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「よし、アルくん、行こうか」

 準備を終えてアルくんを抱き上げ、お茶を淹れてくれたレミリアにお礼を言って立ち上がる。

「行ってらっしゃいませ」

 微笑んだレミリアに手を振って部屋を出る。

 今日は学園自体はお休みなので、薄青色の可愛らしいワンピースだ。

 といってもドレスと言うにはごてごてしていないし生地が柔らかいが、前世でいうワンピースかと言われると襟ぐりが少し開いているしレースが重ねられていてスカートもふわりとしているせいかドレスに近い。この世界での下級貴族の普段着としてよく着られているタイプの服だ。

 私が今着ているのは袖が垂れ袖になっていて、ウエストの部分はリボンで締めているが全体的にドレスほど身体にぴたりと合わせたデザインではないので涼しい。

 スカートが長いのだけが気になるが、この世界では仕方がないだろう。制服とかミニスカートにしてほしいくらいなのだが、さすがにそれはこの世界では破廉恥という言葉が当てはまりそうで言えない。夏にロングスカートは結構地獄である。

「お嬢様、ガイアスが人数分食事を買い出ししてきてますので、直接屋敷に向かいましょう」

「え、そうなの?」

 レイシスに促されて外に出ると、ガイアスがワゴンに人数分、いつものランチボックスを載せて待機していた。

「ありがとうガイアス」

「いいのいいの、昨日精霊拳でデュークに負けたから買い出し担当」

 けらけらと笑うガイアスにそうなんだと笑みを返して、ワゴンを転がし始めたガイアスに続いてレイシスと歩き始める。

 今日も暑い。照りつける日差しを避けるように日陰を歩きながら、水魔法で身体の周りを冷やしたとき、ふと以前フォルと同じようにこの道を歩いた事を思い出す。

 来年は僕とも一緒に見に行こうと、桜を見に行く約束をした。

 今更ながらなんとなく頬が熱くなる。

 うーん、違う、と思うのだけど、でも。

 一度気になりだすと、どうにもちょっとしたきっかけで考えるようになってしまう。こんなのは初めてで、そうであると決まったわけではないのに気になってしょうがない。

 おねえさまのばか。

 まるでフォルが私を特別だと思ってくれているようなことを言うから、落ち着けない。

 私は非常に恋愛経験値というものが少ないと思う。前世は身体が弱くてそれどころじゃなかったし、今この世界ではサフィルにいさまに恋をしていたのだと気づいた時には遅くて、持て余した感情を必死にベルマカロンと勉強に向けてきたから。

 たまにこっそり母の秘蔵の本棚の恋愛小説を捲ってみたりしたことはあったが、なんだか酷くいけないことをしている気分になり集中して読んだことがない。

 ……図書館に行ったら恋愛小説の本とかも置いているのかな。今まで辞典とか植物図鑑ばかり借りていたから見たことはなかったけれど、淑女科の生徒が奥の方で楽しそうに恋愛小説の新刊が出たという話をしているのを聞いた事がある。

「……ま、お嬢様?」

 ひょいと顔をレイシスに覗き込まれて、驚いて「わっ」と声を出して立ち止まる。

「すみませんお嬢様。あの、大丈夫ですか、お顔が赤いようですけど、暑いですか?」

「え、いや、うん暑い暑い。今日も暑いよねー!」

 こくこくと頷いて言えば、レイシスが私の腕に触れる。抱いていたアルくんをレイシスが片腕で抱き上げると、空いている手で手をつながれた。

「水魔法はかけているのですね、すぐに涼しくなると思いますが、早く屋敷に向かいましょうか」

 にこりと微笑むレイシスにもう一度こくこくと頷いて、手を引かれて歩く。

 うーん、レイシスやガイアスなら、小さな頃から触れ合うのが当たり前だったから平気なんだけどなあ。

 後でおねえさまと図書館に行って見ようかな。お薦め教えてもらおう。



「お、集まってるな」

 王子とフォルが部屋に入って来て、これで特殊科は全員。揃ったところですぐにワゴンに移動し、全員の昼食をテーブルにのせていく。

 椅子に座ったフォルの前に出したとき、ありがとう、と笑顔を向けてくれて、少しだけ緊張したもののいつも通りできた、と思う。

 それはそうだ。別に告白されたわけでもないし、私がしたわけでもない。そもそも私はフォルに特別な感情なんて抱いていなかったわけで……と脳内でごちゃごちゃ考えながら、自分の分を持って椅子に座る。

 とりあえず食べるか、と王子が言ったので、ランチボックスを開けて見る。学園自体はお休みだが、寮の生徒もいるので食堂に休みはない。だが、いつもより少し余裕があるせいなのか、今日のランチボックスはほんの少し豪華な気がした。

 おいしそうな焼き色のパンの間に、しゃきしゃきのレタスと甘辛いソースたっぷりの鶏肉。まるで四角いハンバーガーだ。それに、揚げたポテトと海老。スープは冷たく冷やしたかぼちゃのスープで、ほんのり甘い。それに、カットしたオレンジ入り。

 アルくんはソファの上で伸びている。精霊である彼は、気まぐれに何かを口にすることがあるが基本は殆ど食事を取らない。

「美味いな」

 舌が肥えているであろう王子とフォルも絶賛のランチボックスはあっという間になくなり、先に食べ終わったレイシスとルセナが全員分のお茶を淹れてくれる。

 なんとなく最初は気にしていたが、ここではお茶は手が空いた人が淹れるというのが普通になってきていて、一度王子のお茶を飲んだ時はその渋さにみんなで笑ったりしたものだ。

 その時の顔を赤くして拗ねた王子は面白かった……というのは、口にすると王子が怒ってしまうので、極稀におねえさまとの会話に出る程度だ。


「さて、昨日の件だが」

 王子がお茶を一口飲んだ後そう切り出すと、全員が姿勢を正す。食事は和やかに進んだが、皆気にしていたには変わりないのだ。

「やはり今回捕まえたあの女は前回の任務……ラチナとルセナは参加していないからわからなかったと思うが、巻き込まれたと思っていた被害者のマリアと言う名の女で間違いなかった」

 そう言うと、フォルが前いなかったおねえさまとルセナに前回の状況を説明してくれる。

 聞き終えたおねえさまとルセナは辛そうな表情で周囲を見回した。おねえさまが痛む胸を押さえるようにしていて、王子が少し気まずい様子だ。

「お前達にきつい任務を持ってきたのは俺だ。悪かった。どうしてもアイラに頼みたかったんだが……アイラ、大丈夫か?」

 確認するように視線を向けられて、頷く。もとより覚悟はできている。

 王子が、これから話す事は俺にとってもアイラにとっても重要な事だ、危険な秘密だが聞く覚悟はあるか、と前置きした。

 おねえさまとルセナは、ほぼ即答で「大丈夫」と返す。

「それは、私とルセナ以外は知っている事なのでしょう?」

「正確に言えば、俺の事に関してはアイラとフォルしか知らないみたいだが」

 王子が付け加えた言葉がわからなくて、首を傾げる。私とフォルしか知らないというのはなんだろう。

 王子はそんな私に苦笑して、じゃ、話すぞ、と全員を見回す。

「まず、大体気づいていたかもしれないが、アイラと俺はエルフィだ」

「え?」

 驚いた様子で目を丸くしたのはガイアス一人。それに気づいたガイアスは、「え、なんで俺だけなんだよ!」と更に慌てる。

 それをとりあえず落ち着け、と隣に座るレイシスが宥めるのを見ながら、ああそうかと頷く。私とフォルしか知らない、と言うのは、王子がエルフィだという事だろう。確証を得たわけではなかったが、私はそれについては精霊が「光のエルフィ」と言った時点でそうではないのかという予想をたてていた。

 おねえさまやルセナ、レイシスは昨日の状況で予測していたのかもしれない。ガイアスは、素直に驚いたようだけど。

「だから昨日デュークの魔力であの精霊は力を貸してくれたのか!?」

「いや、あれは確実に植物の精霊だ。俺は緑のエルフィではなく光のエルフィだから、昨日はたまたま精霊が気が向いたから知っている事を教えてくれただけだろう」

「光のエルフィ……」 

 ガイアスが呆然と、そっかエルフィなんだと呟いて背もたれに背を預けた。


 それから王子が軽く私が緑のエルフィであること、だが緑のエルフィは見えない筈の魔力の属性の色が見えること、それで闇魔法が使われているか知りたくて依頼を頼んだのだ、といった内容を説明する。

「闇魔法使いというのは、なかなかいないと聞いたのですけれど」

 話を聞き終えたおねえさまが頬に手をそえ首を傾げた。その様子を見て、ああ、と目を伏せる。

 フォルの事は、きっと王子しか知らないのだ。

 先ほどからフォルが少し元気がない様子なのは、私と王子がさわりだけでも秘密を明かしたのに自分だけ言わない事を気にしているのかもしれない、と考えて、首を振る。そこは私が踏み込んでいい領域ではない。

 あの時。

 私が色に気づいてしまい、闇魔法を使うのだとフォルが認めた時。彼も王子も、話す事に積極的ではなかった。だから私は、フォルが闇を使うという事以外何も知らない。

 王子が光のエルフィなら、もしかしてフォルは闇のエルフィなのだろうか、とふと考えたが、それこそ考えてもわからないことだった。

 王子は、自らの光のエルフィの事についても、緑のエルフィと同様に色が見えないエルフィである、ということ以外は言えないと濁した。

「おねえちゃんは緑のエルフィで、同時に色が見えるっていう他のエルフィでもある……? 何のエルフィなんだろう、なんか、難しくてわからなくなってきちゃった」

 ルセナがうーんと頭を押さえて唸った。そういわれても、そういえば私なんのエルフィなんだろ、という間抜けな言葉しか口にできない。

「植物の精霊以外見えてないのか?」

「うーん、というより、他の精霊なんて意識したことがなかったから、見えてても見分けがついてないかもしれない」

 そっか、とガイアスが呟くように言い、天を仰いだ。つられて何人かが背もたれに背を預け、天上を見る。


 フォルが、「それで」と、しんとした室内の、何をどこまで声に出していいのかわからないような雰囲気を変える。

「昨日の女性は闇魔法に操られていた。だけど、それについては極秘という事になったんだ。……闇魔法は、必要以上に人を怖がらせるから」

 フォルがそういうと、再び部屋がしんと静まる。

 かちゃんと、王子がカップをおろし、ふうと息を吐いた。

「結局、前回も今回も操られた被害者は捕まえることができたが、犯人はわからずじまいだ。しかも二つの事件が繋がっているのかもわからん」

「繋がっている、と考えたくはなりますね」

 レイシスの言葉に頷く。だが、王子とフォルが話してくれる以上の情報を聞いてもいいものなのか悩む。

 聞きたいけど聞けないのではなく、聞いたら戻れないような気がして。


 結局、王子が「また任務が特殊科に届けば行う。それまでに受けるか決めろ」と言ってこの話は終わり、私達は各々勉強でもしようかと席を立つ。

 特に誰も不満を言う事無く席を離れるところを見ると、皆これ以上聞くことにまだ迷いがあるのかもしれなかった。すっきりはしないが、王子があれ以上話さないのは、これ以上関わるべきか考えろ、と言っている気がしたから。


「おねえさま」

 屋敷内の図書室に本を取りに行く、と離れたおねえさまを追って声をかければ、何かしらと笑みを浮かべながら止まってくれるおねえさまに、周囲を確認しながら小さな声で話しかける。

「あの、お薦めの恋愛小説の本とか、ありますか?」

「あら」

 おねえさまが少し驚いたような顔をする。その後すぐ、ふふ、と楽しそうに笑った。

「なら、ここの屋敷の小さな図書室なんかじゃなくて、学園の図書館にでも行きましょうか。男性陣にはあとで迎えに来てもらいましょ」

 そう言ってすぐ元来た道を戻り始めたおねえさまの後ろに続いて歩き、部屋にいるガイアスとレイシスに伝えたがすぐに渋られた。

 苦笑したおねえさまが、図書館についたら別行動しましょう、と話していると、フォルとルセナも調べ物があると言う。

「行って来い、アルは俺が見てる」

 王子がひらひらと手を振るので、お願いして部屋を出る。

 図書館は少し遠くて、ここから十分くらい歩かなければならない。全員ゆったりとした足取りで、たわいない雑談をしながら歩いていると、後ろを歩いていたフォルに名前を呼ばれて振り返った。

「なあに、フォル」

 何の意識もせず返事をしたが、その銀の瞳を見た瞬間に頬に触れられたことを思い出してしまい、急に顔が熱くなった気がした。

 やばい、なんで今!

 そんなことを思いつつ少し気まずくて目を逸らすと、フォルが名前を呼びながら覗き込んできた。

「っぁ」

 小さくひっくりかえった声が出て、顔が羞恥でさらに染まるのがわかる。これは、困った。触れられていないのに、頬に手が触れた時の感触まで思い出した気がする。

 私の照れが伝染したのか、え、と困惑した声を出しながらフォルまで顔が赤く染まるのを見て、二人でおろおろとする。

 みんなの後ろを歩いていてよかった。そんな事を思いながら、身体を適度に冷やしていた筈の水魔法の効き具合なんて確かめつつ、夕方が近くなった為に涼しい風が吹き始めた空の下を歩く。

 困った、妙に意識するな。でも、私別にフォルの事好きなわけじゃ、ないよね?

 正直恋愛小説に興味はあるけれど、実際に恋愛したいのかと言われると微妙だ。私の今の目標は、あくまでものし上がって……復讐、することかな。

 サフィルにいさまがあんなことになったそもそもの制度を変えて、同じような事が起きないように。そんな制度のうえで胡坐をかいている貴族達に、復讐。


 でもそんなこと考えてる私は、恋には向いていないきがする。サフィルにいさま。私の恋はあの時で止まってしまったから、わかりません。どうしたらいいかな。


「それで、アイラ」

「ああ、うんなあに?」

 フォルが手で少し暑そうに顔を扇いでから、もう一度と口を開く。

「今度少し二人で話す時間あるかな」

「え?」

 向けられた視線が真剣で、そしてどこか心配そうで。今度は変に緊張したりすることがなく、逆にこちらが心配になる。

「色の事?」

 小さく、とても小さな声で尋ねれば、フォルがこくりと頷く。

 わかった。そう返事をしたとき、妙な視線を感じた。

 慌てて顔を上げるが、レイシスは特に何かに気づいた様子もなく普通に歩いている。レイシスが感じなかったのなら、大丈夫か……?

 少し不思議に思いつつ隣でどうしたのかと尋ねるフォルになんでもないと首を振って歩き出す。


 気のせいか。そう思い直して、私は到着した図書館でおねえさまと奥の小説の棚へと移動したのだ。


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