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『さてさて、本日中に二回戦を開始することができました。二回戦第一試合は、一回戦で見事な本捌きを見せた特殊科一年、アイラ・ベルティーニ選手対、騎士科二年のプレイボーイ、グラエム・パストン選手です!』
きゃあきゃあと歓声が降り注ぐ。その多くが女性のもので、目の前の男が大層人気だということがわかった。
私、もう少し学内の情報得たほうがいいかもしれない……。
情報が重要な武器だということを小さな頃から学んでいたのに、と軽くへこみつつも、先ほどこいつが私にしたことは決して許容していいことではないので、ぐっと手に持つ本に力を入れる。痛んだ手は、大したことはない。ただ少し熱を加えられていただけだったので、自分ですぐに治せる範囲だった。
既に一回戦と同じ大きさに変化させてあるグリモワを、目の前の男は面白そうに観察している。負けるわけには、いかない。どんな命令をしてくるのかは知らないが。
ちらっとトーナメント表に目を向ける。二回戦を向かえ選手の名前が書き込まれたそれを急いでざっと確認し、フォルが無事に一回戦を勝利しているのを見つけてほっとする。
これで特殊科一年は全員二回戦進出だ。私は最初。負けない、負けないと意気込んで、視線を戻すと、笑う男が「余裕じゃん」と呟いた。余裕なんて、ないが。
ピーっという開始の音に、ばくばくと煩い心臓に静まれと念じつつ私はとんっと後ろに跳びながら防御魔法を唱える。壁の防御が得意だが、あえて水の鎧。
相手は武器を持っていない。何かしらの武器は登録しているのだろうが、今手にしていないのであれば相手が魔法を好むタイプだと思ったほうがいいだろう。
魔法タイプであれば壁の防御の方が確実に防いでくれるのだが、魔力の消費が激しい。相手の動きを注意深く見る。グラエムは、私と同じように距離をとりながら防御魔法を唱えたようだ。
足が地面につくと同時に、私は目の前に浮かぶグリモワに手を触れる。
ばらばらばら、とページが捲れていき、ぴたりと真ん中のあたりで止まると、そこに手を載せすぐさま詠唱を開始する。これはもちろん一回戦同様ただのパフォーマンスだ。
「水の蛇!」
私の叫びで飛び出す大きな蛇。水しぶきを上げながらすばやくグラエムに向かうそれを、グラエムは難なく避ける。
一度グラエムの横を通り過ぎた蛇は再び向きを変えグラエムに襲いかかろうとするが、次にグラエムが手を上げた時に蛇はピシピシと音を立てて身体を固まらせると、砕け散った。
――氷。
私の生み出した魔力の蛇を、氷らせてしまった。確かに相性は悪いが、そこそこの威力の蛇だった筈。彼は氷使いではないかと仮定して、自然と眉が寄る。
炎が有効だろうが、私は炎タイプの技はそこまで得意ではない。いや、一番不得意な属性と言ってもいい。火は植物を燃やす。緑のエルフィにとって相性がいい魔法とは言えないのだ。私の炎の魔法は、威力がない。
そうであれば差し支えない他の属性に頼ったほうがいいだろう。私は水が得意ではあるが飛びぬけているわけでもなく、炎以外は平均して悪くは無い。
相手は私がどう動くのか観察し、楽しんでいるようだ。
少しむっとして、警戒しつつ次の魔法を一瞬で選び出し、詠唱する。
「雷の玉!」
私の周囲にいくつもの圧縮された雷の玉が出現する。チェイサーは蛇系の魔法の派生だが蛇より少し難しい魔法で、多数の呼び出した玉を操り敵を標的とすると、追尾して攻撃する。
圧縮された魔力はぶつかると弾け相当の威力だ。作り出せる数は術者によるが、私はそれを十は呼び出すと一気に間合いを詰める。
『おお! アイラ選手、まさかのチェイサー二桁だ! さすが特殊科の魔力はやはり桁外れかー!?』
司会の声が耳に届く。数に驚いているようだが、レイシスはこれよりもっと多く玉を作り出す。このくらいなら私も問題なくできるが、確かに使用魔力は蛇の二倍以上だ。もっとも、蛇自体そこそこ難しい魔法だ。現に一日目、二日目の試合で蛇を使用した人は、いなかった。
「やるねぇ」
にやりと笑う男が私のチェイサーをやり過ごす為に新たに壁の魔法を作り出した。強い魔法防御の壁である。だが、その余裕な態度は癇に障る。
――壊す!
「行けっ」
私の叫びと同時にチェイサーが音を立てて壁に突撃した。バチバチと煩く轟く雷鳴。一瞬、男が顔色を変えた。
チェイサーの利点は、一度生成してしまえば魔力を消費しない事か。私はチェイサーをぶつけつつもすぐ次の魔法を唱えることができるのだから。
「風の槍!」
チェイサーでぼろぼろになった壁の防御魔法に、生み出した槍のように鋭い風を突き立てる。一瞬の抵抗を感じたが、それは壁を突き破って消えていく。
「げっ」
慌てて男が引く。その様子に漸く私にも笑みが浮かぶ。魔力でなら、押せる!
「反則だろその魔力!」
「いいえ!」
消えた風の槍をもう一度生み出しグラエムに迫る。グラエムが何かを唱えたのに気づき、すぐに周囲を警戒する。
どくっと心臓が音を立て、足に僅かな衝撃を感じた。……氷の礫が私の背後から迫ってきたようだが、ぎりぎり始めにかけた水の鎧がその威力を相殺したようだ。
足に衝撃を感じたところを見ると、鎧の効果はもう危ういらしい。
一回戦があまりに簡単すぎた。この男、かなり強い。
「なあ」
次々飛び出してくる氷の礫を小さな水の盾で何度も叩き落しながらも、こちらもチェイサーを生み出し応戦していると、男に急に話し掛けられる。
「お前なんで特殊科にいるの」
ギンと音を立てて氷の礫を弾き返すと、男は自分に当たる前にその礫を消し去る。グリモワを使うべきか、いや、まだ。
「魔力がすっごいのはわかったけどさ。何でいるの? 王子かな、それともジェントリー公爵家の坊ちゃん?」
「はあ?」
特殊科にいる理由と王子やフォルが何の関係があるのだ。私はこの学園の医療科を希望して入学し、学園に特殊科に選ばれた。それ以上でも以下でもない。
魔法を打ち合いながらこの男の言いたいことはなんだと考えた時、思いついた理由に思わず魔力を爆発させた。
「うわっ」
強い風にあおられ、対峙する男が受身をとったようだが、ザザザっと音を立てながら大きく後ろに飛ばされる。
「私が王子やフォルに近づくために特殊科を利用しているといいたいの?」
風歩で近づいて、男を睨みながら言う。
男は私と視線を合わせるとにやりと笑った。
「子爵じゃ満足できなんじゃないの? 強欲なベルティーニ」
「ちがっ……!」
すぐに否定しようとして、だがその言葉が出なかった。
のし上がる、というのは、そういうこと?
……違う。私は少なくとも、あの二人に取り入ろうとしているつもりはない!
「私は努力して上に行く!」
思わず力が入った言葉。だが、無意識に低く小さな声だ。それでも男はきちんと聞き取ったらしく、ほんの少し目を大きくした。
「……俺嫌いなんだよね、媚売る女。良家の嫡男に気に入られて結婚して万々歳みたいな」
「知るか!」
お前の好みなんぞ知らん! 息荒く返せば、男がくくくっと笑う。
「そんな口調だったっけ、アイラ」
「口調……!? うあー、別になんだっていいじゃない」
つい脳内の突込みがそのまま口に出てた気がするが、そもそも私は小さい頃はお嬢様言葉とやらを必死に使おうと心がけていたが、年齢があがるにつれだいぶ崩れてきた自覚がある。
前世の知識が邪魔をするのだと自分に適当に折り合いをつけて、必要以上に使っていないのは確かだ。ばれたらたぶんお母様に怒られる気がしないでもないが。ね、ネットスラングを使い出したりはしてないはず! 気分は指摘された内容におわた! だが。
ひゅっと風の流れが変わったのを肌が感じる。相手が魔力を高めていることに気がついて、瞬時に離れ私も詠唱を開始した。
気合は十分だ。相手の魔法を打ち消してやると魔力を高める。
唱えるのは水の上級魔法。私のグリモワは本物じゃないんだから、使えるぎりぎりの範囲だし、使うのだって難しい。だが、相手が氷なら氷らされる前に逆に溶かしてやる!
「アイシクルラッシュ!」
「アクアラッシュ!」
ほぼ同時に唱えられたのは同じ系統だ。あちらもやはり上級魔法か。ゼフェルおじさんに聞いた事があるけれど上級魔法を使える学生というのはほんの一握りらしい。魔力があっても、制御が難しいのだ。
水と氷がぶつかり合う。礫でも槍でもなく、ただ濁流のように流れ込む水とそれを氷らせようと蠢く氷柱。激しくぶつかり合い飛び散った氷と水しぶきが両者を襲い、私もグラエムも服が裂け、肌に傷が増えていく。
残りの魔力と相談して、威力を上げる。水の流れが激しくなると、氷が押され始めたのが目に見えてわかるようになった。魔力は私の方が、上!
負けない。負けるわけにはいかない。私はここで負けたらいけなんだと、脳内にいろいろな事が駆け巡る中それだけが妙に心に残る。王子と約束したのだ。のし上がって、腐った制度を変えて、もうサフィルにいさまみたいな人は増やさない。
そうだ、それが私の学園に来た理由!
「いっけええええっ」
水が氷を飲み込み溶かした時。
突然氷はすべて消えうせ、とうとう水が押し切った。
しまった、あちらの魔力が尽きたのか!
水に飲まれ、なんとか防御しようとしたようだがグラエムはそのまま水に飲まれ競技場の壁に叩きつけられる。慌てて魔力を切り水を消し去って近づく。やばい、やりすぎたかもしれない!
「グラエムさん!」
回復魔法の詠唱をしながら跳び、目を閉じぐったりとしているグラエムに近づく。治癒をかけようとすると、がっと腕を捕まれる。
「えわっ」
「あんた馬鹿じゃないの」
は? 何? と呟きながらその表情を確認する。どうやらまだ動けるらしい。あれを食らって、耐えたのか。
「馬鹿はそっちです、魔力の限界まで魔法を使い続けるなんて!」
尽きた瞬間水に飲み込まれるのなんてわかっているのだから、尽きる前に防御魔法に転換するべきだった。この男ならそれくらい余裕だった筈だ。
「いいんだよ。面白いから。お前次の試合に進むの、気をつけるんだな。お嬢さんたち、怖いぜ?」
「はあ?」
「頼まれてたんだけど、無理だったわ」
何の話だ、と問おうとしたが、グラエムは私の手を押さえたままゆっくり目を閉じた。やはり限界だ。慌てて回復魔法をかける。
その時ふとした違和感。
私が治癒をしているのに気づいた教師が慌てて駆け寄り、試合終了の笛の音が鳴り響く。
アナウンスが『今大会初の大魔法対決だ!』と言い放ち、会場は非常に盛り上がりを見せた。だが、私はなんだかすっきりしない。
この人、何がしたかったの。
結局勝利したのは私だ、妙な命令を聞かなくてもよくなったのはいいが、試合の最中話しかけられた内容も意味不明だし、最後の台詞も訳がわからない。それに何より。
ちら、と腕を見る。全身に細かい傷を負ってはいるが、私はかすり傷程度だ。それに、私の右腕だけは傷一つない。
最後の瞬間、グラエムは私に回復魔法をかけた。
魔力が、まだあったのだ。
なんで回復。どうしてまだ魔力があったのに氷魔法を切ったんだ。
私が応急措置をしたことで目を覚ましたグラエムと一瞬だけ目が合って、微かに笑みが浮かんだのを見る。やんちゃな子供みたいな目。
なんで? そんなことばかりぐるぐると考えて、私はまったく勝利を喜ぶことができなかった。




