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フォルの魔力の色はともかく、私は本で得た知識をどうするべきか考える。
王子はわざわざこちら側の棚を調べるのに、私とガイアスとレイシスを名指しした。彼らは私がエルフィである事を知っている。話すかどうかは自分で決めろということだ。
もちろん、この件について隠す必要がない為に私はちらりと隣にいるレイシスを見る。
「レイシス。ごめん、あの本取って貰ってもいい?」
私は上の方にある本を指差してレイシスを呼ぶ。ガイアスも視界に入ったが、ガイアスはたぶんこっそり本を渡すと「なんだこれ」と声を出してしまうだろう。筆談しようにも、私の筆記用具はいつもの部屋に置いてきてしまった。
レイシスが私の隣に来て、本を取ろうと手を伸ばした影に隠れ、指先をふわりと宙で動かして魔力を花びらに変える。幼い頃この魔法でサシャとカーネリアンをあやしていた事を懐かしく思いながら、その綺麗な赤い花びらを決定的な一文のあるページに挟むと、私が指差した本を抜き取ってくれたレイシスの胸に押し付けた。
レイシスは無言で私の行動を見て、花びらに気づくとすぐに本棚に背を向けたままそこを確認し、僅かに目を見開いた。さすがレイシス、すぐに気づいたのだろう。ちらりとガイアスを見やると、すぐさま制服のジャケットのポケットからペンと小さなメモ用紙を取り出し、何かを書き付ける。
「ガイアス、何か参考になりそうなものはあったか?」
レイシスがそう言いながら、ガイアスが「うーん本多すぎだろ!」と答えるのを待って、さりげなく本にメモ用紙を載せたままガイアスの目に映る範囲に出した。
ガイアスはちらっと目を通しただけで口を開く事なく、さっと受け取るとそれを見始める。よかった、レイシスが上手くガイアスにも伝えてくれたらしい。
とはいっても、さすがに私が見たもう一つの黒い魔力については話す事ができずにいた。闇魔法は光魔法と対極だ。性質も、その言葉が与えるイメージも。
実際に闇魔法で大事件が起きたという話もなければ、犯罪に使われる魔法というわけでもないのに、王家の人間だけが使えると一部で崇められている光魔法とは違い闇魔法というのは疎まれている。
それは、童話などの影響もあるかもしれない。この世界の幼い頃読む童話というのは、かなりの確率で光魔法を使う王子様がお姫様を救い出し闇魔法を使う敵をやっつけたり、光魔法を使う勇者が闇魔法を使う悪と戦ったりする。善良な闇魔法使いがいたらいい迷惑だな、と、前世の記憶を思い出してしまってからはよく思ったものである。
ただ闇魔法は本当に使い手が多い魔法ではないので、私も初めて使い手らしき人の気配を知ったくらいだ。まだ、確定ではない話だし。
どうするか……もしフォルが意図して隠している場合、今ここで王子から渡された本の内容を皆に教えたら、私がエルフィであることだけではなく、フォルが恐らく私が秘密を知ってしまった事に気づく。その時フォルはどうするだろう。
私がエルフィであると皆に隠すのと同じように、フォルにだって事情があるかもしれない。
そう考えると、私が感じたあの魔力が嘘であればいいと思ってしまう。なんでまたエルフィにそんな特殊能力があるんだ。そもそも、エルフィとはなんなのだろう。
……精霊が見える程だ。魔力に敏感なのだろうというのは、わかるのだが。
ガイアスが深刻な顔をして本を閉じる。その際、レイシスが挟めたままにしてあった花びらとメモ用紙をつまむと、ふっと小さく息を吹きかけた。花と小さな紙切れは一瞬端が朱色に光ったと思うと、じわじわとその光によって消えていく。いや、あれは燃えているのだろう。まるで、お線香に火がついたみたいだ。すぐに、私達に秘密のやり取りがなかったかのようにそこには何も存在しなくなった。
くるりと振り返ったガイアスは、私を確認すると「どうだ?」と尋ねてくる。
「俺はこれが気になるんだけど」
ガイアスが取り出したのは、レイシスが渡した本とは違うものだ。問題の本はさりげなくレイシスの手に戻り、そして本棚に押し込まれてしまう。
つまり二人の結論は、「言うな」だ。
とりあえず、ガイアスの手から本を受け取り文字を追う。その内容に、少し驚く。
ガイアスが調べていたのは私が見た魔力の色についてではなく、操作系の魔法についてだ。
先程先生が説明していたような、遠隔操作系の魔法は相手の魔力が身体に纏わり付く、などが書かれている。
ガイアスが数ページ先に指を挟んでみせるので、素直にそのページを開くと、命令の魔法について書かれていた。
命令の魔法というのは、魔法をかけた相手にその時指示した動作をさせる、催眠術のようなものらしい。
いくつか魔法の種類と特徴が書かれている。
既に失われている魔法のようだが、目を見ると相手を意のままに操る古代の魔法とか、最近のだと自分の血を相手に含ませるだとか、相手を操作する類は物騒なものが多い。
中には魔法ではなく、薬でそうさせるものもあるらしい、と本で見たところで、はっとする。
あの時魔力のうねりは首から胸のあたりを漂っていた。
いや、喉から、胃の辺り、といえばいいのか。
「彼女、何か飲まされたのかな……?」
思いついた疑問を口にしたところで、「あ」と声が聞こえる。
「もしかしたら、これじゃないでしょうか」
ぱたぱたと向こう側からルセナが本を持ってやってくる。
ルセナが持っていた本もどうやら操作系の魔法について書かれているもののようだ。
彼が指さすところを見ると、火種の魔法と書かれている。
しかし、相手の心のうちに燻っているものを爆発させる魔法、と書かれているだけで、詳しい方法も効果も何も書かれていない。
「火種の魔法は、相手に魔力の炎を飲み込ませ、心の内に燻る怒りや悲しみを爆発させる魔法です。僕も詳しくはありませんが、前読んだ本には確かそんな感じで書いてました。特徴は、上手く感情が燃え上がると僅かな煙が出る事」
「え!」
それはまた、まさにと言った感じの魔法だ。それなら私が見たのは魔力ではなく効果が現れた証拠の煙、という事になるが……
では今回の件はこの魔法が原因で、闇魔法が原因ではない、ということか?
少し都合よく思えるが、エルフィの事を話さなくていいのならここは口を噤むべきだろうか。今ここで色が見えると白状してしまえば、フォルはどんな反応をするのだろう。
……話すにしても、先にフォルだけに伝えておきたい。
恐らくこうしてエルフィについて書かれた書物もあることだし、私がエルフィだと特殊科にばれるのは時間の問題だ、と思う。それでも今回は難を逃れたと、都合のいい魔法の存在に安堵していたのに、この後部屋に帰ってから双子に聞かされた話で事態はもっと深刻になる。
「お、いたいた」
図書室でちょうど全員が今日の事件は火種の魔法が原因だろうとそれについて調べていた時、戻ってきた先生がほっとした様子を見せる。
何かわかったか、という先生に、おねえさまが「火種の魔法ではないかという結論に至りましたわ」と答えたところで、先生の視線がちらりと私に移動したあと、「そうか」と呟くように続けた。
「まぁ、正解だ。……大事な事は、その魔法を施す人間が学園にいたことと、狙われた相手がアイラだという事だな」
先生の言葉で、今更ながらに私は「あ」と叫んだ。
そうか、色が見えたとかそんな事より何より、誰かが危害を加える目的で魔法を使ったということ、あの淑女科の生徒の怒りの矛先とやらが私だったという事実が今更ながらにずしりと心に石が落ちてきたみたいな衝撃を与える。
「……そこまで恨まれるとは」
ぽそりと呟いた言葉で、もともと静かな空間ではあるが、図書室がしんと静まるのを肌で感じる。
「お嬢様、やはり学園内でも共に動きましょう」
「アイラ、俺ら授業が終わったら迎えにいくからさ……」
双子二人が心配してくれる。二人は私の護衛だ、仕方がない。だがこれに対して先生が「ある程度はまとまって動いたほうがいいのは確かだな」と私に限らないと告げる。
「正直言うとアイラとラチナがきつい立場なのは知ってたんだがな。こいつら無駄に顔がいいから」
「は?」
先生がこいつら、と指をさしたのは男性陣だ。それに対しふん、と王子が鼻を鳴らす。
「そんなもんどうしようもないだろ。もって生まれた顔だ」
「……つまり僕達のせいですか?」
悲しそうな声を出したのはルセナだ。慌ててフォルがそうじゃないよとルセナに説明しているが、つまりこれは、女の嫉妬が原因だった、と?
「先生、犯人って……」
「捕まったぞ。簡単だ、彼女が記憶の最後に接触した人間を調べればいいからな」
「……確かにそうですわね、じゃあ私達いったい何の為に調べていたのかしら」
がっくりと部屋の壁に沿って置かれた椅子に座ったおねえさまに、先生がにやりと笑ってみせる。「勉強になっただろう」と。
「まーた思いつきの授業でしたのね!」
頬を膨らませて見せるおねえさま、可愛いです。……ではなく、おそらく先生は私が「色」を口にした段階でそれはエルフィの特徴であるからとわざと気づかせるためにここに寄越したのだ。
王子は王家の人間だ、私がエルフィである事なんて知っているから、フォローするだろうと踏んで。私は以前水晶の検査の時に、先生に水晶に流れる魔力の色について知らずに尋ねてしまっている。先生はあの時から私がエルフィであると気づいていたのだ。だから、アルくんが猫に化けた精霊であると気づくのを予測してあんなテストを出したのだろう。
「それで、犯人は」
「上級生の特殊科に入れ込んでる淑女科の女生徒だ。たまたまアイラに怒りを見せた下級生を見つけて魔がさした……って話だったが、まぁ退学だろうな」
「……そうですか」
なんとも言えない結末である。今回の被害者はどちらかというと火種の魔法をかけられたフィーネ嬢である。随分人目も気にせず爆発してしまったようだし。
私に関しては……正直、彼女に言われたピエールの心に傷を……という発言に実は思い当たる節があるので、彼のファンがいるなら確かにその怒りもわかる気がするのである。
それは、あの勝負が終わってからのことだ。私に負けたピエールは、何を思ったのか私を見かける度に再戦を挑むようになってしまったのだが、その挑戦が毎回ひどいのである。
「アイラ様! ぜひそのおみ足で僕を踏んでください! さぁ、再戦を!」
であったり。
「アイラ様ぁ! ぜひもう一度あの素晴らしい風歩をお見せください、できれば制服で! いくら殴っていただいてもかまいません。いや、蹴る方向で!」
だの……立派な変態と化した。これ、私のせいだろうか。
「嫌がらせを受けていたのは教師も知っていたんだがな。大多数は特殊科の生徒なのだから自分で対処、という見解でなぁ。まったくここのくそ爺共は。今回はアイラだったが、ラチナも相当きついだろ?」
「あら、あの程度なら問題ありませんわ」
にっこりと、なぜか背筋がぞくぞくとする笑みでラチナおねえさまが笑って見せる。なんだか、フォルとラチナおねえさまってどこか似てる気がするが、気のせいだろうか……と見ていると、更に小首を傾げたおねえさまが美しく微笑む。
「あんなの、何倍にもお返しして差し上げておりますもの」
訂正だ。おねえさまの方が過激である。
「アイラもこれくらいの気迫でいてもいいんだがな。まあさすがに今回みたいな魔法が絡むとお偉方も自分で対処しろとは言わないだろ」
「はぁ……」
「ま、さっきはこいつらの顔、とは言ったが、嫉妬に狂うやつが悪いっていう事実は変わらないし、できる範囲では見張るが注意しとけ。社交界よりはマシだと思うが困ったことがあれば言えよ」
「なんだ、意外といい先生じゃん」
「だろう」
にやりと笑う先生に、王子が呆れて肩をすくめて見せる。
これで社交界から比べたらマシなのか。令嬢怖い。そんな事を思いつつ、考える事が多すぎて部屋にいろいろ考えながら戻った私に、ガイアスが爆弾を落とす。
「アイラ、これから話す事はデラクエルで掴んだ情報だから他に相談できないんだけど」
前置きに嫌な予感しかしない。デラクエルで掴んだということは、暗部として動いて掴んだ、という事だろう。何を言われるのかと身構える私を心配してか、レイシスがレミリアにお茶を淹れるように頼んでくれる。だが、淹れ終わるとガイアスとレイシスはレミリアに部屋に戻っているようにと告げた。
特に表情も変えず従い部屋を出て行ったレミリアだが、私の侍女であるレミリアにすら聞かせられない話というのは珍しい。彼女は口が堅い。私がエルフィである事も告白している優秀な侍女だ。
「……ガイアス、レイシス、何があるの?」
渇く喉を潤すために、お茶を一口飲んでから尋ねれば、同じ動作をした二人がゆっくりと顔を上げた。
「実は、……最近王都内で殺人事件があった。この三ヶ月で三件だ。被害者は全員貴族」
いきなり始まった物騒な話に、眉が寄る。
この三ヶ月で三件……ということは犯人が同一だと言いたいのではないだろうか。それをなぜ私に言うのか、と悩んだところで、レイシスが話を続ける。
「今回の学園の事件は結局、黒い煙であって黒い魔力ではない、という結果のようでしたが……実は、殺人事件の方は犯人が闇魔法の使い手ではないかという情報を暗部がつかんでいます」
「……え?」
闇魔法。またその単語が出てきたことに驚いてレイシスを見る。そんな、一日に何度も聞くような単語じゃない筈だ。
「前に俺らが仕事で公爵の家に行った時があっただろ、あの時、暗部が人手不足だったんだ。この事件のせいで。その時はまだ、一人しか死んでなかったらしいけどな」
納得と共に、愕然とする。それから結構日がたっているのに、まだ解決していないというのか。でも、そんな怖い事件は聞こえてきていなかったのだけど……
「調査の指揮をとってる公爵が箝口令を敷いている」
「えっそれ、言っちゃっていいの」
思わずぎょっとしてガイアスを見るが、ガイアスはふうと息を吐くとゆるりと首を振った。
「本当は嫌だよ。アイラをこの件に関わらせたくないけどな。王が……」
「は? おう? おうって、王様?」
「そう、その、王。王都に今いるエルフィに協力を頼み始めた」
げ、と声が出てしまったのは許して欲しい。まあここにはガイアスとレイシスしかいないから……というのはこれでも貴族令嬢である私が言える台詞ではないのだが。
エルフィに協力を頼み始めたのは、恐らく闇魔法の判別をするのに「色」を見てほしいからではないだろうか。
闇魔法は未知の魔法だ。つまり、見てすぐ「闇魔法だ!」とわかる可能性が少ない。無属性魔法と区別がつかない可能性もある。
「じゃあまさか、私その事件を調べる手伝いをしなきゃいけないの? 国の、指示?」
私の質問に、苦々しい顔をした二人の頭が下を向いたとき、私の口から大きなため息が漏れたのは、仕方ない事だろう。
やりたくない。そう思うのは、人として曲がった事であるとわかっている。最低であると。それでも、貴族が狙われているとこうまでして調査が入るのかと愕然とする。王の判断は当然なのかもしれないが。
自分の無力が、目に見えるようだ。
ぴょん、とテーブルにアルくんが載った。その姿を見て、ちらりと過ぎる姿に、私は悔しさに歯を噛み締めた。




