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「本、本でぶん殴った!」
盛大に笑っているのは、王子である。
一回戦を一番最初に勝ち進んだ私はしばらく試合がない為、昨日までも観戦していた特殊科の席に戻ったのであるが、戻った瞬間私を見て目に涙まで溜めて大笑いしている王子に出迎えられたのである。なんでここにいるんだ王子、王族専用の席はどうしたと突っ込めば、つまらないから出てきたなんて簡単に答えてくれる。それでいいのか。
「グリモワで、どんな大魔法使うのかと期待させておいて、出てきたのはただの雷球と水で、メイン攻撃が物理属性……!」
余程お気に召したらしい王子は、とうとう笑いすぎて浮かんだ涙を拭いだした。そこまで笑っていただけて光栄です……? だけど王子、私は本で殴ったんじゃなくて、本を風で操ってぶつけたんです。殴ったなんてそんな人聞きの悪い。
確かに私が使った魔法は、私が今まででもっとも使い慣れていると判断したものだ。雷の花も水も、慣れている分威力を上げやすい。あれならグリモワで威力上げたように見えると思って選んだのであるが、新鮮さはまるでないだろう。
対し、レイシスはさすがですお嬢様と微笑んでいる。こっちもこっちでそれでいいのか。やっぱまずかったかなぁ本で殴るの。(認めた)
狙ったのこめかみだしね……。
「笑わせてもらったぜ!」
けらけらと笑うファレンジ先輩に、なんだか申し訳なくなる。昨日までの兵科の試合より盛り上がらなかったかもしれない。まあ、今の私はあれが精一杯なんだけど。
「まあ、油断するなよアイラ。今年の騎士科は魔力眼鏡で測定した魔力のおかげで入ったやつも多い、つまり力はあっても経験不足だ。特殊科なら、勝って当然だぞ」
「わかってます……そんな事より、ルセナは?」
もちろん相手が手応えが無さ過ぎるのには気づいていた。魔力眼鏡を使ったのは今年からだ、完全実力で選ばれた上級生の騎士科相手ではああはいかなかっただろう。
それより、急いで戻ってきたがルセナは5番。私の試合の次だったのだ。移動中に聞こえた歓声から、既に試合が始まっているのだと慌ててきたのに、今競技場の中に立っているのは教師達だけだ。
「ああ、面白さも何もなく、ルセナの圧勝だったぞ」
ガイアスがそういうと、フォルが苦笑する。
「うん、アイラも早かったけど、ルセナはもう一瞬だった」
そういってフォルが説明してくれる内容は、本当に呆気に取られるものだった。
開始の笛の音と同時に、意気込んだ対戦相手の兵科の二年生を、ルセナが一瞬で見えない壁に閉じ込めたのだという。
当然突っ込もうとした対戦者は、見えない壁に自ら顔を突っ込み、その場で盛大に潰れた。その後狭い壁の中で必死に一人動きまくっていたらしいが、ぼんやりと剣を構えたルセナが相手の喉にそれを突きつけて急所寸止め、試合終了の運びとなったそうだ。
「えええ、見たかったあ」
何の魔法を使ったのだろう。これで私もルセナも二回戦進出を決めたが、次の試合も私の次がルセナの番だ。次は席に戻らないでどこかで見せてもらえるように先生に頼んで見たほうがいいかもしれない。
一年特殊科が二人連続勝利したことで、観客席はかなりの盛り上がりを見せているらしい。ついでに私に突き刺さる視線は、今後戦う可能性がある騎士科の上級生達のものだろう。
すぐ、次の試合のアナウンスが入る。競技場に視線を移した私は、思わず飲もうとしていたジュースがおかしなところに入りむせた。
なんと選手がこちらに向かって嬉しそうに手を振っているのである。なんて言ってるかはわからないが、あれは確実に何かよからぬことを叫んでいる。
「ピエールじゃない……」
次の試合は彼だったのか。対戦相手は……あ、弓使いの女性の人だ。
『次の試合は、勝ちあがってきた期待の女戦士、兵科三年生、ゾーラ・シェリー選手と、騎士科一年期待の新星、ジャン・ソワルー選手です!』
え? 期待の新星? あ、ピエールの本名か!
そういえばそんな名前だった、とのんきに競技場を見下ろしていた私は、笛の音と共に張り詰めた競技場に一瞬息を呑む。
本気だな、と誰かが近くで呟いた。本気? どちら、が?
ひゅっと矢を放つ音が耳に届く。いつの間にか静まり返っていた競技場。みんなの視線が注がれる中、何本もの矢が放たれる。それはまるで雨のように斜め上から次々とピエールに向かって降り注ぎ、やむなくピエールは少しずつ後ろへと離れていく。
弓使い相手に距離をとらされた。これはまずい、と思った私は次の瞬間考えを改めた。
十分距離をとらせた弓使いの女性が、渾身の一撃を放とうとしたのなんてすぐにわかった。魔力が膨れ上がったのだ。恐らく、矢に魔力を乗せて放つつもりなのだろう。総じてそのタイプの攻撃は、避けにくい。
さすがにピエールに矢が突き刺さる瞬間を見れず思わず目を瞑りかけた、その時感じた魔力にはっとしてその方角を見る。
ピエールの髪のように、青く揺らめく魔力。ピエールは勝利を確信した笑みを浮かべていた。
えっ、と、戸惑う相手の女性の声がまるで耳に聞こえたようだ。
すぐに放たれた彼女の矢は、ピエールが剣を振り下ろした瞬間には彼女の足に突き刺さっていた。
鏡返し。
水魔法の一種だ。目の前に非常に薄い水の鏡を出現させ、一度だけ相手の攻撃をそのまま返す、私が以前使った氷の鏡より恐ろしく扱いが難しい魔法。
なんて技を使うんだピエール。その技、水魔法が得意な私だってゼフェルおじさんに習ったのは大分昔なのに、今も二回に一回は失敗する大技の部類だぞ。
彼女の足に刺さった矢は、威力は大したことが無いようだ。だがそれでもまともに食らってしまえば動けないだろう。恐らく、速度を上げた矢だったのだ。そうでなければ、鏡返しにあっても避けれたのかもしれないのに。
誰しもが呆然とする中、風歩で移動するピエール。
弓使いの彼女の戦意は、彼の剣が目の前に迫った時点で喪失したようでその場に崩れ落ちる。
「治療班をお願いします!」
慌てた先生の声が響き渡る。
『こ、今年の一年はすごいぞ!? 勝者、ジャン・ソワルー選手!』
わっと会場が沸く。これは……彼と当たるかどうかはまだわからないが、戦いづらい相手だ……いろんな意味で。
前の決闘、なんだったんだ。思わず思ったのは、仕方ない事だろう。
「じゃ、行って来る」
「あ、私もですわね」
青グループの一回戦選手が呼ばれ、王子とおねえさまが席を立つ。競技場にはまだ勝利に沸くピエールもいるのだが、周囲の視線は今完全に観客席を歩く人間に向いているだろう。
第一王子は青グループだ、と、ざわざわ騒ぎが起きる。顔を青くする者、明らかにほっとする者。彼らは騎士科の生徒のようだから、王子と同じグループか否かでその顔色を変えているのだとしたら……王子、強いのか。
騎士科での様子なんて私は知らないから、王子がどんな戦いをするのだろうと少しわくわくした気持ちで見上げる。一度振り返ってにやりと笑い手を上げた王子と、少し緊張した表情のおねえさまに、一年特殊科のメンバーで手を振る。ちょうど戻ってきたルセナが、手を上げて王子とぱんと手を打ち合った。
「勝つよね」
「当然」
「もちろんですわ」
簡単にルセナと言葉を交わすと離れていく王子とおねえさま。
「ルセナ、おかえり」
代わりに戻ってきたルセナに皆が声をかけると、彼はふにゃっと笑いおねえさまがいなくなったことで空いた私の隣に座ると、そのままうとうとしだした。や、やっぱり眠いのか。
次の試合は誰だっけ、と誰かが言うと、レイシスがどちらも騎士科の一年ですねと答えてくれる。なら、少しだけ眠らせておいてもいいかもしれない。そう思いながら競技場にも用意されているスクリーン上のトーナメント表を確認すると、今からの試合が10、11番。12、13はシードなので、王子の14番がすぐにやってくることに気づく。青最初の試合は王子だ。
「王子の試合すぐだね」
「ラチナ23だよな、青グループの最後だぜ」
ガイアスがそういうと、俺は黄色の最後かぁとトーナメント表を見ながら呟く。今日戦えるのかなと少々不満そうだ。
そこではっとして緑グループを見る。レイシスは確か39番で、フォルは45……あ、よかった、同じグループだけどしばらく当たらないみたい。
早々に二人が当たらなくてよかった、とほっとする。この分だと一番初めに特殊科同士で当たるのは私とルセナらしい。
ピーっという音がなり、次の試合が始まったことを知らせる。
横の席の騎士科の応援が盛り上がっている。ただ、見たところ今試合してる二人はそこまで強くなさそうだ。もちろん昨日までの兵科の試合よりは見所もあるようだが、今年シード制が採用されたのは、これを見越したためかもしれない。
もっとも、さっきのピエールは規格外だ。あんな強いなんて。
試合は十分程動きがなかった。互いに弱い魔法を小出しにしつつ、剣を打ち合い様子を見ている。このままだと本当にガイアスの試合が今日できるのか怪しいかも。そう思った時、唐突に決着がついた。
一人が振り下ろした剣で、もう一人の両腕から鮮血が飛び、地面の上をくるくると飛ばされた剣が回転している。
「持久力がないな」
ファレンジ先輩の指摘は正解らしい。両者はあはあと肩で息をし、これまでの細かい傷もあって満身創痍だ。魔法自体は小出しだったようだが、疲れるのが早すぎる。
「……あれくらいで」
これが正直な感想だ。あれじゃ将来騎士になる事が出来ても最初の体力作りについていくだけで精一杯じゃないだろうか。
「おかげで、一年騎士科の指導はすっげえ厳しいけどな」
ガイアスそう言って苦笑する。
魔力が高い人間が多い分、厳しい指導で追いついていない経験を補おうとしているらしい。
疲れきった勝者がふらふらと腕を上げ、赤グループの一回戦は終了の笛の音を告げたのだった。
「あ、デュークだ」
少しの休憩を挟んだ後、競技場にデュークの姿が現れた時、観客席から大きな声援が上がる。
これは戦いにくそうだなと見ていると、対戦相手は顔を青くした同じ騎士科の生徒だった。
「あー。これはたぶん早いぞ」
相手を見た瞬間ガイアスが呟き、レイシスもよりにもよって、と微妙な言葉を出す。
「え?」
「王子の相手、彼いつも模擬試合でも王子に勝てた事がないんです。毎回、一瞬で」
「あら……」
それはまた、戦う前から顔を青くするのも仕方ないか。ルセナなんて、ちらっと目を開けて会場を確認したあとまたすぐ眠りの世界に入っている。
開始の笛の音が鳴る。
王子は、悠々と笛の音が鳴り終わった頃に剣を鞘から抜いた。それなのに、対戦相手はがたがたと緊張の為か震えて剣を構えているだけだ。
王子が何かを言った。声はここまで聞こえなかったが、その言葉で相手はぐっと腰を落とす。ここにいても魔力が膨れ上がったのがわかる。あの相手、あれだけ見ればかなり強そうに見えるのだけど。
ぱっと風歩で移動し、王子に迫る。王子はいつもの笑みを浮かべて剣を構えた。
キイン、と、剣が交わる音が鳴った後、どん、とおかしな音がした。
まるでアニメみたいに剣を交し合った二人が、今はお互い背を向けて剣を振り切った体勢のまま。
どうなった、と誰もが息を呑む。
ほんの数秒、沈黙が支配する。
「あっ」
誰が叫んだのだろうか。にやりと笑った王子が剣を下ろしたのと同時に、相手の生徒が膝から崩れ落ち、そのままうつぶせにどさりと倒れた。
駆けつける教師。
「安心しろ、平打ちだ」
その声は、しっかりと会場内に響く。どうやら教師がアナウンス用の何かを持っていたらしい。
王子が一瞬だけ武士に見えた気がした。安心せい、峰打ちじゃ……みたいな懐かしい台詞つき。
んな、時代劇みたいな台詞……。
しかし次の瞬間、わっと観客席が沸いた。主に黄色い声。熱が入った女性たちが、くらくらと倒れこむのが見えて一時騒然とする観客席。
青グループの試合は、場内の熱気最高潮で迎えたのであった。




