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二度ある事は三度ある、とは、同じ事が二回もあるなら、さらにもう一回来る事もあるのだから気をつけろ、という意味の前世の言葉である。
なぜ今私の脳内にこのことわざが浮かんだのか。それは。
「まあ、アイラ・ベルティーニ様ではございませんか!」
ああ、いいかげんにさ、こうもうちょっと変化をつけようよお嬢様方。
私は背中に流れる冷や汗を感じながら、目の前の扉をばんと閉めた。後続で部屋を出ようとした人間がいたのではあるが、まあ仕方ない。
「午前は医療科の授業をお休みになられていましたのに、午後はお出かけになられますの? 皆様大変心配しておいででしたのよ?」
「まあ、そうでしたか」
引きつった笑みを浮かべつつ、早く立ち去れと願う。早く立ち去らないと困るのはあなたですよ、と念じながら。
「フォルセ様も午前お休みになられていたんです。あなたがフォルセ様にご迷惑をおかけしたのではないかと皆気が気ではなくて」
そう言いながら頬に手を当て、困ったようにため息をつきながらこちらにぎらぎらとした視線を送るという器用な芸当をしているのは、医療科の生徒だ。名前は……忘れたけど、確かリドット侯爵家の縁戚の少女だったと思う。
というか、やっぱり心配ってそっちか。私が休んでいた事ではなく、同じく休んでいたフォルの心配。わかってはいたが、だから私がフォルに何をしたのだと言いたいのか。悪いけど、王子やガイアス、レイシスも一緒ですよー……なんて言ったら火に油な気がするので黙っておく。
むしろ私は今手に力を入れるのに精一杯だ。さっきからドアノブが回ろうとしているのを抑えるのに必死なのだ。彼らが出てきたらこの少女が騒ぎ出すのは目に見えている。早くどこかに行ってくれ!
願いもむなしく、彼女は私の行動なんて気に留める事もなく自論を展開する。
「思うんですけど、アイラ様は少々立場というものを弁えていただいたほうがいいと思いますの。フォルセ様にもご迷惑でしてよ? たかが魔力に優れている程度で特殊科に入られたとて、元は庶民なのです。私のように高貴なる侯爵家の血を引いていてもフォルセ様や殿下のようなお方に近づく事は憚られますのに……」
ずっと続きそうだなこれ! っていうか似た話ならあなた以外からも何回も聞きましたから。なんでみんな言う事一緒なんだ!
「ただあなたの魔力が重要なのであって、あなたの存在自体はまったく必要ないと思うんですの。わざわざあの高貴な方々と接することなくとも、侍女や侍従……そうですわね、使用人と一緒ですわ。そのような振る舞いをお心がけなさったら?」
あーっ! それ以上言うな、やばい、誰だ今ドアノブ掴んでるやつ!
申し訳ないけど少女の話しは右から左に流していた私だが、どうやら中の人達がそうは簡単に見逃してくれなかったらしい。誰だ、ガイアス? レイシス? 今言われている台詞で怒りそうなのはこの二人か。あーもう、知るか!
限界を感じてドアノブから手を離した私の目の前で、ばたんと音を立てて開く扉。
てっきり先頭に現れるのは、感情に素直なガイアスよりも実は激情型のレイシス……だと思いきや、思いっきり笑顔を顔に貼り付けた、この真夏に冷たい空気を背負った……話題のフォル本人だった。
「あちゃー……」
「ふぉ、ふぉる、ふぉるせさまっ!?」
かわいそうに、私に声をかけていたお嬢様は現れた人物、そしてさらに後ろからひくひくと口元をひきつらせた笑みを浮かべた王子を見て、顔が青ざめ……いや、蒼白だ。人形のように生気がない。
人間自分より爆発している人間を見ると、意外と落ち着くものである。後ろから現れたガイアスとレイシスは、どちらかと言うと苦笑と呆れの表情だ。それでもまず先に私に駆け寄ってきてくれるあたりさすがの二人であるが。
「ふ、二人とも。おねえさまたち待っているしはやく屋敷に……」
「うん、あとでね」
無駄な足掻きをフォルと王子に語ってみたが、笑顔のフォルに一蹴された。こりゃだめだ。
もういいか、とあっさり私も諦めて、困った顔で玄関に立ち尽くしているレミリアに、大丈夫だから戻っていいよーと手を振り、アルくんを頼んで扉を閉める。今からここは真夏の極寒地帯だ。ツンドラだ。レミリアを退避させることが先決である。
「きみ」
「はいいいい」
かわいそうに、少女はフォルに名前を呼ばれて震え上がっている。ああ、寒い。さっきまで暑くて仕方がなかった筈なのに。フォル、スーパーのエアコンより効きがいいよ。
そういえばそろそろ本気で夏のテストの勉強しないとなぁ。騎士科はどんなテストなんだろう。医療科は普通に筆記のテストと、実技に魔法薬の作成がある。今回は塗り薬だ。通常の薬を作る過程で魔力を込め、飛躍的に効果を上昇させるもので、難易度はそこそこ高い。もっとも、飲み薬より塗り薬は比較的簡単なので、そこは一年目のテストといったところか。
今日の授業の範囲はあとでおねえさまに聞かなくちゃ。
そんな現実逃避している間に、フォルはちゃくちゃくとお嬢様を攻撃……じゃない、指導していたらしい。顔面蒼白なお嬢様は、ぷるぷると震え既に生まれたての小鹿のようだ。足が。
「そもそもアイラが立場を弁えるというのはおかしいね、彼女は僕の友人だ。僕の友人に勝手な憶測を押し付ける人間が万が一いるのだとしたらそれは弁えたほうがいいかもしれないけれど」
「あー、フォル、フォルセ。わかったからもうほっとけ。ジュリエッタといったか、午前は俺達は特殊科の関連で時間を貰った。教師にもちゃんとそう伝えてある。何も問題ない筈だが?」
王子の言葉に、今度こそがっくりとお嬢様はその場に膝をついた。ああ、そうだお名前はジュリエッタ・アレスだ……っていうかこの子の使用人はどこですか、誰か連れて帰っておくれ!
「ああ、もうそろそろ行かないと昼食の時間がなくなってしまうね。……きみ、一人? 部屋まで送ろうか?」
にこり、と、間違いなくどのお嬢様も思わず「はい」と答えそうな笑みでフォルが告げる。
「い、い、いえ! 大変失礼いたしました……!」
だがしかし、半泣きの少女はその笑顔を見た瞬間引きつった顔でそれを辞退し、電光石火の早さでこの場を立ち去ったのであった。
フォルこわい。
「ん? 何かなアイラ」
「いえ、何も!」
「心配しましたのよー!」
ランチボックスを持って屋敷を訪れた時、もよんとやわらかい何かに包まれた私の上からおねえさまの声が降ってくる。ああ、これ、ラチナおねえさまの胸ですか!
「も、申し訳ございませんでしたおねえさま」
「ううん、アイラが無事ならいいんですのよ」
「すみませんラチナ、一人にしてしまって」
「いいえ、授業は大丈夫でしたし、ルセナが迎えに来てくれたので一人ではなかったですわ」
あの、おねえさま苦しいです。
そんな私の言葉がもがくことによって伝わったらしく、やっと開放された私は今度後ろに数歩ステップを踏んだ。今度はなんだ! 仰天した私に視界にふわふわの若葉色の毛が映る。
「……ルセナ」
呆れたような声は王子のものだ。だが彼は首を振って私から離れる事がなく、どうやら二人にさびしい思いをさせたことに気づく。
「説明するからとりあえず昼食にしよう」
王子がそう声をかけ、ぱっと顔を上げたルセナに手を引かれて私はソファに腰掛けた。隣に陣取ったのはやはりルセナ、そしておねえさまも反対側に座る。
「さあ、私のアイラを拉致した言い訳を聞かせてもらいましょうか」
「おねえさま、私おねえさまのアイラですのね!」
「わかったからちょっとお前ら静かにしてろ!」
いつもより少し賑やかな空気の中、ランチボックスをそれぞれ広げて昼食が始まる。さっさと食べ終えた王子が事の次第を説明しだすと、頷いていたおねえさまとルセナの表情が強張っていく。
「大丈夫、でしたの?」
「危険じゃ、なかった……?」
顔色を変えたおねえさまが王子に尋ね、ルセナは心配そうに私の顔を覗き込んで質問してくる。それに微笑んで頷きながら、私も食事を食べ終える。今日のランチボックスはおいしいカツサンド。ハムサラダに、にわとりを思わせる可愛い顔付きのゆで卵。若干キャラ弁と化してきている気がする。腕を上げたな食堂の調理人。
「特殊科も一年から依頼を受けることができたんですのね……」
「ずるい……僕も行きたかった」
ルセナは少し不満そうだ。王子は、始めから五人で行く予定だったのではない、と説明している。エルフィの事を隠すためだろう。
「仕方ないだろう。依頼を受けた時ここに"たまたま"居合わせたのが俺達しかいなかったんだ」
「わかってたら、僕も帰らなかったのにな」
こてん、と食べ終えたルセナが、私に頭を預けてきた。どうやら拗ねているらしい。彼は昨日昼食を共にし、午後も直前まではガイアス達と一緒にいたのだ。そのまま帰らなければ僕もいけたのだと拗ねているのだろう。
「依頼は、仕事だ。軽い気持ちではいけないぞ」
「わかってる」
王子の言葉に頷きながら、ずるずるとルセナの頭はさらに倒れて行き、私の膝に落ち着く。ああ、本当に小さな頃のカーネリアンみたいだ。
そっとその若草色の髪を撫でると気持ちよさそうに目を細めるルセナを見て、笑みが浮かぶ。しばらくそのふわふわの感触を楽しんでいると、「アイラ」とフォルの声がして、彼が引きつった笑みを浮かべているのが見えた。
なんだいフォル。羨ましくても変わってあげないよ。
「え、騎士科と兵科って外でテストするんですか?」
私の疑問は、何気ないガイアス達騎士科の会話から生まれた。
ガイアスが「それにしてもテストはいいけど行くのがだるいな」と切り出したのだが、それに続く王子やレイシスの会話がどうにも学園内の話ではない。ちなみにルセナは私の膝の上でうとうとしていて会話できそうにないので、王子達に向けて尋ねる。
ここからだと行き帰りに時間がかかるかなとか、何日に行くんだ、とか。まるで外に出るような会話なのである。
一瞬、狩りのテストで王都から出て森にでも入るのかと想像したが、ああ、と頷いた王子が告げたテスト内容は衝撃のものだった。
「なんだアイラ、知らないのか。兵科、騎士科、特殊科のテストは国立競技場での試合だぞ。観客も来るから気を抜けないししっかり備えておいたほうが……」
「は、はあ!?」
今なんていった。兵科、騎士科、その後!
「特殊科!? なんで!?」
「……アイラもしかして、医療科のテストの後僕達は特殊科のテストもあるって、知らなかった……?」
心配そうに声をかけてくるフォルを見て、がっくりと項垂れる。聞き間違いじゃなかった……テストって……試合って……。
「夏の名物なんですのよ、学園主催の競技場の試合は」
「お嬢様は王都にこられるのは初めてですから……」
心配したおねえさまが説明するには、こうだ。
毎年学園が夏に主催する競技場での試合は、日ごろの生徒の成長の成果をお披露目する意味も兼ねており、始めは兵科、勝ち残った者が騎士科、特殊科の生徒と戦い勝利を目指しながら、観客もその様子を見ていい人材を見つけると卒業後にスカウトに動いたりするという、一大イベント。
特に兵科の生徒の気合の入り方は凄まじく、また熱が入った生徒達の試合を、観覧予定の客もかなり楽しみにしているという、夏の王都の風物詩となっているらしい。
私は今年初めて領地から出てきた上に、領地ではそのような事を調べたりする事もなくお菓子作りと勉強に励んでいた為に、まったくの初耳である。
「……はっ、お母様の手紙に、夏楽しみにしてるって書いてあった気がする!」
それは確か入学して間もない頃に、特殊科に選ばれたと報告した手紙の返事を貰った時に読んだ気がする。てっきり夏休みの事かとその時は思ったのだが、そもそもこの学園に夏休みというものはほんの数日しかない事を知ったのがつい最近。
「ま、まあ。先に医療科のテストが来るし、大丈夫だってアイラ」
ガイアスの慰めになっているようでなってないよくわからない励ましを受けながら、私は試合ってどうしたらいいんだと途方に暮れたのであった。




