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戦闘、流血描写あり
「そんな事言わずに。ご主人に秘密にすればいいだけだろう?」
にやにやとした、背筋がぞわぞわするような笑みを浮かべながら男が言うと、心底困った表情をした女性がさらに必死にそれに首を振る。
「……ご主人、第四騎士団の新人なんだってね?」
その一言で女性の顔がさっと青ざめるのを見て、手をぎゅっと握り締めていた私は我慢できずに飛び出そうとした、が。
「お嬢様、いけません」
ぐっと手をつかまれて引き戻された私は、ぽすっと人の腕の中におさまる。どうやらレイシスにとめられたらしいと気が付いて、自分の行動に呆れつつもほっとする。
「……ごめんレイシス」
「いいえ」
そっと体勢を立て直すのを手伝って立たせてくれたレイシスにありがとうと小声で声をかけて、ふたたび開け放たれた窓の外にちらりと視線を向ける。
青ざめた女性を優しく介抱するようなしぐさで高級宿に連れ込もうとしている男。
正直なところ出て行って男を張り倒してあの女性を助けたいのだが、今私達は絶賛かくれんぼ中だ。一応護衛対象のあの男に気づかれないように隠れなければならない。
報告によれば彼は以前学園の紳士科におり、魔力は下の上。私達ならば少し気を使っていればばれることはない。
でも……さすがに、あれは見過ごせない。あの男、あの女性の旦那さんの名前を出して脅しているのだ。
宿に連れ込まれれば何があるかなんて、さすがに前世の記憶もある私にはばっちりわかってしまう。もしかしてみんなまだわからないから、止めないのだろうか。だとしたら私が何か理由を考えて助けないと。
「ねえ、あの女性このままじゃだめだよ。ほら、あの男の人危ないんだし! デューク様、」
「レンだと言っただろ。まあ、確かに。これから殺人犯が現れるかもしれないっていうのにあの男と二人っきりにするわけにはいかないか」
外でデュークと言うのはまずいだろうと、王子のフルネーム、デューク・レン・アラスター・メシュケットから二つ目の、レンという名で呼ぶようにと指示されたのを忘れた私に何度目かの指摘をしつつ頷いた王子が伝達魔法を使用する。うん、気をつけます……屋敷で何度も練習した筈なのに。というか、レンって呼ぶのは大丈夫なの?
一瞬で伝達は終わったようだが、すぐに少し離れた位置で何かが動く気配がしたと思うと、目の前に現れたのは騎士だ。外套を羽織っている為に所属がわからないが、あの顔はどうも見たことが……
「お! 奥さん久しぶりだね」
護衛があの女性に話しかけると、女性はびくりと身体を震わせたまま目を見開いて身体を硬くした。しかし気にした様子もなく騎士がどうしたんだいこんなところで、と話しかけた時、騎士が確かに女性に対し手で招くような動作をする。
ばっと飛び出した女性を、呆気に取られていた貴族の男は捕まえ損ねた。騎士の下に走り寄った女性を見て、ちっと舌打ちをする。
「なんだお前は。どこの所属だ!」
「これはこれは、ルフトート伯爵家のフェスダー様ではございませんか。このようなお時間に婦人とおられては勘違いされてしまいますよ」
「その女が俺を誘ったんだ!」
うえええ、どの口が言うんだ! 権力振りかざしてまで連れ込もうとしてたのはどっちだ! これだから貴族は……なんて怒りがふつふつと沸き身体に力が入ると、ぐっと抱き寄せられてびっくりする。半そでから伸びた腕が直接口の下の辺りに触れて、その腕が少し私より暖かいなと思いながら、そういえばレイシスが前に飛び出しそうな私を抱えていたんだと思い出した。
「大丈夫レイシス。もう出ていかないから」
「……はい」
レイシスは少し腕を緩めたものの、私から離れた腕は自らの手を組む形で私を閉じ込め、まだ私はほぼレイシスの腕の中、だ。この夏の夜に申し訳ない。そんなに飛び出しそうかな。
王子はどうやら伝達魔法ですぐ傍に控えていたらしい護衛に助けを依頼したらしい。さすが王子。
ちなみに王子の護衛は王の命令で、王子が一人で歩く時以外は極力離れた位置で護衛することになったらしい。どうやらこれは伝統のようで、学園の間はそれが普通で、その状態でいろいろな事を鍛えるそうだ。
ずいぶんスパルタじゃあございませんか、と思ったのだが、王子が言うには最高峰の防御魔法石を何個も所持しておいて怪我なんぞしていたら、この国の王は務まらないそうだ。何それこわい。
まあ、護衛が離れるのは王子が一人じゃないとき、だ。つまりこの時王子の傍にいる人間が王子を守るというのも考慮している筈。少し緊張しつつも、今この時も王子に異変がないかもちらちらと確認する。
金の髪は短めの前髪だけちらりとフードから覗いているが、鼻から下も布で覆い隠しているので、ぱっとみ王子だとはわからない……筈なのだが、力強い意志を持った瞳がどう見てもその辺りの子供には見えないだろう。
それに、こうして顔を隠していても気品があるというのがすごい。たぶんこのまま学園内を歩いても女の子達はほうっておかないだろう。引き締まっているが、かぶった布から伸びるすらっとした鍛えられた腕は、組まれているために筋肉がはっきりと見える。
ふと私の前にある腕を見ると、レイシスの腕は王子の腕より少しだけ細身に見えた。それでも筋肉が浮き出ていて、いつの間にか男らしい骨ばった手になっている。フォルは、もっと細い。それでもみんな私より力が強いのだろうなぁと考えて、みんなの腕がしっかりと人を守ってくれる腕だという事に安心する。
あの貴族の男のように、女を連れ込むために筋力を使うようではないほうがマシだ。……あ、筋力が落ちる薬でも飲ませようかな。
若干危ない事を考えつつ、時計をちらりと見ると午後十時をさしていた。騎士と女性はもう既に立ち去っていて、あの男もどうやら怒りながらも宿に引き下がったようだ。ガイアスが見ている先の明かりのついた部屋が恐らく男のいる部屋なのだろう。
あんな男罰を受けて当然だと思うのだけど。……まあ確かに殺されるのはやりすぎだけど。
今護衛している男、フェスダー・ルフトートが、暗部達が掴んだ今日狙われる可能性が高い男の一人だった。彼は伯爵家の次男で、どうやって彼が狙われる可能性があるとわかったのかはわからないが、日付が変わる頃というのは理由があるそうだ。
毎月、月が満ちた夜に被害者が現れるから。今日は満月だ。一番可能性が高い日であるのは言うまでもない。
この世界の月は、私の記憶にあるものよりも少し小さい。その為満月というのは少しわかりにくいが、月暦もあるので間違いはない。
他に二人、別なエルフィがついている護衛対象もいる。どこに敵が現れるのかわからないが、重要なのは闇魔法を使うかどうかをしっかり見極める事。……つまりここでは私にかかっている。なんとしても見逃すわけにはいかない、と思うと、自然と身体に力が入る。なんといっても、私は最近まで色を見る事を知らなかったのだ。初心者マークもいいところである。
どきどきしているとふわっと髪が少しゆれ、頭を撫でられた事に気づく。
アルくんだ。
今日出かける事を膝の上で聞いていたアルくんは、私達が出ようとすると猫の姿から精霊の姿に戻り、珍しくどうしてもついていくと言って聞かなかったのだ。
サフィルにいさまと同じ姿で絶対に行くと言い切られた私はつい何も言えず、それを許してしまった。……今も頭を撫でられてほっと落ち着いているのだから、ついてきてもらってよかったのかもしれないが。
アルくんは姿現しをしていないので、こうなってしまうと私にしか見えない。ほっとしたことで力を抜いた私に気づいたレイシスが、不思議そうに私を見たが、笑って首を振っておく。
刻々と時間は過ぎていく。
学生である私は、ほとんど夜更かしはしない。普段なら眠くなってもおかしくない時間ではあるが、任務に緊張している為か今日は眠気が訪れていなかった。
それは周りを見渡すとみんなも同じようで、気を引き締める。零時まで、あと少しとなっていた。
たたたっ、と、人が小走りに私達の近くを走り去る音が聞こえた。時間が近づいた今、私達は完全に気配を消している。私達に気づいた様子がない足音は、外から聞こえたようだ。
さっとガイアスが窓の陰に張り付き外を伺う。
私達がいるのは、フェスダーがいる高級宿の向かいの宿の二階の一室だ。
全員が外を見るわけにはいかないので、私とレイシス、フォルは下がったまま、王子とガイアスだけが窓の両側から外を覗く。
しばらくして、ちっと王子が舌打ちをした。
「娼婦を呼んだか」
「だから一人高級宿なんかに泊まってんだな」
「え? え、なんで?」
王子の言葉にガイアスが頷く。でも、さっきは他の女の人連れ込もうとしてたのに?
「……ことが始まってから踏み込ませたくないんだけど」
「同感です。お目汚しになる前にあの女性を止めましょう」
フォルとレイシスが、敵と戦闘になってからあの女性が踏み込んだら大変だと止めにかかる。確かに普通の女性が攻撃魔法が飛び交う室内なんて入ったらしばらく恐怖で動けなくなりそうだと頷いて私が止めに出ようとすると、目の前にアルくんが飛び出した上に王子とガイアスに思いっきり腕引っ張られました。痛い。
「なんでお前が行く!」
「え、だってとめるなら女の人が行ったほうがいいでしょう?」
そのほうが警戒されないだろうし、窓から飛び出すのなんて実家で慣れてるし問題ないのに。仕方なく窓枠にかけようとしていた足を下ろして急いで誰かが通る隙間を空けたが、女性の姿は既に窓の外にはない。
「間に合わないか」
「でももう時間です。たぶん大丈夫では……」
その時、ぞくりと背中が粟立った。
瞬時に警戒を高めたガイアス達に少し遅れて、私も全身で魔力を確認しつつ周囲を見回す。
……どこにも、異常は見当たらないのに、ただ、向かいの宿のただ一室に異様な魔力を感じる。
「しまった!! さっきの娼婦か!!」
王子とガイアスがはっとして窓から飛び出す。続けてレイシス、私、フォルの順に飛び出し、二人は私を挟むように左右に移動すると、私の手をとってそのまま大きく跳んだ。レイシスの風の魔法が後押しし、一気に魔力が濃い部屋の前の窓にたどり着く。
窓は王子とガイアスにより簡単に鍵を壊され開け放たれていた。
高級宿の一室はそれぞれベランダがあり、大きな窓だ。それこそ私達三人が横並びで入り込める大きさの窓で、しかし飛び込んだ先の部屋は高級感も何もなく、物が飛び散り悲惨な状態であった。
「ガイアス! レン!」
あまりの惨状にすぐに先に飛び込んだ二人の確認をする。二人は無事だ。ちゃんと「レン」と呼んだ事に自画自賛しつつ、状況があまりよくない事はすぐに理解した。
私達が護衛対象とした男、既に逃げられないようにか、足に酷い怪我を負わされていた。だくだくと流れる血が、赤いカーペットを色濃く染め直していく。
「ぎゃあああ助けて、た、はやく助けろ!!」
混乱した男が足を押さえ動き回っている。だが、私達はすぐには動けない。男の首の辺りで光るナイフは本物であろうから。
立ち込める血の匂い。散乱した部屋の家具。大きな物音に、人が集まってくるまでそう時間はかからないだろう。敵も、すぐに動く筈。
ガイアスと王子は既に剣を抜き、レイシスは短剣を構え、フォルはいつもの氷の剣を手にしてはいないが、両手の魔力の高ぶりから攻撃魔法を行う準備は万端だと思われる。そして私は全員に防御の魔法を使うべく既に準備済みだ。こちらも状態は悪くはない。
ただ、わめく男が大人しくしてくれればこちらはいくらでも一瞬で攻撃魔法を放てるのに!
ちらりと王子が私を見る。
わかっている。さっきから必死に敵の魔力を見ている。だけど……色が見えない!! あいつが魔法を使ってくれなければ!
男を捉えているのは、やはり女で間違いなかった。ガイアスと王子が確認した娼婦だろう。とても薄い服を着ていて、とりあえず他に武器は隠し持ってはいないことはわかる。
だけど、普通の女性とは思えない程隙がない。離れていてもわかるほど血走った眼に、荒い息。全身で怒りを表しているが、さっきから一言も言葉を発しない。何、何が目的なの。
ふわ、と、目の前に淡い光が現れた。私だけに見える、淡い光。……そうだ。
ぱっと敵の足元を見たあと、ひゅっと敵には見えないだろう私の魔力を淡い光に投げ渡す。
「アルくん、あれ奪って!」
私の言葉と同時に血走った眼の女性が、防御しようとしたのだろう。ナイフを持つ手に力を入れたようだったが……その手にもう、ナイフはない。
ぐるぐると伸び上がった、近くに割れ落ちていた花瓶に生けられていただろう花の茎が巻きつきナイフはその刃を覆われてしまっている。ナイス、アルくん!
相手の武器を奪ったのを確認したガイアスが一気に踏み込む。王子もすぐに女の手元に剣を叩き込み、それを回避しようとした女が男の手を離す。
「風よ!」
「氷よ!」
レイシスとフォルが同時叫び、風で身体が転がった男の周囲を囲むように氷のドームが出来上がる。続けてフォルが氷の防御魔法を唱え、ドームを完全なものにすると、私達は一気に女を捕らえる為に動く。
「きえええええっ」
奇声を上げて女が逃げ惑う。女は攻めるガイアスと王子に応戦できずにいるのに、上手く逃げ回るのを見て、違和感を覚える。おかしい、そこまで強くは見えないのだけど……
しかし、女が急に足を止めた。ぶわ、と魔力が高まる。……魔法を使う!
すぐさまフォルとレイシスが全員に防御魔法を唱えた。だが、私達は油断していたのだろう。
「フェスダー様!?」
まさか、女の後ろの扉から、別な女性が部屋に飛び込んでくるとは思わなかった。
長く美しい、ゆるやかに巻かれた金の髪がふわっと宙を舞う。大きく見開いた茶色の瞳をそのままに、細い身体が仰け反って、赤く染まる。
白い肌が大きく裂けた。それがわかるほど彼女が身に纏う服は薄く頼りなく、身体を守ることなんてできる筈もなかった。
「……マリア!」
氷のドームの中で男が叫んだのが微かに聞こえた。だが次の瞬間、血走った眼の、返り血を同じく薄手の服にたっぷりと浴びた女が、高らかに笑い出し、男の声は掻き消える。
笑う女の口から、確かに黒いもやを見た。……あれは……
「鎖の蛇!」
私が唱えた蛇の魔法が、女を縛り上げる。
すぐに動いたガイアスと王子がさらに女を拘束するための魔法を使用し、フォルが傷つき倒れた女性に駆け寄るのを、私も追う。一刻を争う。
「アイラ、僕が傷を塞ぐ。君は彼女の生命力回復を!」
「はい!」
回復は二種類ある。
目に見える傷を治す事と、失った血……そして魔力を回復する事。もともと魔力が少ない人間であっても、血と共に大量に流れすぎればそれは生命活動の危険信号だ。
同時に発動呪文を唱え、全力を注ぐ。
やばいやばいやばいやばい。
この女性の傷はほぼ致命傷に近い。いや、僅かに急所を逸れているか。だが、紙一重。血が流れすぎている。油断ならない。
しかしこの時、私の耳には信じられない言葉が聞こえた。
「おい! その女より先に俺を治せ! お前だ、おいそこのピンクの髪の女! お前が治せ! こいつじゃだめだ!」
ピンクの髪の女。
それは間違いなく私だろう。倒れている女性は美しい金色の髪だし、拘束した女は赤毛のようだ。そして他に女はこの部屋にいない。
だけど私とフォルがこの女性の治療にあたらないとだめだ。医療科二人で魔法を使って治せるか、治せないか……そもそも騒いでるのは、誰?
魔力はそのままに少し顔を上げた時、男と目が合った。足の傷は僅かにふさがってきているようだが、王子に治療されながら呻いている男……フェスダー・ルフトート。
王子の魔力はなかなかだが、どうやら治療に四苦八苦しているらしい。
レイシスがすぐに傍で魔法をかけ始めたが、男はまだ、わめく。
「おい! 俺はルフトート伯爵家の息子だぞ! お前、それほどの力なら貴族専属医じゃないのか! 俺を治療しろ!」
途中のレイシスとフォルの会話ですが
「……ことが始まってから(アイラを)踏み込ませたくないんだけど」
「同感です。(お嬢様の)お目汚しになる前にあの女性を止めましょう」
が正解です。アイラの勘違いですね。




