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「アイラ・ベルティーニ、もういいのか」

 控え室に飛び込むと、担当らしい教師が少し驚いた目で私を見る。

 え、と首を捻ると、教師が聞いているぞ、と苦笑する。

「医者が足りなくて借り出されてたんだろ? デューク殿下に聞いたんで、話し合って順番を変えたところなんだ。先に青グループの試合をする。まあ、間に合ってよかった。お前も散々だったな、大丈夫そうか?」

 労ってくれた教師に大丈夫だと遅刻を詫び、急いで対戦者であるハルバート先輩にも頭を下げた。先輩は気にしないでと笑ってくれたが、今の試合から各グループでの決勝試合になる。

 既に王子がここにいないので、出てしまったのだろう。失敗した、全速力で走ってくるべきだった!

「仕方ないよ。君は先に息を整えたほうがいい」

 言われて、はあはあと息が荒いのを落ち着けるように意識してゆっくり呼吸する。

「アイラ!」

 控え室に、ガイアス、レイシス、フォルまで現れた。どうやら順番が変更になるかもしれないので先に呼び出されたらしい。申し訳ない、フォルなんて試合を終えてすぐなのに。

「ごめんなさい」

「何言ってんだよ、聞いたぞ、魔力大丈夫か?」

「お嬢様、もし辛いのであれば、もう少し後にしてもらっては」

 心配そうな二人に、大丈夫だと手を振ってみせる。

「出てくる時にね、回復薬貰ったの。今は元気いっぱいだからばっちりだよ!」

 そうですか、と複雑そうな顔をするレイシスに、大丈夫だからともう一度伝えて、フォルを見る。

「フォルこそ、休む暇なかったでしょう」

「僕は大丈夫ですよ。怪我もありませんでしたし」

「そっか……えっ」

 ぎょっとして、トーナメント表を見上げる。待て待て、フォルのさっきの試合は……

「と、特殊科の先輩、倒したの!?」

 前回の試合では恐ろしい強さを見せたあの先輩を、無傷で倒したのかと慌ててフォルの頭の先からつま先まで見てみるが、確かに怪我どころか服のほつれもない、いつも通りの完璧なフォルだ。

 だが、フォルは私の言葉に苦笑して首を傾ける。

「いいえ、ほぼ不戦勝……みたいなもので」

「ふ、不戦勝?」

「フォルの勝負は相手の先輩が間違って自分の魔法に当たって終わったんだよ」

 ガイアスの言葉に、へえ、という言葉が出た後に漸く意味を理解してぎょっとした。

「は、はぁ!?」

「いや、あの先輩派手にやろうとしたんだと思うんだけど……フォルが一発最初に氷の魔法で服を傷つけた時服の刺繍が切れたらしくてさ」

「……そのままフォルセに例の大魔法を打ち込もうと空に飛ぼうとして、まっすぐ飛べずに斜めになって、落ちたんですよ」

 ガイアスの説明に続いて顔を引きつらせながらハルバート先輩が補った内容を聞いて、ああ、目が点になるとはこのことかとおかしな事を考える。

 落ちた……飛ぼうとして、落ちた……? 試合の最中に、あの緊迫した空気の中で……?

「それで、準備してた炎の魔法が暴発したんだよなー!」

 後ろから現れたのは、ファレンジ先輩。急いで来たんだけど間に合ったか? と先生に尋ね、ほっとしている。

「急がせてしまってすみません」

「いや、事情は聞いたぜ」

 大丈夫かと逆に心配されて、こくこくと頷く。笛の音が聞こえた。王子とあの槍使いの戦いが始まったのだろう。


 ふと、ここまで来たんだと思う。

 特殊科の三年生はちょっと不思議な負け方をしたが、もうかなり強い人たちばかりだ。

 王子、大丈夫だろうか。

「お嬢様」

 ふわっと、空気が揺れる。レイシスが心配そうな顔で私を覗き込んでいた。

「大丈夫だよ? 魔力回復薬もらったし。しかも最高級品」

「それで魔力は回復しても、体力は回復しません」

 あ、なるほど。

「休んでてください」

 暖かい手に引かれて、椅子に座るように促され大人しく座る。

 外が騒がしい。きっと王子達の試合が盛り上がっているのだろう。


 相手は、ハルバート先輩。

 どきどきと胸の辺りを押さえて待つ。ハルバート先輩は長い剣を使う。間合いが取りにくいだろうし、魔法もきっとすごい。

 前回の試合では魔法を使ってくれなかったのでわからないが、私は彼に魔法を使わせることができるのだろうか。

「アイラ、落ち着いて」

 急に話しかけられて俯いていた顔を上げると、レイシスの横にフォルも並んで私を見ていた。

「アイラ。手が真っ白だ。力を抜いて。それでは逆に疲れてしまうよ」

 握ってた手を、そっとフォルに開かされる。手のひらに僅かな爪あと。

 どうやら、さっきまで何人かの治療をしていたせいか、怪我を詳細に思い出してしまい恐怖を覚えたらしい。

 その点を考えると、治療を手伝ったのは失敗だったのかもしれない。自分があんな怪我をしたら、と、どうしても考えてしまう。

 怖いのはみんな一緒だろうに。


 笛の音。王子の試合が終わった。


 はっとして顔を上げる。みんなが食い入るようにトーナメント表を見つめる中、ぱっと表が更新される。


「デュークが、勝った」

 ぽつりと呟いたのはガイアスだ。表は、勝ち進んだのは槍使いではなく王子だと表記している。


 やった……やった!

「デューク様が勝った!」

 ぱちんぱちんと両隣にいたレイシスとフォルと手を合わせ、ガイアスにもぴょんと飛びついて喜びを分かち合う。


「アイラ・ベルティーニ、次に試合で大丈夫か?」

 先生に問われて、頷く。レイシスが不安そうな顔をしたが、大丈夫だと張り切って頷いて、ハルバート先輩にお願いしますと頭を下げる。


 じゃあ行くぞ、と促され、私はあのざわめきの中に戻る。




 アナウンスで紹介され、ほんの少し緊張で震えながら礼をする。

 日の光できらきらとハルバート先輩の白銀の髪が光った。礼をすると、片側に編んで束ねられた白銀が揺れる。


 笛の音。


 グリモワをすぐさま広げ大きく距離をとる。

 剣の間合いに入ってはいけない。私の身体能力では避けきれない。


 しかし、そんな基本的な事は相手もお見通しだったらしい。

 私の体が、何かに弾かれて前へと戻る。正面を向いたまま風歩で後ろに跳んだのだが、背中が何かに押されたのだ。視界がゆれ、白銀が迫った時慌ててグリモワを構えた。

 どんと体が揺れ今度は後ろに飛ぶ。グリモワで防いだが、強い力で剣に押されたらしい。

 そしてまた、背を何かに押されハルバート先輩の前に連れ出される。


 違う、何かに、じゃない。


「糸!」

 どんと前方に水を呼び出しハルバート先輩にぶつけ、その勢いで後ろに下がりつつ風の刃を背に放つ。

 確かな手応え。やはり、と見回せば周囲に見えない魔力の糸が張り巡らされているのが見えた。

 ちらりと横に目をやったときに魔力の糸が見えてよかった。非常に見にくいが、色と表現するのは難しいものの視界に入ったそれに、エルフィの力を感謝せずにいられない。

 色が見にくいということはおそらく無属性魔法だ。私はあの糸が布状に編まれたところに背を勢いよく当ててしまったために前に跳ね返ったのだろう。

「その糸を切ることができるとは思わなかったですよ」

 にこりとハルバート先輩が剣を構えなおす。ぽたぽたと水が髪から滴り落ち、地面をぬらしていく。私が作り出した攻撃力のない水は防御魔法で防げなかったらしい。なんだか微妙な罪悪感だ。

 にしても、糸、邪魔すぎる……! あんなのがあったら、私どうやって逃げ回ればいいんだ。


 周囲に風の刃を纏わせながらもう一度距離をとる。攻めなければ、と思うのに、相手も近寄ろうと距離をつめてくるのでなかなか立て直せない。

 こうなれば……っ!

「嵐よっ」

 風の刃の上級版、かなりの広範囲に大量の風の刃を生み出す魔法の詠唱を、人生最速ではないかという速さで練り上げ魔力を開放する。

 吹き荒れる風にすぐにハルバート先輩は防御を作り出したので、この糸を生み出す術者本人は狙えない。だけど、張り巡らされた糸をすべて切るくらいは!


 すぱすぱと確かな糸が切れる感触を確認しながら相手が防御の壁に閉じこもっている間に大きく距離をとる。

 細かい攻撃で攻めるか? いや、また糸を張られるとつらい。

 なら大魔法? 水か? 風? 火なら糸を焼き切れるのだろうか。でも火の大きな魔法は、私は使えない。

 ふと思いついて蛇の詠唱を始める。風の蛇なら、速度もあるし周囲の糸を断ち切りながら動いてくれるだろう。大きな魔法を使うにしても、時間を稼がなければならない。


「っ!」

 蛇の詠唱をするために嵐を鎮めると、すぐに私に向かって放たれる何か。慌ててグリモワで防御すると、どうやら雷のチェイサーだったらしくばちばちと周囲が光る。

 防いだまま詠唱を始めるが、恐ろしい音が止む気配はない。何発あるんだ、と思った時不意に途切れて、すぐに蛇を呼び出す。

 ひゅっと周囲に何かが動く気配。じっと目を凝らすと、また糸が周りに張られ始めているようだ。

「いけっ」

 蛇を向かわせると、蛇は周囲を飛び回りながら糸を断ち切り徐々にハルバート先輩に近づいていく。その隙に詠唱を再び開始。

 向けられるチェイサーや矢の魔法をひたすらグリモワで防ぎ、術を完成させる。

「アクアラッシュ!」

 ごうっと風を揺るがし現れた大量の水が、渦巻きながらハルバート先輩に一直線に向かう。ハルバート先輩は剣を構えたまま何かを呟き、周囲に壁を張った。

 押し切る!

「いっけええっ!」

 叫びながら魔力を大量に水へと変化させ襲う。だが、ふと違和感を感じた。

 慌てて右を向いたとき、とっさにグリモワを動かせたことに自分を褒めたくなる。先輩は、そこにいた。

 剣がグリモワに弾かれ後ろに飛ばされたハルバート先輩は傷だらけだ。慌てて水を切り上げ、対峙する。

 なんでここに? どうして傷だらけ? 確かに壁の防御魔法の中にいたのに!

 はっとして視線を先ほど自分が水を注いでいた位置を見る。そこにあるのは、大きな中身のない防御魔法。しかし、後ろががら空きだ。あそこから抜け出した……?

「盾の魔法を壁の魔法に見せかけた!?」

 そんな使い方聞いた事がない! あの威力の魔法を壁より範囲が狭い盾の魔法で防ごうとしたら、傷だらけになって当然だ!

 すぐにグリモワを大きくし、その上に乗り宙を飛び距離をとる。だめだ、先輩の近くにいたら剣が……

「きゃああっ!?」

 ぐい、と足が引っ張られてグリモワから引き摺り下ろされる。慌てて見れば、足首に糸が巻きついている。急いで切ろうと思ったが、風にあおられ息ができない。

 咄嗟に離れた位置のグリモワを引き寄せページを破き取る。触れた魔法文字が書かれた紙がぴんと伸び、それを足に投げつける。

 鋭利な刃物となったグリモワの一部は私の足を縛る糸を確かに切り取った。

 しかし、すぐにグリモワを下にしたが、地面に落下した瞬間に背を強かに打ちつける。かはっと息がおかしく漏れ、目の前がちかちかと光る。


「水の蛇!」

 咄嗟に使い慣れた蛇を呼び出し私の体を守るように囲う。

 負けられない。王子は勝った。次に進んだのだ。ここで勝てば王子との試合だ。今負けるわけには!

「まだ魔法を使えるのですか!」

 苛立ったような先輩の声に、蛇を相手へと向かわせる。すぐに一瞬だけ治癒の魔法をかけ、せめて体が動くようにして地面を転がり、グリモワをかざす。

 ギインっと音を立てグリモワと剣がぶつかる。水の蛇は消されていた。負けない、だめだ、負けない!

「雷の花!」

「炎の盾!」

 あっさりと防御され、グリモワを盾にしながらじりじりと足を動かす。立てない。手を地面につき足で地面を蹴って、後ずさるようになんとか距離をとろうとするが、先輩がゆっくりとこちらに向かってくる。

 グリモワでどこまで防御できるだろうか。いや、こんな近い距離じゃ先輩の剣の速さについていけないかもしれない。

 もう一度グリモワに手を掛け飛ぼうと力を注ぐ。気づいた先輩がすぐさま剣を構えたので、もう一度なんの攻撃力もないただの水をぶちまけ、雷の花を放つ。

 離れないと、と思うのに、先輩の魔力が膨れ上がるのが見えた。私の魔法を、易々とさけて。


 いやだ


「負けない!」

 グリモワを思いっきり飛ばし、ハルバート先輩にぶつける。

 あっさりと長い剣がそれを弾き、グリモワはどさりと地面に落ちた。

 視界が揺れる。ああ、もう、魔力がないんだ。


「あなたは強い」

 先輩の声。だけれど、意味が考えられない。

 最後に認識したのは無情に鳴り響く終了の笛の音と、澄み渡る青い空だった。



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