋がぞくりとして心臓が掴まれたように苦しくなり、目の前の光景がスローモーションのように映るのに動けなくなる。
動け! 魔法を使え!
脳内でそう命じている筈なのに、前に伸ばされた私の手の先に集まる魔力が上手く纏まらない。
「アイラ!」
名前を呼ばれた。はっとして私はすぐさま女に水をぶつける。
たたらを踏んだ女の前に、私の名前を呼んでくれたガイアスが踏み込み、剣の腹で薙ぎ倒した。すぐさま見覚えのある土の蛇が虫のように蠢く女に絡みつく。
「この女前に操られていた女と同じようなもんだろ!」
ガイアスが言うのは、あの夏の日に森で出会った、グーラーを引き連れ闇魔法に操られた女性の事だろう。頷いて、お礼を言ってうずくまっていた女性に駆け寄る。
「ありがとうございますっ」
涙を流しながら言う女性は全身傷だらけだ。
「歩けますか」
「私は……でも子供が」
言われて覗き込んで驚く。姉妹らしき女の子二人の、体の大きな子の方の左足から下が……見当たらない。
一瞬頭が真っ白に染まり、そしてじわじわと布に水が染み込んでいくように、目に映る赤が白くなった脳内を侵食していく。
これはだめだと一瞬考えてしまったことを後悔しつつ、私はその子を迷うことなく抱き上げる。
「井戸の前にもう一人の子を連れて移動してください!」
そういって抱き上げた子の為に回復呪文の詠唱を開始しながら井戸へと走る。
井戸の前ではルセナが特殊な防御壁を張ってくれたらしく、私や村人がすんなりと壁を通り抜けたのにグーラーが中に入ってこれずに苦戦していた。
いや、違う。ルセナが張ったのは魔力を含む水の膜だ。通り抜ける時一瞬ひやりと肌に何かが触れたし、良く見れば空中に水が揺らいでいる。なるほどこれなら、とルセナに賞賛を送りつつ、女の子の足の止血だけを終えた私は井戸の前へとゆっくりと横たえた。
「お母さん、お子さんとあなた自身の傷口にこの実の果汁を塗ってください」
二個、衝撃吸収の魔法を解除したジカルの実を手渡し、上の子の足以外の応急措置をお願いして、もう一度水の膜を飛び出す。
途中襲ってきたグーラーは、私が水をかける前にレイシスの矢に射落とされる。ほっと安心しつつも周囲を警戒し注意深く村人を探す私の目に映る、恐怖。
「カゼロさん!!」
先生の友達であると紹介されたばかりの彼が、背に息子と女性を庇いつつ剣を振るっていた。しかしその身体はぼろぼろと言ってもいい姿で、ふらついている。
「水の玉!」
チェイサーを呼び出しグーラーを玉を使って吹き飛ばす。だが、ここにやたらとグーラーが多いせいで全てを捌ききるには足りない。
ただの水だけでもと浴びせつけ応戦するが、泣き喚いて母親らしい女性にしがみついているアドリくんは逃げることもできず、女性にいたってはぴくりとも動かない上に、真っ赤に染まった腹部がやたらと危険であると主張する。
恐らくカゼロさんはこの二人を庇いながら戦い負傷してしまったのだろう。そんな私も、三人を庇いつつグーラーを相手にするのに苦戦した。獲物を目の前にした獣は人より機敏だ。詠唱時間が、確保できない!
「お嬢様、ここは俺が!」
飛び込んできたのはレイシスだった。すぐに数匹を魔法で吹き飛ばしたレイシスが短剣を構え、あっと言う間にグーラーを押さえ込んでいく。
その様子を見て、私もグリモワを持ってくるべきだったと後悔した。あれなら詠唱時間がなくてもある程度防御をとれたと言うのに、大会後改良しようとしてそのままになっていたのだ。
「アドリと妻を診てくれ!」
泣き叫ぶような声を出しながらカゼロさんが私を見る。すぐに明らかに重症である女性に駆け寄った私は、はっとして息を飲んだ。魔力が流れていない。つまり。
心臓が動いてない。
自分の血や魔力が全て地面に吸い込まれていくような感覚に陥る。頭に過ぎる一文字を、必死で否定する。
「治療します!」
必死でうつ伏せになっている女性を動かし仰向けにすると、蘇生を試みる為に心臓があるであろう位置に手を当て詠唱しながら魔力を断続的に強く流し込む。
お願いお願いと魔力を流し込むが、私の魔力は拡散するばかりで一向に留まらず、心臓が動く気配がない。
泣き喚くアドリくんがお母さん、お母さんと泣くのに、目覚めない女性。
じわじわと視界が歪んでいく。
おきて、おきてください、アドリくんが呼んでるんです、ねえ!
「フォル。フォルはどこ、ねえフォル助けて!」
一縷の望みを賭けて、私より治癒魔法を得意としているフォルの名を呼ぶ。だが、その時返事をしてくれたのはフォルだけではなかった。
「アイラ逃げろ!」
――アイラ逃げて!
少し離れた位置にいたフォルが駆け寄りながら悲鳴に近い叫び声で私の名前を呼び、そして同時に突然脳内に届く声。思わずにいさま!? と叫んだ私ははっとする。
私に逃げてと叫んだのはフォルとにいさまに良く似た声の持ち主であるアルくんだった。森の向こうから、こちらに猫の姿で飛び出してきたアルくん。その前に、知らない男。
男はところどころ破けたぼろぼろの服を着ていたが、やたらと胸の辺りにある鳥と何かに巻きついた蛇らしい模様が目についた。
「炎の蛇!」
眼鏡をかけた、ひょろりとした男が苦悶の表情を浮かべながら叫ぶ。その魔法はグーラーになんか向かわなくて。
まっすぐカゼロさん家族、レイシス、そして私達へと襲い掛かってくる。
「お嬢様!」
レイシスが珍しく慌てた声を出した。きっと、彼もグーラーの相手で、こちらに迫ってきていた男の存在に気がついていなかったのだろう。
私の前にレイシスが被さるように飛び込んできた。僅かな視界の隙間で同じように妻と息子を守ろうとするカゼロさんの姿が映る。
防御魔法をはらなくちゃ。
混乱する頭でそう考えた時、焼け付くような熱と、私に被さるレイシスの体がどんと押された感覚、そして呻くレイシスの声が耳に届いた。




