64.ガイアス・デラクエル
俺には一緒に学園に入った仲間が二人いる。
弟のレイシス、それに仕える主人でもあるアイラ。といっても、幼い頃から兄妹同然に育ったアイラは主人と言うより本当に妹のようだ。そんな事レイシスにいえば、間違いなく怒られるが。妹だとしても、守るべき対象には間違いないので俺は問題ない。
二人は、こう言ってはなんだが馬鹿だ。俺が言うのもおかしな話だけど、あの二人は難しい性格をしていると思う。
まず弟のレイシス。あいつはとにかくややこしい。小さい頃はもっと素直だったと思うのに、兄貴が死んだ時……いや、その後から、変わった。
もともと、双子である俺達は外見がよく似ている。だが、レイシスは誰が見ても俺と双子の兄弟だったが、誰が見ても兄貴に似ていた。俺はそこまで言われないのに、レイシスは兄貴にそっくりだとよく言われていたんだ。
兄貴と同じ雰囲気といえばいいのか。優しくて、物語に出てくる騎士みたいな。俺はどっちかと言うと走り回るのが好きだけど、兄貴とレイシスは本を読むのが好きだった。それでももちろん、兄貴もレイシスも稽古はしっかりやっていたが。
兄貴が死んだ時から、俺達の『妹』であるアイラはすっかり変わった。いつもぼんやりとしていて、時折悔しそうに泣いてる。そして、行き場のない魔力が蠢き、彼女の母親曰く精霊が戸惑っていたらしい。どうにかしようと話しかけたけど、アイラの目はいつも何も見ていなかった。
アイラがとにかく兄貴の事を好きだったのなんて、わかってた。俺は見守ろう、アイラなら大丈夫だと、いつか元に戻る日を待って兄貴の分もアイラを守る為に力をつけようと稽古に励んだけど、レイシスは違った。
あいつは完全に兄貴の代わりになろうとしたんだ。もともと似ている分、俺がやらなきゃ、って思ったのかもしれないし、兄貴になればアイラに好きになってもらえる、と思ったのかもしれない。あいつにとってアイラは特別だ。
兄貴のようになりたいと口に出した事はなかったけど、アイラちゃんからお嬢様と呼び方を変え、剣の持ち方一つまで兄貴を思い出して真似するようになった。口調も、癖も、使用魔法も。
どうせすぐに諦めると思ってた。俺らにとって兄貴はすごい存在だった。俺達が手の届く範囲じゃないと思ったし、持って生まれた性格は変わらない。レイシスは穏やかに見えて、キレると俺より手がつけられないやつなんだから。本当に穏やかだった兄貴とは、まったく違う。
だけど、何年たっても、アイラがまた笑顔を見せるようになってもレイシスは兄貴の真似をやめようとしなかった。剣が向いていないっていわれたとき、悔しそうな顔をしながらどこかほっとしてたのも知ってる。俺と二人で話してるとき、アイラを名前で呼びそうになったりしてるのも知ってる。だけど、俺の前ですらあいつは『兄貴』である事をやめなかった。
まったく、手がかかる。
俺もついやりすぎる事は多いが、レイシスは本当にアイラが絡むと熱くなりすぎる。それほどアイラが大切なのに、アイラに自分を見せようとせず、そしてそれを嫌がってる。兄貴のように振舞ってるのに、兄貴だと思われるのが嫌らしい。ほんとに、手がかかる。
そしてアイラは、我慢しすぎるやつだ。そして本人にその自覚が、まったくない。
弱いのだろうか。もちろん、魔法の腕の話じゃない。父上も言ってたけど、アイラの魔力ははっきり言ってたぶん俺ら三人の中じゃ一番。特殊科の中でもかなり上だと思う。
こちらが驚く程の努力家で、魔力も物凄い。体力面で劣るせいか魔法はレイシスに負けたりもしているみたいだけど、使い方を覚えたらアイラの強さは目を見張るものになるだろうって親父も言っていた。だから弱いと言いたいのは、そこじゃない。
精神的にといえばいいのか。いや、我慢するのは逆に強いのか? それとも、自分が我慢するような事と正面から向き合えていないのか。
アイラは思っていることがよく顔に出る。
例えば、実家では一緒にいる時間帯にレイシスが少し用事があって離れたりすると、非常に不安そうな顔をして探し出す。探すといっても視線をさまよわせるだけで、それを口に出したりはしない。
どうやら俺がいない時も同じようで、アイラは自分から一人でふらふらとどこかに行くくせに、一人にされるのを非常に嫌がる。
でも、それを口に出さないで、溜め込むのだ。あんなに表情に出ているのに。まったく、素直ではない。
そんなアイラが俺らと違う学科に通うと言い出した時には心配したが、アイラの母親のミランダ様に見守ってあげてとこっそり言われたので、しぶしぶレイシスと納得したのだ。
特殊科に入って、目立つせいかいろいろ嫌な事を言われたりもしているようだが、アイラはそれを気にしたそぶりもなく特殊科で楽しそうにしていた。もともと知り合いのフォルや、印象がいいラチナがいてくれたせいだろう。
ほっと安心していたのに、ある日ふと気づいた。アイラは絡まれて嫌な事を言われても気にしていなんじゃなかったって。
決定的だったのは、明らかに好意を向けていたジャン・ソワルーの名前を覚えなかった事。
アイラは頭がいい。情報を武器とする商人の生まれだけあって、ベルマカロンの経営に携わっていた頃から貴族の名前から得意先の顧客の名前など、驚く程頭に叩き込んでいる。
だが、学園に入ってから、他人の情報を得ようとしない。まるで殻に篭ってしまったみたいに、特殊科以外に興味を示さないのだ。
もちろん、淑女科の生徒達のようにアイラに学園で知り合いを増やしてもらい商売に利用しようとか、社交界前にアイラが慣れるようにだとかそういった事はアイラに求められていない。むしろ奥様なんてアイラが貴族に関わる事を心配していたくらいだ。
アイラが他に関わりたくないのならそれでもいい。アイラの両親が学園に入学させたのは、アイラが医療を学びたいと言ったからだ。
ただ、どうにも不自然。
それで気づいた。アイラがいつも笑ってることに。いや、表情豊かなのは変わらないのだが、謂れのない悪口を言われても言い返した後笑っていた。あれは、楽しかったからじゃない。無理してたんだ。
不覚にも気づいたのはデュークのおかげだった。
アイラは任務で向かった先の宿で、貴族の男の心無い言葉で溜まっていた感情を爆発させた。それに気づいたレイシスも暴走した。
アイラは兄貴の死を乗り越えてなんていなかったんだ。あの悲しそうな顔、何も映していない目、膨れ上がった魔力。俺はあれに覚えがあった。兄貴が死んだ後、そのままだ。咄嗟に俺の魔力で押さえ込んだけど、アイラ程の魔力の持ち主が魔力を制御できなくなったら……考えるだけで恐ろしい。アイラは飲み込まれてしまう。
情けない事に、一度魔力を抑えられた後ある程度冷静さを取り戻し治療し続けたアイラより、暴走したレイシスを抑えるのに俺は時間がかかった。アイラのタブーに触れた男に最大魔法をぶち込もうとしていたレイシス。
両者を止めたのは、代わりに平手で男を殴ってくれたデュークのおかげだ。俺がやらなきゃいけなかったのに、情けない。
そしてその時も、アイラは歪んだ笑みを見せた。
でも根本的にアイラはやはり我慢する性格だ。時々その思いを吐き出させてやらないと。
ああ、思えば。兄貴が死んだ時も、攫われた時も。アイラはアイラの父親と話した後、それまでの動揺が嘘みたいにすぐに鎮まった。
あれは落ち着いたからじゃなくて、我慢したのか。
あれは、危険だ。まるで、アイラがアイラじゃないみたいになる。
デュークが仲間として力を貸してくれと言った時、確かにアイラは笑みを浮かべた。思わずこちらもほっとする笑み。ああ、デュークの言葉はアイラに合っていたらしい。
それからも無理した様子はあるが、アイラは徐々に人に興味を持ち始めたようだ。
試合が始まった時、アイラは気になる選手を食い入るように見つめるようになる。
いつもと違う。ただ、不自然ではない。これはアイラだと、ほっとする。
二回戦を終えた後、レイシスは気づかなかったようだがアイラは肩に血をつけて現れた。
他の場所にはない。髪で隠れるように一滴だけ。あの位置なら、アイラは恐らく頬を怪我したのではないか。
すぐにレイシスを遠ざけ、アイラに事情を聞く。どうやら絡まれたようだ。俺も上級生に呼び出しを食らって「いい気になるな」と言われたばかりだから、同じようなものだろう。まったく、怪我までさせるとは。騎士に突き出したいが、難しいだろう。
そんなことより、アイラが俺の前で笑みを崩したほうが重要事項だ。アイラは、隠さなかった。指摘した瞬間眉を寄せ、泣きそうな顔をした。
聞けば、どうやらその場に精霊がいたようだ。精霊について詳しくわからないが、どうせ自分より精霊を守る事を選んだのだろう。まったく。
「アイラ、もう一回言うけど一人になるの禁止だから」
しっかり釘をさして、座敷に戻る。たぶん今のアイラは大丈夫。ちゃんと、周りを見ている気がする。俺の言葉も無視しないだろう。
レイシスが戻りほっとした様子でアイラに飲み物を渡している。まったく、二人とも本当に手がかかる。
……ま、俺も人のこと言えないんだろうけどね。
「デューク様、すごい」
アイラがデュークの試合を見終わったあと、ぽつりと呟く。
ほんと、デュークの試合はすごい。
さすがに一回戦のように余裕を持って剣を鞘から抜いたりはしなかったが、デュークは相手の騎士科三年を相手にしても易々と自分のペースに持ち込んだのだ。
剣の打ち合い。そして、デュークはアイラと同じ魔法を使ってみせた。威力はアイラとほぼ同等。それで、相手の戦意が確実に折れたのだ。
デュークは気づいていたのだろう。アイラの試合の最中に、近くに座っていたあの騎士科三年の生徒が顔を青ざめさせながら一年の癖に上級魔法なんて生意気な、と呟いていたのを。
まったく、同じ魔法をぶつけるとは。もっとも、少し肩で息をしていたようだけれど。
次の試合は、フリップ先輩が選手として現れた。青グループだったのかとはっとしてトーナメントを見てその名前を確認し、試合を見守る。
アイラもラチナの兄さんだと気づいて、ぐっと手を握って応援していた。相手は一回戦を勝ちあがった兵科三年。騎士科一年でも注目されてたミリアを押し切った速さ自慢の選手だったと思う。
だが、心配はまったくなかった。なんたって相手はフリップ先輩。二年騎士科の中でもっとも特殊科入りするんじゃないかと噂される実力者だ。
俺もレイシスも、先輩の大剣の腕にほれ込んでいる。先輩は、体つきは普通なのに持ち前の背の高さを生かしてなのか、大剣使いだ。ただ、体つきは普通と言っても重たいであろう大剣を余裕で操り、ハルバート先輩の細長い剣とはまた違った動きで見る人間を魅了する。
相手が、先輩の振り下ろされた剣を頭上で剣を横にし受け止めた。その瞬間、勝負は決まったと思う。
「ぐあああっ!?」
悲鳴が響く。もちろん兵科選手のものだ。
振り下ろした剣に、恐らく魔法を……重力系の魔法で重さを加えたのだろう。男の周囲の地面ごと、みしみしと地面が沈んでいく。まったく、あの兄妹は競技場の足場を崩すのが好きらしい。あれ、ラチナの試合の後先生が控え室で直すの大変だって愚痴ってたのに。
勝者はやはりフリップ先輩だった。デュークはこれで次の試合相手がフリップ先輩で決定だ。少し羨ましいと思う。ぜひ戦ってみたい相手だ。
そこまで考えて、自分がトーナメント表をしっかり見ていなかった事に気がついてはっとして顔を上げた。自分のグループを見た時、そこにファレンジ先輩の名前を見つけて、思わず手に力が入る。
先輩と当たるには二勝しないといけない。その間に戦う可能性があるシードの相手を見てみたが、どちらも騎士科二年。名前を見る限り負けそうな相手ではなかった気がする。
どくどくと心臓が高鳴る。もしかしたらファレンジ先輩と試合できるかもしれない。強い相手と戦うのは、更に強くなる為のいい経験になる。何より楽しいのだ。
と、そこで、次は噂の槍使いの試合であると気合を入れたが、なぜかアナウンスで黄色グループの二回戦選手の呼び出しがかかった。棄権者が出たので時間が早まりますって言ってるけど。ここまで来て棄権者?
とりあえず行かなければ。立ち上がると、ファレンジ先輩に一緒に行くかと肩を叩かれ、頷く。アイラが手を振ってくれるのに応えて、ちらりとトーナメント表を見ると、まだ戦っていない槍使いが二回戦突破の表示になっていた。
俺の試合相手を見て驚いた。あいつ、俺を呼び出して絡んできた上級生だったのか。顔と名前が一致してなかったから、わからなかった。
控え室でトーナメント表を見ていたが、ファレンジ先輩は無事に三回戦に進出していた。試合を見る事が出来なかったが、ラチナも無事に勝利していた。
俺もこの相手に勝てば三回戦だ。もちろん、負けるつもりなんてなかったけど……相手の顔見たら、絶対勝ってやるっていう気分になった。やる気十分だ。
俺を見て一瞬相手が怯んだようだが、笛の音は待ってくれない。
すぐさま剣を構えて飛び出す。相手が魔力を溜めだしたのなんてわかっている。唱えさせやしない。その手の中にあるサーベルは飾りじゃないだろ?
「炎斬!」
詠唱がない変わりに、発動呪文と武器の動きで繰り出す事ができる武器魔法。武器が扱いなれていなければいけないのはもちろんのこと、通常より多くの魔力を武器に注がなければならず、尚且つ魔法を発動させる分も魔力を練らなければならない為に、使用魔力は少ないのに難易度が高い技。
学園でも教えてくれるが、卒業までに使える生徒は三割を切ると聞く。レイシスだってまだ使えない。
ただ、威力は普通の魔法より弱い。利点は、その繰り出す速さか。
二度目の炎を生み出しながら相手に迫る。相手は一発目で既に目を限界まで見開き防御する余裕しかないようだ。もっともその余裕も、もう与えはしないが。
剣から生み出された炎が大きく燃え上がり相手の服へと燃え移る。どうやら鎧の魔法ももう使えないらしい。
何度も剣撃を繰り返し、とうとう力尽きたのか相手がサーベルを手放した。だが、降参の言葉は出させず、一直線に喉の真横まで剣を移動させる。
「ひっ」
実際降参するつもりがあったかわからないが、喉の横でぴたりと止まった俺の剣に気づいて息を飲んだ後身体を固まらせた。どちらにしろ、急所を狙った。これで終了だ。




