79
「いいか、グーラーは水で対応できるが、人間が傍にいるかもしれん。十分に警戒し、絶対に一人になるな。最低三人以上で行動しろ」
王子がすばやく指示を出し、まだ視界に入っていないグーラーを警戒する。
気配を探るが、人の気配はない。まだ横で姿現しをしたままの精霊に、今もいろいろな属性を感じるのか聞いて見れば、答えは否と返ってくる。
「グーラーは今現在も確実に群れているが、この時点で魔力はないのか」
操られているのだろうかという線は消えたかもしれない、と王子が目を凝らす。
が、次の瞬間精霊の言葉で私達は息を飲む。
「あら。属性はごちゃごちゃしてないけど、人間は一人いるわ。闇魔法使い。これ以上の情報は有料ね」
誰もが息を飲み、言葉を発せずに闇を見つめた。だが、呆然としている暇はない。
「みんなしっかりしないと。闇魔法は操作、精神攻撃が多い。一発も食らわないように」
誰よりも早く立ち直ったのは、ルセナだった。
「防御魔法で防げないものもある。そうなる前に相手を封じ込めなきゃ」
続けて私達を見て告げられた言葉にはっとして頷いて、王子を見る。
「依頼は獣の討伐よね、人間の方はどうするの」
「当然、捕まえる。……と言いたいところだが、闇が関わっているとわかった時点で切り上げるべきかもしれない。だが」
「敵は一人。闇魔法使いは今逃すわけにいかない」
フォルがじっと王子を見つめたまま言うと、王子が少しの間目を閉じて頷いた。
「グーラーは撃退、闇魔法使いは捕まえる」
「はい!」
グーラーの群れと思わしき気配は森の少し奥からまだ動いている気配がない。ふと悩む。私ならグーラーたちの様子を探ることができるのだが。情報は有料らしいし。
もう、覚悟を決めるべきかもしれない。エルフィであることを特殊科の仲間達に話すことを。
「デューク様、どうしますか」
この場で作戦を立て指揮するのはいつも通り王子だろう。王子は私をちらりと見たあと、少し考えるように目を伏せる。
「いいか、全員絶対に一人になるな。アイラはレイシスと、ラチナは俺と必ずセットで動いて後方支援。ルセナは状況を見ながら防御魔法中心で、ガイアスは前を任せる。フォルはガイアスにつきフォローしろ」
「了解!」
王子は剣が得意だが全体指揮だ。前に出るわけにいかない。フォルは少々後衛向きだが、氷系は前衛としても優秀なのでいい布陣だろう。
情報が少なすぎるのが難点だ。王子は最後まで迷っていたようだが、覚悟を決めた様子で私を見た。それだけで、私には伝わる。同時に私も覚悟を決め、もしもの時には私の能力を使って戦うことを決める。ここは森だ、私が一番強くなれる場所なのだから。
「もう一度俺の魔力で情報は得られるのか」
「残念、さっきは私がもともと知っている事だったからいいけど、本来の精霊の力を使うのには緑のエルフィの魔力じゃないと無理だよ」
王子の質問に精霊が首を振る。そして、時間切れ、と言って微笑んだ彼女の身体が淡い光に包まれ消え、すぐに私だけ認識できるようになる。姿現しの魔法が切れたのだろう。
精霊が私にだけ、何かあれば力を使えと声をかけてくる。それに頷いて、私達は王子を見た。
「……動かないな。待って討たれるより攻める。行くぞ!」
王子が合図した瞬間に、ルセナが何かの膜を周囲に張った。恐らくこちらの気配を薄くするものだろう。
ガイアスとフォルが風歩で前に飛び出す。その後ろを王子とおねえさまが、そしてその後ろをレイシスと私、ルセナと並び進む。
こちらが視界に捉える前に、恐らく音を耳にしたグーラーに気づかれたのだろう。前方が僅かにざわめく。
「人間の位置捉えました」
レイシスが報告を飛ばす。すぐに私も探知することができた。だが。
「来るぞ!」
グーラーの群れが現れ一斉に私達に襲い掛かる。私はすぐさま水を呼び出し前方で弾けさせた。
「行くぜ!」
ガイアスが剣を抜いて踏み込み、怯んでいたグーラー達を切り捨てる。すぐに氷の剣を生み出したフォルが後に続き、悲鳴にも似た鳴き声をあげてグーラー達が地面に落ちる。
躊躇ってなんていられない。グーラーたちは既に三人殺しているのだ。
「水の蛇!」
「水の玉!」
おねえさまが蛇を呼び出し、私はチェーサーで木の隙間から飛び出すグーラーを倒して行く。この辺りは森の入り口付近より木が密集しているせいか、あちこちから襲い来るグーラーを相手にするのは非常に集中力を使う。
ルセナは防御盾をそれぞれ個人に張り巡らせ、レイシスは人間を警戒しているようだ。その鋭い視線の先に人影を捉え、王子が叫ぶ。
「いたぞ!」
「おう!」
グーラーの相手をしていたガイアスが返事をすると一気にグーラーをなぎ倒す。
「水の蛇!」
残ったグーラーたちを一気に水の蛇で押しやり、私達はすぐに奥へ逃げようとしていた人間を追った。木が邪魔で走りにくく、思わず眉が寄る。
「氷の矢!」
フォルが魔法の矢を放ち、狙いを違わず細い氷の矢が相手の片足に突き刺さった。が、刺された相手は長い茶色の髪を振り乱しなお木々の間を縫うように逃げ惑う。
「げ、なんであれで走れるんだよ!」
氷の矢は間違いなく右ふくらはぎに突き刺さっている。しかも氷の矢だ、刺さったところから冷えて肌がじわじわと氷に覆われ始めているのに、しっかりと右足を踏み出し地に着けて走る姿にぞっとする。
何か、変じゃないか!?
後ろ姿だが、体型を見るに女ではないだろうか。破けた服を着ている上に外套を羽織っているのでどのような服装かわかりにくいが、布が破れているせいで見えるほっそりとした白い足に氷の矢が刺さっているのは、凍り付いているせいで流れ落ちない血のせいもあるのかまるで人形のようだ。
皆走って追うものの、木が多すぎて風歩には不向きだ。異様に速い敵を捕まえるのに苦戦する。
「ラチナ! あいつを重力で止めれないのか!」
「無理ですわ! 私の重力魔法の発動条件を満たしていませんもの!」
走りながら前から聞こえる会話に、どうすべきか悩む。私なら周囲の草や木の根を使って一発であいつを止められるのだが。
自然と手が動きかけた時、隣から伸びた手に腕を握られ止められる。
まだ、とレイシスの口が動き、私はぐっと唇を引き詠唱しようとした魔力を霧散させる。
代わりにレイシスが背から弓矢を取り、構えるとひゅっとそれを放つ。
続けて放たれた矢は女の右足太もも、左の二の腕を射抜く。
「よし!」
正確なレイシスの矢に誰かが賛辞を送った。だが、目の前の異常な光景にみんなが言葉に詰まったのがわかる。
女は、まだ変わりなく走っていたのだ。
「ありえませんわ!」
お姉さまが悲鳴に近い声を上げる。そう、ありえない。痛覚がまともにあって、私達と同じ構造の人間ならあんなに傷を負わされて普通に走れるわけがないのだ。
こんなのおかしい。そう思った時、前から感じる重苦しい魔力にはっとする。
「闇魔法が来る!!」
咄嗟に叫ぶ。覚えがある、洞窟に迷い込んだような暗い暗い魔力。全員がはっとした様子で足を止め、レイシスが防御壁を張り、ルセナがさらに重ねて厚い壁を作り上げる。
だが、精神的に害を及ぼすものが多いのだ。物理や魔法防御では防げない事が多い。どうするのだと悩んだとき、ふわっと明るい魔力を感じる。
「光の加護よ!」
王子が叫んだ。ひゅっと音がして、周囲にレイシスとルセナが張り巡らせた魔法の壁に、五角形の形をした光が張り付くとくるくると回りだす。
光の魔法を見るのは初めてで、襲い来る闇魔法に足が竦んでいたというのにどこかほっとする。
ごうっと音がして、周囲を闇が支配した。だが傍にいたレイシスと手を握り合い、急に視界を奪われた恐怖に耐える。
「みんな大丈夫か!」
王子の声がやたらと防御の壁の中に響く。くるりくるりと周囲を光りながら回る五角形がなければ互いの位置も確認できなかったかもしれない。
暗闇に浮かぶのは、私達の姿と五角形の光だけ。
「ルセナとレイシスの防御壁に光の属性を付与した。闇魔法はこれ以上中にこれないし、他の攻撃魔法も物理攻撃も二人の防御壁が破られるか解けるまでは大丈夫だ。動くなよ」
なるほど、あれは光属性を付与する魔法か。
闇属性は、水や炎などの光属性以外を飲み込む。相性が悪いのだ。対抗するには光魔法か闇を上回る魔力がいるが、ここに光魔法の使い手がいる事にほっとした。例外として無属性魔法は闇に飲まれにくいが、そもそも無属性魔法というのは特殊だ、なんて考えていると、ルセナが大丈夫、と口にした。
「僕が唱えた防御壁は無属性。デュークの光の付与があるから絶対破られない」
「……どうりで王が俺達に行けといったわけだ。ルセナも無属性の使い手か」
ぶつぶつと呟くように言いながら王子が感心した眼差しをルセナに向ける。
「それにしてもどうする、逃げられるぞ」
ガイアスが困ったように壁の外の真っ暗闇を見つめている。どうやら気配は察知できているらしいが、遠ざかっているようだ。
逃げられる。ここまできて、目の前で逃げられるなんて。
「どうやら視界を塞ぐような魔法のようですわね。恐らくそれで恐怖を煽る類の」
「デューク、これ突破できないの?」
フォルがじっと闇を見つめたまま問う。王子はゆっくり首を振った。
「使われている魔力が異常だ、多すぎる。それこそただ暗闇に人を閉じ込める魔法にしては見合ってないほどの魔力を練りこんである。できなくはないが俺は今防御壁の内側にいるから、外のこいつを破るには一旦解除することになるぞ」
「一瞬で済むのならやるしかないんじゃないか」
ガイアスが苦渋の決断と言った様子で口にした言葉にごくりと唾を飲み込んだ。要は、一時無防備な状態になった瞬間に王子が闇を打ち破り外にでようと言っているのだから。
「ちっ、それしかないか。このままここにいるわけにいかないしな。皆、鎧魔法を纏え」
「了解」
それぞれが各々に鎧魔法を施すのを確認して、王子がおねえさまに手を伸ばした。
「握ってろ。全員手をつないでおけ、闇で見失うなよ」
「はい!」
おねえさまがわたしにも手を伸ばし、私と手をつないでいたレイシスがルセナと、ルセナがガイアスに手を伸ばし最後にフォルが繋がる。
「行くぞ!」
王子の合図でレイシスとルセナが壁を解いた。ぐわっと闇が襲いかかり、音も光も何も見えなくなる。完全な、闇。
視界は覚悟していたが、音までなくなった恐怖に一瞬頭が混乱した。ただ両手のぬくもりだけ安心を伝えてくれる中、急激に白く世界が染まる。
「出たぞ! みんな目を塞げ!」
突然聞こえた王子の声に慌てて目を閉じたが、既に急激な明かりのせいか目がちかちかとして立ち眩む。
すぐに周囲に防御の壁が張りなおされたのを感じる。恐らく視界がやられているこの一瞬を狙われない為に、ルセナが張りなおしたのだろう。
「見失った!」
もう視界が復活したのかガイアスの叫ぶ声。慌てて目を開けて、霞む視界の中で私は覚悟を決めた。
「精霊よ!」
魔力を吹き上がらせた時、森がざわめく。
私の力を得た精霊が私の意のままに森を駆け巡り、やがてそう遠くはなかった距離でまだ不自然な姿で逃げ惑う女を見つけた事を知らせてくれる。
「見つけた! さっき逃げていた方向にひたすらまっすぐ!」
聞き終える前に私の視線の先を見たガイアスが飛び出し木々の間を走り抜け、それに全員が続く。
だが、相手は足に矢が突き刺さっていても走るのだ。また同じ事を繰り返すのではと思ったが、今度はガイアスが叫ぶような大声で大地の魔法を唱えあげた。
「地の蛇!」
その瞬間、走る女の足元が大きく崩れた。めりめりと螺旋状に浮き上がった大地が女の身体を縛り上げる。
「捕まえた!」
漸く動きを止めた女に近寄る。
振り乱された髪があちらこちらにひっかかり、服は破れひどい状態だとは思ったが、良く見るとむき出しの足だけではなく腕も細かな傷だらけだった。
こんなところになぜこんな姿で、と思いつつ、身体をくねらせて土の蛇から逃げようともがく女の前に回って顔を見上げた私は、一瞬の戸惑いの後、息を飲んだ。
「この人……」
「なんだ、知り合いかアイラ!」
王子が哀れむような目で見ていた女から視線を外し、私を見る。私はそれにゆっくりと首を振る。知り合いという関係ではない。だが、知っている。
女はこの月明かりの下の薄闇の中でもわかるほど白い肌をしていた。目の焦点が合っていない。ぞっとする程生気がなくまるで本当に人形であるが、茶色だと思った髪は元は綺麗なゆるく巻かれた金の髪だったのではないだろうか。
あの時必死に彼女の目が開くことを祈って治療したのだ。あの貴族の男を心配して飛び込んできた時の表情は印象深いし、自信はないがたぶんあの女性だと思うと、目を伏せた。
「この人……前の任務で、戦闘中に部屋に飛び込んできて大怪我したあの女性じゃ」
必死に口を動かし、伝える。
この人が操られているもしくは異常な状態であるのは目に見えて明らかだ。
あんな事件に巻き込まれて、あんな大怪我をして、漸く繋ぎとめたはずの命がなぜこんなことに。
「……間違いない、確かに僕が治療したあの人だ」
フォルの肯定の言葉に項垂れる。なぜ。なぜこの女性はこんなところに。
「……その、この人は魔法使いですの?」
おねえさまが少し青い顔で尋ねる。
「娼婦だった。事件の後騎士が話を聞いたが、魔法は得意ではなかったようだし検査の結果も魔力は非常に低い値を示していた筈だ」
私とフォルの言葉で思い出したらしい王子が付け加えた言葉は、この状況が異常なのだと示すだけで、混乱を深めた。
私達は目の前に突きつけられた状況に混乱していた。そして、女にしか注意を向けていなかったのだろう。
――危ない!!
突然聞こえた精霊の声にはっとして顔を上げる。右斜め前にいる王子の背後に黒い影。
咄嗟に手を伸ばし王子を突き飛ばす。先ほど逃したのか、グーラーが私に襲い掛かるのがまるでスローモーションのように目に映る。
大きく開いた口、赤い舌に白い歯が私を噛み千切ろうとするように向けられる。
喰われる。
そう思った瞬間に、私は強い衝撃と左に痛いくらいの熱さを感じ、強く目を閉じた。




