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「ガイアス様とレイシス様のご迷惑も考えたらどうなのかしら!」
「だからあなた達に何か言われるような関係じゃありません。迷惑って、何が迷惑なんですか? あなた達の侍女や護衛も仕事が迷惑だと思っているの? それともその隣の友達と一緒にいるのも迷惑なの?」
秋も深まり、もうすぐ冬かな、と思い始める時期に突入した今日も、元気に侍女科の生徒と話し合いをしつつ過ごす私は、それでも最近ご機嫌だ。
なぜなら相変わらず嫌味は言われるものの、少し前より減ってきた気がするのである。おかげで呼び出し食らう回数も減りました!
向かい合う侍女科の生徒達は、何を言ってもにこにこ言い返していたら逆にいらいらしたらしい。気持ち悪いと吐き捨てて走り去っていった。いやいや、人のうちの使用人をやめさせろって言ってるのにそれが本人達の為だとは失礼だとは思わないのかね。
ふう、と一つ息を吐いて空き教室から出る。本当は一人にならないほうがいいのかもしれないけれど、できれば呼び出しをした人と話はしたい。もしかしたら大会の時みたいにわかってくれる人もいるかもしれないし。まったく見当違いの内容の悪口というのは、そこまでへこまないものだ。
ま、私の口調も若干喧嘩腰で果たしてこれでわかってもらえるかどうかは微妙である。そこは鋭意努力中なので目を瞑ってもらいたい。
さてと、と帰ろうとしたところで、隣の空き教室からもなんだか女子のきゃーきゃーとした声が聞こえた。それはいつものように王子やフォルを見て歓声を上げるようなものではなくて、不穏な雰囲気が漂うもので。
おかしいな、と思いつつちらりと覗けば、そこに最近私がご機嫌である理由の一人である少女が、気の強そうな少女達に囲まれている図が見えた。
「アニー様、あなたご自分の家の爵位がわかっていらっしゃる?」
「フォルセ様は公爵家なのですよ、少し話しかけてもらえたからと、いい気にならないで!」
聞こえてくる内容に、はあとため息を吐く。きつい言葉を吐いている少女達は背中を向けているものの、見覚えのあるその姿は医療科の生徒であると確信する。そして、涙目でその少女達の攻撃を受けているのはそう、アニー様だ。
まったく、この少女達はつい最近まで私を呼び出していたと思うのに、最近こないなと思ったら標的を変えたらしい。
どうしよう、と空き教室の中をもう一度見る。
こういったのは怖いもので、助けたりすると更にきつくあたられたりもするよなあと躊躇っていると、丁度背中を向けている少女達と向かい合っていたアニー様と目が合った。
アニー様は一瞬驚いたように目を見開いた後すぐに少女達にばれないように目を逸らし、だがしかし私にわかるように首を振ってみせる。助けはいらない、という事だろう。
その様子を見て空き教室を覗くのを一旦止め隠れたが、こうなった原因の一つが私のせいでもあるような気がして、その場を離れる事が出来ず様子を伺う。
すると、か細いが、「私は」とまだきゃあきゃあと何かを話していた少女達とは違う、力の入った言葉が聞こえた。
「いい気になっていませんし、立場もわかっております。ですが、アイラ様やラチナ様、フォルセ様たちは友人です。友人とお話するのに爵位は関係ないでしょう?」
非常に震えた、小さな声だ。だがしかし意見をはっきりと口にしたアニー様の言葉に強いな、と思う。そして、確かに私の心が暖かいものに包まれたように感じた。
もちろん、こんなか細い声では火に油を注ぐだけだった。もう一度中を覗いた時、きい、生意気な! と手を振り上げる少女を見て慌てて叫ぶ。
「フォルセ様!」
声色を変えて、なるべくいつもフォルの周りにいる少女達のような声で叫ぶが、ここにフォルがいるわけではない。すぐに隣の空き教室に戻り身を隠せば、フォルが傍にいると思ったのだろう、焦った少女達がきょろきょろとしながらも慌てて部屋を出て走り去っていく。
「アイラ様」
しばらくすると、ひょっこりと泣きそうな表情のままのアニー様が私が逃げ込んだ空き教室に顔を出した。
ほっとして、追い払うことに成功したのだと息を吐く。私相手に文句を言ってくる相手に自分で言い返す事はできるが、こういう誰かを助けるという行動は酷く緊張するものらしく、今だ心臓がどきどきと強く音をたてていた。
ごめんよフォル! いないのに名前使っちゃった!
「大丈夫ですか?」
胸を押さえて固まっていた私を、あまり大丈夫そうではないアニー様が逆に心配してきたので慌てて手を振る。
「大丈夫大丈夫! アニー様こそ」
大丈夫? と続けたかったのだが、その言葉が何か間違っている気がして口を閉ざす。だが、アニー様はにこりと笑って涙を拭い、首を振った。
それは、大丈夫ですよ、といったものなのか、あまり大丈夫じゃないかもしれません、と自嘲した笑みなのか少し判断に難しかったが、続けてありがとうございましたと笑う彼女がなんとか立ち直っているように見えたので、私も笑って立ち上がる。
そう、実はアニー様と最近、よくお話できるようになったのだ。
もともと彼女は範囲を広げて見ればローザリア様を中心とした大グループにいたのだが、個人的に仲良くしている人はいないようだなとは思っていたが、どうやら当たりであったらしくちょっとした事でからかわれたりしているのが、あの大会の後、目についていた。
大会の後から、ではなく、私が視野を狭くしていたせいで気づかなかっただけで、元よりそんな感じだったらしく、おねえさまが眉を顰めていたのは大会直後。
そしてあの試験を終えた後のパーティーで私とフォルと一緒にケーキを選んでいたのが見られていたらしく、短い夏休みを終えた後彼女への風当たりが一気にきつくなった。
女子怖い。
だが、アニー様はそれを理解した上であのパーティーの日私達のところに来ていたらしい。
夏休みを終えた初日の授業で、いつも通り私とおねえさまに聞こえるような悪口を言っていたグループが、さらに追加でアニー様の話も加え、典型的な歩く先で足をひっかけられるといった事をしたりと、思わず私の頭に血が上りかけた時だ。
「このような事はおやめくださいませ!」
はっきりと大きな声でアニー様が主張し、アイラ様もラチナ様もそのような方々ではございません! と叫ぶように言ったのだ。
あの時教室の空気が変わった。
いつも遠巻きに見ていただけの数人が、明らかに悪口を聞こえよがしに話していた令嬢達に非難の眼差しを向けたのだ。
それから、教室内で私達に向けられていたあからさまな悪口や嫌がらせがすっかりと消えたのである。令嬢達は気に入らないらしいが、自分達に向けられる非難の眼差しは耐え切れなかったらしい。
夏休みを終えてから、教室の前の方に男子、後ろの方に大きな女子グループが固まっていたのが、先生が男女グループが混ざるように入れ替えたのも大きかったのだろう。令嬢達は急激に大人しくなったのだ。
さらに、先生が私とおねえさま、フォルが三人で実験をしていた班にアニー様を加えたことで、医療科で共に過ごす時間が格段に増えたのである。
医療科では、先生が先に進んでいいと判断した生徒を別な班に分け、次々新しいものを教える体制である。それは医療科の生徒の中から在学中により優秀な生徒を生み出す為らしいのだが、求められるレベルが厳しく最近私やおねえさまも苦労している。
アニー様は非常に優秀で、今や私達の班になくてはならない存在だ。必然的に話す機会も増えたのであるが、アニー様はとても心優しく穏やかな性格で、話しているとこちらまで和んでしまう素敵女子である。
これが最近私がご機嫌である最大の理由だ。友達嬉しい!
さてさて、そんなこんなで午前の授業を終えた私達は、アニー様と別れいつもの屋敷へとやってきた。
実りの秋、食欲の秋とも言うが、この時期の食べ物は本当においしいと思う。
みずみずしい果物にサツマイモのスープ等、おいしい秋のランチボックスをぺろりと食べ終えた後はつい眠くなってしまうが、そこはぐっと堪えて今日は水の魔法の歴史について書かれた本を開く。
読書の秋、とも言うが、夏休みに読んで以来私は恋愛小説を読んでいない。なんとなく、まだ早いよね! と自己完結したのだ。読んでいるともやもやとしてすっきりしないという理由であるのだが。
そういえば、あの日以来フォルは特にあの『婚約』話に触れる事はなく普通に過ごしていて、結局どうなったのかなどは聞いていない。だが、学園内でそういった話は聞こえてきていないので、たぶん発表などはまだなのだろう。
なんだかフォルがすごく遠く感じたりしたのだが、本人と話すときは努めて普段通りを心がけた。前世の平凡な人生の知識があると、どうにもこの年齢で婚約とか、少し遠い話に聞こえたのだ。
でも、そういう時期なんだよなぁ。
あ、ガイアスとレイシスにも、好きな女の子とかいるんだろうか。私は前世では二次元に恋してた気がするからそっちはまったく役に立たない知識である。
今日の呼び出し相手の言葉に負けるわけではないが、あの二人に好きな女の子が出来たら一緒にいるのを少し控えたりしたほうがいいのかなあなんて考えるも、やはり私にはわからない。
皆より前世の知識分大人かなと思うけれど、こういう時自分が酷く子供であると情けなくなる。記憶があるといっても前世の全てを思い出せるわけでもないし、幼い頃を思い出すと脳は肉体の年齢に沿っていたように思うから、もしかしたら私はただ単に自分で思っている以上に成長できていないのだろうか。
考えてもわからない事に、ふうとため息を吐いて歴史書を読む。
最近特殊科の授業は大魔法の知られざる歴史やその成り立ちなど、いよいよ「これぞ魔法学校!」と言った内容のものが多く、ついていく為に予習復習が欠かせない。
医療科の授業も難易度が上がったために毎日が大忙しだ。それでも、充実していると思えるのだからきっと私は日々を楽しんでいるのだろう。
あの短い夏休みに起きた事件以降、私達特殊科に依頼される任務が簡単な材料収集や、今度こそ普通の獣退治だけだったりするのも穏やかに過ごせる理由の一つである。
依頼で稼いだお金は、屋敷の防御魔法の強化と家具など生活に必要なものを揃える為に使うことになった。
もうすぐ、私達は寮を出てここに移り住むのだ。
わくわくとした感情の中に、皆口に出さないまでも僅かな不安と緊張が含まれているのは知っている。
また夏のあの事件のような任務が依頼されたら……?
今現在なんの情報もない私達は推測することしかできないのであるが。
「あ、アルくん」
部屋の窓から見える位置にいる精霊たちと遊んでくると言って猫の姿のまま外にいたアルくんが、地面へと落ちる落ち葉を追いかけてばさりと山のようになっていた落ち葉に埋もれるのを見て立ち上がる。
大丈夫かな、と見ていると、にゃー! と一鳴きしたアルくんが落ち葉の山から飛び出して、周囲の精霊たちがけたけたと笑うのにつられて笑みが零れる。
こんな穏やかな午後。
私達が知らないところで、確かにゆがみ始めた歯車が音を立てていることを、知る人間はここにはまだいない。
「おい集まれ、屋敷での部屋割りを決めるぞ」
アーチボルド先生がひらひらと紙を揺らしながら部屋に入ってくると、皆がわいわいと騒ぎながら集まる。
ふと、窓の外を見る。
ひらりひらりとまるで桜の花びらのように散っていくのは色とりどりの枯れ葉で、残された枝には何も残されていない。
「アイラ」
いつもの声に呼ばれて振り向けば、フォルが穏やかな笑みを浮かべていた。
「うん、今行くよ」
笑って返した時、何かを感じた気がしたがそれを追求することもなく。
私は、盛り上がる部屋決めの輪の中へと飛び込んだのだった。




