71.ラチナ・グロリア
「アイラたちが気になるか?」
特殊科の生徒達が座るために設けられた観客席につき、ルセナに続いて席に戻ろうとしつつも少し後ろを振り返ってしまったところをどうやら前にいた男に見られていたらしい。
デューク・レン・アラスター・メシュケット。この国の第一王子は、いつものように不敵な笑みを浮かべてこちらを見る。
「ええ、わかっていますでしょう?」
救護室にいたローザリア・ルレアスは、フォルセ狙いだと有名な令嬢だ。美しく、爵位も高く、評判も良い才女。
そして、ちょうど私達の年代の令嬢のトップに立つ人物だ。女性というものはどうしてもグループを作りたがる。学園にいる女子生徒たちの頂点、という認識が強い。ただし、一部の認識は違うらしいが。
もちろんローザリアはこの目の前にいる第一王子の伴侶候補でもあるのだが、本人がフォルセへの愛を隠さずにいるものだから王子の相手としてはほぼ話題にあがらなくなってしまった。代わりに王子狙いの筆頭で名があがるのは医療科を受けたものの淑女科に決まったレディマリア・リドット侯爵令嬢だが、彼女もまたローザリア・ルレアスの取り巻きの一人である。
ローザリア自身は私やアイラに何もしてこないが、彼女が涙一つ見せれば信者の女生徒達が勝手に私達を排除すべく動く。実際意図してそういったことをしているかは知らないし、まったくの私の憶測であるが、フォルセを「フォル」と呼ぶ事を許されたアイラをよく思っていない可能性は非常に高いと思う。
しゃきっとしているようで鈍いアイラをあの場に残すことに不安があった。私を姉として慕ってくれるあの子は、周りにそれがあまり伝わらないせいで誤解も多いが、努力家で貴族には少ない相手の気持ちを考える事ができる心を持つ、とても希少な心安らぐ友人だ。
きつく見られやすく、友人ができにくい私と何の気負いもなく共にいてくれる、守ってあげたくなる大事な友達。
「大丈夫だ、ガイアスがいる」
「そうですけれど」
確かにガイアスは見た目や雰囲気に反して聡い。あの"四人"の中では一番だろう。だが、女の感情というのは男はわからないものだというのは古今東西変わらないものだ。
やはり私が残るべきだったかと思案した時、デュークに手をぐっと握られた。
「お前は俺の試合を見ていろ」
思いのほか強い力で握られ、そして強い視線を浴び息が少し止まった。
落ち着いて、落ち着いてと呼吸に意識を向ける。なんだろう、デュークの様子がおかしい。
「デューク様」
「デュークでいい」
向けられた視線が変わらなくて、心臓がどくどくと高鳴って煩い。昼休憩が終われば試合なのだから、早く行けばいいのに。
「なぜ」
思わず口にしてしまった。救護室では我慢できていたのに、つい。
なぜ、私に見てほしいというのか。
それを聞いたらいけない気がしたのに、私は。
「そんなの」
にやりとデュークが笑う。いつもよりとても楽しそうだ。まるで、森に狩りに出る前のお兄様みたいだ、と、その力強い視線を受け止める。逸らしたり瞑ったりしたら、負けな気がしたのだ。
すぐに、後悔したのだけど。
「お前に見て欲しいからに決まっている」
青い瞳が間近に迫った。驚いて目を開く。
掴まれていた手の、指と指の間に絡めるように一本ずつ彼の指が滑り込んでいく。まるで恋人同士のように。
ぞくぞくと背に何かが走り、足が僅かに震えた。
空が近い。いや、目、顔が近い!
咄嗟に目を瞑ったとき、ふっと鼻先に彼の吐息が触れた気がした。そして、彼が離れていく気配。
「勝ってくる」
「……っ! じ、自信家ですわね、相変わらず!」
「俺はお前の兄も倒したんだぞ、ここで負けてたまるか」
完全に八つ当たりだ。私も、今負けたのだ。目を瞑ってしまった。
――キスされると思っただなんて!
「赤いぞ、その顔は早く治せ」
誰のせいだと!
叫ぶことも出来ずに頬を押さえ、はやくいけと噛み付くような言葉を吐けば、とても楽しそうに笑った彼は背を向けひらりと手を振った。
「俺が勝ったら褒美をくれよ」
「な、ちょっ」
私が返事をする前にさっさと立ち去るその背を睨みつけるも、意味はない。彼はわかっていてやっている。だって肩が震えているのだ。
笑っているその背を見送って、長い長い息を吐く。
「アイラの心配ばかりしている場合ではありませんわね」
ここは教師が多くいる席の近くで、しかも壁で遮られている為今のやり取りを生徒に見られてはいないだろうが、女とは聡いものである。
完璧に意識してしまった。まだ、まったく好意も自分の恋も意識してないアイラの方がマシかもしれない。
レディマリア辺りには気づかれないようにしなくては。
まったく、と息を吐きながら頬の熱が引いたのを確認して、席に戻る。ルセナはいつも通り眠そうにぼんやりと、ベルマカロンのお菓子を食べていた。
ふと、この子があんなにアイラに懐いているのは、どんな感情だろうと考える。恐らく、憧れが強いのではないかとも思っているが……見ての通りというか、表情ではわからない子だ。
それで言うなら、幼馴染は重症だ。そして、本人はたぶん自覚してない。そんなことを、あの紫が混じる銀の瞳を思い浮かべながら考える。
恋は諦められるものだとまだ言っていたら、笑ってやるわ。
ただの女の勘だが、先ほどの試合は間違いなくレイシスに対する嫉妬が混じった試合だったと思う。
数年前、『何者か』に殺されかけ、公爵に言われ父と兄を頼ってうちの領地に訪れた幼馴染。
来て早々、一目惚れって信じる? と笑っていた彼が諦めるつもりだった恋に本気になっていると気づくのはいつだろうか。まったく、らしくない。
旅を終えた直後の彼が、湖で休憩するのと一緒だよと冷めた笑みで言っていたのが、嘘のようだ。浅い湖に軽く足をつけたつもりが、足を踏み入れた先が深い沼だったと気づいた時、彼は信念を曲げるだろうか。乗り越えるのだろうか。
……だめだ。人のことばかり心配している場合じゃない。
そう簡単に落ちてやるものですか。
そう強がりのような言葉を吐いて、意識を会場へと戻す。
アナウンスが、もうすぐ準決勝を開始する、と告げていた。
私の生家、グロリア家は無属性魔法を得意とする珍しい血筋だ。
私もお兄様も例に漏れず、どちらも稀有な重力魔法を得意とする者として王家に目をかけてもらい、幼い頃から王子、そして王子の友人であるジェントリー公爵家長男フォルセ・ジェントリーの友人として招かれ、特にフォルセの方は兄と非常に仲が良く、共に魔法の練習等もしていた仲だ。
だが、王子は魔法の練習に混ざったとしても手の内を殆ど見せることがなかった。私ですら、王子の本気を見たことがない。
相手はあのハルバート先輩だ。アイラの性格や技を完璧に推測し勝ち上がった強者。
大丈夫だろうか。
でも、きっと、いつもの不敵な笑みを浮かべて勝利し、私に無理な要求をしてくるに違いない、と思うと、勝手に笑みが零れる。
「ラチナおねえちゃん、デューク勝つかな」
「勝ちますわよ、"デューク"ですもの」
顔を合わせて笑いあい、ルセナからベルマカロンのお菓子を分けて貰いながら時を待つ。
そういえば明日の夜はベルマカロンの新作が多数並ぶという話がある。楽しみだな、と考えていると、ふと違和感を感じた。
……何?
今一瞬正面で何かが揺れなかっただろうか。だが、揺れるわけがない。座席が前に行くと少し下がるのだから、目の前には何もない。見上げても澄み渡る空だけだ。
魔力切れに魔力漏れまでおこしていたのだから、まだ体調が本調子ではないのだろうか。眩暈かな、と少し額を押さえると、わっと会場が沸く。選手が現れたのだ。
アナウンスが力強く選手である二人を紹介し、礼をとる姿を緊張しながら見つめる。
笛の音が鳴り響き、試合開始を告げた。
お互い、剣を構えて真っ向から打ち合いを始めた。距離をとるのではなく、打ち合いながら詠唱も開始している。
剣の長さを見るとハルバートが有利にも見えるのだが、デュークは押される事なく剣を打ち返し、魔法を使用していた。大きな魔法ではないが、チェイサー級の魔法の打ち合いと目の話せない剣技に、観客席は大いに沸く。
大魔法が繰り出されるのはもちろんだが、こうした簡単に見えるが実は難しい中級の魔法の連続打ち合いというのも非常に盛り上がるものだと見守る。
二人同時にチェイサーを呼び出した。数はデュークの方が多い。相殺しきれない数だ、と観客の声にも力が入る。
激しい打ち合い。雷だったために音がすごい。ばちばちと光る中、王子が大きく後ろに跳んだ。そこで、妙な体勢をとる。まるで自分の背後を狙うように剣を後ろに回した時、はっとした。
そうだ、ハルバートも無属性魔法を得意とするタイプだ。アイラが散々「糸」に苦戦していた筈。もっとも、魔力が少ない観客は得体の知れない攻撃にアイラが振り回されたように見えたらしいが、糸は非常に厄介だ。
デュークはきちんと糸の対処をしながら動いているようだ。距離をとられたハルバートが少し苦戦してチェイサーを打ち落としている。
デュークが押してる。
どきどきと見つめていると、また視界が揺らいだ気がした。……なにかしら。
その時、王子が剣をくるくると体の前で回し、流れる動作で上に掲げた。ぎらりと剣が光ると、王子の上に光が集まる。光魔法!
珍しい魔法に息を飲んだとき、会場が白く染まった。まるで爆発したように。
違和感。
王子は発動呪文を口にしただろうか。まだ、準備段階だったような気がするのだが。
光が消えた時、デュークは不敵な笑みを浮かべて、いなかった。
苦痛の表情に、糸に手を取られたのか不自然な形で釣り上げられている。
失敗した? デュークが? 相手の糸に邪魔されたのか?
デュークの、糸に縛られたらしい右手首に、不自然な魔力の歪みが見えた気がした。医療科は魔力の流れを見るのが得意なものが多いが……さすがに遠すぎる。もっと近くであればしっかりと見えるのに。
「ラチナおねえちゃん。デューク様子がおかしくない?」
気がつくと難しい顔をしたルセナが、じっとデュークを見つめている。その台詞にどきりとした。
「そう、見えますわよね?」
「うん。それにさっきから防御壁が少しおかしい気がする。揺れてない?」
「……なんですって?」
一瞬考えて、その考えが最悪の推測を示すものではと気づく。
ルセナが言うのはたぶん、個人が使っている防御壁ではない。会場の観客席を覆う防御壁だろう。
さすが、防御の天才と言われる少年である。
先ほどから揺れているように感じたのは私自身ではない。防御壁だったのか。
……それは、つまり。
「大問題ではありませんか!」
「しっ」
ルセナが口元に手を当て私を止める。はっとして口を噤み、周囲を見る。周囲は幸い試合に夢中のようでこちらを気にしている様子はない。
そうだ。これが事実なら、確証を持たなければ。ふざけてましたではすまない。ここには学園生徒を見定めにきた貴族がたくさんいるのだ。不用意に不安を煽ったらどうなるかわからない。
だが逆に考えれば、貴族に危険がある可能性があるならそれは真っ先に報告しなければならないことだ。
私がうだうだと悩んでいる間に、ルセナが動いた。たたたっと軽い足取りで観客席の最前列に向かう。
特殊科一年で最後に残っているデュークの応援だとでも思ったのか教師は無反応だ。ルセナに便乗する形で、前へ出る。
デュークは不自然な体勢を取らされた今も、次々と魔法を繰り出しハルバート先輩を苦戦させていた。まだ、まだ大丈夫。
「ラチナおねえちゃん、これ」
ルセナは観客の防御壁の要である壁に嵌められた防御石をこっそりと指差した。
つるりとした表面の複雑な色の大きな石。ぱっと見た時は装飾にも見える、大きな王都自慢の防御石だ。こんなところにあるとは。だから、教師と特殊科はこの位置の席だったのだろうか。
だが、指差されるそれを見ても、ルセナが何を言いたいのかわからず首を傾げる。
しかし彼は、私の様子を見ると小さな声でそっとささやいた。
「この防御石の淵に何かを削り取った後がある。やっぱりおかしいよ」
「なら!」
すぐに知らせなくては、と意気込む私の視界に、おかしなものが映りこむ。
何かに引っ張られているような、明らかに不自然な体勢で宙を飛ぶ見知った姿。それでも打ち出される魔法が相手を狙うがそれは全て相手の盾に叩き落された。
「デューク!」
思わず叫ぶ。
辛そうな顔をして、地面に叩きつけられる瞬間になんとか防御魔法で身体を庇ったようだが、既に鎧魔法も限界だろう。相手の長い剣がその身体に向けられた。
ひっと息を飲んだ瞬間、剣を大きく振ったデュークが相手の剣の腹を叩く。まるでスローモーションのようにハルバートの剣の刃が折れる様子を眺め、その瞬間観客席に張り巡らされた防御壁に張り付いた。
折れた剣先が偶然にもデュークの喉めがけてその刃をきらめかせたのだ。
日光を反射して光る刃に、思わずどんどんと壁を叩く。デュークは先ほど宙を飛んだとき明らかに鎧魔法を崩していた。あれでは……っ
誰しもが立ち上がり見守る中。
ぼたぼたと血を零したのは、ハルバートだった。
自らの折れた細い剣の刃を素手で掴み上げ、デュークに突き刺さる前に止めた。
ふと、その姿を見て思い出す。ああ、ハルバート先輩とファレンジ先輩は、卒業後デュークの近衛になるという噂がある、と。
笛の音がなる。
え、と思わず言葉が零れた。
ルセナが、ああ、と残念そうな声を出すのにびくりと体が震える。
「……デュークの急所に、刃が向いてる」
笛の音が鳴った原因。急所の寸止め、そのような体勢に、なってしまっているのだ。
「うそでしょ……?」
アナウンスが勝者を宣言する。
準決勝を終えて、特殊科一年は全員敗退が決まったのだ。
私とルセナにだけ、「勝負が妨害されたのでは」という疑問を残した、まま。
ラチナはそれが当然のものだと思っているので描写はありませんでしたが、この世界では他国から王子に政略結婚で嫁ぐということがほとんどありません。魔力ある血の流出を防ぐためです。
頑張れ王子。




