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水魔法が、人にぶつかる描写があります。あまりきつい描写ではないと思いますが苦手な方は気をつけてください。
空を見上げる。
雲ひとつない晴天。真っ青で、いつもより空が遠く見える。そんな朝は外を散歩すると、とても気持ちいい。
おかげで随分と緊張が和らいだと思う。今、このざわめきの中にいても、落ち着いて呼吸を繰り返せる。
目の前には、いつものほにゃっとした笑みを浮かべるルセナ。
目が合った瞬間自然に二人で歩み寄って、ぱちんと片手を合わせる。
「おねえちゃん、約束守ってね?」
「もちろん。ルセナもね」
短く言葉を交し合って、審判のアーチボルド先生の指示でそれぞれの立ち位置に立つ。お互い手は抜かない。
礼をとり、アナウンスを聞く。
『始まりました、三回戦! 本日最初の試合は話題の特殊科一年生対決です! 今日も出るのか華麗な本捌き、アイラ・ベルティーニ選手対、可愛い顔して急所しか狙わない! ルセナ・ラーク選手です!』
……なんだか突っ込みどころが多い紹介だが、思わずふはっと笑ってしまった私とルセナが目を合わせた瞬間鳴り響く、笛の音。
三回戦、開始。
開始と同時にグリモワが空中を浮かび、私は空いた両手を真横に突き出す。
ぱりん、という音と共に、透明な壁が砕け散る。まるでガラスが割れ飛び散っていくように破片がきらきら宙を舞い、すうっと消えていく。やはり、壁があったか。
ルセナは開始同時に壁を作り出し相手を閉じ込めると聞いていたのが役に立った。すぐに両手に魔力を溜め、触れた壁を突き破る事ができた。やはり、出来てすぐは強度が弱いタイプらしい。
そんなルセナも、昨日の私の試合の様子を聞いていたらしく、すぐに魔法の警戒をし防御を展開し始める。
ルセナのあの透明な壁はやっかいだ。だが、無詠唱であんなものを作り出しているのかと警戒して見ていたが、ルセナは確かに詠唱していた。ただ、非常に短い。
恐らく短縮詠唱。あれは相当得意な、それでも弱い魔法でなければ使えない。詠唱はその属性の精霊への働きかけだ。エルフィであればその属性の精霊に頼んで無詠唱で大きな魔法を使うこともあるそうだが、熟練者でなければできないし、この前の事件からも王都にいるエルフィの中にルセナがいないのは確実。
つまり可能性が高いのは、本来自分を守る為に使う物理攻撃用の防御壁を相手を囲むように作り出した、だ。防御壁は内側からも人も魔法も通さないというのが、基本だ。だから、種類によっては壁ではなくもっと小さな盾の防御を使い分ける。
もっとも、自分ではなく相手を中心に壁を作り出すのは容易ではない筈だが。
さすが、天才と噂されているルセナの防御魔法である。
私は壁を割ってその場を離れすぐ詠唱を開始し、鎧の魔法を唱えた。ルセナは防御の天才だ、彼相手に防御対決なんてしていても意味がない。ここは、攻める!
「雷の玉!」
チェイサーを呼び出し周囲に漂わせながら、すぐ次の詠唱を開始する。ルセナはチェイサーを見て何かを詠唱しながら距離をとった。逃がさない!
「水の蛇!」
ずるずると両手から水の魔力が飛沫を上げ、二匹の蛇が目の前に現れる。両の手に同じだけの魔力を集め繰り出す二匹同時の蛇魔法は、チェイサーが上手く出せるようになってから応用したもので誰にも見せた事がない私のとっておきだ。
アナウンスでは二匹生み出した事を大きく会場内に知らせ、ルセナも少し驚いた様子で風歩を使いさらに距離をとると両手に魔力を集めだしたようだ。
「行けっ」
蛇に命じながら、前にグリモワを広げ、後ろにチェイサーを引き連れて私も風歩でルセナの元へと距離をつめる。
先に飛び出した蛇が物凄い勢いでルセナに突っ込んでいくが、途中でぱっと左右に分かれると、ルセナの両側から挟むように近づいた。
前には、私。左右は蛇。後ろは、私から距離をとろうとしたせいでたいした距離もなく壁だ。
ルセナが両手を蛇に突き出す。彼の手の平の先に魔法の盾が現れ、水の蛇が左右同時にそれに突撃する。
「くっ」
消えまいと暴れ狂う水の蛇がルセナの魔力とぶつかり合い大きく水しぶきとなって降り注ぐ。勢いがすごかったのか、ルセナがバランスを取ろうとするが手のひらが押され肘が曲がり、ぐらぐらと小さな体が揺れる。
「今だ!」
私が合図すると、ルセナに振りかかった大量の水と身体を崩した蛇が、ぴきぴきと音を立てて瞬時に氷りついていく。
はっとしたルセナが身体を固めようとする氷を壊そうとする瞬間に全てのチェイサーがそこに向かって飛び込んでいく。
地響きのような音が周囲に響き渡り、弾ける雷で視界が白く染まる。
すぐさまその場から一度離れようと風歩で後ろに跳んだが、すぐに強い風にあおられ、さらに何かが雷が弾ける中から飛び出してきた。
「っ!?」
慌てて防御をはったが、急ぎ作った壁で耐え切れる威力でなかったらしいそれは易々と壁を突き抜けた。
――しまった!
ばちばちと大きな音を立てて破裂するチェイサー。ルセナに一発だけ鏡返しをされたのか!
気づいた時にはもう私の前で弾けた。だがぶつかったのは私ではない。
ルセナがぐっと眉を寄せる。
ルセナが鏡返しで返してきたチェイサーは、私の防御魔法を突き破った。そして弾けた雷から私を守ったのは……グリモワだ。
私の前に常に浮いているグリモワ。実は魔力文字をひたすら書き込んで強化した、私が魔力を注ぐとすぐに盾の役割を果たすように作り出したもの。
そう、武器登録しなければならないと作り出したグリモワの最大の用途は防御だ。使い方は防御魔法が込められた魔法石を嵌めた盾や、攻撃力が上がるように魔法呪文を刻みつけた杖と変わらない。ただ、見た目が本なだけで盾だ。そして盾は試合で武器扱いとなる。
試合には、王子が普段身に着けているような自動で守ってくれる魔法石は禁止されているが、自分の魔力を流し込む形で使うものは武器として認められている。
ああ、鏡返しの前に襲ってきた風がなければ体勢を崩したりしなかったのに!
「……それ、そういう使い方なの、おねえちゃん」
もう少し誤魔化したかったのだけど。
「使わされちゃった」
苦笑して言えば、ルセナは拗ねたように口を出す。
「使い方わかってもこれじゃ嬉しくないよおねえちゃん」
私の周りをふわふわと浮かぶグリモワは、必要とあれば瞬時に移動し私を守る。プラス、私は鎧の魔法を自身に施しているし、状況に応じて壁や盾も出す。
私が他の選手達に劣るのは間違いなく身体能力だ。それをカバーするにはこれくらいはしなければならないだろう。
『アイラ選手、グリモワでチェイサーを防ぎました!! これはいったいどういうことだー!?』
アナウンスがグリモワが本物ではないと知らずに実況する。ルセナはもうこれを盾と認識して攻撃してくるだろうから、それを考えてやらなければ。もう無意味にグリモワを使っているかのようなパフォーマンスは必要ない。
「水の玉!」
「炎の玉」
私が水のチェイサーを生み出せば、ほぼ同時にルセナが炎のチェイサーを作り出す。
両者同時に放てば、水の勢いに僅かに炎が飲まれたもののほぼ相殺され、相殺されずなんとか一発はルセナに水の玉が届いたもののそれはルセナ自身の防御魔法で破壊される。
すかさずルセナが風の矢を放ってきたので、私が壁でそれを破壊しすぐ雷の花を打ち込むが、ルセナがそれを難なく消し去る。
数度そのような打ち合いをするが、基本は防御、相殺されお互いにダメージがまったく現れない。少しでも相手に攻撃が届きそうになれば、私はグリモワが、彼は天才的な防御魔法でそれを防ぎ、埒があかない状態だ。
「勝負つかないね」
「そうだね」
ルセナが魔法を打ちながら剣を構え飛び込んできたが、魔法は相殺し剣はグリモワを操って弾き返す。剣もかなりの腕のようで、とても早い。サイズが大きなグリモワでよかった。ついでに隙あればグリモワで手や足を狙って見たが、彼はそれを剣で防いだ。
互角。
それがアナウンスをする生徒会の生徒の判断らしく、先ほどからこの言葉が何度か耳に入ってくる。
両者一歩も譲らない。接戦だ。そんな言葉ばかりが続いて、何度目かの時、目が合ったルセナと私は同時に笑った。
「一発勝負にしようかおねえちゃん」
「いいね、了解!」
私の合図で二人一気に距離をとり、ルセナが遠く離れるのを確認しながらすばやく詠唱を開始する。
少し長い詠唱だが、焦りは禁物だ。大丈夫、私は試合で一度成功させているではないか。
よし!
「アクアラッシュ!」
「エアリアルラッシュ!」
またしてもほぼ同時に発動呪文が口にされ、うねる魔力が、私は水となり、ルセナは風となって相手へと襲い掛かる。
会場の真ん中辺りで、激しくぶつかり合う。水と風がぶち当たった瞬間に、まるで台風でも起きたかのようにフィールドは水と風に支配された。
「ふぅっ、く」
あまりにも強い風というのは息が出来ないものだ。それに体温を奪う水しぶき。
一瞬視界に、離れた位置で同じように手で顔を覆いながら必死に耐えるルセナが目に入る。
私もルセナも体が小さいから、この風雨に耐えながら魔法を繰り出すのはかなりの体力を使う。魔力が切れるのが先か、体力が切れるのが先か。
もはやこうなるとアナウンスなんて聞こえないし、審判をしている先生がどこにいるのかすら把握できない。
グリモワを辛うじて動かし風を防ごうとしてみるが、右に左に上に下にとどこから攻めてくるかわからない風を防ぎきるのは無理で。
「くぅっ」
先に膝をついたのは私。視界にちらりと見えるルセナはまだ立っている。でも、まだ。まだ魔力なら残ってる!
「う、ああああっ」
全身の魔力を今生み出してる魔法に集中させる。ごうっとまだ勢いを増すことができた水が、中央より奥へと進出しはじめる。
勢いが増した水が見る見るうちにルセナの風を飲み込んでいく。押して、押して、風が半分の長さを飲み込まれた時、ルセナは風を即座に消した。
邪魔なものがなくなった水の魔法がルセナに襲い掛かる。ルセナはまだ諦めていない。力を振り絞り得意の防御魔法に切り替えた。
「――!」
風を飲み込んだ水の魔法がたてる音が凄まじすぎて、ルセナが発動呪文を口にしたが声が届かない。だが、ルセナの周りに虹色にも見える壁が現れ彼を守った、と思った時に私の魔法が彼を飲み込んだ。
しんと会場が静まる。
水が消え、虹色の防御壁がきらきらと散っていく。
私は膝をついていた。ルセナは、と彼を見れば、彼も膝をついていた。
これでも駄目か。まだ、勝負はつかないのか。
立ち上がろうにも、肩で息をしている私はどうにも動けない。
魔力はまだあるか……? 弱い魔法、一発くらいなら。
ふわりとグリモワを動かす。ルセナも同じ事を考えている場合、これで防がなければ。そう思ったのだが。
私の目の前で、ルセナがゆっくり、ゆっくりと横に傾いていく。
水でどろどろになった地面に、べちゃりと彼の体が沈んだ。
「ルセナ!」
グリモワをぐっと掴み残りの魔力を注ぐ。ぶわっと膨らんだグリモワがいつもより更に大きく変化し、私のぼろぼろの体を乗せて飛ぶ。
これも仕掛けていた私のグリモワの力だ。飛ぶという行為は、特殊科の先輩に先を越されてしまったが。
グリモワから降り立ち、泥に横になってしまったルセナを呼ぶ。全身に手をかざし、倒れた原因を魔法で探る。……魔力切れだ。
すぐに詠唱しルセナに回復魔法をかけるが、あれ程の大魔法の後だ、すぐに枯渇するだろう。
「先生! ルセナ回復!」
「ああ!」
漸く視界に入れることができたアーチボルド先生を呼ぶ。先生は既に手に回復に使うであろう鞄を持っている。
先生が到着し鞄からピンクの液体の小瓶を一つ出すと私に押し付け、泥まみれのルセナを引き上げ自分の膝に載せる。
その間にぱっと小瓶の蓋を開ければふわりと広がる甘い香り。これは上等な魔力回復薬だ。
「ルセナ飲んで」
彼の唇にそれを押し付け傾ける。先生が液体が口に入ったのを確認して、終了だ、とどこかに叫んだ。
ピーーーっと長い笛の音。ああ、まだ鳴ってなかったんだ。
アナウンスが何か言っているが、私の身体もぐらぐらと揺れ始める。あ、まずいと思った時、私の身体はルセナの上にぐらりと傾き、真っ白になった頭は何も考える事ができなくなった。
朝も見た筈の雲ひとつない青い空。
まぶしい、と思っていたら急にそれが視界に飛び込んできて、はっとして目が覚める。
「ルセナっ……うぐ」
急に身体を起こしたせいか眩暈がする。頭を抑えながら必死に周囲を確認すると、どうやら観客席のようだ。
「起きたかしら?」
声をかけられてそちらを見れば、二回戦で怪我をした時も治療してくれたあの女の先生。
思わずあれ、と声を出せば、先生が控えめな声で答えてくれる。
「ここは観客席を貸しきってもらった臨時の休憩所です。あなたともう一人の男の子はただの魔力切れですので、こちらで休ませました」
それで漸く、私が席の上に毛布を敷き寝転んでいたことに気づく。見回すと、前の席にルセナの姿もあった。まだ彼は眠っているようだ。
見ればあれだけ泥だらけになった筈なのに、私もルセナも傷もなければ泥もない。服だって綺麗な試合前の状態だ。着替えたのかと一瞬思ったが、恐らく違う。ガイアスが血を消す為に使ったような魔法かもしれない。
時間はどれくらいたったのだろう。魔力の戻り具合からして、私も魔力回復薬を飲ませてもらった筈。
慌ててトーナメント表を見れば、赤の試合は既に終わっていた。
赤グループ三回戦勝者は、アイラ・ベルティーニとハルバート・ランドロークであると表示されている。ピエール、負けてしまったのか。彼は大丈夫だろうか。
続けて青グループを見ると、なんと王子が勝ち進んでいる。相手はフリップ先輩だった筈だが、どんな試合をしたんだ。そこで気づく。今試合をしているのは、あの槍使いと……おねえさま。
慌てて身体を前のめりにしてフィールドを見る。
既に試合は開始していて、おねえさまが距離をとりながら何発も何発も魔法を打ち出し、そして槍に消されていく。
「おねえさまっ」
思わず叫べば、小さく「ん」と声が聞こえた。ルセナを起こしてしまったようで慌てて謝ると、彼は目を擦りながら首をゆっくりと振り身体を起こした。
「静かにしてくださいね」
先生に注意されてしまい、もう一度謝りつつもルセナと二人おねえさまを見る。おねえさまは明らかに押されていた。打ち出す魔法をことごとく潰されているのだ。
ひゅっとおねえさまが何かを投げる。きらりと光に反射するあれは恐らく針だ。
相手は槍を振り回しそれを叩き落したが、一本だけ刺さったらしく肩を押さえ込む。やった!
刺さった針を抜こうとしたのだろうが、急に槍使いがもがきだした。ばちばちと音が聞こえる。どうやら針を介して雷魔法が放たれたらしい。
すごい、あ、槍使いが槍を落とした! おねえさまっ!
ルセナとやったと手を取り合った時、事態は急変した。
男ががむしゃらに針を抜き取り槍を掴み上げ振り上げた時、急激に膨れ上がった魔力。
気づけばおねえさまの身体は浮いていた。いや、何か魔法で吹き飛ばされていたのだ。背を下にし宙に弧を描くおねえさま。思わずルセナと身を乗り出すが、会場に張り巡らされた防御壁は私達だって通さない。
おねえさまは落ちる瞬間何かの魔法を使ったらしいが、それでもどさりと落ちた。あの高さから落ちるなんて、と思ったが、最後に使った魔法がおねえさまを助けたのか、土が赤く染まる事はなかった。
でも。
「おねえさまっ」
「ラチナおねえちゃん」
私とルセナが呆然と落ちた身体を見つめ続けてる間もぴくりとも動かない。
先生が走り寄る。アーチボルド先生ではなく、別の先生だ。
笛の音が、鳴った。




