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精霊達が冬に向けて魔力を貯蓄するようになった。冬支度だ。
この時期の精霊達は自分の植物に無事に冬を越させる為に魔力を多く保持する。やむを得ない事態で魔力を使い、冬越しに心許ない魔力しかない精霊達は緑のエルフィの所へ魔力を分けてもらいにやって来ることがある。
ある、のだが。
「多すぎ……」
いつもの屋敷の窓際で本日七十五人目の精霊に魔力を分けた後、私は思わず息を吐いた。
毎年少しは分けてきていたが、一日でこれほどの精霊に魔力を分け与えた事はない。王都だからだろうか。
聞いて見ると、どうやら今年は随分と虫に植物が食われたらしい。それの回復で魔力を使ってしまった精霊が多いようだ。
「害虫が大量発生してるってことか」
ガイアスが話を聞きながら眉を寄せていた。精霊一人一人に渡す魔力は私から見ればほんの少しの量で済んでいるのではあるが、なにぶん数が多く少しだけ私は疲労していた。
虫が大量発生、というのはさまざまな事情から時折ある話であるので、それ自体は別に不思議ではない。その年の気温で虫が増えたりだとか、どこかで卵がなんの障害もなく大量に孵化してしまったとか、状況によってはありえる話だ。
地元にいた頃も一度だけ虫が大量発生し困った精霊が助けを求めに来て、母と一緒にせっせと魔力を分けた事はあったが、それでもこれほどではなかった。母と二人で分担して魔力を渡していたし、まだ幼かった私では厳しいと母が多く精霊を受け持っていたのかもしれないが。
それに、王都という場所が悪いのかもしれない。さすがに人が住む場所なだけあって、地元に比べれば自然が少なく、植物同士で魔力を分け与えて補うということが出来ずにどうしてもエルフィに頼りがちになってしまうのかもしれない。
人間が自然に手を出すべきではないのかもしれないが、この世界で自然を司る精霊が緑のエルフィに助けを求めて来ている時はなるべく手を貸してあげなさい、というのが母の教えである為に、現在こうしてせっせと力を使っているのであるが。
「王都に他に緑のエルフィはいないのでしょうか……」
レイシスも心配そうにしてくれていて、なんだか申し訳なくなる。
だがしかし、他に緑のエルフィがいるかどうかは私にはわからない。精霊に聞いたところで他のエルフィの情報はさすがに教えてもらえない。逆にただただ申し訳なさそうに頭を下げる精霊にこっちが恐縮してしまう。
仕方ないか、とため息を吐いた時、再び目の前にふわりと淡い光が現れるのだった。
「疲れたー」
思わず呟いて、特殊科の屋敷の椅子にどさりと座り込む。ぐったりと背を背もたれに預けて仰向けになれば、心配そうに覗き込むレイシスと目が合った。
「お嬢様は今日このままこちらでお休みください。俺が引越しの荷物を運びますから」
「お、そうだそうだ休んでおけー、俺らやっとくぞー?」
棚から甘いお菓子を取り出してガイアスがやってくると、私にそれを差し出しながら手を握る。
「だいぶ魔力が少なくなってる。やりすぎだ。今日はもう断ったらどうだ」
「うーん。でも精霊困るだろうし」
「お嬢様が倒れたら意味がありません」
レイシスも私の手を握り、魔力を少し調べたようだ。医療科の生徒でなくても相手が開示する意思があれば魔力がいつもより多いか少ないかくらいは調べる事ができるのだが、この二人は小さい頃からまるで熱を出した子供の額に手を触れて調べるかのように、私の魔力を自然と手を握るだけで感じ取る。
私が拒否をすれば調べる事はできないだろうが、もちろん隠すことなんてしたくなくて、苦笑した。
「甘えようかな」
ぱくりとベルマカロン製のクッキーを口に運びつつ頷く。
今日、私達特殊科の一年生は、寮や自宅から屋敷に移ることになっていた。漸く準備が整ったのだ。
だが今日おねえさまだけがこちらに引っ越してくることが出来ずにいる。なんと、両親は承諾しているのにお兄さんであるフリップ様の反対にあったのだ。
数日前ここの部屋に招かれたフリップ様はそれはもうすごかった。
「駄目だ駄目だ! いくら安全な屋敷であろうと、男がすぐ傍にいるなんて!」
最初は特殊科の屋敷の防御壁を説明され、私と共に寮に行きたいというおねえさまの説得に柔らかい態度を示していたらしいフリップ様は、自分の目で屋敷を見たいと訪れた時意見を正反対に変えた。
どうやら、普通の寮のようにせめて男女が隔たれていると思っていたらしい。
うちの可愛いラチナに何かあったらどうしてくれるんだとアーチボルド先生と王子に詰め寄り真っ向から反対され、おねえさまが最初はいいような事を言ってくれていたのにと怒り混沌とした空間になった。非常に重い空気でした……。
私も何とか説得してみようとしたのだが、王子がやたらと突っかかっていってしまったのでなんとも口が挟める雰囲気ではなかったのである。王子、好きな相手のお兄さんにまでライバル認定してどうする。
「今日はまだおねえさま来てないね」
今この部屋にいないのはおねえさまだけだ。私の言葉で顔を上げた王子が苦々しい顔をしている。……まだ説得できていないらしい。
もうすぐ午後の授業が始まってしまうのにな、と思っていた時、外が少しだけ騒がしい事に気がついた。
「だから! ラチナをあんな男ばかりのところに入れることはできません!」
「だが俺も一緒だぞー?」
「先生だって男でしょう!」
聞き覚えのある声が言い合いをしながら近づいてくるのを聞いて、思わずガイアスとレイシスの二人と顔を見合わせる。
すぐにばたんと開かれた扉から現れたのは、飄々としてフリップ様の話を聞いているアーチボルド先生、綺麗な眉を吊り上げて険しい表情のフリップ先輩、つやつやの唇を少し尖らせて斜め下を見ているおねえさま。
「まだ納得していないのかフリップ」
「おや殿下当然ですよ。可愛い妹が野獣共の巣に放り込まれようとしているのですよ?」
「女子生徒の部屋には本人の意思で強い防御壁が張られるようになっている。ラチナが招かなければアイラですら入れない。問題はない」
「うちの妹は優秀だが騙して入り込む悪い輩がいるかもしれないじゃないか!」
息巻いて王子とぽんぽんと言い合いするフリップ様。うーん、仲いいのかもしれないなあと見ていると、フリップ様の強い眼差しがこちらを見つめてきたので思わず背筋が伸びる。
「アイラちゃん! 君だってこんな野獣の部屋の傍はいやだと思わないのか」
こっちきたー! と思わず心の中で叫びつつ引きつった笑みを浮かべた私は、「うーんと」と意味のない場をつなぐ言葉を発しながら必死に言葉を探す。ちなみに、フリップ先輩が「こんな野獣」呼ばわりして指をさしたのは王子一人である。
そもそも、私は今現在ももっと不特定多数の男女がいる寮住まいだ。ガイアスとレイシスがいてくれるのがわかっているから不安に思ったことはない。
「デューク様も含めて特殊科におねえさまを傷つけるような方はいませんわ。私は彼らを信頼しております」
とりあえず無難な返事をしてみるが、普通に考えてこれで親御さん(この場合はお兄さんだが)が納得するとは思えない……前世なら。この世界は少しこういったことは緩い……いや逆か、紳士は本当に紳士である為に間違いは起きにくいらしいのだが。
そうでなければ男子寮女子寮が完全に別物になっていたであろう。防御壁があるのも大きい。
「しかし……」
私の言葉に何か否定の言葉を言おうと口を開いたフリップ様であるが、それを横にいたアーチボルド先生の「あー」と少し力の抜けた声が止めた。
「いいこと思いついた。部屋は余ってるんだ。フリップがそこまで言うんだったら、お前がラチナの部屋の隣に住んだらどうだ」
「……は?」
突然の提案に全員が目を丸くする。
先生はその様子が目に入ったであろうに特に声の調子を変えることなく何かの書類に目を戻しつつ、のんびりと言葉を続ける。
「丁度いい。どうせ特殊科の二年三年は寮に入りたがらないし、ただでさえリーダーを務める事が多いデュークに負担させるのもどうかと思ってたんだ。フリップが入って寮長やってくれりゃーいいぞ」
「え、僕がですか? え? 僕は特殊科じゃ……」
「この屋敷は登録さえしていれば特殊科メンバーじゃなくても入れる。魔力認知で入る人間を認識するタイプだからな。それにお前なら腕は確かだし特別に。どうだ?」
アーチボルド先生の提案に、漸くフリップ様は考える余地を見出したらしい。うーんと唸りだすフリップ様に、王子は何かを不満気にしていたが、横にいたフォルに口をふさがれもがもがと言葉を飲み込まされていた。
フォル、ぐっじょぶです!
しばらくの思案の後、フリップ様ははあと息を吐いた。ごくりとおねえさまがフリップ様を見上げると、視線を合わせたフリップ様が仕方ないなと呟いて苦笑した。
「僕がラチナの部屋の隣ならそれで認めますよ。いいですよね殿下」
「ふん」
横を向いてまだ何か言いたげな王子の横腹をルセナがつんつんとつつき……あ、王子が崩れ落ちた。
とりあえずこうしてグロリア兄妹も寮に住むことが決定し、準備をする為に二日後に入居することになった二人を除いて私達は今日寮へと引っ越した。
私の部屋の両側はガイアスとレイシスが部屋をとり、おねえさまの隣は宣言通りフリップ様が部屋をとった。
あとは王子とフォルとルセナが近くに固まって、一階の空き部屋にアーチボルド先生が部屋を構え、残りの空いている部屋にそれぞれ使用人が住まう事になる。レミリアも一緒に来る事ができてほっとしつつ、私はアルくんの寝床を部屋に作って満足し外を見た。
「あ……精霊さん」
また現れた精霊に、笑みを浮かべつつ魔力を分け与え話を聞く。
やはり虫にやられたらしい。一度その虫を見たほうがいいのかもしれないが……。
私、虫大っ嫌いなんだよね……!
蝶やトンボは大丈夫。だけどそれ以外は……特に幼虫!
しかもこの世界の幼虫やたらと色鮮やかで更にでかい。さらに模様がなんだかこう……目。目なのだ!
あんなものがうにょうにょうにうににょろーんなんぞ目の前でその身体の柔らかさを主張し始めたら私は発狂する。むりだ、無理なのである!
うう、調べるのいやだな。
そんなことを考えつつ、私は次はどこから片付けようかと部屋を見回したのだった。




