41.レイシス・デラクエル
今回戦闘描写がきついかもしれません。少しだけ。
デラクエル家は本当に公爵家と縁が深い暗部の組織だったらしい。
らしい、と言うのは、俺が今の今までマグヴェル、そして今はベルティーニの領地でぬくぬくと育ち、話には聞いていても公爵なんて人間を現実の者として捉えていなかったからだろう。頭ではわかっていたのに、いざ公爵を目の前にした時は少し緊張したのである。
こうして学園に入学し、昔の知り合いが公爵の息子だったと言われても、父に言われていた俺達の祖先の事情をお嬢様に話す事なく過ごしていたのは、明らかに微温湯に甘えていたからだ。
初めて会った公爵は、息子と同い年の子供の俺達相手に真剣に仕事の話をしていた。
それは、貴族以外の人間を見下すモノではなく、俺達をそれぞれ人間として、そして重要な仕事を頼む相手として認識しているからこその行動で、最後にほんの少しだけ子供である事を心配された事以外特に不満はなかった。といっても、子供に仕事を任せるのが不満というのではなく、危険であるが故の親心のような心配を向けられたのであるが。
「おいレイシス、もういつもならとっくに寝てる時間だろ、やばいな」
「だったらさっさとあの女を見つける事に集中しろ。早くしないとお嬢様が探しに出てしまう」
ここは、王都の外壁の外だ。ここからすぐ戻るにしても三十分は見なければならないのに、目的である以前特殊科を襲った女の所在をまだ掴めずにいた。
本当は、あの女を追うなんて事になるとは思わなかった。
あの女に襲われた日、気になる事がありこっそり学園の外に出てすぐ父に伝達魔法を送り連絡を取ったのだが、父からすぐに調べると知らせがあって数日後、ジェントリー公爵に直接会ってその時の詳細な報告をしろと連絡が来たのだ。
あの女の小刀は、最初にお嬢様に向かって投げられた小刀には遠目にも確かにあのイムス家の家紋が彫られていたのに、証拠として取り上げようとした二本目の小刀……ガイアスに向けられた小刀に描かれていたのは、別の模様だった。
蛇のようなものが剣に巻きつき、烏が描かれた紋章。あれは、一度だけ父に見せてもらった事がある模様だ。
――特殊な血を狙う裏組織の紋章だ。いいか、ガイアス、レイシス。絶対にアイラお嬢様にこいつらを近づけるんじゃない。
そう言われたのは、まだお嬢様がベルマカロンを立ち上げたばかりの頃だったか。
お嬢様の護衛筆頭として修行していた兄上が亡くなり、戸惑う俺達双子に父は今まで兄上に教えていた知識の全てを叩き込んだ。
領地にはこの組織を入れさせないが、今後何があってもお前達は絶対に離れるんじゃないぞと。
そもそもエルフィという情報はほとんど出回る事はない。自分でぺらぺらと話して歩くエルフィもいないし、その精霊の知識を得ていても人より努力しているだけだろうと思われるのが大半だ。
奥様の兄君であられるクレイ殿だって、エルフィの力を使い医師として患者を助けていても、王都で開示しているもの以上の知識で治療には当たらない。家族を守る為だ。
それでもどこから聞きつけてくるのか、十数年に一度くらいは各地のエルフィや吸血族、獣人の一族が攫われる事があるそうだ。その犯人といわれているのが、蛇と剣、烏の模様を持つ組織、ルブラと呼ばれる、王家を至上とする集団だ。
決して王家ご用達の暗部というわけではなく、勝手に王家こそ人類の希望の光だの神だの崇めているらしく、時に行き過ぎた思想が人攫いやら怪しげな儀式に繋がる要注意の集団であると聞かされた時には、絶対お嬢様に近づけまいと誓ったものだが、今回そのルブラのマークを目にしてしまった時は後悔しかなかった。なぜ油断したのかと。
しかし、父から来た知らせではどうやらアイラお嬢様がエルフィだとばれた様子はないらしい。どうやらやつらは今熱心に追っている何かがあるらしく、もしやそれが今回フォルに関係しているのでは、と思い、ガイアスと訪れた公爵邸でさりげなく狙いはフォルだったようだと口にしたところ、それまで無表情だった公爵の瞳が本当にほんの僅かに揺れた。
それは殆どの人間が気づかないものであったとは思うが、その後ガイアスに確認したところ同じようにその動きを把握していたので、フォルがやつらに狙われる理由が何かあるのだと確信する。
フォルは直系ではないが王家の血筋を引いている。血統至上なルブラがなぜ王家に固執するのかという最有力な仮説は、光魔法だ。あれは、王家直系のみに受け継がれる魔法である。十分血筋によるものであるし、ルブラが王家に惚れ込んでしまう理由になりえるが、そうだと確定するには不安定な要素もある。
そもそも光魔法は、それまで光魔法を使えていた筈の姫が嫁いだ瞬間使えなくなるという不可解な点があるのだ。そして、その子にも光魔法は使えない。それなのに、王の子であれば例え庶民上がりの愛妾の子であっても嫁ぐもしくは婿になるまでは光魔法を使えるらしい。
その事から考えると、いくら先代王の孫であるといってもフォルの父は王家を離れたのだ、フォルが光魔法を使えるとは考えにくい。
これ以上は考えても答えは出ないだろうと諦める。とりあえず、あの場にはフォルもいたのだから説明の為だけに俺達が呼ばれたわけではない筈だと公爵の話を待てば、告げられたのは敵の合流の情報と女の確保という、公爵曰く難しい仕事であった。
「捕まえられると思うか、ガイアス」
「まぁ、あの程度が数人増えたくらいならな。ただ、ドーピング後じゃちょっときついけど」
「そうだな」
聞けば、どうやら今、他の暗部は別事件に掛かりきりらしく人員を割けないならしい。
――本来は君達学生に頼むべき事ではないのだが、くれぐれも怪我のないようによろしく頼む。
そういって俺達を送り出した公爵に、その様子は見えないものの目の下にはしっかりと濃い隈が現れていた。俺達にはわからないがどうやら公爵を悩ませているのはルブラだけではないらしい。
しかし、いくら待てども公爵に言われた接触地点に敵の姿はない。偽情報を掴まされた可能性を考えて、撤退を視野に入れ始めた時、少し離れた場所で妙な風の流れを感じた。
「ここから南西二分距離に風歩だ」
「了解!」
ガイアスに情報を流し、気配を殺して二人で南西へ跳ぶ。
木々に囲まれた暗闇の中、二人で今日覚えたばかりの魔力探知を行えば、敵と思わしき人間は一人だけだった。
ガイアスに合図しさっと二手に分かれ、相手の前方と後方を挟む形で近づく。どう相手を確かめようかと思案したのは一瞬で、敵が先に動いた。
「よかった! 合流場所はここだったのね! ねぇ、約束通りジェントリーの息子の情報をつかんできたわ!」
こちらを仲間だと思ったのか叫ぶ女の声。この声には聞き覚えはないが、その発言の内容だけで捕らえるには十分だった。
ガイアスが動く気配に合わせて、風の魔法を叩き込む。
「ぎゃああ!?」
悲鳴が辺りに木霊する。
本当にここに仲間がいるのであれば呼び寄せる事になるので、ちっと舌打ちをしつつも風の魔法を張り巡らせ、悲鳴をかき消し次の手を打つ為にガイアスの魔力の流れを追う。
微かに聞こえた呪文に、ガイアスが地属性の相手の動きを封じる類の魔法を発動させるつもりだと察知して、それに合わせるように拘束の風の魔法を唱えようとした瞬間、嫌な気配を感じて慌てて切り替える。
「ガイアス!」
「いっ……っ!」
接近していたガイアスに強い魔力の刃が迫るのを防ごうと守護の魔法を発動させたが、どうやら初めの一発を防ぎ損ねたらしくガイアスが小さく痛みを訴え、慌てて引く気配がしたので時間を稼ぐ為に無数の風の刃を生み出す。恐らく自分で止血の魔法を唱えるだろうとその間何度も切りかかれば、急激に力を無くしたらしい敵は繰り出す風の刃をまともに食らい、闇の中で血の花びらを散らし舞うようにその場を転がった。
「くっそ油断した!」
既に舞う事も出来なくなった女が膝をついた時、止血したらしいガイアスが片手を庇いながら女に鎖の蛇を唱え拘束した。
女は口からだらりと赤黒い血を溢れさせ、目の焦点が合っていない。風の刃の切り傷は大した事がないようだから、恐らくこれは薬の副作用だ。顔を見て見れば、やはりあのイムス家の侍女だった。
「またあの魔力を増やす薬を使ったのか」
「いや、たぶん魔力を増やすというよりは、自分の中の魔力を爆発的に使用する類だろう。それよりガイアス、傷は」
「問題ない。仲間が来る前にこいつ連れて逃げようぜ」
片手でガイアスが女を背負ったので代わろうと手を出せば、ガイアスがそれを首を振って止める。
「俺はたぶん次の戦闘はきつい。魔法で片腕だけ強化して運ぶから、お前は何かあった時の為に手を空けとけ……いくぞ!」
ガイアスが既に移動を開始したので、言われた通りに周囲の魔力探知をしながら王都へと戻る。とっくにこの時間は王都への門が閉ざされている時間ではあるが、公爵が手を回してくれた扉に行くと、騎士がこっそりと手招きしてくれたのでありがたく中へと入り、俺らは無事に公爵邸の人間に女を引き渡した、のだったが。
「お嬢様……?」
慌てて帰って来て見れば、真夜中であるというのにフォルとお嬢様がお茶しているし、お嬢様はなんだか大混乱なさっているし、精霊が兄上だとよくわからない事を呟いてお嬢様が抱きついてくるしで正直先程敵と対峙していた時以上にわけがわからない緊張と焦燥を感じ、胸をもやもやと何かが埋め尽くしていく。しかもそれは、お嬢様が俺が苦しいのではと、ぱっと身体を離した時さらに膨れ上がり、逆に胸を締め付けられ、不快に思う。何か、敵の魔法に触れてしまっただろうか。
「なんか……三人兄弟みたいだね」
フォルの言葉に妙にいらいらして、ぐっと視界が赤く染まった気がした。これは本格的に後で何かよくない状態異常を起こす魔法をかけられていないか確かめたほうがいいかもしれない。
フォルを狙っていた敵なのだ。もしかしたら、フォルを攻撃したくなるような操作系統の魔法を何かかけられたのかもしれない。あの女にそんな魔力があったとは思えないが……
ガイアスが敵に負わされた傷を風歩移動で引っ掛けた、と誤魔化したので、それに対し口を閉ざす。無駄に心配をかける必要はない、そう、思ったのに、次のフォルの言葉にぐわっと頭に血が上る。
いつまでもお嬢様に真実を告げなかったのは俺達だ。そんな事はわかっているが、フォルがそれをお嬢様に言ってしまったという事が妙に悔しくて詰め寄ってしまい、同じ状況の筈なのになぜか笑って自分の非を認めたガイアスにも腹が立つ。
わかっていた。デラクエルがベルティーニを守ると決めた時、その特殊な、恨みを買いやすい組織であった俺達の傍にいるベルティーニは常に狙われる可能性がある、それをきちんと説明する事、と父に言われ続けてきたのだ。
だが、なぜそこまで危険ならベルティーニの傍にいるのかという疑問や、しかしだからと言ってお嬢様と離れたくはないという思い、そして何より、安全なあの故郷に慣れてしまっていた俺達は無駄に怖がらせたくないという建前の元お嬢様への説明を放棄した。いや、きっと、「だったら近寄らないで」と言われるのが、怖かったのだ。
今日俺達はデラクエルの仕事で動いた。それがつまりお嬢様への危険に繋がるとわかっていたのに、お嬢様を狙う可能性がある輩が狙いであるから動かざるを得なかった。この状況になる前に説明するべきだった。むしろ、フォルがお嬢様を止めてくれて助かったのだ。
「すまない、フォル」
なんとか口にした謝罪は、この友人は笑って受け止めてくれるらしい。
後でフォルに、怪しい魔法が俺にかけられていないか調べて貰おうと決めたところで、当初のお嬢様の混乱の原因を思い出す。
猫のアルが、やはり精霊だった、というのは特に驚かないが……サフィル兄上の名が出てくるというのはいったいどういう事なのか。
その瞬間、お嬢様ががくりと膝を折った。慌てて顔を覗き込めば、俺を見ている筈の瞳に、俺が映っていない。
「にいさま」
お嬢様のその言葉で、訳もわからず息苦しく目が熱くなった。
嬉しいはず。俺はあの日から、兄を目指してきた。お嬢様が大好きだった兄上と同じようになろうと、わざと口調も真似て、髪型や好む服装も真似て、剣を選ぶ事はできなかったけれど魔法だって運よく兄上と同じ風魔法が得意で。
なのに、なぜ兄上に間違えられた今これほど胸が痛いのかわからない。愕然とした気持ちでお嬢様を揺すってしまい、慌てた時、お嬢様の緑の瞳には俺が映っていた。
「ごめんなさい、レイシス。……精霊が、にいさまと同じ姿なの」
いくら探しても見えない俺達に代わり、フォルにエルフィだと秘密を明かしたお嬢様が精霊に姿現しとやらの交渉を始めたので、その間にちらりとフォルを見る。
フォルはその銀の瞳を優しげに細めてお嬢様を見ている。エルフィに対する差別意識はないとほっとしたと同時に再び感じる焦燥。なんだ、これは。
ぐっと歯を噛み締めた時に、テーブルの上に見た事もない淡い光と、濃い魔力が収縮する。
冬の朝日のようにきらきらと輝いた後、そこに現れた小さな姿を見て、嬉しいような、憤りたいような、異常な感情が身体を支配していく。
俺ら双子とは違う金色の髪、そして俺らと同じ琥珀色の目、俺にそっくりな顔。
あれは……兄上!
兄上に似ている、という精霊を実際に目にして、戸惑う俺に代わりフォルが淡々と話を進めていく。
どうやら兄ではないらしい、と周囲が結論を出し始めても、俺には兄上にしか見えなかった。
アイラお嬢様を見る時のあの少し目を細めた、嬉しそうな笑顔。アイラお嬢様だけに向ける甘さを含んだ優しい声。忘れるわけがない、俺はあの姿を目指したのだ。
名前は王子がつけた「アル」であると主張する精霊に、念を押すように兄上ではないのだなと口に出すが、違和感がぬぐえない。
お嬢様が疲れてレミリアに連れられて寝室に入った時、俺は後を追う精霊の顔を見て、愕然とした。
悲しそうな、悔しそうな、そして愛しそうな視線をお嬢様に向けた精霊が、満足げにガイアスを見たあと、俺と視線がぶつかる。
苦笑した精霊がぱっと姿を消した。恐らく姿現しの魔法とやらと解いたのだろう、すぐさま猫の姿に戻った"アル"が現れる。
「とりあえずは、明日だね。遅くに失礼した、何かあればまた連絡をくれ」
「ああ、わかった。悪かったな」
ガイアスに促されて、フォルが部屋を出る。
呆然としていた俺はフォルに状態異常の魔法の検査を頼むのを忘れた事に気づいたが、明日に回して部屋に閉じこもった。
「あれは、兄上だろ……?」
眠気は、朝になっても訪れる事はなかった。




