69.レイシス・デラクエル
笛の音が鳴った。
お嬢様の試合が終わったのだ。慌ててトーナメント表を見上げ、ごくりと息を飲む。
「……うそだ」
まさか。
伸びた勝者を示す赤い線。それは間違いなくハルバート先輩の上にある。
「お嬢様!」
「落ち着け」
慌てて部屋を飛び出そうとした時、制服の立襟をつかまれ引き戻される。
「ガイアス!」
犯人は兄だ。咎めるように名を呼べば、眉を寄せた同じ顔である筈のガイアスが顔を近づけ、再度落ち着けと繰り返される。
「お前が今飛び出してどうする」
「何言ってるんだ! 怪我してたら」
「それで行ってどうする! 試合棄権なんてしてアイラが喜ぶと思ってんのか! 当主様に言われただろ!」
ガイアスの言葉を歯を噛み締めて聞き、それでも扉の外に向かいたい気持ちが強いながら、最後の言葉でなんとかつま先をガイアスのいる側に向けた。
「わかってる……」
お嬢様の父親、現ベルティーニ家の当主様から、アイラの試合の結果がどうあれ自分達の試合を疎かにするなと厳命を受けている。
お嬢様の護衛ではあるが、今大会を疎かにした様子が見られれば任を解く、とまで。当主様は私達が今後もお嬢様の護衛として適正かどうか今判断するつもりなのだろうか。
わかってる。わかっているが、だが落ち着かない。お嬢様が怪我をされていたら? 相手は特殊科の先輩だ。とても魔力が強い筈。
次の試合の選手が呼ばれ、ガイアスが離れる気配がして顔を上げると、フィールドに繋がる、今まさにこれからガイアスが出ようとしていた扉からアーチボルド先生が飛び込んできた。
もともと控え室にいた先生に咎められたが、「悪い!」とだけ言って先生は俺達を見ると、開口一番「アイラは無事だ」と告げた。
「え!」
「お嬢様は!?」
思わずガイアスと一緒に先生に詰め寄る。なんだ、ガイアスだってやっぱり心配していたんじゃないか。……それを、押さえ込んで試合に臨もうとしていたのか。
「ただの魔力切れ。威力のでかい魔法二つも使ったし他にも随分魔法使ってたしな。ただ大きな怪我をしたわけじゃない。最後魔力切れを起こしただけだ」
よかった。魔力切れも心配ではあるが、よかった。ほっと、息を吐き、顔をあげる。ガイアスが心底安心したという顔で俺を見て、いってくると告げた。
「ああ」
右手を上げてガイアスの手のひらとあわせる。大丈夫、この双子の兄は、なんだかんだでいつも俺の上にいる。きっと、勝ち上がる。
俺は自分の試合に集中しなければ。相手はあのフォルなのだから。
忘れもしない、昔フォルが俺達の町に迷い込んだあの時、俺とガイアスを相手しながらお嬢様が止めるまでほぼ互角の試合をした相手。
衝撃的だった。俺とガイアスは、父やある程度経験を積んだ相手なら負けることはあったものの、あれまで若い相手には負け知らずだったのだ。
狭い世界だったと思い知らされ、あの後ガイアスも俺も、どこか怠慢と驕りがあった稽古に対する気持ちを改め必死に修行した。もうあの頃のようにはならない。
だが、と手を握る。
「おい、お前ら。いいもの見せてやる」
気づけば、アーチボルド先生とフォルしか控え室にいなくなっていた。俺とフォルの試合が終わった後は、一度立て続けに戦うことになる選手の休息を兼ねて全体的に休憩の時間がある為だろう。
手招きされて、最初に武器の登録もした小部屋に移される。
先生がその部屋のカーテンを開けると、すぐフィールドが見えた。……え?
「先生、外から見た時窓なんてなかったような気がするのですが」
フィールドは出入りの扉以外ぐるりと壁だった筈。そう思って尋ねれば、ここは特別だと言われた。
「この部屋の壁だけ特殊な魔法がかかってる。透かしの魔法だな。前提が難しい無属性魔法で、今国で確認されている使用できる人間はほんの数人。しかも魔方陣を使った大掛かりなものだから珍しいぞ」
「すごい」
フォルと一緒にそっと透けて向こうが見える壁に近づく。壁の厚さの分横に不思議な壁の断面が見えるが、見える景色は本当にガラスを通した外を見ているようだ。
そっと触れると壁のざらざらとした感触。そしてその向こう側でファレンジ先輩と対峙するガイアスの姿。
笛の音。
はっとして向こう側に集中する。
ガイアスは始めから大きく踏み込み、剣を前に構えファレンジ先輩に向かって飛び込んでいた。どちらもほぼ同じ長剣だ。
大きな笛の音はこちらにも聞こえたが、剣の打ち合う音や詠唱まではさすがにここに届かない。
だが、両者魔法を使う気配がない。ただ剣の稽古のように打ち合う二人の顔は明るい。純粋に剣の打ち合いを楽しんでいるようだ。
「似たタイプなのかもしれないね。ガイアスもファレンジ先輩も」
「かもしれない」
体格は明らかにファレンジ先輩の方が大きい。だがガイアスの剣の威力はとても負けているようには見えなかった。速さだって、技術だって劣ってはいない。
俺は剣を手放してしまったが、ガイアスは本当に剣をまるで体の一部のように扱う。ガイアスが力強く振りきった瞬間をファレンジ先輩に狙われても、ガイアスは身体を反転させかわす。それでも体勢を崩す事無く次の攻撃を繰り出すのだから、少し恐ろしく感じる。
ちりっと胸が痛んだ気がした。昔から感じているものなので、もうそれを無視するのも慣れたものだ。
剣の上手さは本当に兄さんに似ている。俺はどうして剣を上手く扱えなかったのだろう。
だが、矢を放ち目標を打ち落とした時、手を叩いて喜んでくれるお嬢様を思い出し、ほっと息を吐く。
剣ができなくても、やはり兄さんと違うのだなと周りの大人のように言う事なく、「レイシスはすごいね」と褒めてくれるお嬢様。
デラクエルの人間で剣を使わない者は珍しいのです、とこぼしてしまった時も、それでもレイシスは剣を使う『大人』達に負けないじゃない、とてもすごいよと笑顔で認めてくれた。
ガイアスは武器魔法を習得していた。俺も練習しているが、まだ完璧とは言えない状態だ。
「ガイアスに負けてられないな」
ぽつりと、つい口から出てしまった言葉に、隣の友人はふふ、と笑った。
「負けていないと思うけれど」
と。
「ガイアスは確かにかなり上級者であるけれど、魔力の操り方、魔法本来の能力を丁寧に確実に生み出す力は昔から君のほうが上だった」
「え」
少し驚いて目を見開く。昔から、とはあの屋敷での試合のときのことだろうか。あの頃は、剣の腕が上がらず一番プレッシャーを感じていた時期だ。何もかも上手くいかないと思っていた頃なんだが。
「少し戦っただけだったけれど、あそこまで威力が高いのに細部まで繊細だと思えた魔法はあれが始めてだった。上手く操っているから使用魔力が少なくてすんでいるのだろうね。少ない魔力で威力が大きいなんて恐ろしい使い手だと思ったよ」
また戦う機会が訪れるなんてね、と言いながらフォルはガイアスを見ている。
ガイアスより上、という言葉は始めて言われた。父もお嬢様も褒めてくれるが、ガイアスより上手だね、という言葉は使わない。
「ガイアスもガイアスで前から魔力を何かと組み合わせた使い方が得意だった。あれはあれで丁寧な魔力配分が必要だからすごいことだと思うけれど、僕は公爵家の息子として話を聞いた中で、デラクエルの魔法は美しく繊細で、相反するようだがそれでいて威力が高いという印象を持っていた。君の魔法をみて、まさにデラクエルの魔法を知ることができたと思ったよ」
そう、と呟きながら、ガイアスの試合を見る。まだ、剣の打ち合いをしていたが、時折魔法が混じるようになった。ガイアスが武器魔法を使うのに対しファレンジ先輩は使えないようで、次々繰り出される技を防ぐのに苦戦しているようだ。次第に、ファレンジ先輩に小さな傷が増えていく。
だが、その試合を見ている筈なのに、俺の頭は先ほどのフォルの言葉を繰り返していた。体が熱くて、心臓が少し煩く感じた。
もしかして、俺は嬉しいと思っているのだろうか。気分が高揚している気がする。
「そういえば」
なるべく平然を心がけながらガイアスの試合を見ていると、フォルがまた思いだしたように声を出した。
「君とガイアス、賭けしてるんだって?」
「ああ」
確かに俺とガイアスは試合前に賭けをした。より上に立ったほうが勝ちな、と二人だけで約束したものだが、確かに座席でも賭けを忘れるな等会話をしていたから、それを聞いたのだろう。
「勝者は、明日の夜のパーティーでアイラをエスコート、かな?」
今度こそ、はっとしてフォルを見た。内容までは座席で話していない。だが、フォルは面白そうに笑うと「少し考えたらわかるよ」と続けた。
明日、紳士科と淑女科のテストを最後に学園全体で夏の試験終了の打ち上げのようなもので、ホールで立食パーティーが企画されているのだ。
お嬢様は恐らく大して気にされてはいないだろうが、実は明日のパーティーのデザート類は全てベルマカロンの物だ。その為にベルマカロン企画担当である妹のサシャが王都まで指示を出しに来た位、力の入ったもの。
きっとお嬢様は喜ぶ。そして笑顔で、嬉しそうな顔で新作のお菓子を楽しまれる筈。その隣に立つ権利を賭けにしたのだ。
「それ、僕も参加させて」
「……は?」
「駄目? もちろん隣に立ったらアイラの護衛はちゃんと引き受けるよ」
「……そういう問題じゃ」
この友人は何を言い出すんだと見れば、フォルは珍しく目を細めにやりとした、まるでデュークのような不敵な笑みを見せた。いつも穏やかな笑みを浮かべている彼が、珍しい。やはり、従兄弟だけあって容姿もどこか似ているようだ。
「別にいいだろ? 君が負けなければいい」
わかりやすい挑戦。これも、彼にしては珍しい。腹が立つより何よりいつもとは違うフォルの様子に困惑を隠せずに見ていると、彼は表情を崩し笑い出した。
「珍しい反応だね!」
面白そうに笑う友人を見ながら、珍しいのはお前だといいたくなる。少しして目尻を指で拭ったフォルは、次にまたしても脈絡のない話をする。
「君もアイラは妹のように思ってるの? ガイアスみたいに」
「は?」
何を当然の事を。
「当たり前だ。お嬢様は大事な家族で主……」
大事な家族で、主で。そう言い切ろうと思ったのに、勝手に視線が揺らぎ言葉が止まる。
言いよどんだのに、フォルはそれを見てそうかと納得した後何も言わなかった。無性に違うといいたくなるのに、なぜ、と思いとどまる。
お嬢様は昔から一緒にいて、守るべきと教えられた大切な主。これは間違いない筈なのに。
「で、僕が賭けに参戦しちゃいけない理由は?」
混乱の最中フォルが再び会話を戻した。再び君が負けなければ問題ない、それとも自信がないのかといわれて、今度はむっと、面白くない感情が沸き上がる。
「わかった。その代わり負けはしない」
「うんそれでいいよ」
なんだか腑に落ちないが、後ろでアーチボルド先生が「青春だねぇ」としみじみ呟いたのかなんだか気恥ずかしくて、俺はガイアスの試合に集中することで誤魔化すことにした。
ガイアスが非常に速く動いた。力強く剣を振り上げる。
くるくると、ファレンジ先輩が手にしていた筈の剣が宙を回転した。……やった!
「ガイアス!」
思わず叫んで壁に手を触れる。ざらざらとした壁の向こうで、ガイアスが急所を狙い剣先をファレンジ先輩に向けた、その時。
ファレンジ先輩がまるでこぶしを突き出すような動きをした。ガイアスにそれは触れてはいない。すぐに剣と魔法で防御をしていたのだ。だが、ガイアスの姿が急激に近くなる。
「わっ」
フォルが驚いて少し身を引いた。俺は壁に張り付いたまま、双子の兄の背がこの向こうの壁に叩きつけられたのを呆然と見る。
なんだ、何が起きた?
「ガイアス!」
フォルとほぼ同時に叫ぶ。先ほどとは違う焦った声で名前を呼ぶと、更に状況が悪いのだと自覚させられた気がした。
ガイアスは咄嗟に炎の鎧を纏った。だが今の衝撃は相当だったらしくずるりと地面に崩れ落ちたのだ。
ファレンジ先輩が何か言っている。それに対し、剣を杖代わりにガイアスは立ち上がったものの少しふらついているようだ。言葉はここでは聞こえない。
ファレンジ先輩は傷だらけ。そして今の攻撃のせいか酷く息が荒いようだ。
ガイアスも今の衝撃で酷くどこかを痛めたらしく、いつも体勢をすぐに立て直すガイアスが剣を握る手に力がないようだ。
この勝負、どうなるんだ。
喉が渇き、落ち着くためにもと選手に渡されている水筒から水を飲む。
ごくりと飲みこむ音がやけに大きい。
再びガイアスと先輩が動いた。ガイアスは無理に身体を動かしているようだ。体全体に魔力があふれ出ているところを見ると、風の魔法に頼って動いている部分も多いらしい。
ガイアスはある程度詠唱を終えると、再び剣を手に相手に向かって飛び掛かる。先輩はもう剣を落としてしまっているから、魔法のみで戦うつもりらしく防御術をいくつも重ねている。
ガイアスが何度か剣をぶつけ防御壁を砕き、そして風歩で大きく後ろに飛びのいた瞬間、炎が、まるで先輩中心に爆発したように地面から吹き出し膨れ上がった。炎系の上級魔法、エリュプシオンだ。地属性の補助も使う大魔法で、ラッシュ系の魔法より強く難しいガイアスの最大の切り札。
初めて練習で見た時はあまりの威力に驚いたものだ。炎の魔法というのは見た目も派手で恐ろしく心身共にダメージが大きい。
これなら、と思った。
なのに、壁を挟んだこちら側ですら畏怖する炎が消えた時、倒れているだろうと予測した相手はまだ立ち上がっていた。
防御魔法があるのだから死にはしないと思ったが、まだ魔力切れも起こさず起きているなんて。
ガイアスは満身創痍だ。まずい。
「ガイアス逃げろ!」
叫んだって聞こえる筈ない。だが、叫んだ瞬間呆然としていたガイアスがはっとして動いてくれた。
相手は魔力を練っている。まだ、まだくる!
一瞬全てが止まったように感じた。その瞬間大きく壁の向こうが光る。
こちらにもばちばちと雷が弾ける音が聞こえる。横切る大きなその姿を見て、ああと叫ぶ。
「雷の剣だ……」
フォルが呆然と呟いた時、大剣どころではない大きさになったそれがガイアスに確かに直撃した。
しばらく炎とぶつかり合っていたそれが、ガイアスの炎の盾が割れた瞬間消える。
どさりと、ガイアスが膝をついた。そのまま前のめりに倒れていく。気を失っているのかもしれない。その瞬間勝負は決まったようなものだ。
「ガイアス!」
「落ち着け、ガイアスは防ぎきった。大きな怪我はしていない!」
慌てた俺を、後ろにいたアーチボルド先生が肩を掴みとめた。
そう、そうだ。ガイアスは確かに壁に背を打った以外は防いでいた。でも、双子の兄があそこまでやられた姿なんて、初めて見たんだ。
笛の音。
気を失っていたらしいが、笛の音で気づいたのかガイアスが動いた。悔しそうに中途半端に身体を起こし、拳で地面を殴る。
勝者をファレンジ先輩だとアナウンスが告げている途中で、ファレンジ先輩がどさりと倒れた。
意識がないらしく、気がついたガイアスが足を引きずりつつも風歩で駆け寄っているのが見える。
「ガイアスはすぐ意識を戻したのに、勝者は完全に魔力切れのファレンジか」
先生が呟く。若干悔しそうなのは、俺達が先生の生徒だからだろうか。
笛の音で終了が告げられる試合でなければ、ガイアスは。
すごいな、ガイアスは。
「大丈夫だ。ガイアスはしっかり治す。次はお前らだぞ」
先生に言われてフォルと視線を合わせる。
俺達は、無言で手のひらを二人バシっと音をたてて合わせ、会場へ向かった。
こっそり。
現段階で残っているのは、
赤グループ、ハルバート・ランドローク
青グループ、デューク・レン・アラスター・メシュケット
黄グループ、ファレンジ・フォレス
緑グループ(試合前)、レイシス・デラクエル、フォルセ・ジェントリー
です。




