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 夕日の当たる噴水がオレンジ色にきらきらと輝きながら流れ落ち、弾けた水が細かな霧となって温度を下げてくれているのか、それとも清涼な音のおかげか、公園はとても過ごしやすい気温だった。

 桜の木はもうすっかりその色を緑に変え、生き生きとしているが相変わらず精霊はいないようだ。不思議だな、と思いつつも桜から目を離し、噴水に再び戻したところで、奥から昼も見た海を思わせる蒼を見つけた。


「やあ。すっかりお待たせしてしまったようだね、まさか君のほうが早く来てくれているなんて。待ちきれなかったかな」

 にこにこと笑みを浮かべながら近づく男、ジュン・ピエール……だったっけ。

 男は私の傍まで来ると、今気づいたような視線で後ろにいたガイアスとレイシスに視線を向け、おやおや、と言いながら目を細め、にやりと笑う。

「こんなところまでついて来るなんて、無粋だね」

「俺らは護衛だ、来るのは当然だろ」

「愚問だ。お嬢様を一人にするわけがない」

 二人が即答すると、目の前の男はふっと口元に笑みを浮かべ、私に視線を向けると少しだけ首を傾けて見せる。

「護衛がいると大変な事もあるようだね」

 二人に向けた嫌味のようなその言葉に、一瞬成り上がりの癖に護衛を連れて、と馬鹿にするいつもの貴族等の姿が過ぎったが、「自由がなさそうだ」と続けるこの男はどうやら本気で護衛自体を面倒なものとして捉えているらしい。貴族ではないのだろうか。ピエールなんて貴族聞いた事ないしなぁ。

「まぁ、少し下がっていてくれよ。僕が話があるのはこの美しいお嬢さんだけなんだ」

「……俺達は」

 レイシスが何か言いかけたが、私はふるふると首を振った。真剣勝負、これは一対一で行うべきだ。

「大丈夫だから問題がない範囲で下がって」

「お嬢様」

「わかった……レイシス、ほら行くぞ」

 躊躇うレイシスを、ガイアスが引き連れて離れていく。二人は会話は聞こえないだろうが、こちらを視界にいれた魔法が届くぎりぎりの距離で止まったようだ。

 もっとも、姿こそ見えないが、特殊科のメンバーが近くにいるのは魔力探知を行えば一発でわかる。たぶん、距離はあっても風の魔法か何かで話も聞いているのではないだろうか……とくに王子。すっごい楽しみにしてたようだし。

「それで」

 私が話を促そうとすると、目の前の男は長い蒼い髪の毛を耳にかけ、またしても笑みを口元に浮かべた。……なんともいちいち気障ったらしいやつである。

「実はね、前々から君と是非話をしてみたいと思っていたんだ、アイラ。僕の名前は……言わなくても知っているよね」

「……はぁ?」

 思わず何言ってんだこいつみたいな発言になってしまったが仕方ないだろう、悪いが君の名前はレイシスが言っていたのを聞いたので初めて知ったくらいで……ジュン? だっけ?

 だけど、初対面の相手に名前を名乗るのは礼儀として当然だと思う! そしてこっちから教えてないのに勝手に名前を呼び捨てにしないでほしい。ほんと、年下だと思って馬鹿にして。

 そんなことを考えながら無言で睨みつけると、目を大きく開き、口も半開きという間抜けな表情を初めて見せた目の前の男が、私と視線が合うとはっとして慌てた様子で言い繕う。

「ジャン・ソワルーだよ。ほら、今年入学後すぐ騎士科に入ったんだ。これでも一応騎士科で上位の成績だし、ソワルー家はルレアス公爵家の繋がりで……」

「そうですか」

 あれ、名前違った。ジュン・ピエールってもはや全然違う人じゃないか。ピエールって……と若干自分の名前の覚えの悪さにショックを受けつつ、頭一個分背が高い彼を見上げる。

 ルレアス公爵家の繋がり……という事は、爵位はないが親戚なのかもしれない。

 少し有名であったとしても、私は社交界に出る年齢でもなければ生まれながらの貴族でもないので、貴族の縁戚関係の話題になるとてんで駄目なのである。

 さすがに有名な騎士をたくさん輩出している名家などであれば別だが、ソワルーについてはわからなかった。

 ちなみにルレアス公爵家というのはもちろんわかる。あの、医療科の最初の試験で私に話しかけてきたお嬢様達を先頭で率いていた青灰色の髪が印象的な少女、ローザリア・ルレアスがそこの家の娘である。

 彼女は医療科の試験に受かり、今も数人の令嬢といつも一緒に医療科の授業を受けている。とは言っても、彼女と彼女が一緒にいるご令嬢達は私に嫌がらせするでもなく、ただし他の令嬢を止めるでもなく離れているので、私はあの日以来接点はなかった。

 ただどうやらフォルとは仲がいいようで、よく一緒にいるのを見かけていたりする。容姿も相まって目立つ二人だ、その周辺にいる人もある程度名前を覚えたのだが……ジャン・ソワルーはまったく聞いた事ないな、やっぱり。


 彼は私の反応が悪いと思ったのか、更に焦っていかに自分が優秀かを話し出した。

 曰く、今日の模擬では特殊科の面々とばかり当たってしまったが、他は負けなしであったとか、剣の腕に自信があるだとか……そういえばさっき話がしたいと言っていたが、このことなのだろうか。

 勝負の前に話してどうするのだろうか。私に自分の得意な技を教えてハンデのつもりなのか? 

「あの、話って」

 このことなんですかと問おうとすると、彼が「ああ」と呟き、深呼吸をした後少し落ち着いたのか髪をかきあげてふっと笑う。

 ……まさか、勝ったほうは負けたほうに何かする、というようなルールを設けるのだろうか。

 何だろうと首を傾げつつ背の高い彼の顔を見るために上を向いて視線を合わせると、夕焼けに肌が染まる中、男は一度目を見開いた後口を閉ざし何も言わなくなってしまった。どうしたんだジャン・ピ……ソワルー、早くしないと暗くなります!

「あの。ご友人が勝負だとか言っていましたが」

 仕方ないので私から話を切り出せば、目の前の男はわたわたと慌てた。

「え? あ、ええ!? ああ、あれは」

「申し訳ないんですが、時間も遅くなりそうですし勝負するならさっさと開始してください。もう、勝った方が負けた方の言う事を一つ聞くとかでいいですから」

「いや、違う……え? 言う事を……聞いてくれるのかい? なんでも?」

「お好きにどうぞ」

 それまでおたおたとしていた彼の目が、急にすっと細められて私を捕らえる。少し空気が変わった事に感心しつつ頷く。……この人、口だけじゃなくてたぶんかなり強い。

 漸く始まりそうな気配に、人知れずにんまりする。私も、ゼフェルおじさんの元から離れてしばらく、あの崖に向かった日以外は殆ど身体を動かしていない。

 医療科では魔法の打ち合いなんてないし、特殊科の授業も今は座学が中心で演習や訓練もなく、内容に満足はしているが身体的にはやはり退屈していたところだ。

 笑みを隠し、真剣に相手を見つつ、私は足に魔力を溜めてとんと地面を蹴ると、風歩を利用して後ろに大きく跳ね相手と距離を一度とる。

 視界に、慌てているようなガイアスとレイシスを止める王子の姿と、困ったような顔をしたフォル、ルセナ、ラチナおねえさまが映ったが、王子の様子を見るに手は出されないだろうと判断して相手へと向き直った。

「その条件でいいですね? はじめましょう」

「……怪我をしない程度にだ。相手に攻撃を寸止めで先に当てた方が勝ちでいいね? それと、君が降参って言ったら終わりでもいいから」


 ……舐めてる!






「こっの馬鹿アイラ!!」

「ふぎゃー! ごめんなさーい!」

 戻った特殊科の屋敷でガイアスの雷が落ち、わたわたと部屋を逃げ回る。しかしぐっと両腕を押さえられ動けなくなり後ろを振り返ると、眉を顰め静かに怒りを露にしたレイシスと、にこやかな笑みを浮かべてるのに何か背後に黒いものが漂うフォルが、私の腕を片腕ずつ掴んでいた。

「お嬢様、いくらなんでもあんな約束はしてはいけません」

「なんでも言う事を聞くなんて、そんな事言ったらどうなるかわかってる? アイラ」

 二人とも怖い。すごい怖い。がっつり怒るガイアスより全然怖い!

「えええええ、だってちゃんと勝ったのにー!」

 二人から無意識に逃げようと前に向き直った時、私の目の前にはふわりとやわらかい若葉色の髪の毛があった。いつの間に傍に来ていたのか、少し視線を下げるとむっと口を尖らせたようなルセナが、私をじっと見上げている。

「それでも……だめです。アイラおねえちゃんは、女の子だよ?」

「ふぁ!?」

 まさかのおねえちゃん呼びにひっくり返った声が出る。彼の尖らせた口は胸に抱え込んだ分厚い本で見え隠れしているが、潤んだ瞳と心配そうに寄せられた眉が至近距離にある。る、ルセナ! 君いつの間にそんな萌えスキルを習得したんだい!?

「ほーんと、あんなこと言い出しておねーさまはハラハラしたのよ? 駄目よアイラ。ああいう時はね、どう転んでも自分に条件がいい方法にさりげなく持っていくべきだわ」

 ルセナの後ろに立って私の頭を撫でてくれたラチナおねえさまを見て、成程、と深く納得。さすがですおねえさま。商人の娘なのに少し交渉が甘かったようです。

 以降気をつけますわ! と答えようとしたら、「いやラチナ、お前のは若干怖い。アイラ、やめろ」と王子にぺしりと叩かれた。なぜだ。

「にしても、見事な勝負だったな」

 王子がいつもの笑みを浮かべながら、うんうんと頷くので、つられてえへへと笑うと両腕が引っ張られた。ごめんなさい。

「アイラは無茶しすぎだ」

 ガイアスに怒られ、「はーい」と言いつつもつい不満で唇が尖る。

 私は、ピエールくんに勝ったのだ。初めに相手に触れさせる事無くひたすら風歩で移動しまくり様子を見たのだが、どうにも彼の動きが鈍く見えたので終わりは一瞬だった。

 私に頭から例のお得意の『ただの水』をぶっ掛けられたピエールくんは、しばし呆然とした後これは攻撃魔法じゃないから無効だとか、卑怯だとか騒ぎ出し、なんと血走った目で寸止めできないような呪縛の魔法を唱えだしたのだ。数日間動けなくなる系統の威力が高いやつ。やはり彼はそれだけの魔力の使い手ではあったらしい。

 これは危険だと判断した私が威力を抑えた(つもり)の雷魔法を唱えたところ、予想以上に効きすぎたようで彼は気を失ったが、ガイアスとレイシスが拘束系の危険な呪文を唱えられていたせいか血相変えてすっ飛んできたのだ。

「お嬢様、いくら相手が非常に相手にならない位弱くても、馬鹿でもむしろお嬢様の前に存在していた事自体が誤りのような如何わしい男の場合は直接手を下してはいけませんそれくらいなら俺が一瞬で不能」

「あー、うん待って待ってレイシス。君その顔ですごい感情駄々漏れだよね? 落ち着こうね、注意するところはそこじゃないからね」

 ほぼ息継ぎなしで言い切ろうとしたレイシスの言葉を苦笑したフォルが止め、レイシスの背をぽんと撫でて落ち着かせてくれる。ありがとうフォル、君いいやつだ。

「まぁ今回アイラは明らかに相手の力量を最初に推測した段階で気を抜いてたと思うんだけど、油断してはだめだよ。それに、さっきも言ったけれどあんな約束は今後絶対しないこと。ああ、僕とならいいけれど」

「はぁい……ん? は!?」

「よかった、じゃあお願い考えておくね」

「おいこら待てフォル! 何勝手に言い出して……」

「フォルセはおねえちゃんと戦う前に僕が倒します。代わりに僕のお願い聞いてくださいね」

「ルセナぁ!?」

 ああうん、特殊科は今日も平和だった。

 そんなことを、悪ノリをはじめた王子らを見ながら思いつつ、私は今日の戦いでジャン・ピエールに勝利したんだしと、相手へのお願いを決める。


 名前、覚えにくいので今後ピエールと呼ばれたら返事してもらう方向で。決定!


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