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「よし、行くかー」
一度腕をぐるりと回したアーチボルド先生が、風歩を使うためにすっと腰を落とした。
寒さ対策で着ている外套のフードを被るように指示され、なるべく風を避けるために全員が指示に従い被り、落ちないように首元を布で巻いた。
王都の門を出ればそこはだいぶ緑が落ち着いてきていて、冬支度が始まっているんだなと思わせる。まだ雪は降っていないが、近いうちに森は白く染まっているのだろう。
先生が跳んだ。その後ろに続いて風歩を使い、頬に冷たい風を感じる。アルくんは猫ではなく精霊の姿で私と併走しているので、他のメンバーには見えない。
近づいてみたところ、見える範囲に背の高いジカルの木はなさそうだ。もっと深いところにあるのだろう。奥に行けば行くほど、風歩には向かないけれど……と思っていると、先生は東の森の端にたどり着くとそこから少し南へと移動を開始した。
「ここだ」
そう離れていない距離で先生が立ち止まった位置に、森の奥へと続く細い小道があった。誰かがよく通っているのか、そこだけ土がむき出しとなっている。もっとも、けっして歩きやすそうな道ではないのだが。
「この道を道なりまっすぐ進めば、かなり小さいが集落がある。その集落の少し奥にジカルの木があるはずだ」
先生の言葉に少しだけ驚く。人里離れた場所にも集落がある話は聞くが、実際ある場所を知るのは初めてだった。私の地元の近くでは、大きな街や小さくてもある程度開けた土地に村がある程度だったのだ。
どんなところだろうと思いつつ、再び風歩で進む。小道があれば狭くても風歩は使える。これならそこまで遅くならないうちに戻れるだろうと思っていると、遠目にジカルの木が見えた。
まだ実が残っているといいけど、とそちらを目指す。
生い茂る木々の隙間から、小さな家らしきものがいくつか見え出した。あれが集落だろうかと珍しく思い見ていると、周りの皆もそちらを気にしている事に気づいた。ここにいるのは殆どが貴族だ、やはり珍しいのだろう。
「寄っていく」
先生が短く告げ、足をそちらに向けた。私たちがその集落の入口にたどり着いたとき、丁度開けた土地の真ん中辺りで井戸の水を汲んでいた人が驚いたようにこちらを見た。
緑の髪を短く切りそろえた若い男だ。身体ががっしりとしており、腰に剣がぶら下がっている。
その男はこちらを警戒したように見つめつつ、水桶を手放し変わりに剣に手を掛けた。その様子を見て瞬時にガイアスとレイシス、ルセナが同じようにそれぞれの武器を手にしようとしたが、先生がそれを腕を横に伸ばして止め、すぐに自分のフードを下ろした。
「アーチボルド!?」
先生の顔を見た男が目を見開き、剣から手を離して駆け寄る。その様子を見て、私達もほっと肩の力を抜いた。どうやら知り合いらしい。
だが、まだ顔を隠すように被ったフードを外しているのはアーチボルド先生だけで、私達は被ったままだ。前が見にくいから好きではないのだけど、なんとなく周りがはずさないので私もはずしにくい。
王子達は顔を見られないほうがいいかもしれないけれど、私は別に隠す必要もないんだよなぁと考えつつ様子を見ていると、走り寄ってきた男はぱちりと先生と手を合わせた。
「久しぶりだなアーチボルド! お前王都で美味いもん食ってまた太ったんじゃないか!」
「余計なお世話だ。ほら」
「お! 菓子か、ありがとう助かるよ」
先生が腰につけていたぱんぱんに膨らんだ大きめの袋を男に手渡す。外套がやけに膨らんでいたから、なんだろう、またいつもの大きな鞄でも持ってきているのだろうかと不思議に思っていたのだが、どうやらお菓子だったらしい。
中を見た男が一個取り出した可愛らしい包装のクッキーを見て、あ、ベルマカロンだと思わず笑みが浮かぶ。王都にはベルマカロンを真似た菓子屋がいくつかできはじめているのであるが、ベルマカロンは一部を除いてレシピを公開したりしていないのでほぼ市場を独占している状態だ。また、この国にも料理ならレシピ、衣服ならその製法など、独自に作り出したと認定されたものを国に登録すれば自分以外がそれを真似ようとする時許可と金銭がいるという制度がある。
大抵お菓子といえばベルマカロンであるということが常識になりつつあるが、それでも実家のお菓子が手土産として渡されて喜ばれている場面というのは嬉しいものだった。
ちなみにベルマカロンでは数多いお菓子の中で一部のレシピを公開しており、それをアレンジして出店している店のお菓子も実はなかなかおいしい。今度その中でもいくつか日持ちしそうなものをサシャに送る予定だ。
「で、ぞろぞろと引き連れてどうしたんだ?」
男がちらりと後ろにいる私達を見て、先生がそれに「生徒だ」と答えると、男はぎょっとしたような顔をする。
「お前まじで教師やってたのか。うわー、大雑把だろうなー生徒さんお気の毒に。はじめまして、カゼロ・ネイスだ。きみらの先生の同級生ってやつだ」
さわやかに挨拶する男、カゼロさんの言葉で、ついまじまじと二人を見比べてしまう。先生が老けているわけではない、むしろ先生だって見た目が若い方だが、本当に同年代なのだろうか。まるで二十代半ばにも見えるカゼロさんを見つつ、全員が王子を筆頭にフードをおろし、挨拶をしようと口を開いたところでカゼロさんが「あー」と遮る。
「名前だけ聞かせてくれ。失礼かもしれないが、許してくれよ。家名は聞かないほうがいい気がする、特にそこに金髪くん」
「……そうだな、レンだ」
金髪くん、と視線を向けられた王子がほんの少し驚いた様子を見せた後、いつもの不敵な笑みを浮かべてあえてデュークではなくレンだと名乗った。確かに、貴族王族であると宣言しないほうが外では動きやすいし、何か合った時ここの人たちにも危険が少ないだろう。
私達も続けてそれぞれ名前だけ名乗り挨拶を交わすと、満足気に頷いたカゼロさんが先生の肩を叩く。
「で、今日は生徒さん連れてどうしたんだ」
「ジカルの実の採集の依頼だ」
先生が手短に答えたところで納得したカゼロさんが、頷きながらも集落よりも奥を指差す。そこにあるのは紅葉ばかりであるが、特徴的な背の高さでそれがジカルの木であるとすぐにわかった。
「まだあると思うが急いだほうがいい。だんだん実が落ちてるからな」
「おとーさん」
カゼロさんが説明していると、少し離れた所から幼い声が聞こえる。それに続いてわらわらと子供三人が私達のところに駆け出してきた。
「お、お前らアーチボルドが菓子を持ってきてくれたぞ」
「やったー!」
まるで取り合うようにカゼロさんから袋を貰った子供達が、わいわいと中身を確認し始めたところで、緑の髪の男の子がカゼロさんの足をつつく。
「息子のアドリだ。五歳になったばかりでな、いつもアーチボルドの持ってきてくれる菓子を楽しみにしているんだ。この村は子供がこの三人しかいないが、助かってる」
嬉しそうにカゼロさんがアドリくんを抱き上げながら紹介してくれ、「ま、村といってもかなり小さいけどな」と笑った。
確かに見回してみても、同じような平屋の建物が十数件しか建っていないように思う。場所的にも、ここに寄るなら王都にまっすぐ向かうであろう森の中だ。
だが、確かに軒数は少ないが、その軒先には魚が干してあったり水桶が置かれていたり、野菜が並べられていたりと生活感がある。私たちがここで話しているからか、何人か大人たちが作業しながらも顔を出していた。
お菓子の袋を嬉しそうに覗き込んでいる子供二人は女の子で、顔立ちが似ているから姉妹なのかもしれない。
微笑ましく思って見ていると、さて、と先生が森の奥を見た。
「暗くなる前に依頼分は集めたいな、行くか」
先生がカゼロさんから底に柔らかい布が張られたかごを借りる。
ここに来る前に何も持たなくていいと聞いていたのでどうするのかなとは思っていたが、そっか借りるあてがあったのかと納得して私達も小さなかごを受け取る事にする。大きなかごに実を何個も入れては、下にある分が潰れてしまうからだ。
お借りしますと手を伸ばせば、いっぱいあるからどんどん使ってと、カゼロさんは笑みを向けてくれた。
「あ、見つけた」
上を見上げていた私がそう言うと、どこだどこだと皆が集まる。
それほどまでに、ジカルの実は下を見ればたくさんあるが、上にはなかった。当然ながら下に落ちた実は割れ砕けていて使い物にならない。
「俺が」
レイシスが腰を少し落とすと、真上に風歩を使い跳んだ。高く跳んだところで狙いを定め、丁度実の上の方に風の刃を当てたらしいレイシスは、そのまますとんと上手く着地しその手に上から風の力を借りてゆっくりと下りてきた実を手にした。
「上手いなレイシス!」
王子が感嘆の声を上げる。実は、先ほど王子は一個失敗して潰してしまったのだ。当てる風の刃が強すぎて、もぎ取る時に枝にぶつけてしまい潰れたのだが、とても悔しそうだった。ちなみにその前にはルセナとおねえさまも受け取り損ねたり魔力を強く当てすぎたりなどで潰してしまっている。
「依頼の分はあと一個でクリアだが、予備も何個か欲しいな」
ガイアスがみんなのかごを見ながら呟く。その時王子がひゅんっと跳んで、戻ってきた時には綺麗な形のジカルの実を手にしていた。
「これで依頼分は終了だな」
にやりと今度こそ笑みを浮かべて王子が自分の持つかごにそっと実を入れた。時刻は三時半過ぎ、冬が近い今の季節はそろそろ日が落ち始めるだろう。
あ、とアルくんが言う方向を見てみると、もう一つまだ枝にくっついている果実が視線の先にあった。
今度は私が、と手を動かす。私の意思でぐにゃりと上の枝がしなり、ぷっつりと枝から離れた実が葉に包まれ私の手元へとやってくる。
「アイラが一番上手いな」
「慣れてますから」
ふふ、と笑ってかごにいれる。植物を操る技は何も緑のエルフィでなくてもいいのだが、水や風を操るよりはるかに難しいらしい。よって好んで使うというのはやはり緑のエルフィくらいで、だからこそ普段は私もばれないようにとあまり使わないのであるが。
そうして予備にと追加で五個手に入れた私達は、そろそろ戻ろうかと集まる。帰りは実一つ一つに魔法をかけ、一時的に衝撃を受けないようにした。これはやはりというか、ルセナが得意分野で、今回彼が一番実を収穫する事ができずにいたのだがその時ばかりは張り切って魔法を施していく。
「それにしてもここはすごいですわね」
おねえさまが傍にあった葉を数枚摘み取る。
おねえさまが手に取った葉は、すりつぶして湯に溶かし、一度煮込めば化膿止めの薬になる。他にも多数医療科の教科書に載っている植物があるこの場所は薬草の宝庫だった。冬が近いせいか数は少ないが、夏に来れば一儲けできるほど薬草があるだろう。
先生が気になるなら少しだけ貰って行けとオッケーをくれたので私も何種類か、ほんの数枚だが持ってきた小さな鞄に入れている。
結局、最近の王都の精霊達が困っている事態については、ルセナが魔法をかけてくれている間私とガイアス、レイシス、フォルで植物が妙に虫に食われていたりしないか探したり、精霊に聞いてみたりもしたのだが、この辺りはそういった被害がないようだった。
アルくんも少し飛んで範囲を広げて探してくれたが、それらしい被害はこの辺りの精霊たちの間ではないようだと教えてくれる。
ここなら実をつける植物がいっぱいあるのだから、調べられるかなと思ったのに……。やっぱり王都内で調べたほうがいいのだろうか。
ルセナがほぼ果実に魔法をかけ終わったので、さて、と皆が帰り支度を始めようとした時だった。
――アイラ!
精霊の姿でいたアルくんが、叫ぶ。
はっとして顔を上げた私は、傍に淡い光をいくつも見た。今の今まで精霊達の数はそんなに多くはなかったし、木々の隙間をぬって今まさに駆けつけている精霊もいるから、急激にここに精霊が集り始めたのだろう。
「え、何?」
私が周囲を見回して素っ頓狂な声をあげたが、皆は精霊が見えないせいか首を捻った。
だがすぐにアーチボルド先生が「精霊か?」と尋ねてくれる。
しかし私はそれに頷くことができなかった。焦った精霊達が告げた言葉が多すぎて混乱する。一人一人話せばいいのに、精霊達も混乱しているのか一気に何かを話し出したのだ。
だが、アルくんが一際大きな声で叫んだ。私は無意識にそれを繰り返すように叫ぶ。
「村がグーラーに襲われてる!!」




