50.フォルセ・ジェントリー
「フォル。エルフィはね、その人の得意な属性が、見えるの」
言われた言葉を理解した瞬間に、目の前が真っ暗になる。
じりじりと日が照り付けて暑いはずだったのに全身が氷漬けにされたようにすうっと冷えていき、つま先から感覚が消えていく。
視界にいた筈のアイラを見つけられない程、脳内ではどう誤魔化すべきかとか、どうすれば忘れてもらえるのかとか考えたが、アイラ相手では無理だろう。彼女は妙なところで聡い。肝心な事は完璧にスルーするというのに。
もう駄目だ。この国で、いや、世界中探しても、闇魔法に好意的な人間だなんていない。一般的には知られていないが、闇魔法使いは闇を使うだけじゃない。むしろ、そちらより問題は一族の特徴の方だ。
アイラはどこまで知っている? エルフィが得意属性を把握できるなんて聞いた事がなかった。俺の一族と同様エルフィは秘密が多いのだ。詳しいのは、王家くらいか。
……そう、そうだ。詳しいのは王家だけ。アイラはエルフィの力で闇属性を見ただけ、そういうことだ。なら、俺の血の事を知るはずがない。
そうは思っても冷える身体は勝手に力が入り、感覚をなくしていく。闇魔法が使えるのだとばれたことだってよくはない。やはり闇は嫌われるのだ。あの義母のように、嫌悪感を隠そうともしない人間ばかりの筈。
アイラのあの朝の森の中にいるような美しい緑色の瞳が暗く恐怖に染まり、形の良い桜色の眉が潜められ俺から離れていく。
駄目だ、行かないで。
そう思うのに、恐怖に染まった瞳を向けられるせいで足が自然と後ろに下がる。
いやだ。いやだ、アイラ。
「とりあえず、屋敷に入らない?」
心配そうに眉尻を下げ、きらきらとした大きな緑の瞳に俺をまっすぐ映して、アイラが俺を覗き込む。
その表情は俺を嫌悪するものではないし、距離は近い。先程のアイラは、ただの自分の恐怖が見せた幻影か。
何のためらいもなく彼女の手が俺に伸ばされる。その手が俺の手に触れたとき、一気に身体が暖かい光に包まれたように錯覚する。
一瞬肌がぴりっとして、先程夏の暑さに負けてかけた氷の魔法を彼女が解いた事に気づく。きっと、冷えすぎていたのだろう。俺はそれだけ血の気が引いていた筈だ。
なぜ?
「アイラ、俺は」
闇魔法の使い手なんだ。
誰もが疎み、嫌悪し、近寄りたくないと感じる筈の、闇の魔法。
闇魔法が悪いわけではない。対である光の魔法が、王家の人間でなければ使えない魔法であるから、それだけだ。
一般的にはただ悪とされる闇魔法であるが、使い手である俺達一族に伝わる話は少し違う。
遥か昔に、王家の威信を取り戻すために光を崇め、闇を悪とし、使い手である王家を担ぎ上げたそうだ。
それを広めたのは、当時の王子と恋仲であった自らも闇の力を持つ高位貴族の娘であったそうだ。国を変えようと立ち上がった王子の為に、闇を悪とし、自分の親と当時の王の悪事を暴き、恋人を光の勇者として民に知らしめ、無事威信を取り戻したのだと。
もう既に昔のことであまり詳しくは伝わっていない。そう聞いているが、自分にとっては美談にも献身物語にも聞こえないこれが、闇は悪であると御伽噺や童謡になる程に浸透してしまっているのだからまったく迷惑である。
ただ闇の魔法が遺伝で使えるから、それだけで、嫌われるのだ。
そうは言っても、闇の魔法は特殊である。光や、光を力とするほかの属性の力がなければ闇はバランスを崩す。自身だけでは飲み込まれてしまうからだ。だから抗うつもりも、ない。
ひっそりと生きる闇はその正体を隠し生きるようになって長い。だから、全ての秘密が知られたわけではない。それでも、怖かった。アイラに、嫌われるのが。
自分が情けない顔をしているのはわかっていたが、触れられていた手がより強く握られた時、涙が溢れそうになった。
嫌われていない……?
ひたすらに隠し続けていた闇の力。一番ばれたくなくて、でも一番受け入れて欲しくなる相手なんて、現れなくていいと思っていたのに。
初めて会った時よりほんの少し長くなった桜色のふわりと揺れる長い髪。透けるような白い肌や宝石にも思える緑の瞳はそのままに、ちょっとだけ大人っぽくなっていた彼女。
会えなかった間なぜか何度も思い出していた姿より大きくなった彼女は、瞳と同じ色の、白い首筋を惜しげもなくさらしたドレスを纏い美しい姿で俺の前に再び現れた。あの時から気づいていたんだ、俺の中で一番秘密を理解して欲しい相手になっていたと。
彼女がなぜ忌み嫌われる闇の力を持つ相手にまったく恐怖を見せず手を伸ばしてくるのかはわからないが、煩く音を立てる心臓が喜びと恐怖で存在を主張する。
彼女なら、全てを言ってしまっても大丈夫じゃないかと思う心と、嫌われたくないと願う心がせめぎ合う中、急に強く握られた手にはっとして彼女に視線を合わせた時すぐ、彼女の背後に見える扉の奥に違和感を感じた。
……人がいる?
ここは特殊科専用の屋敷だ。双子やルセナは今日いないと言うし、デュークは城の筈だし、ラチナは今日兄のフリップと会っている筈。フリップから直接聞いたのだから間違いない。
すぐに警戒し中を探るが、気配を感じるだけで敵か味方かわからない。アーチボルド先生ではない、彼ならば気配は完全に感じない筈だ。
アイラに何かあった場合の防御魔法を頼み、自分でも氷の剣と、二重にアイラに防御をかけるために力を集中させる。
扉に手を掛け、一気に開いた、その瞬間、集中力は一気に霧散する。
「デューク」
中にいたのは、いる筈がないと思っていたデュークだった。にやりと向けられた笑みに、今の状況を思い出して逆に慌てる。
デュークはいち早く俺の気持ちに気づいていた。これは、からかわれる!
今からかわれたら上手くかわす自信がまったくない。駄目だ、今アイラに気持ちを気づかれるわけには……
「ああ、フォルとデート中だったか? よくあの双子が許したな」
「違いますし!」
止めようと慌てた俺の目の前で交わされた言葉に、つい落胆を表情に出してしまった。瞬間、ばっちり面白そうに細められた青い目と視線が絡み合う。
……デューク!!
「むくわれないな!」
思いっきり大笑いされて、つい腹立ち紛れにデュークを締め上げようと追いかける。
途中、思いっきり困った顔で思案するアイラが目に入った。恐らく、俺と話ができないからどうすべきかと悩んでいるのだろう。デュークは俺が闇使いであるのを知っているが、それを知らないアイラが俺の為にそれを隠そうとしてくれている事に、ほっとする。
弁当に反応して止まったデュークをとりあえず氷で縛り落ち着いた俺は、こんな状態でも何をするでもなく王子を置いて部屋を静かに出て行く護衛の姿を捉えつつ妙な信頼を得たものだと苦笑して、さてどうすべきかと考える。
デュークは知っている。デュークの前で話す事になんら問題はないが、彼女のエルフィの能力でばれたと説明してもいいものか悩む。
彼女がエルフィであるのは王家のデュークは知っていてもおかしくはないが、まだ王からデュークが聞いていない可能性も考慮すれば俺から言ってもいいものか。
デュークに、なぜここに、と聞かれて、念の為「勉強だ」と答えてみたが、アイラの表情がありありと「困ってます」と表現してしまっているためにデュークには用件が違うとばればれだろう。
二人だけで勉強しようとしたことに突っ込まれて、アイラがますます顔を赤くしたり眉を下げたりと表情を変え、とうとうデュークに笑われる。
「アイラはあまり隠し事には向いていないな」
「……百面相、ですね」
「えっ!」
見事な百面相を披露していたアイラは今度ぱっと顔を手で隠したが、もう遅いだろう。
色づく頬に、そんな筈は、と顔を触って確かめるアイラを見て、笑みがこぼれる。しかし、なおもからかおうとするデュークの言葉に反応したアイラの次の台詞に、俺の方が固まった。
フォルと二人でいたかったか、と聞かれて、はい、と笑みを浮かべて頷くアイラに、見惚れる。もやもやとした心が一気に晴れて、ふと気づく。そういえば、初めてデュークとアイラが話した時、デュークがアイラの秘密を知っていると聞いて嫉妬したのを思い出したのだ。
デュークはエルフィであると知っていると確信して、彼の前で話す決意を固め、話し始めると混乱の渦に囚われたのは俺ではなくてアイラだった。
始めに緊張していたのは俺の筈なのに、今は彼女からつないでくれた手から伝わる震えは彼女のもので、心配になって顔を覗き込む。
どうやら俺も初めて知ったことであったが、緑のエルフィとエルフィとでは少し能力に違いがあったらしい。しかも、アイラ本人ですらわからないのにデュークはアイラが緑のエルフィではない前提で話している。実際、特殊であるようだが、俺にとってはどちらでもよかった。アイラはアイラなのだ。
手を握り合う俺らを見て、デュークがからかいではないどこかほっとした様子を見せた。デュークは俺があの一族だと知っている。そして、義母に嫌われ極端にそれを他人に知られるのを恐れていた幼い頃の俺も知っている。
アイラが気にしていたのは、今起きている殺人事件の犯人の事だった。その件に関しては知っている。捜査の指揮を執っているのが自分の父であるし、それに闇魔法が関わっている可能性が高いのも聞いていたので警戒はしていた。アイラは俺を疑っているのではなく、俺が疑われるのを心配してくれたようだ。
ガイアスとレイシスにはまだ秘密にするとデュークが決める。アイラにとってあの双子に隠し事をするのは辛いことかもしれないのが少し申し訳ないが、それであってもあの二人に確認する前に一人で俺の気持ちを知ろうとしてくれた、その事に心が温かくなる。
今起きている殺人事件。あれは、殺された人間が全て社交界で有名な男達だ。次に狙われるんじゃないかと思われる人間が絞れるほど、狙われた理由は明白だ。
社交界でも有名な、女を人とも思わず弄ぶ事で有名な男達。できればアイラにはこの件にかかわってほしくはない。
少しすると、ガイアスとレイシス、それにルセナが部屋に集まった。
部屋に入った瞬間、アイラが出迎える為に立ち上がって離れてしまったが、直前まで繋がれた手を見て確実に顔色を変えた仲間が二人。一人のほほんと弁当を楽しみにしながら入ってきたガイアスだって今後はどうなるかわからないが、とりあえず今はまだ手に残る温かさを独り占めしよう。
50話になりました。
いつも応援してくださる皆様、この作品に貴重なお時間を分けてくださっている皆様に感謝しております。
今後も完結まで頑張っていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。




