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午前、いつも通り医療科の授業を受け終えた私とフォルとラチナおねえさまは、騎士科の王子を除く三人と合流すると、昼食にパンやサラダ等が詰められたランチボックスを食堂で購入して特殊科専用の屋敷へ向かう。
ランチボックスは貴族が買うことなんて殆どないものだが、日替わりでとてもおいしいパンに新鮮なサラダ、そしてから揚げのような簡単に食べられる一口サイズのお肉などが入っていてボリュームも満点で、おまけに零れないよう蓋付きの容器に入れられた熱々のスープ入り。私達のお気に入りである。
私は抵抗なんてなかったが、フォル達に本当にこのランチを薦めていいのかと初めは躊躇ったのだが、彼らは毎日中身が違うランチボックスを楽しんでいるようで、最近ではこれを買って屋敷に向かうのが定番だ。
大抵の場合午後は騎士科医療科共に午前習った事の復習の時間に充てられるので、特殊科が授業として集まるのはその時間である。王子は部屋で食事を取るらしくいつも別行動だったが、なんと今日は部屋に足を踏み入れた時、ランチボックスを用意した王子が既にそこにいた。
「え、あれ、殿……デューク様、今日はこちらで?」
「お前達がいつもここでこの食事をとっているのは知っていたんだ。今日は話もあるし共に食事をしようと思ってな」
ふっと笑みを浮かべる王子は入り口で足を止めていた私達を中へと促す。
王子は意外と気さくである。最初会った時は性格悪そうだなんだと思ってみたり、実際意地悪なところもあるようだが、それは気を許した相手のみのようだ。フォルととても仲がいいらしく、空いた時間はよく二人でボードゲームを楽しんでいる。
若干俺様の気質があるようで、だがそれに見合った実力を持ち、周囲を注意深く見ていて信頼もできる。実際特殊科で動く際も彼がリーダーとなって纏めると、これほど個々に特徴がばらけているにも関わらず効率よく動ける。
ふと、ここにいると、この理不尽な世界に対する怒りが和らいでくるように思う。それはひどく悪いことに感じるような、それでもぬるま湯に浸かる事に慣れてしまっていたのか。ただ、私の中に燻る怒りとの葛藤もあり、とにかく、私は油断していたのだろう。
やはりここは厳しい世界だ。朝のあのやり取りは、命をかけたものだった。少なくとも、襲ってきた敵は間違いなくそのつもりだっただろう。
「それで、今朝の事だが」
食事も終盤に差し掛かる頃、王子が話を切り出した。誰か、あの女についてわかるやつはいるか、と。
「……少なくとも、デュークを狙っている感じではありませんでした」
ルセナが眠そうにしつつも玉子のサンドイッチを食べ終えてから、朝のことを思い出すように静かに告げる。
「そう、ですわね。初めから最後まで、デューク様に攻撃を仕掛けた様子はありませんでしたわ」
ラチナおねえさまが頷きながら、しかし不思議そうに首を傾げた。確かに、誰よりも襲われる危険性が高いのは、客観的に見れば王子だろう。
例えばいつの時代もいるであろう、王家に不満を持つ人間だとか、今はいないが、王太子の座を兄弟で争っていたりだとか。いや、王子の兄弟には確か姫しかいなかった筈だけれども。
言わなければならないのはわかっていても、ついごくりと一度唾液と一緒に言葉を飲み込んだ。
「あの……」
意を決して口を開く。
全員の視線がこちらに向けられ、王子が少し目を細めた。
「アイラ、何か知っているのか」
「……たぶん、ですけど。彼女、一度私が相手をしてます」
「お嬢様、」
「あー! あの女、あいつか!!」
私が白状したところで、何か言いかけたレイシスを遮ってガイアスが漸く納得が言ったと叫んだ。どうりで見たことがある筈だ、と。それに対し、レイシスが不愉快そうに眉を潜めガイアスを睨むように見る。恐らくレイシスは隠せるなら隠すべきだと判断したのかもしれない。
たぶんレイシスは気づいていた。狙いが私だという事も含めて。それを確認するためにわざわざ小刀を一度回収したのだろう。あの小刀は、レミリアの髪の毛を切ったあの侍女の物と同じはずだ。
私は確認していないが、高位の貴族は自分の護衛に家紋の入った武器を持たせる事が多い。それを考えると、なぜあの女性は最初に一度その小刀を私に向けて投げてきたのか、疑問である。
わざと、気づかせようとしたのか? だけど最後は命がけで取り返そうとしていたし……。
「相手をしたとは? デラクエルの双子も知っているのか」
「……以前お嬢様によくわからない話をしてきた相手の、侍女ではないかと」
忌々しげにレイシスが口にした言葉は、相手を庇う様子のまったくないものだ。濁しているものの、言いがかりをつけてきた相手と言っているのだから。
「絡んできた相手を、アイラが相手したのか?」
「私の侍女を貶し攻撃してきましたので、去り際に相手の侍女と護衛の方が"落とされた"武器を、その主人にお返ししたまでです、もちろん穏便に」
「いや、それ穏便じゃないだろ」
王子が呆れたように突っ込むが、それより目を丸くしたルセナの反応の方がショックだ。彼があんな目を大きくしてるの初めて見ましたが。
フォルも一瞬驚いた後くすくす笑っているし、ラチナおねえさまなんてよくやったみたいな顔してる。
王子が、武器って……と顔を引きつらせたので、すかさず「もちろん鞘から抜いておりませんわ!」と返してみたが、そういう問題じゃないと怒られた。なぜだ。
「その武器……侍女が使っていた武器が、小刀だったんです。見た目が似ていたので、家紋を調べたかったんですが」
ちらり、とレイシスを見ると、彼は私から視線を逸らし、王子にまっすぐ向けると、すみませんと謝罪した。
「家紋を見る暇は、ありませんでした」
えっ、レイシス、見ていなかったの?
驚いて彼を見るが、彼は王子に視線を向けたまま話を続ける。
「ですので、相手に問いただしても証拠を出せと言われると厳しいかもしれません」
「いい。お前ら三人が同一人物だと思うのなら、その侍女に直接会って確かめよう。それで、どこの家の者だ」
王子の視線がこちらを向く。じっと見つめられる視線に、観念して白状した。
「フローラ・イムス嬢ですわ。あの、デューク様、今回の件、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。どうか、彼女に直接話を聞くのはお待ちいただけませんか」
「ならん。アイラを狙ったものだとしても、俺にフォルセ、ルセナやラチナのいるところをヤツが襲ってきたのは事実だ」
「しかし、デューク、本当に、イムス家の者だという確証はないのです」
レイシスが一緒に王子の説得に動いてくれる。
彼はここ数週間で、頑なに「殿下」と呼んでいたのが、デューク、と名前呼びにいつの間にか変化していた。どうやら、騎士科の授業で何かあったらしいのだが、ガイアスが「仲良くなるのはいいことだ」と喜んでいたので、友人として名を呼ぶようになったのだろう、私のお嬢様呼びもそれで以前のように戻してくれればいいのに、と思いつつ彼らに出来た友人を喜んでいたのだが、どうやらガイアスとは違いやはりレイシスは王子という壁を取り払う事ができないらしく、名を呼ぶ時表情を強張らせていた。
と言うより、ガイアスとレイシスに説明を任せていてはいけない。間違いなく今回のことは、私が前にやらかしたせいで恨みを買ったのだろう。
だが、それならばなぜイムス嬢は、特殊科の生徒が揃っている時に襲うよう指示なんて出したのか……。疑問は残るが、王子が出向いたら領主が一人消える騒ぎになる。狙いが私であるのならば、私が動いたほうがいい。
まして彼女は、商売敵が理由で絡んできたのだ。いや、それは決していいことではないけれど、それで領主が断罪されるのは本意ではない。
そう思い、必死に説得すること一時間。既に先生も現れ、何だ何だと話をラチナおねえさまに尋ねているのが視界に入ったが、相手も引かなければこちらも引かない。
結局先生が、生徒が襲われたのならさすがに調査が入るだろ、とさっさと手続きに行ってしまい、私は自分の力の足りなさをしっかりと自覚する羽目になったのである。
王子の護衛の証言もあり、あっという間にその日のうちにイムス嬢のところへ調査が入った。
さすがに先生が王子やフォルが出向くのは止めてくれ、眠気が限界だったらしいルセナを除いた残りのメンバーに、王子の護衛一人と、学園の警備を担当している騎士で向かう。
部屋で授業の復習をしていたらしい彼女は、予想外にも小刀の話をガイアスがしだすと証拠の品があるわけでもないのにあっさりと認め、だがしかし不敵に笑って見せた。
「彼女は怪しげな男と取引しているとの噂が持ち込まれたのでとっくの昔に解雇しておりますわ。どうせ学園に来る前に雇ったばかりの新人でしたし、使えない上に怪しい人間などいつまでも傍においておくはずないでしょう?」
駄目なら父にでも話を聞いてみればいい、うちはもうあの女とは関与してないのだと言い放ち、襲われたのはベルティーニが恨まれているからではなくて? と、私ににやにやした嫌な笑みを浮かべて見せた。
「だがしかし、特殊科が集まっているところにあなたの元侍女が攻撃をしかけたとなれば、調査しないわけにはいかないのですよ」
学園の警備を担当している騎士がそう告げると、フローラはなんですってと目を剥いた。
「まさか、フォルセ様もいる場所に不届き者を近づけたというの、あなたは!」
怒りの形相で私に詰め寄るフローラを、ガイアスが慌てて止める。
「だからお前の侍女だろ!」
「知りませんわ、もう解雇した人間です! ベルティーニを狙ったんではありませんでしたの!? あの女、まさかフォルセ様に何か!?」
「なぜそう思うのです?」
これまで黙っていたラチナおねえさまが、恐らくフォルの事をこの令嬢が好きなのだろうと思いつつも少しの違和感を抱いたのだろう、問えば、びくりと一瞬震えたフローラが、ぼそぼそと呟くように言う。
「だってあの女、よくフォルセ様のこと調べていたから……」
「……え?」
思わぬ情報である。相手は、私を狙ってきたのではなかったのだろうか……?
不思議に思い隣のレイシスと目を合わせると、彼は少し険しい表情をしてゆっくり首を振った。
何も言うな。恐らくそう言っているのだろうが、私は感じた違和感を拭えずにいる。
間違いなく私に向けられた憎悪は、本物だった。
「とりあえず、あなたにはお話を伺わないといけません」
「な、なんでよ! 私は関係ないわ!」
そうはいかないのです、と騎士に説得され、フローラが連れられていくのを見て、慌てて彼女の後を彼女の護衛の男が追う。ふと、その護衛がこの前連れていた男とは違う事に気づいて、もしかして、と思う。
そのことに囚われていた私は、レイシスがガイアスに何かを耳打ちしていたのを見ても、目を合わせようとしなかったレイシスのいつもとは違う行動にも、違和感に気づく事はなく、後日ひどく後悔することとなる。
「あーもうー間に合わないわよどうしよう!」
ラチナおねえさまがテーブルに突っ伏して嘆く。私も手にしていたガラスをテーブルに置くと、疲れた体をソファに預け天井を仰いだ。
「ただのガラスよねぇ、どう見ても」
「そうですねぇ、だって元はステンドグラスらしいですし」
あれから五日。先生に言われたテストの期限は明日だ。私達はいまだに猫の魔力を測定できずに頭を抱えている。
あの日取るはずだった崖のガラスだが、次の日に先生引率の元ガイアスとレイシスだけが取りに行き、残りの私達は大人しく屋敷で待つ羽目になったのだが、ガラスを手に戻ってきたガイアスとレイシスが微妙な反応だったので聞いてみると、なんの変哲もないガラスのようだと言うのだ。
まさかと全員で調べてみたものの、やはりただの色のついたガラスだった。それも砕けているので個々はかなり小さい。先生に聞いて見ると、昔崖の上にも町があり、魔物が近くの森に蔓延るようになって放棄したらしいのだが、おそらくそこにあった教会のステンドグラスが割れたものが地面に埋まったのだろう、という答えが返ってきた。
綺麗な水色のガラスを手に取り、透かして天井を見る。
「これに魔法をかければ簡単に見えたりすればいいのになー」
「そうねー」
女二人、ガラスを手に天井を見る。その光景を見ていたルセナが、急に「あ」と叫んだ。
「どうしたの?」
ルセナが叫ぶのは珍しい。しかも彼は目を見開いた後、がっくりと項垂れた。
「そうか……魔道具にこだわるからいけないんだ。魔法を使えば見れるはず」
「え?」
私達が意味を飲み込む前に、ルセナががたんと立ち上がってすぐ部屋を出て行くので、慌てて私達も続く。
ぞろぞろとメンバーを引き連れて歩くルセナは淡々と会話を続ける。
「以前先生に言われて図書館の棚三つ分の本を調べた事があったじゃないですか。あの中に、魔力測定ではありませんが魔力探知の魔法研究についての本があったはずなんです」
「魔法探知?」
「ええ、例えば敵が見えない時などにいち早くその存在の位置を把握するためのものです。あれを使えば、猫に魔力があるかわかります。何も正確に魔力量を測定する必要はないんです。先生は、そこまで求めていませんでした」
言われて、一ヶ月前の先生の言葉を思い出す。
――自分達で魔力眼鏡もしくはそれに近い何かで猫の魔力の有無を調べろ。
「ああ!」
「確かに、言われてみればそうだな」
私の横を歩いていた王子が珍しくショックを受けたような顔をして額を押さえた。やられた、と呟くが、それは誰しも同じ気持ちだろう。
「あの流れじゃ魔道具にこだわりたくなるじゃないのー!」
「ま、まぁ、ラチナおねえさま、今日中に何とかできればテストはクリアですから!」
「そうだね、大丈夫、皆で頑張れば……あれ、アイラ。ガイアスとレイシスはまだこないの?」
ふとフォルが不思議そうに首を傾げる。そう、今ここには、ガイアスとレイシスの二人はいないのだ。彼らは午後から先生に頼み休みを貰い、学園を少し離れている。
「うん、なんかね、彼らのお父さんから連絡が来て、少し仕事を頼まれたみたい」
「……え?」
フォルがそれを聞いて、目を見開く。その様子に、どうしたの? と尋ねると、少し考えるそぶりをしたあと彼は首を振った。
「ううん。なんか、アイラの傍にいないのが珍しいなーって思っただけ」
「あら、あの二人、しっかり私にお嬢様のこと頼みます! って念を押して出て行ったわよ」
ラチナおねえさまがくすくす笑う。
程なく図書館についた私達は、一斉に目的の本を探しに走り、見つけた瞬間大声を出してしまい司書さんに怒られつつも、無事に魔力の有無を調べる魔法を会得することができた。
これで大丈夫、明日の試験はクリアできる。そう喜んで解散した私達であったが。
その日、ガイアスとレイシスは、私のところに帰ってこなかった。




