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「お嬢様、もうお休みになられたほうが……」
レミリアが、落ち着きなく部屋をうろうろとしている私を見ながら垂れ気味の眉尻をいつもよりさらに下げて困ったように頬に手をあてる。
「うん、でも、もうちょっと」
時刻はとっくに日付を変えた深夜だ。本来であれば侍女のレミリアだって何時間も前に仕事を終えている筈なのだが、彼女は今日私が休むまで絶対に部屋に戻りませんと断言している。
でなければ私が部屋を飛び出すと思っているのだろう。当たりだけど。
「あの二人が連絡なしにこんな遅くなるはずないのよ」
あの二人、とは、もちろんガイアスとレイシスだ。今日の昼過ぎに、父親に仕事を頼まれたからと授業を休んで外に出た彼らが、この真夜中になってもまだ戻っていない。ありえない事だった。
何かあったに違いない。だが、この時間に一人で外にでるのが危ない事だというのは、一度攫われている身である、痛いほどわかっている。レミリアというストッパーがいる今、この理性がぎりぎり働いているのだ。
「あのお二人でしたら、大丈夫だと思います。お嬢様は明日もお早いのですから……」
レミリアに心配をかけているのは十分わかっている、のであるが。
先程からアールフレッドルライダー……もとい、猫のアルくんもしきりに寝室の扉の傍でにゃあにゃあと鳴いているのだが、さすがに私はこの状況で一人ぐっすり眠ることもできず、かといってアルくんもレミリアも私がいくら促しても眠ろうとはしないので、二人と一匹で困り果てていた。
「よし、では、私が外に見に行って参ります!」
「駄目よ!」
突然意気込んだレミリアの発言にぎょっと驚いてすぐさま否定すれば、彼女は目に涙を溜めて訴えた。
「お、お嬢様を外に出すわけにはいきませんし、かといって……本当は私だって心配で……っ!」
「わ、わかった、わかってるからレミリア。落ち着いて?」
目を真っ赤にさせて訴える彼女に、しまったと近づいてその背を撫で、思案する。
ここは私も休むといってレミリアを部屋に戻すべきか、いや、でも……
いくら緊急時は伝達魔法を使えるからといっても、先に学園の許可がいる。伝達魔法は独特の魔力の流れがある。それが飛び交っていては、警備に支障が出る為だ。許可を取ろうにも、平民である二人への目は厳しい。騎士科の生徒が夜遊びか、なんて言われたら困ってしまうし……つまり現状どうしようもないこの状況に、途方に暮れた。
レミリアが落ち着いた頃、私達の耳に微かにちりんと鈴の音が聞こえた。
はっとして見ると、どうやら部屋の呼び鈴が鳴らされているようだ。呼び鈴は扉の外にある魔石に魔力をぶつけると部屋に伝わる仕組みになっているのであるが、真夜中の為かかなり抑えた魔力を当てているらしい。
ガイアスとレイシス、ではない。二人は鍵を持っているのだから、違う。ではいったい……?
レミリアがさっと立ち上がって、見て参ります、と部屋を出ようとしたのを慌てて止める。もし万が一危険があると困る。時刻が時刻なのだ。
「でも、お嬢様を行かせる訳には」
「二人で、行きましょう。私が外の様子を探るわ」
そういうと、私の足にどんと暖かいものがぶつかる。
「アルくん」
まるで、僕を忘れるなと言わんばかりに胸を張って存在を主張する猫に、くすりと笑いが漏れて、私とレミリアは手を取り合って玄関へと向かう。
「ちょっと待ってね」
小声でレミリアに合図をして、外に意識を向ける。
この世界の扉に、前世の玄関扉によく取り付けられていたようなドアスコープはない。外を見るには扉を開けるしかないのだが、それが危険な場合は大抵の人間は声をかける、もしくは魔法を使う。
魔法といっても、この世界の魔法は万能ではない。外を見る魔法なんてものは存在しないし、千里眼もない。
ではどうやるかと言うと、魔法使いには独特の伝達方法がある。
魔力を形にするというのは、どの魔法でも基本だ。そして、体外に現れた濃度の濃い魔力と言うのは、覚えたばかりの魔力探知を使わなくてもある程度の魔法使いなら感知することができる。
それを利用して、仲間の魔法使い同士で魔力を見せる事で合図を送る事もある……というのは、実は魔力探知を勉強していた時に本で覚えたばかりのことなのであるが、探ってみる事はできるだろう。
しかし私は、外の様子を探ってすぐ、何の問題もなくその正体を掴んだのだ。
「……フォル!」
「え?」
急にはっとして扉に手をかけた私の横で、レミリアが何だと驚いて体を震わせたのだが、大丈夫だと手を振る。
ばっと扉を開けると、そこにはやはり、いつもの銀色を纏うフォルが立っていた。何のことはない、本で魔法使いの合図を覚えた時、お互い練習しあったのだ。フォルの魔力の気配なんて、間違うわけがない。
「ごめんねアイラ。こんな時間に人の部屋を訪れるのは間違っているとはわかっているんだけど……」
「とりあえず、部屋に入って。ここだと、巡廻してる騎士が来るわ」
地方貴族が多くいるこの寮は、玄関から入って左側が男子寮、右側が女子寮とされているが、どちらも男女は入り乱れている。(私達の部屋がいい例だ)
結局侍女や護衛がいて厳密に男女を分ける事ができない為、警備の騎士が巡廻する回数が多いのだ。
少し躊躇う様子を見せたフォルの手を引き、玄関に引きずり込む。
「レミリアこんな時間にごめん、お茶を準備してもらってもいい?」
「わかりましたわ」
「え、いや、アイラ。話ならここで……」
レミリアがぱたぱたと私の部屋の方に消え、その後をアルくんが追う。私もなぜか顔を赤くして躊躇うフォルを部屋へ誘う。
「フォル?」
はっとして、特にそんな用事がなかったのかもしれないと掴んでいた手を離す……つもりが、ついいつの間にか私は両手でフォルの手を掴んでいた。
どうやら、ガイアスとレイシスがいなかった事に、自分でも思った以上に恐怖があったらしい。
私の様子を変に思ったのか、フォルがじっと私の顔を覗き込んだ。
「……アイラ?」
「あ、あの。ガイアスとレイシスが戻らなくて! それで……」
「うん、その事なんだけどね」
「何か知ってるの!?」
ばっとフォルの肩を掴み近寄れば、フォルが驚いて私を受け止めようとした、のだが。
「ひょわっ!」
「っ!」
体が前のめりになり思わず目を瞑る。どんと大きい音がして、口元と肘に激痛が走る。妙な声が出たが、やばいと慌てて痛む口を押さえ「ぐああ」とおかしなうめき声を上げつつ、目を開けて状況を確認する。
見下ろした先に痛みを堪え潜められた銀の眉。紫苑色の混じる銀の瞳は閉じられていて見えない。が、ふいにぱちりと開かれた瞳が上にいる私を見上げた。しばらく呆然と二人で見つめあう。
「お嬢様! 今の音は……え!?」
「え?」
振り返ると後ろから走ってきたレミリアがぎょっとして私達を見ている。肌が白いレミリアの頬がだんだんと赤く染まっていき、小さく前方から「あっ」と聞こえたので視線を戻すと、フォルもそのいつもは白い頬を赤く染めていた。……あれ?
「うぎゃ!? ご、ごめんフォル!」
漸く自分がフォルに乗っかっている事に気づき慌てて彼のお腹の上から下りる。どうやら、勢いよく掴みかかったせいでフォルが後ろにひっくり返ったらしい。
しかもよく見ると彼のさらさらの銀の前髪の隙間からちらりと見えるおでこも少し赤い。私は口から顎にかけてが痛いし、どうやら転んだ時にぶつかったようだ。恐らく今は大して身長が変わらない私が飛び掛ったせいでこんなことになったのであろうが、これが前世の漫画なら口と口がぶつかってきゃー! な展開であろうに実際は色気のないうめき声で締めくくられた激痛付きの珍事である。
「ほ、本当にごめんなさい、フォル、ちょっと動転してて」
「……ううん、僕こそごめん」
何も悪くないのに謝るフォルは、今度こそ促されると私の部屋についてきた。後ろから、「牛乳飲めばいいのかな」なんて呟きが聞こえた気がしたが、これは聞かなかった事にしたほうがいいだろう。
大丈夫フォル、男の子の身長が伸びるのはもうちょっと先! ……だと思う!
どうやら椅子に座った後、漸く思考が戻ってきたらしいフォルが慌てて「すぐに出るから!」と顔を赤くして焦っていた。いつも穏やかなフォルからは考え付かない慌てっぷりである。
これはもしかして……さっきレミリアが戻ってきた時顔を赤くしてたし、まさか! フォル、年上が気になるお年頃か……!?
うんうんいい目を持っているな少年よ! 今度一緒に食事する機会でも……なんて普段ならやっているだろうが、今の私はそれど頃ではない。脳内は迷惑なおばちゃん化する程大混乱である。
「それでフォル、二人はどこ? 無事なの?」
「うん、ごめん、二人とも今、うちの父親に仕事させられてると思う。あの人のせいでアイラにも連絡できずにいるんだと思うんだけど……アイラ、デラクエルの事、どこまで知ってるのかな」
「……へ? 待って、父親って、へ?」
「うん、だから、僕の」
申し訳なさそうにフォルが眉を下げた。だがしかし、今の台詞を脳内で理解した私は、はくはくと息を漏らす。
「フォルのお父さんて、ジェントリー公爵のような気がしないでもないんですが……?」
「うん、そうだね、間違ってないと思うよ」
「はぁ!?」
予想外の言葉に、開いた口がふさがらない。なんだって、なんであの二人はそんな雲の上のお方の手伝いを!?
しかも双子は私より貴族嫌いが顕著だ。別に自惚れたいわけではないが、あの二人は私の事になると目上の貴族相手でも確実に食って掛かる。ゼフェルおじさんが心配していた程だ。それが、連絡なしに外出から戻らないのが貴族の頼みだなんて、考え付く筈がない。
「どういう、こと?」
「本当は僕から話す事じゃないと思うんだけど、言わないとアイラ部屋飛び出しそうだから。ちょっと事情があるから、急いで話すね」
苦笑したフォルが、にっこりとレミリアにお茶のお礼を言った後話し出した内容は、私がまるで知らない話であった。




