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 あっ! と誰かが叫んだ。トーナメント表が、ハルバート先輩の勝利を示す。

 王子が、負けたのだ。

「怪我人が運ばれてくるぞ!」

 待機していたアーチボルド先生が準備に走り、私はレイシスを静かな隣の部屋に移そうとガイアスと共にベッドの傍に寄ると、レイシスが目を覚ましていることに気づく。

「レイシス」

 声をかけるとぼんやりと宙を見ていたレイシスの視線がこちらを向き、ほっとしたような顔をする。

 ガイアスが大丈夫かと声をかけながら身体を起こそうとするレイシスを手伝い、一度隣の部屋に移ろうと移動した時、大きな声が聞こえた。

「先にハルバートの手当てをしろ!!」

 振り返ると、真っ先に王子に駆け寄ったらしいローザリア様が王子に怒られている。

 ぱっと見る限りでは王子はひどい怪我はないようだが、ハルバート先輩は手に巻いた布を真っ赤に染めていた。確かに外傷よりも内部の魔力漏れが怖いが、あんなに王子がぴんぴんしているのなら魔力が不自然に減っていれば気づくだろう。先に治療すべきは血も魔力も流れ出ているハルバート先輩なのは間違いない。

 最近優先治療について学んだ。だが、教師もやはり、そこに高位の貴族がいる場合は少し違うようなことを濁して話していたのを思い出す。指導までそれでは意味がないだろうが、実際難しいのだろう。

「アイラ!」

「はいいい!」

 急に叫ぶように名前を呼ばれてひっくり返った返事をしながら、そちらに足を向けようとすると、王子は俺も奥に行く、と言ってこちらに向かってきた。

 え、と疑問に思いながらも、アーチボルド先生から魔力回復薬を一本貰い、後を追う。向かっている途中で王子はどうやらフォルも呼んだらしく、隣室に入るところでお互い足を止め先に入るよう譲り合えば、中に入った王子が何をしているんだと微妙な顔をした。

 なんとなく、気まずい。


 あの後しっかりガイアスに促されてフォルの大事なブローチは無事に渡すことが出来たものの、相手が拒否しているように感じて会話をすることができなかったのだ。

 こんな時どう声をかければいいのかわからなくて、自分が情けない。

 そもそもローザリア様の発言が私が心配してないように聞こえる、というのも私の勘違いで、確かに私は彼女にフォルを任せてレイシスを治療したのには違いないし、フォルが微妙に怒っているように感じるのも私が他のことで何かしでかしたからじゃ、と考えるが、混乱しているのかあの時の様子がしっかり思い出せない私はふうとため息を吐いた。

 だが今はそんなことしている場合じゃない。フォルは起きて間もないし、おねえさまは観客席にいる。王子の治療は私がしなければ。

「とりあえずデューク様横になってもらえますか、魔力漏れの確認します」

「ああ」

 手を握って開いて自分の魔力が手のひらにあるのを確認し、王子の頭から丁寧に調べて……行こうと思ってすぐ、王子の右手に違和感を感じた。なんだろう、黒い……

「黒!!」

 叫んだ私に、室内のメンバーがぎょっとしたようだが、ここに私がエルフィであることをしらないおねえさまとルセナはいないので、そのまま王子に詰め寄る。

「デューク様なんですかこれ!? ハルバート先輩は、黒を使いませんでした!」

 対戦相手は私も戦ったハルバート先輩だ。極限まで魔力を高めた時、色はその時唱えようとしている魔法の色だけではなく、得意な属性の色も引寄せるのは水晶の検査で知った事実。彼の色は透明と、薄紫。無属性と雷だった。

 得意でないのならわざわざ王子相手に闇魔法を使うとは、思えない。闇は光の前ではひどく霞む魔法なのだ。

 とりあえず王子の手首に絡みついた黒をなんとかしなければ。回り込んで右手をよく観察する。ああ、魔力漏れの検査もしたいのに。

「デューク様、魔力が妙に減っている感じはありますか」

「……ある」

 舌打ちをしたい気分だ。大きな怪我はないということは内部魔力漏れ。隣の部屋に戻ってアニー様を呼ぶべきか。……いや、王子がわざわざ私を指名したのは、恐らくこの黒に気づいていたからだ。

 思案していると王子が、恐らく魔力漏れはたいしたことないから、と微妙なフォローをした。どっちにしたって早くしなければ。

 その時扉が叩かれ、アーチボルド先生が顔を出した、と思うと後ろにおねえさまとルセナが息を切らせて現れた。

「デューク!」

 呼吸が乱れたまま駆け寄ったラチナおねえさまが、王子の右手を掴んでいる私を見てやっぱり、と顔を変える。

「先生、扉閉めて」

「あ、ああ」

 アーチボルド先生が、少し迷ったあとガイアスに言われたとおり扉を閉める。自分も中にいるまま、だ。

「とりあえずおねえさま、王子の全身の魔力漏れチェック手伝ってもらえますか。たぶんどこかにあります」

「わかったわ」

 すぐに頷いたおねえさまは丁寧に頭から確認をしつつ、右腕を掴んだまま動かない私とその手を気にしているようだが、私は色の事を話すべきかと悩みそのまま王子の腕の診察に集中した。

 ちらりと王子を見ると、ゆっくりと首を振る。言うなということか。

「腕に」

 突然のおねえさまの言葉に思わず心臓がどくんと音を立てる。私達が悩んでいる間に魔力漏れの箇所を見つけたのか、おねえさまが王子の左腹部の治療に入ると、ゆっくりと話し出す。

「腕に、何かありますわね? 試合の最中、私達の席の前の防御壁が揺らぎましたの」

「僕とラチナおねえちゃんで防御石を見に行ったんだけど、石の一部に何かを削り取ったような跡があった」

 二人の話す内容は、ここにいる皆の耳に入っている筈なのに、誰も返事をすることができなかった。

 まさかと想像してしまった内容は、恐らく皆も同じだろう。

 揺らいだ防御壁。ハルバート先輩が使ったとは考えにくい闇魔法。

「デューク、あの時光魔法を失敗したでしょう。あの時右腕に変な魔力が蠢いているように見えましたの」

 おねえさまが続けた言葉が、まるで審判が下った言葉に聞こえた。

「デューク様、確認します。この魔法はハルバート先輩にかけられたものですか?」

 僅かな可能性、ハルバート先輩が闇の魔法の使い手で、防御壁の揺らぎはただの不調である。それに賭けて尋ねる。

 王子は難しい顔をし、フォルまで目を伏せた。


「ありえない」


 それが王子の答えだった。

 ハルバート先輩が、闇魔法を使うのはありえない、と。

「アイラ、どういうことだ」

 先ほどここにいなかった先生が訝しげに眉を顰める。言いよどむが、先生もまさかと感じているのだろう、見逃すつもりはないらしい。皆の視線が王子の手に注がれる。

「外部から攻撃された」

 私の変わりに王子が口にしたその言葉に、室内の空気が凍ったように感じた。そこに、ピーっという笛の音が鳴り響く。決勝戦が開始されたのだ。

「アーチボルド先生」

 王子が呼ぶと、部屋を出ようとしたのか向きを変えた先生がぴたりと止まって、少し怒ったような表情で振り返る。

「報告は無しです」

「だが」

 王子が首を振る。大切な試合が妨害させられた。これが確定なら大問題になる。貴族も注目していた試合に不正があったとなれば、いろいろなところで妙な憶測も飛ぶだろう。

 そして、おねえさまとルセナも難しい表情をしていた。二人からすればなぜ言わないのかと不審に思うのも仕方は無い。だが、私はその理由がわかる気がした。

 言えば、一番先に疑われるのはハルバート先輩だ。彼は勝ったのだ。そして、闇魔法が関連しているとなれば、おそらくこの前の事件のように王家は隠す。公にするわけにはいかない理由があるのだろう。

 上層部が隠す、というのは、一般の人から見るとよくない事に思える。

 だが、どんな理由か知らないが、闇魔法が悪い事に使われたとなると、立場の微妙な闇魔法使いというのはきっと被害を被るに違いない。その事を考えると、正義感を振りかざし「隠すのはよくない」ということも、間違っている気がした。

「黒とわかっただけでいい」

 さらりと、まるでなんでもないことのように言う王子の言葉で、アーチボルド先生は僅かに表情を変えた。

 その瞬間、渋っていた先生がすぐに「わかった」と頷く。

 そういえば、ハルバート先輩は異常に気がついただろうか。見ていたおねえさまが気づいたのだから、違和感を持ったかもしれない。

 知らなかったとすれば、きっと伏せることを納得している王子より悔しい思いをするのは彼ではないかと、嫌な気持ちになる。


「先生、これ、解いていいんですか」

「解けるのか」

 王子の右腕を指し示せば、先生が驚いた表情をする。

「恐らく特定の魔法を邪魔する類のまじないです。鎖のように腕に絡みついていますが、たぶん除去できます。ただ」

 除去すればそれは外部からの攻撃があった証拠を完全に消し去ることになる。それを言えば、先生はすぐに扉に向かった。

「護衛を呼んでくる」

 ばたんと音を立てて扉が閉まり、部屋が静かになる。なるほど、王子の護衛に知らせるのか。王子が怪我をしたのは見ているだろうから、すぐやってくるだろうとその間にもう一度王子の右手を見る。

 黒い鎖。恐らく闇魔法で、光を打ち消すものだ。あまり使われない魔法である。なぜなら、非常に扱いが難しいから。

 まじない、と言われるこれらの魔法は、制御が非常に難しい、のろいを相手にかけるタイプの魔法である。

 ぱっと聞くと非常に恐ろしいが、そもそもこの魔法は使い手が少ない。大魔法より難しいのではと言われる程扱いが難しく、基本的に精霊が癒しを好む水や風、光においては、呪い魔法自体存在しないらしい。

 呪いの中では比較的簡単とされるのが、あの火種の魔法だ。あれは火属性だ。

 あの事件の後呪いを調べていたのだが、役に立った。本でちらりと見た程度だが、腕に巻きつく鎖は確か癒し属性の魔力をぶつければ壊れる筈。術が難しい割りに解呪が楽なのが、この魔法が普及しない原因だろうか。

 火種の魔法は少し修行すればすぐ使えるようになるらしいが、王子の腕に絡み付いているこの鎖は恐らくそうではない。それならば使い手も少なく、犯人もすぐわかるのでは、と期待したのだが、先生に連れられて現れた護衛騎士は難しい顔をした。


「公にして探すべきでは」

 連れて来られた騎士の若い方がそう顔を顰めて口にする。

 しかしそれにゆるりと口髭の生えた騎士が首を振ると、若い騎士がしかし! と声を荒げる。

「狙われたのは王子殿下ですよ!? それも、我々の眼をかいくぐって殿下にこのような魔法をかけるなど! 死罪になるべき罪です! 犯人はまだこの貴族の観客が多数いるこの会場にいるかもしれません!」

 騎士の言う言葉はもっともだった。王族を狙うなど、それが命を狙っていないものだとしても重い罪となるのに、今回は王子が魔法を封じられるとひどい怪我をする可能性があった試合中に事は起きたのだ。死罪確定と言ってもいい程の罪となる。

「ばか者、だからこそ公にしては確実に間違いのない犯人を挙げ公表しなければいけなくなる。容疑者は誰になると思う、これほど高位貴族が集まっているんだぞ! しかも、『黒』の可能性がある! 防御石を傷つける程の事件など、まずは王に報告が先だ」

 ぐっと、若い騎士が黙り込む。納得がいかないだろうに、『黒』で黙ってしまう。

 闇魔法とは、それほど何か重要なものなのだろうか。

「黒、とは……」

 小さな声でおねえさまが呟いた。それを聞いてはっと顔色を変えた騎士を見て、なるほど、ここにいる全員、私がエルフィであると知っているものと思っていたのだと気づく。申し訳なさそうな顔で王子と私を交互に見た口髭の騎士は、すぐに表情を戻すと私に頭を下げた。

「えっ?」

「申し訳ない。確認は致しました。殿下にかけられた魔法の解呪をお願いしたい」

「もちろんです」

 言われてすぐに取り掛かれば、王子の腕に絡みつく鎖がさぁっと砂のように崩れ消えていく。ほっと息を吐くと、全ての魔力漏れと怪我の治療を終えた王子は私とおねえさまにお礼を言い、ベッドから足を下ろした。

 王子に持ってきていた魔力回復薬を渡したその時、笛の音が聞こえる。


「あ……」

 トーナメント表は、ファレンジ先輩の勝利を示していた。

 結局決勝試合を見る事が出来ず、微妙な空気で迎えた私達の初めての夏の試験。

 しかし、アーチボルド先生が、良くやったとそれぞれ一人一人に試合を見ての改善点の指導と、良かった部分を褒めてくれたことで、救護室の隣の小部屋で私達はなんだかほんの少し満足した気分になる。

 満足のいく結果にならなかった人もいるし、王子に至っては私達ですら納得のいかないしこりを残す試合となってしまったが。

「それも人生経験だ人生経験。納得のいかない事を乗り越えていけ! お前らの今日の負けは将来の勝利になる……かもしれんぞ」

「……世知辛い世の中よのぉ」

「ガイアス、なんだそれは!」

 王子とガイアスが笑い出し、アーチボルド先生がお前はじじいかとガイアスに突っ込みを入れたことで、笑いが伝染していく。


 ただ二人、私とフォルだけが力ない笑みを浮かべる中、終了のアナウンスをもって大会は終わりを告げたのだ。

 

 

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