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「アイラは好きなやつはいるのか?」

 もぐもぐと、ガイアスから聞いたサシャの一押しケーキを頬張っている時に王子にかけられた一声で、私の喉を咀嚼する前のスポンジが滑り落ちていき思わず苦しさでどんどんと胸を叩いた。

 なんてことするんだ王子! 食べ物はしっかり噛んで味を楽しんでから飲み込まないと消化が大変なんだぞ! きちんと噛まないと脳が食べ過ぎた事に気づくのが遅れて太っちゃうんだからな!

「十分食べ過ぎだと思うけどな」

 人の脳内の台詞に返事をするんでない、と、私の皿に目を向けて言う王子を睨めば声に出てるといわれた。え、嘘、そんなばかな。

 皆食べるのに夢中でよかった。私の発言を聞いたのは王子だけだろう、ならいいやと、再びケーキを口に運ぶ。

「で、いるのか?」

「なんですか、急に」

 今度はゆっくりきちんとケーキを味わいつつ、王子を見上げる。王子、また背が伸びたんじゃないか。まったく、みんな私よりだんだん背が高くなっていくんだから。

 それにしてもこのケーキおいしい。甘いのにくどくなくて、使ってるクリームの香りがいい。バタークリームみたいだけど少し違うし、サシャがまた新しいクリームを作ったのかも。あの子はお菓子の女神かもしれない。

「……お前は色気より食い気か」

「失礼な! 好きな人いますよ」

 私が言い返すと、王子はまるで意外なものを見るような目で見下ろしてきた。本当に非常に失礼だ!

「え、ちょ、誰だ? ガイアス? レイシス? フォル?」

 次々に名前を挙げだす王子だが、王子は知らないのではないだろうか。いや、もしかしたら知っている? 王家がどこまで把握しているかは知らないけど。

「違う。いないんです」

「いない? いるのかいないのか、どっちなんだ」

 呆れた声で眉を寄せる王子。だが、いないものはいないのだ。いるけれど、いない。

「いなくなったんです、小さい頃」

 そこまで言うと、王子は何かを察したらしい。口を噤み、しばらくすると「そうか」と呟くように言った。

 私の初めての恋は、気づく前に終わっていたのだから。

「デューク様こそ、いるんですか?」

 なんとなく、聞かれたなら聞いてみようと口にしただけなのだが、「ああ、いる」とあっさりした答えに、私は今度こそ気管にスポンジのかけらが入ったのか盛大に咽た。

「え、いる、いるんですか、それってすごい大ニュースじゃ」

 呼吸を急ぎ整えて思わず王子を見上げれば、王子はいつもの笑みでそうだなと言い切った。

 王子は恐らく世継ぎだ。王子が好きな相手って非常に未来の王妃になる可能性が高いんじゃ? 婚約者とか決まってなかった筈だし、貴族のお偉いさん方がすっごい関心高い内容じゃないか。

「ちょ、こんなところで言わないでください!」

「聞いたのはお前だろ」

「誰かに聞かれたらどうするんですか!」

 思わず周囲の魔法やら視線やらを気にしたが、王子はにやりと笑うと「俺がそんなへまをすると思うか」と言い切った。あ、はい、そうですか……。

 にしてもこの王子様に好きな人……相手は大変そうだなぁ、かなり強引にいきそうな気がする。いつも不敵に笑って……とそこまで考えた時、ふと最近表情を崩していた王子を思い出した。あれはたしか……

「えっ、え!?」

 一瞬王子を見たあと慌てて少し離れた位置でガイアスとフォルの二人と談笑していたおねえさまを見る。まさか、まさか! と視線を王子に戻すが、王子はふっと口の端をあげた。

「お前にしては察しが早くて助かる。あいつは無理しすぎるから、アイラも何か気づいたら教えてくれ」

「お前にしてはって余計ですよ! 無理しすぎるって、……確認しますけど相手フォルとかじゃなくてですよね」

 とりあえず先ほど視界に入ったのはおねえさま一人ではないので、混乱しつつも確認を取ると王子の目がつり上がった気がした。ひいっ。

「馬鹿か! お前は俺をなんだと思ってるんだ、ったく。……ほら、あいつが医療科でどうしているかはわからないし、どうしても特殊科は目立つからな。おまえとあいつは常に見張られているようなものだ。だから気をつけろよ、アイラも。お前が何か隠してもおかしいと思ったらすぐにフォルに密告しといてやる。だからこっちにも知らせろ」 

 なんでフォル! 確かに医療科にいるのは彼だけだが、ガイアスにしてください。レイシスとフォルは怒ると怖いので!

 それにその条件なんか平等じゃないですよね!

 しかし王子の頼みを少し理解して、私達がどうしても言われる立場であることを考える。王子が、「万人に好かれる人間はいない」と言い切った。それを王子が言うのは非常に重い。

「わかりましたわ。おねえさまに何か辛いことがありそうでしたらお知らせします」

 たぶんね、と心の中で付け足して王子を見ると、王子は笑った。

「そうやって言うとお前もちゃんとお嬢様に見えるな」

「……余計なお世話です」

 最近言葉が前世の口調に近くなっている自覚はあるのだ。うーん、ちょっと母をイメージして話すようにしたほうがいいかも。

 最後までからかって王子が離れていくと、レイシスとルセナが入れ替わるように傍にくる。

「おねえちゃん、これもおいしいよ」

 ルセナが差し出してきたのは真っ白で丸いお菓子。差し出されるままに口に入れるとふわりとやわらかく甘い。マシュマロか!

 マシュマロはベルマカロンでかなり初期から販売しているせいか、既に結構定番のお菓子として広まっている。ふわふわで可愛くて人気なんだよね。

 そのままでもおいしいマシュマロは実は食べ方がいろいろあるが、焼いたら実はすごくおいしい。すぐ焦げちゃうしちょっと難しいんだけど。あと、ココアやコーヒーに入れるとか? でも私コーヒーって飲めないんだよな。苦いし。

 そういえば俗説だろうが、マシュマロの感触は唇に似ているとか。キスした感じはこうなのかとやってみた人は絶対にいる筈だ。ふと思い立って、私はルセナにお皿に分けてもらったマシュマロを一つつまむと、レイシスの唇にちょんと当ててみた。

 びっくりした様子でマシュマロを受け止めたレイシスだが、私がどうぞと声をかけると素直に口にマシュマロを入れた。ルセナがじっと見つめてくるのでルセナの皿を見ると、どうやらなくなってしまったらしいのでルセナにも同じように唇につける。

 二人が飲み込んだのを確認して、私は悪戯心が表情に出ている自覚をしつつにっと口角を上げる。

「二人とも、マシュマロは唇の感触って知ってた?」

「は?」

「え?」

 きょとんとした表情の二人が、次の瞬間顔を赤く染めた。

 おうおう、二人とも顔がゆでたこである。王子と話していたせいでいじわるがうつってしまったのか、気分はいたずらっ子だ。二人とも、可愛いのう!

「アイラ、二人に何を言ったの?」

 飲み物を人数分持ってきてくれたらしいフォルが、手渡しながらレイシスとルセナの二人を見る。二人はさっと顔をお互い背け、冷たいジュースを飲み干した。何かありますと言っているようなものである。

「なんでもないー! しいていうならデューク様の真似」

「ちょっとデュークのところに行って来ます」

 顔をほんのり赤くしたままレイシスがさっと踵を返した。なんとなく王子に詰め寄るレイシスが思い浮かんだが、まあいいだろう、王子だし。

「おねえちゃん、さっきのほんと?」

「うーん、そういうの聞いた事はあるけれど。あ、今のキャッチコピーに売り出したら売り上げあがりそうだね! あとでカーネリアンに教えておかなくちゃ」

「カーネリアンって弟さんだったっけ? アイラは相変わらずだね」

 くすくすとフォルが笑うので、フォルにもマシュマロ攻撃をお見舞いしておく。

 きょとんとしているフォルに、ルセナが「キスの感触なんだって」とささやけば、フォルの頬がほんのり赤く染まる。にやりとルセナと一緒に顔を見合わせて笑うと、次の瞬間微笑みの吹雪ブリザードが訪れた。

 ふぅん? とやけにいい笑顔で言うフォルを背に私とルセナが逃げたのは言うまでもない。



「あの、アイラ様!」

 フォルから逃げた先でガイアスと話していると、男性二人に女性一人の三人組が傍に来ていた。

 なんだろう、と顔を上げると、次々と自己紹介していく彼らは、兵科と侍女科の生徒らしい。

「俺達、実家がベルマカロンの手伝いをしてるんです! お世話になっております! もっと早くにと思っていたのですが御挨拶が遅れて申し訳ございません」

 ふえ、と間抜けな声を出しながら首を傾げる。ベルマカロンの手伝い……ああ。そういえば皆の家名、聞いた事あるな。

「ベルマカロンの店舗をお任せしたお宅ね?」

 ベルマカロンは新店舗を他の領地に建てる時に、なるべく土地感が強く家族の人数が多い人を雇うようにしているらしい。父の案だが、お菓子は家族誰が食べても食べやすいものを、という考えからだ。老若男女揃った家族は特に理想である。

 そうするとやはり、生活に困っていた家庭も多く感謝の手紙が届くことがあると父が言っていたが、表に出ていない私にまで感謝をされるのは初めてだ。

「気にしないでください。皆さんのお力のおかげでベルマカロンは今日もこうして新作をたくさん生み出すことができているんですわ。そうそう、リラマ様、あなたのおうちの店舗からの新作案で企画担当者が非常に喜んでいたと思うわ、こちらこそ、いつもありがとう」

 サシャからの手紙を思い出しつつ言えば、侍女科らしいリラマと名乗った少女が頬を染め、そして目に涙を溜めだした。え! また? 今日可愛い女の子の謝罪と涙が多すぎやしませんか!

「もっと早くご挨拶にくるべきでした。俺達変に周りなんて気にして」

 じわっと同じく目に涙を溜める少年はまだ幼い。私と同じくらいではないか。

 すると横にいるガイアスが、ま、仕方ないよなと笑う。

「俺達変な噂だけで何十種類もありそうだしな。最近なんて特殊科のメンバーは天から落ちた雷で体質が変わっちまったんじゃないかとか聞いたぜ俺」

「え、なにそれ」

 さすがにそんな噂は初耳である。雷に打たれたら痛いどころの話じゃないと思うんだが、どういう根拠で出された噂だそれは。

「他にも、大きな龍に乗って降り立った異世界人に身体を改造されたとか」

「神に特別な力を貰った神の子説もありますね、ありえないと思うんですが」

 集まった男女達からも噂の一部を聞かされ、思わず口がぽかんと開いた。若干最後の一説だけはひっかかるところがあるのがなんともいえない。

 しばらくあっさりと会話を弾ませてくれるガイアスに引っ張られる形で挨拶に来た男女のグループと話した私達は、最後もこちらが恐縮するくらい謝罪をされつつ解散した。

「特殊科の噂にびっくりなんだけど」

「まあ、面白半分の噂ばっかりだけどな。しかも大抵王子とフォルは別扱いだし。でも」

 こうして話かけてくれる人が増えたのはいいな、とガイアスは笑う。それに、うん、と頷いて。

 確かにこうしていても遠巻きに蔑むような視線を送られているのには気づいているが、私達を大して知らない人間に向けられるそれまで気にしていても仕方がない。

 むしろ、その状況であってもアニー様や先ほどの子達のように話しかけてくれる人が出てきたというのは、非常に大きなことだ。

「頑張ったからかな、大会」

「そうだな、俺も大会のことで何度か知らないやつに話しかけられたし」

 今更ながら、人の繋がりというのは大事なものだと、ベルマカロンを立ち上げた当初母に言われた事を思い出す。それで地域の商店などと連携してお菓子を作ったり包装に力を入れたりしていた頃が懐かしい。

 初心にかえって行動する。よし、しばらくはこれを目標にしようと心に留めて意気込む。

 こうして私は、開始前より充実した気持ちでパーティーを過ごしたのだ。




「ただいま帰りました、お父様、お母様!」

「おかえり、アイラ、ガイアス、レイシス」

 昼に王都にあるベルティーニの店に戻れば、両親が暖かく出迎えてくれた。今日はガイアス、レイシスと共に外泊届けを出してこちらに泊まる予定だ。カーネリアンとサシャがまた仕事で夕方まで戻らないのが少し寂しい。

 慰労会という名のパーティーも無事に終え、今日から数日は学園もお休みである。夏休みがこの学園に存在しないのは残念だが、三年で知識を詰め込むのだからそんなものなのかもしれない。

 ちなみに紳士科と淑女科は休みが多く、今日から一月程の長い休暇になる。もっとも、社交界デビューの準備やら実際親の挨拶についていったりやらで忙しいらしく紳士科淑女科はこの時期が一番大変らしい。

 私達を部屋に促した両親はさっそく食事にしようとゼフェルおじさんと準備を始めてくれる。リミおばさんは今回は領地でお留守番らしく、使用人も極少数しか連れてきていないらしいが、その代わり社員さんは王都で仕事すべく二十人程連れて来ているようで、宿にいるらしい。

 使用人が少ないのならばと私も母と共に料理を運び、テーブルに一通り揃ったところで食事の挨拶をする。

 家族とこうして食べるのは久しぶりで、なんだか嬉しくてついテンション高く学園の話をすれば、ガイアスとレイシスもいつもより声が高いのに気づく。今は父に誘われてゼフェルおじさんも同じ食卓についているので、そのせいかもしれない。

 楽しくて食べ終えても会話は止まらない。今は母が淹れてくれたお茶を飲みながら話しているのだが、このお茶もまた懐かしい。子爵位を賜ってからというもの、母の淹れたお茶を飲む機会もぐっと減ってしまったからかもしれない。


「そういえば、特殊科で任務もあったんだって?」

 ふと父が思い出したように言う内容は、決して軽いものではない。表情が少し真剣だ。

「特殊科に入ったと聞いた時点で覚悟はしていたが、なかなか心配は消えないものだ」

「あら当たり前ですわ。慣れることではありませんもの」

 父と母の会話に、首を傾げる。まるで知っていることを話しているようだ。

「特殊科で任務があるのはご存知でしたの、お父様、お母様」

「あらもちろんよ。私の時代は特殊科という括りはなかったけれど、特別任務はありましたもの」

 ……うん? 特別任務。そうか、特殊科が出来たのは割と最近だけど昔から特殊科がやっていたような任務はあったと。だけど、あれ?

「……あら? アイラ、私が王都の学園出身だと、話したことはなかったかしら? お父様は違うけど、ゼフェルもそうよ」

 きょとんと首を傾げる母を、呆然と見る。

 なんだって!? 聞いてない!

「お、おおかあさまの母校でしたの!? しかもゼフェルおじさんも? き、聞いていません!」

「あらー、じゃあ忘れていたのね。それに特殊科の任務はデラクエルを通してこちらにも伝わってきていたのよ」

 筒抜け!? 筒抜けなんですかお母様!

 驚きで口が開いたままの私にお母様はあっけらかんと、さすがに学園での様子はわからないわよと笑う。

 どうやら学園に依頼された特殊科の任務は全てデラクエルで把握しているらしい。なるほど、と頷く。

「それで、アイラ」

 今度は父が先ほどよりも真剣な表情で私を見るので、思わず背筋が伸びた。なんだろう、と身構えていると、父は知らない単語を口にする。

「ガイアスとレイシスには注意してもらっていたんだが。アイラも、『ルブラ』をそろそろ知っておかないといけない」

「るぶら?」

 私がその単語を繰り返すと、横にいたガイアスとレイシスの身体がぴくりと動き、真剣な表情で父を見つめているのに気づく。

 母とゼフェルおじさんも、口を引き結びとても真剣な雰囲気で、知らないのは私だけかと戸惑って父を見る。

 父がゆっくりと私に話し出すルブラという存在。それは、決して楽しい話ではなかった。


マシュマロは焼いたらおいしいですが、火がつきやすく危険なのでおすすめはしません。みなさんどうやって焼いているんだろう、パンにのせてトースターだろうか…

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