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「アイラ……」
いつもよりか細く聞こえるフォルの声に、足を止めて振り返る。彼の視線は珍しく不安そうに揺らぎ、私を映した。
にゃあ、と鳴いただけのアルくんの声にすら、びくりと身体を震わせる。これはやばいな、と彼に近寄ると、彼は一歩後ろに下がった。
「とりあえず、屋敷に入らない?」
いくら肌に触れる空気は冷やしていても、この日差しはつらいしお弁当にもよくないだろう。……というより、フォルの顔色が非常によろしくない。
私は小さなアルくんを片手で抱きとめると、そっと爪が白くなるまでお弁当を包む袋を握り締めているフォルの手に触れた。
こんなに暑いのに、ひやりとしている。指先だけ異常に白く、私は彼が先程使っていた氷の魔法を、自らの水の魔法で打ち消す。
「行こう、フォル」
「アイラ、俺は……」
ゆらゆらと揺れる瞳で私を見たフォルが、小さな声で名前を呼ぶ。自分のことを僕と呼んでいた筈のフォルが俺と言った事も新鮮であるが、そこまで動揺しているのがフォルらしくなくて心配で、ぎゅっと手を握る。
残念ながら、この反応を見ればもう聞かなくても彼がやはり隠し事をしていた事は明白だ。困ったな、これ、王に言わなくてもいいよね? ガイアスとレイシスにどうやって報告しよう。
悩みながら顔を覗き込み、銀の瞳の揺らぎが治まったところで屋敷の扉を開け、いつもの部屋を目指す。
ふと、部屋に入る扉の前で足を止める。微かにだが、中に動きがあった気がした。
人がいる……?
ガイアスとレイシス、ルセナはここにはいない。なら、先生が王子かおねえさま? でも休みの日にわざわざここに来るだろうか。先生はたぶんありえないし、おねえさまも寮ではなく自分の王都の別宅から通っているので考えにくい。王子なんて休日はいつも城に戻ってる筈だし。
そこまで考えれば、あとはもう中を警戒するしかない。
ちらりとフォルを見ると、フォルは口を引き結んで何か考え込んでいる。……中に誰かいることに、気づいてないのかもしれない。
一瞬どうしようか迷った後、フォルの手をぎゅっと握りなおす。ぱっと顔を上げて口を開いたフォルが、すぐに口を閉じて扉を凝視した。気づいてくれたのだと安堵して、どうするか目で問う。
魔力探知を行うが、何か魔法を発動している気配はない。魔法が発動していなければ、ガイアス達のように戦い慣れていればもっと気配も感じるのかもしれないが、私では中に誰かがいるような気がした、というのが精一杯だ。
つないでいた手を離し、フォルが扉から少し離れたところにお弁当を置く。
小さな声で、防御魔法を、といわれた私は、こくりと頷いてフォルを見た。
フォルの手が取っ手に触れ、私は防御魔法の詠唱を始めた。
「誰だ!」
ばたん、と扉を開け放ち、私も発動呪文を唱えようと口を開いたのだが、すぐにその声は間抜けなものに変わる。
「……は?」
「デュー、ク?」
中にいたのは、薄い金の髪に青い瞳。嫌味なくらい整った顔に、にやにやと人の悪い笑みを浮かべた、いつもの王子。この笑みは恐らく、王子も扉の外の人間の気配に気づいていたし、それが誰だかわかっていたのだろう。
ぴょんと私の腕から飛び降りたアルくんが、王子の座るソファに向かうと何事もなかったかのように座り丸くなるまで、私とフォルは動けずにいた。
「な、なんでいるんですか!」
「いたら悪いか? アイラ。ああ、フォルとデート中だったか? よくあの双子が許したな」
「違いますし!」
私がつい叫び返すと、ソファに座った王子がお腹を抱えて大笑いした。
いや、本当になぜいる王子! 無駄に警戒しちゃったじゃん! よく見たら部屋の隅に警備の人間もいるし! っていうかフォルと話できないじゃん!
「むくわれないな!」
「デューク!」
気づけばいつの間にかさっきの動揺から持ち直したらしいフォルが逃げる王子を追っかけまわしているので、元気になったことにほっとしつつ、話が出来なくなったことでどうしようかと一人頭を抱えた。
王子は私がエルフィだと知っている。だけどフォルが闇魔法使いなのを知っているかどうかわからない。王子にバレてしまっては何のために私が一人でフォルに確認しようとしたのか、意味がなくなってしまうし……。
うんうん唸りつつも、部屋の外に置きっぱなしのお弁当を取りに戻り部屋のテーブルに載せると、王子がぴたっと止まり駆け寄ってきた。
「これ、食事か!」
「へ? はあ」
なんだ、と見上げると、追いついたフォルが笑顔で王子の足首から下を氷漬けにして逃げられなくした。楽しそうで何よりです。
「お弁当ですが」
「俺にも食わせろ」
「……はあ」
別にかまいませんが。いつも城でおいしいものを食べている王子がいったいどうしてまたこのお弁当に執着するのだろうか。っていうか、やっぱ昼までいるんですか。
「で、デューク様は今日はお城には行かれないのですか?」
「ちょっと用事があってな。お前らは?」
にやりと足が氷漬けのまま後ろを振り返った殿下が、フォルに声をかける。どうでもいいが氷自分で解いたらどうだろう。
「……テスト勉強です。アイラと夏のテストの対策を練ろうと」
「ラチナはどうした? お前ら二人だけ?」
王子の視線が私を向いた。……王子、何か気がついているんだろうか。少しどきどきとしながら王子を見返し言葉を捜していると、くっと堪えきれないと言った様子で笑われる。
「アイラはあまり隠し事には向いていないな」
「……百面相、ですね」
「えっ!」
王子とフォルの言葉に、ぱっと顔を手で抑える。自分ではそんなつもりはまるでないのだが、というか言われた事すらないのだが!
「悪かったな、フォルと二人でいたかったか?」
にやにやと笑われる。それは、何か別な意味を含んでいるように聞こえるのだけれど。
どう答えるか迷いつつ、ふと、本当の話の内容を勘繰られるよりそう思われているほうがいいかと思い、はい、と返事をする。
「でも、大丈夫です。王子も一緒に勉強しますか?」
「……そうだな」
笑って答えると、王子が少し驚いたように目をぱちぱちさせながら頷く。
王子に話の内容を気づかれるわけにはいかない。私は部屋の本棚から植物図鑑を取り出すと、フォルと共に椅子に座り、それこそ普通に普段の授業で習う事を復習し始める。
どうせ季節ごとに大きなテストがあるのだから勉強する事は不自然ではない。植物から作り出す薬が今回の筆記試験の範囲であるから、それを調べながら脳内でどうフォルと話を進めるか必死で考える。
しかし、私が考えるまでもなく、部屋の空気を変えたのはフォルだった。
図鑑のページを捲ろうとした私の指に、フォルの手が重なる。
顔を上げたが、フォルと視線を合う事はない。だが、手がぎゅっと私の指を握る。
「デュークはアイラがエルフィである事は知っていたんだろう?」
言われた台詞にぎょっとする。私だけではなく、王子も僅かに表情を変えた。すぐにいつも通りの少し口元に笑みを浮かべた表情に戻したが、すっと目を細めて王子がフォルを見る。
フォルの手が、僅かに震えているのに気づいて、思わずその手を見る。
「聞いたのか」
「ああ」
それで、とフォルが言葉を続けた。
「僕の得意とする魔法を見てしまったみたいだ」
フォルの言葉で、ごとりと図鑑が手元から落ちる。そうか。王子はフォルの事を知っていたのか。
混乱する頭で王子を見ると、王子の視線がじっと私にに向けられる。いや、見ているのは私の手のようだ。フォルに握られた、手。
「俺もこの前アイラが相手の魔力の色を見れるエルフィだという事を初めて知った。そうでなければ、水晶の魔力検査の時部屋を別々にしたものを。父上からは緑のエルフィだと聞かされていたのだが……まあ、どちらでもよかったみたいだな」
「え?」
言われた意味がわからない。
「どういうこと? フォル? デューク様? エルフィが、何?」
「アイラ。フォルもエルフィと同じような存在だ。王家がその血筋を把握する闇を使う一族。それは隠されるべきであったし、お前が色が見えるのは予想外だった」
「なぜ? でもエルフィが魔力の色が見えると教えてくれたのはデューク様でしょう?」
「ああ、そうだ。エルフィだ。緑のエルフィじゃない」
……どういうこと?
その言い方では緑のエルフィとエルフィは別物に聞こえるのだけど。それに私は緑のエルフィだ。それが違うと言っているようにも聞こえる。
いつの間にか、心配そうな目をしているのは私ではなくフォルに変わっていた。落ち着いて、とフォルが私の顔を覗き込み、握っていた手を握りなおす。指だけが絡んでいたものから、ぎゅっと深く強く。
気づけば膝にアルくんもやってきていた。そのぬくもりが、今はほっとする。
「アイラは緑のエルフィじゃない。おそらく他の属性の精霊も見える。まあ、まだそこまで能力が落ち着いてないみたいだが。緑のエルフィは、色が見えないんだアイラ」
「何言って……私の母は緑のエルフィです。エルフィは血筋でしょう?」
「そうだ。だが稀に緑のエルフィで植物の精霊以外も見えるやつがいる。お前はそれだろうな……緑を含めて二属性以上のエルフィは貴重だ。お前には時機に王から今後の指示があるだろう」
王? 話が壮大すぎる。私はそんなもの望んでいない。
それに貴重だから? だからどうなるの?
「それは、どうなるの?」
「まだわからんな。ただ、重要機密なのは間違いないが……いいか、今後色の話はするな。エルフィだと絶対にこれ以上言うなよ」
王子の目が真剣で、射抜かれたみたいに痛い。フォルに言った事を怒っているのか。
「デューク様。私、ガイアスとレイシスから闇使いを探せっていう王の言葉を聞いているんです。それはどうなるんですか? 動かない方がいい?」
「成程、それで僕に言ったんだね?」
「……フォルが隠しているなら言わないほうがいいと思った。まだガイアスもレイシスも知らないわ」
そう言うと、王子は満足げに頷く。しばらく口元に手を当てて考えた後、王子は決断を出したのか顔を上げた。
「デラクエルにはフォルの件は言うな。フォルの血も貴重だ、必要があればこちらから言う。闇使いの件に関しては……王に判断を仰ぐ。待て」
「はい」
こうした時、王子の言葉はしっかりと人を従わせるものだと思う。
王子は、立派な王になるのだろう。……王子は今の貴族の体制を、どう思っているんだろう?
聞いてみたい気もしたが、少し考えて答えを聞きたくない気がして、やめた。
それを聞く機会は、意外と、はやくやってくる。




