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「お嬢様、ドレスはどれにいたしましょう!」

「……げ」


 思わずここに母がいたら角が生えただろう言葉を吐き、私は思いっきり顔を顰めた。急に飲んでいたミルクたっぷりの紅茶が苦くなった気もする。

 すっかり、忘れていた。今日の夜に大変面倒な催しがあったことを。



 昨日は優勝者の表彰を終えて大会が(無事ではないが)終了し、アーチボルド先生と王子の騎士と共に一度座席の防御石を確認した後、漸く寮に戻ってきた時にはすっかり日も落ちていた。

 疲れきっていた私達はそのまま食事を終えてすぐ解散し、ぐっすりと眠ったおかげで疲れも取れすっきりとした朝を迎えて部屋でお茶を味わっていたのだが。

「ドレス……」

 今日の午前に紳士科と淑女科のテストを終えれば、全科全学年夏のテストを終えたことになる。そして慰労会という名のパーティーを夜に行うのだが、自由参加にしてくれればいいものをしっかりと学園行事としているので、サボるというのはよろしくない。

 はっきり言って面倒くさい。出たくない。慰労会に出たほうが疲れる気がする。

 とは思うのだが、仕方ない。ため息を吐くと、苦笑したレミリアがこちらの二着はどうでしょうか、と見せてくれる。

「こちらの青いドレスか、こちらの白いドレスでしたらあまりお身体を締め付ける事もないと思いますわ。見た目よりだいぶ着心地がいいそうです」

 ベルティーニの新作ですよ、とにこりと微笑むレミリアの用意したドレスはやはりいつも通り素晴らしい。

 涼しげな青と、白いドレスはどちらも半袖で、ゆるくリボンの編み上げが施されているので生地がゆったりとしている。

 ベルティーニは今年の夏のドレスはゆったりとしたデザインを推奨していた気がする。きっと母の案だろう、さすがですお母様。

 でも、綺麗なドレスを見てもわくわくする気持ちがまったくわかない。うーん、全校生徒がホールに集まってお食事会だ。絶対あまりよろしくない事がおこりそうな気がしてならない。

「どっちの方が涼しいかなぁ」

「それでしたらこちらの青色でしょうか。生地も軽くて薄手ですし」

 青、と言っても、上の方が限りなく白に近い、グラデーションで下の方が色が濃くなっていて、可愛いというより綺麗なドレスだ。こういった綺麗系のドレスというのはあまり着た事はないのだが、レミリアがきっとお似合いですとにこにこと推してきている。

 その表情があまりにも楽しそうで、私はついつられて笑顔になった。

「じゃあ、それにしようかな。よろしくね」

「はい!」

 にこにこと残りのドレスを片付け始めたレミリアを見ながら、少し冷めたお茶を飲む。

 貴族のお嬢様によっては午前から念入りにパーティーの準備をする人もいるらしいが、私はそんな行く前に疲れるようなことは殆どしない。夕方からで十分だろう。

 さて、それまで何しようかな、と思っていると、ぴょんと膝にアルくんが載ってきた。ふと、思いつく。

「お散歩しよっか」

 公園にでも行って少し落ち着いた時間が欲しい。さて、ガイアスとレイシスのどちらか、時間あるかな。



 今日はほんの少し風が出ているせいか、いつもより過ごしやすい日だなと思いながら日陰を選んでを歩く。

 声をかけると二人とも快くついていく、と言ってくれたので、私の両隣にはいつものようにガイアスとレイシスがいるのだが、二人も風が気持ちいいと外の空気を楽しんでいるようだ。よかった、一人で出るのはとめられるし、でも二人に無理させるわけにもいかないしと少し心配したのだ。

 ガイアスの腕の中には、目を閉じて気持ちよさそうな顔をしているアルくん。

 目的地は公園だ。噴水の近くで木陰があれば涼しいかもしれない。そんなことを話しながら歩く道中、ぱらぱらと同じように日陰で休んだりしている生徒達とすれ違ったのだが、なんというか……注目を浴びていた。

 公園に着いた頃には「やっぱり部屋にいたほうがよかったかな」と思ってしまうのは仕方ないと思う。ここまで注目を浴びるのは昨日の試合のせいだろうか。どういった意味の視線なのだろう。

 ふう、と少し息を吐いて、たどり着いた木陰に三人と一匹で入る。噴水がきらきらと太陽の光で輝いていて、思わず見蕩れた。少し冷えた空気が肌に触れて気持ちがいい。公園の中に人はあまりおらず、ガイアスがきてよかったじゃんと笑うので、そうだねと笑みを返す。


「なんだかいろいろあったよなぁ」

 ガイアスがそういうと、レイシスがそっと顔を伏せた。

 レイシスは昨日から言葉少なだ。レイシスとフォルは引き分けたが、両者敗北として扱われ上に駒を進めることができなかった。それでも十分すごい位置までいったと思うのだけど、やはり悔しいのかもしれない。

 対し私は完璧に負けという結果だったので、もう今回を活かして修行を頑張ろうと立ち直っている。先生に励まされたおかげかもしれない。

 だが、やはり問題は王子の試合に外部からの攻撃があったことだろう。王様に話を通す、とか騎士がいっていたが、どうなるのだろうか。もう、私達のようなたかが学園の生徒には経過の説明なんてないのかもしれないが。


 水の流れる音を聞いていると、気持ちいい。目を閉じてそれを聞きながら、ポケットからサフィルにいさまに貰った桜の石を取り出し、握る。

「にゃあ」

 突然聞こえたアルくんの声に目を開けると、彼はじっと私の手の中を見ていた。ふにょ、とアルくんの手が私の手の甲にのせられたあと、走り出す。

「アルくん!」

 どこに行くのかと慌てて後を追うと、アルくんはあの一本しかない桜の木の下にたどり着くとゆっくりとそこに座り込む。

 そういえばアルくんとはここで会ったんだ、と思った時、追ってきたガイアスとレイシスがほぼ同時に「あ」と声をあげた。


「フォル」


 え? と振り返ると、噴水の傍にフォルが立っていた。フォルはこちらにゆっくりと進んでくると、やあと声をかけてからアルくんを見る。

「元気そうだね、アルも」

 にゃあと返事をするアルくんを何度か撫でたフォルは、すぐにガイアスとレイシスに怒られる。

「フォル、一人で出歩くなよ」

「大丈夫だよ、慣れているし」

 そういう問題ではないような、と思いつつ、なんとなく気まずくて声を出せずにいると、フォルと目が合う。

 フォルは今日は逸らす事無く私を見つめると、ゆっくりと昨日はごめんね、と口にした。

「少し悔しくなっちゃって。僕もアイラに付き添ってもらいたかったな」

「え?」

「フォル?」

 私とレイシスが困惑した表情を浮かべると、フォルはいつものように柔らかい笑みを浮かべてふふっと笑うと、ガイアスに向き直る。

「僕もレイシスに話して賭けに混ぜてもらったのだけど、三人とも同じだね」

「あー、そういえばそうだな、三人とも四回戦敗退かぁ」

「賭け? そういえばガイアスとレイシスはなにか賭けをしていたみたいだけど、フォルもなの?」

 尋ねれば、にやりと笑ったガイアスがそうだけど、秘密、と言う。

 む、ずるいと口を尖らせれば、三人揃って笑い出す。フォルにもう昨日のあの話しかけづらい雰囲気がない事を探りつつ、アルくんを抱き上げると、違和感を感じる。

「ん……? アルくん、なんか魔力増えた?」

 抱き上げた感じが少し違う気がして声をかける。少し魔力量が増えているのだとすぐに気がついたが、なぜ、と首を傾げたところで、はっとする。その時穏やかに訪れた風が、さあっと桜の葉を揺らした。

「アルくん、この桜の精霊……?」

 半信半疑で問いかける。植物の精霊は、自分の植物から魔力を分けてもらうのだ。そうすることで植物は足りなくなった分また魔力を溜める作業に入り、少し活性化するらしい。そして魔力を貰った精霊は、その魔力で植物を守ったりもする。

 にゃあ、とまるで同意するように頷くような動作で声を上げるアルくんを見て、驚く。どうりで、春に見た時桜に精霊がいなかったわけだ。

「自分の拠り所をもう見つけていたんだ、気づかなかった。桜の傍にいなくていいの?」

 思わず驚いて尋ねれば、こくこくとまた頷くアルくん。猫が頷いているのは不思議な動作にも見えるが、中身が精霊なのだからこれで意思疎通できてしまう。

「……アルは随分自由な精霊だな」

 ガイアスがじっと見つめると、なぜか威張るように胸を張ったアルくんを見て笑う。

 レイシスもフォルもくすくすと笑っていて、私は漸く肩の力を抜いた。フォルとまた話せる、と。これで大丈夫、と。



 甘かったと気づいたのは、夜になってから。



「だーれが一番、せいれいけん!」

 レミリアに綺麗に髪を結い上げてもらい、レミリアおすすめのドレスに身を包んで、母から贈られたアクセサリーもつけて準備を終え部屋を出たところで、迎えに来ていたフォルと合流した時、三人の揃った声があがる。誰が一番、精霊拳、だ。

 ガイアスの上向きに開かれた手のひらの上に小さな炎、レイシスの手のひらの上にも炎、そしてフォルの手のひらの上にはシャボン玉のようなものがふわふわと浮かんでいて、ガイアスとレイシスがああー! と叫んだ。なんだか小さい頃を思い出す。

 ガイアス達がやっていたのは、この世界のじゃんけんだ。魔力がある子が練習がてら遊ぶもので、火より水が強くて、水より風が強くて、風より火が強いという設定。本当に風が水より強いかどうかなんて魔力の大きさによると思うのだが、子供はまずこれで魔法の練習をしたりする。

 ちなみに三人は、賭けが引き分けだったから勝負はこれで、とやりだしたのだ。今の様子を見ていると、勝者はフォルのようだけど。

 結局なにを賭けていたのかは教えてもらうことなく、パーティーに向かうために部屋を出ようとすると、フォルが私の手をそっと引いた。

「似合ってる」

 それだけささやくように言うと、ガイアス達の後ろについて玄関を出て行くフォルを呆然と見送って、慌てて追う。

 綺麗なドレスだから、私は母に似て背が低いし童顔だし似合わないかも、と心配していたのだけど、今の一言で気分が上を向いたのがわかる。口元に笑みが浮かんで、少し熱い。心臓もどきどきとした。

 嬉しい。いつかおねえさまみたいに綺麗なドレスを着こなせるようになるといいなあ、あわよくばすらっと高身長! と、先ほどまでとは変わってうきうきとホールへ向かう為に歩き出す。


「アイラ様、お待ちしておりましたのよ」

 ガイアス達と寮を出た時、予想外の声に引き止められた。

 まさか、なんでと思いつつ視線を向ければ、美しい青灰色の髪を結い上げ、薄紫に銀色の刺繍が施された美しいドレスを身に纏ったローザリア様。

 え、なんで? いつもなら呼び止める令嬢がいても驚かないけど、さすがにローザリア様に呼び止められるとは思わなかったんだけど!

 彼女は私やおねえさまが何か言われていても傍観の立場を貫いていたので、私達に直接絡んで来る事はなかったのだ。いったい何の用事だろうか。

 どきどきと身構えているとローザリア様は首をこてんと傾けて、それはそれは美しく微笑む。彼女は傍にいた使用人にもういいわと声をかけると、こちらに歩み寄った。ふと、彼女が他の令嬢を連れていないのを初めて見たなとおかしな事を考える。

「アイラ様と一緒に行こうと思いまして。よろしいでしょう?」

 笑みを浮かべたローザリア様はそういってガイアス、レイシス、最後にフォルを見回す。三人は少し驚いたように目を合わせたようだが、最終的にフォルがいいんじゃないかなと返事をした。

「あ、でも俺達も一緒でよければだけど」

「もちろんですわ」

 あれ? ただ一緒に行くだけ? 何かされるなんて、考えすぎだっただろうか。……だとしたら私かなり失礼な考えだったかもしれない。

 微笑んだローザリア様は、私に視線を移すと、まぁ素敵なドレス、と胸の前で手を合わせる。その動作がとてもやわらかくて女の子らしくて、可愛い。

「ベルティーニの新作ですのね、美しいですわ。あら、その首元で光るアクセサリー、とてもお似合いですわ。金色ですのね、レイシス様を想ってでしょうか」

「……ええっと、え?」

 物凄い勢いで言われて、訳がわからず首を傾げる。金色? レイシス? 何の話だ。

 確かに私は今日首にネックレスをつけているし、鎖は銀色だがペンダントトップの透明な石の周りに僅かに金細工が施されている。花を模した可愛らしいものでお気に入りなのだが、この小さなペンダントトップの金色の事だろうか。

「まあ、アイラ様は恥ずかしがり屋ですのね、こんな控えめに……可愛らしいですわ」

 ふふふと一人楽しそうにするローザリア様だが、完全に会話に乗り遅れている私は歩きながらも頭を抱えたくなった。なんてこった、会話についていけないとは!

 一生懸命考えて、もしかしてレイシスの髪の事だろうかと考え付く。というか、今日レイシスは黒と白を基調とした服を着ているので金と思えるものがそれしかなかった。でもレイシスの髪は金色と言うよりもっと色が濃い琥珀のような色だ。非常にわかりづらい上に、当然ながらガイアスも同じ色である。

 サフィルにいさまは綺麗な金色の髪だったが、弟である彼ら双子の髪はそれより少し濃い色なのだ。金が人を指すのなら、私はサフィルにいさまか王子の金髪を思い出す。

 つまり、何の話だと謎が深まったわけだが、それ以降もずっとローザリア様の質問やら一方的な会話が続き、浮かんだ疑問は増えていくばかりで処理しきれない。

「まあ、ではアイラ様は生まれた時からレイシス様達とご一緒でしたのね」

「はあ……」

 やたらとレイシスの名前を出すので、なんとなくガイアスをちらりと見ると、ガイアスは思いっきりひいていた。ローザリア様を見てはいるが、未知の生命体に遭遇したような表情だ。ガイアス、素直なのは知ってたけどそれはさすがにもう少し表情を隠したほうが……。

 レイシスはこれだけ名前を出されているのに、無表情で前を……いや、もしかしたらローザリア様を視界にいれてないのかもしれない。フォルも微笑んでいるものの視線が空だ。

 そこではっとする。もしかしてローザリア様は私ではなく、レイシスに用事があったのだろうか。もしかしてレイシスの事が、す、好きとか!?

 ああ、それで昨日レイシスの治療を私がしてしまったから、あんな少しいじわるな感じの事を言っていたのだろうか。うーん、失敗した。言ってくれればよかったのに……いやいや、複雑な乙女心というやつはそう簡単に表現できないものですよね!

 確かお母様の本棚にあった小説にも、恥ずかしくて告白ができないーって悩む王女様と、令嬢が好きなのに身分を気にして悩む貴族男性のお話があったような。……はっ、まさか身分差を気にして……?

 盛り上がる推測に、じっとローザリア様を見つめると、彼女は少し不思議そうな顔をした後首を傾げた。うん、眩しいくらい可愛い。きっと恋する乙女の輝きなのだろう。

 うんうん大丈夫、レイシスはすごい優しいし素敵だと思う。身分差は、この国高位貴族になるほど恋愛結婚が多いって聞いた事があるし。

 あれ、そういえばガイアスとレイシスが結婚しちゃったら、護衛ってどうするんだろう。両親はずっと一緒に育った護衛が大事だとか小さい頃言ってた気がするが、そこまで考えたことなかったな、今度母に聞いておこう。負担にはなりたくないしね。

 ローザリア様が今度は恋が実るアクセサリーの選び方を話し始めたので、年頃のご令嬢はこういった話題が好きなのかあと「コイバナ」と呼ばれるであろう話や話題のドレスの話に相槌を打ちつつ、ホールに到着したときふと気づいた。

「……フォル?」

「…………うん、なに?」


 フォルがまた、非常に話しかけづらい冷たい空気を纏っている。え、なぜだ!

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