36
次の日の朝早く、まだ日の出を迎えたばかりの頃屋敷に集まった私達は、それぞれ制服の上に上着を着込んで準備を整える。
さすがに、まだ夏というには早く、朝方は随分と冷え込む。しかも私達は移動時間の削減の為に、これから移動魔法である風歩移動を使うのだ。
風歩移動とは、一歩を風の魔法を使い大幅に広げ跳躍距離を伸ばすことで……と言うよりはほぼ飛んでいる状態で移動する魔法である。特に発動呪文はいらないが、足に衝撃を和らげる魔力を溜め、更に一歩を大きくする風の魔力を操り、そして全身に受ける風の抵抗をやわらげる力も使う、少し要求技術が高い魔法だ。
上手くやらなければ足を挫くし、酷ければ転んだり、あまりの風の抵抗に息ができなかったり、飛びすぎて大怪我をしたりとリスクが大きく、風歩移動を一般の人間がやる事は滅多にない。
私も小さい頃からゼフェルおじさんに教えて貰っていたのでなければ、間違いなく転んでいたと思う。
「さて、行くか」
どうやらここに集まった七人のメンバーで風歩移動を使えない人はいなかったらしく、さすが特殊科だと驚いた。
私とガイアス、レイシスはそれこそ幼い頃からこれで遊んでいたと言っても過言ではないが、私達以外はここにいる人間は生まれながらの貴族だ。一人正統な王子もいるし。
こんな危ない遊び……もとい、魔法を練習していたのかと驚くのも無理はない。
王子が体に魔力を纏ったのを確認して、私達も全員それに倣う。
今日、王子はいつも引き連れている護衛を連れていなかった。どうやら護衛に掛け合い、特殊科の生徒が一緒に行動する事を条件に少し離れた所で護衛に回ることに承諾させたらしい。つまり、何かあった時に飛び出してこれる距離にはいるようなのだが、さすが王子の近衛は若輩者の私達に気配を悟らせる事はなかった。
他にも、特殊科の上級生にも王子の護衛を引き受ける生徒もいるらしいのだが、今回は遠慮してもらったようだ。つまり本当に緊急の場合王子を守るのは私達になる。
よくそんな責任のある役目を新入生に任せたものだ……と思わなくもないが、ちらちらと見える王子の剣や腰のベルト、足首や手首に見える魔石が、かなり強力な防御の魔法が組み込まれている物のようだし、王子自身にもうっすら感じ取れる程度だが防御の魔法がかかっているように思うので、一応出来うる範囲で万全を期したのだろう。
ヒュゥッと音が耳に届いた時には、私達は大きく移動を開始していた。
すごい勢いで景色が後ろに流れていくが、それを堪能する事はできない。前、そして自分の足場だけを見て、皆それぞれの距離を保ちつつ跳んで行く。
やがて学園を抜け、王子が細い路地へと足を踏み入れた。私はこの技を学んだ時、屋根をぴょんぴょんと跳ぶ図を想像したのだが、実際にそれをやるのは緊急時だけにしなさいとゼフェルおじさんに注意されたものだ。
車の屋根の上に、鳥が降り立った経験がある人はいるだろうか。あれは実は非常にうるさい。それが、家の屋根に人間がドンドンと足を載せていたのであれば、その騒々しさは察する事ができるだろう。まして今は早朝である。細い路地を通るのは仕方ない事だった。
裏路地と言うのは、いつの時代もどこの世界も共通であまり治安がよろしくないので、いくら辺りが少しばかり明るくなっていようが周囲に細心の注意を払いつつ進んでいく私達は、やがて左前方に大きくむき出しの崖を視界に入れることが出来た。
その時、ちらりと家と家の隙間に私は人影を見た。じっとこちらを見つめる視線と、私の視線が一瞬絡み合う。ぞくりと冷たいものが背筋を走り、私は用意していた合図を飛ばす為に腰にある道具入れに手を掛けた。
が。
「っ!」
こちらに向けられた光る何かに咄嗟に私は手を払う動作で水の壁を作り出す。
ばしゃんと流れる水の音に反応した全員が一気に身に纏う魔力を高め、その場に止まる。私が水で叩き落した光る何かは、無残に地面に落ちたものの鋭利な刃をむき出しにしていた。
「てっめぇ!」
私の少し後ろを跳んでいたガイアスが、すぐさま敵の位置を把握し剣を抜く。
「駄目よガイアス!」
相手がどれだけの技量かわからないのだ。無防備に飛び掛っては危ないと止めに入るが、私が叫んだときにはガイアスは剣を振り上げていた。
「ガイアス!」
ガイアスの横腹に向けて再び光る刃物。それを防いだのは私の横にいたレイシスで、風の魔法で小刀を巻き上げ、自分の手元へと奪い取る。それを見た相手は、はっとして飛び出してきた。
黒い衣装で体をほぼ隠した、小柄な人間。肌を露出しているのは目の部分だけで、男か女かもよくわからない。
「氷の剣!」
フォルの手に一振りの氷の剣が握られ、それが朝日を反射してきらりと光る。しかし、その刃を難なくかわした相手は狙いを再びレイシスに定め、先程私が水で叩き落した小刀を何かの魔法でさっと拾い上げ手中に収めるとレイシスに飛び掛る。
レイシスが足のホルダーから短剣をすばやく抜き取り構える。魔法ではなく、直接応戦するつもりらしいと気がついて、周囲を見た時、ラチナおねえさまとルセナが何かを唱えている事に気がついた。
右手に自らの短剣、左手に敵から奪い取った小刀を構えたレイシスが、敵が目前に迫った瞬間後ろに大きく跳んだ、その時。
「フェアリーガーディアン」
「酸の雨!」
ルセナが唱えた魔法で私達の周りに薄い膜が現れ、ラチナおねえさまの魔法が雨を降らす。酸の雨はその名の通り触れた物を溶かす恐ろしい雨を降らす魔法だ。かなり高度な魔法であるので、実際に見たのは初めてである。なぜ使えるのでしょうか、おねえさま。
そしてルセナの魔法に関しては、私が知らないものだった。だが、薄い膜にありえないのではと思う程の魔力が込められているので、相当難しい守護魔法だと思われる。
そういえば今年歴代最年少で入学した少年は恐ろしい程魔力を練るのが上手いらしいと噂がある。今まで特に本人を目の前にしていても気にしてはいなかったが、新入生で最年少は間違いなくルセナなのだ。守護の魔法は攻撃の魔法より繊細で難しいのだが、それを易々と使いこなすとは。
逃がさない為にか、広い範囲に雨が降り注ぐのに、私達にはほんの一滴も触れる事はない。しかし、敵の体にはじわじわと水が染み込んでいたようで、悲鳴が周囲に響き渡った。
「ぎゃあああああああ!」
頭を振りもがくが、触れた雨が衣服を溶かし、肌を露出する。ほっそりした白い手は、女性を思わせるものだった。
程なく雨が消え、私達を囲っていた膜も消えた時、覆っていた布が消え顔を両手で押さえた相手がかっくりと上を向き膝を地面に落とす。もはや着ていた黒い服も穴だらけで、所々白い肌を露出していた。
「鎖の蛇」
王子の唱えた呪文が容赦なく敵を捕まえる為に蠢く。王子はいつの間にか現れていた護衛に周囲を固められ、ほんの少し離れた位置に移動させられていた。その為蛇が捕らえる前に、敵は何かを呟くと周囲に無数の風の刃を生み出す。
威力は、弱い。そう思ったのに、次の瞬間辺りをびりびりとした魔力が張り巡らされる。
同時に感じる、恐ろしい気迫……向けられる憎悪。
「なんだ!?」
ガイアスとレイシスがすばやく私の前に立ちふさがり防御魔法を生み出し、ルセナが横にいたラチナおねえさまとフォルを守るように再び薄い膜を張り、少し離れた位置にいた王子と護衛もすぐさま同じような魔法を展開している。
敵の女が片手で顔を覆ったまま、ぽいと何かを捨てた。
ころころと地面を転がる小瓶。手に隠せるような、本当に小さな物だが、嫌な想像をするのには十分だった。
「何か飲んだのか!」
急に増えた魔力。向けられる恐ろしい程の怒りの感情。どうすべきかと誰しも防御の魔法を維持しながら考えているのだろうが、それでは遅かった。
「くっそ!」
次々と繰り出される風の刃が防御魔法の中にいる私達を切り刻もうと襲ってくるせいか、珍しくレイシスから荒々しい言葉が漏れる。それほど、防御壁を保たせるのに精一杯なのだろう。ガイアスも下手に動けず剣を構えたまま歯をかみ締め、フォルたちも動けずにいるようだった。
その時私は、一つの確信と違和感を感じる。
風の刃が、私達をばらばらに襲っているように見えるが、王子のいる場所には一切近づかないのだ。
少し離れているせいで距離が足りない、という事でもないだろう。刃は、大きく跳び私達の後ろからも襲ってきている。飛距離は十分だ。つまり、狙いは私達の中……いや、もしかしたら。
不意に風の刃がぴたりと止んだ。ガイアスが剣を構え腰を低く落とし、フォルも同じように構え、ほぼ同時に飛び出す。ルセナも剣を抜いて構えた。
レイシスは私を庇い下がり、私も次の魔法を発動させるべく呪文を唱え始めた、のだが。
「レイシス!!」
ガイアスの叫び声と同時に、低く呻く様な声がすぐ隣から聞こえた。はっとして慌ててレイシスを見れば、彼の手から小刀が弾き飛ばされる。
「水の蛇!」
すぐさま魔法で蛇を生み出し、相手に向け放ったのだが、相手はガイアスとフォルの攻撃を易々と避け、小刀を回収するとこちらに向けて何かを投げつける。
「風の盾!」
叫んだのはフォルだ。彼の広範囲の風の盾が相手の投げたものを弾き飛ばしたが、それはすぐにごうっと風に煽られて白い煙を撒き散らし、辺りを白く染め上げる。
「しまった!」
恐らく敵が投げたのは発煙弾だったのだろう。見事に風の盾で拡散した白い煙が周囲を埋め尽くし、視界が遮られた事でフォルが焦った声を出したが、自分の魔力を追った私はすぐさま叫んだ。
「大丈夫! 敵は逃げた!」
水の蛇は私達から離れて行っている。蛇の魔法だ、相手が離れた為に後を追っているのだろう。
「煙を払います!」
ぱっとレイシスが両手を振り上げた時、ぶわりと巻き起こった風が吹き荒れ煙を上へと拡散していく。
後に残ったのは、呆然と立ち竦む私達と、捨てられた小瓶だけ。
「なんだよ、あれ」
呟いたのはガイアスだ。
「……とりあえず、ここを離れませんか」
ルセナがそういいながら小瓶を拾い上げ、それをラチナおねえさまに渡す。
「医療科で、小瓶の中にあったものの成分を調べられますか?」
「やってみますわ」
おねえさまがしっかりその小瓶を受け取ったのを確認して、私はレイシスの手首を掴むとその手を注意深く調べる。小さな傷があったので、すぐに治癒魔法をかけ、他にも怪我人がいないか確認する。
「これでよし、かな……えっと、どう、しましょう?」
とりあえず皆を見回してみる。目的はまだ達成していないが、これから行って帰ってくるとなると、午前にそれぞれの科で授業があるのだが間に合わないだろう。
「正直誰が狙われたかわからないし、これ以上は危ないんじゃないかな」
フォルがはぁと息を吐きながら額を押さえた。
「危険ですので、どうぞお戻りを」
王子の護衛がここに来て初めて口を開くが、言葉は促しているだけであるのに声がそれ以外は認めないと言わんばかりの気迫がある。
「仕方ないですわね。今は一度戻りましょう」
頷き合って、再び足に魔力を溜めた。今度はなるべく広い通りを選び、皆で学園に戻る。
その道中、私はあの敵がどうしても奪い返そうとしていた小刀を思い出していた。
私はあれを見たことがある筈だ。
最初に、目が合ったのも私。
何らかの薬を飲んで魔力を増大させてまで、あの憎悪を向けられた相手、それは。
間違いなく、私だ。




