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 あれ? と思ったのはいつ頃だっただろうか。

 私が乗せられた馬車は、ひたすらにほぼ止まる事無く走り続けている。時計を持っていない私は終わりない揺れに若干苛立ちながらも、さすがにどう考えてもおかしい、と気付く。

 普通こういうのってさすがに、お手洗い休憩とかあるんじゃないの!?

 いや、別に今すぐ行きたいとかそういったわけではないのだが、馬車が止まらないということは馬車を走らせる御者も休憩していないということで、別の馬車に乗っているローザリア様を含む他の敵もそうであろうし、馬も休んでいないのだ。

 さすがにそろそろ休むんじゃ、と思いながらどれだけ過ごしただろう。……旅には間に合わせで適当な懐中時計を持っていた筈なのだが、見当たらない。どうやらいつの間にか落としていたらしい。まぁ、あの街にたどり着くまでにもかなり無茶な戦闘をしていたのだから、不思議ではないが。その事が、さらに不安を煽っているのか。

 精霊たちからの報告は続いている。ジェダイが何度も往復してくれているのもわかっているのだが……困った事に馬車だけではなく馬車の周囲になんらかの妨害魔法がかけられているらしく、精霊の干渉があまり上手く行っていないらしい。そのジェダイ曰く、やはりおかしい、と。

『最初は変な魔法がかかっているなと思ったけど防御魔法の類かと思ったし、普通だったんだ。けどだんだん……景色の変わり方が、上手く言えないけど変なんだ。まるで馬車が、精霊の帰還の魔法を使ってるみたい』

 首を捻り続けるジェダイの言葉は確証を得たそれではなかったが、なんとなく意味はわかる。……この馬車まさか、瞬間移動でもしているというのだろうか。瞬間移動といえば二年の夏、私たちが巻き込まれたあの転移装置の暴走。

 ラビリス先生が開発に関わったあの転移魔法はいまだに難航しており完成の知らせを受けてはいない。というか、転移魔法はどの国も完成させていないといわれる魔法。それを確立させているとなると、ルブラの研究力は錬金術の天才であるラビリス先生たちを含めた我が国の研究機関を超える技術を持っていることになる。……何かの間違いであると思いたい。

 でも、そんな技術いくらなんでもありえない筈。……底知れぬ力を見せ付けられたようで、いくらなんでも不安がじわりじわりと心を巣食う。


 負けてはいけない。


 なぜかそんな思いに駆られて、私は顔を俯けることなく、ひたすら外の見えない馬車の中前を向いていた。

 私は一人ではないのだ。つい先程までおじいちゃん精霊にいろいろと指導してもらっている間は良かったのだが、今は何度も独りではないと確認しなければ、不安に押しつぶされてしまいそうで……


「あ」

 唐突にわかってしまった。この感じは、もしや。

 ……闇魔法! 私の感情を捻じ曲げるつもりね!?

『ふむ、既に戦いは始まっておったか。精霊はヒトの魔法を避ける故、畑違いの魔法に気付かなかったようだ。いや、それにしても敵ながら上手い隠秘』

 ――そんなこと言ってる場合じゃないですって!

 いけない、ついさっきまでおじいちゃん精霊に私のとるべき手段とその方法の可能性を聞いていたというのに、諦めるところだった。グリモワを握り締め、必死にこの三年間学んだことを思い返す。

 闇魔法はそもそも操作系など、ヒトの意識に侵入するタイプのものも多い。呪い魔法の要となっているのも、その為だ。魔法がどんなにすごかろうが、それを行使するのはヒトである。やる気ナシに放ったものより、確固たる意志で使用した魔法の威力が高いのは当然だ。……つまり、呪い魔法なんて闇属性で使った暁にはひどいことになりやすい。

 その分、闇魔法の使い手には誰でもなれるものではない。吸血族特有のものであったのだろう。『私に』闇魔法をかけるなんて、相当強い使い手だ。……魔力もそうだが、使おうとする意志が。

 ま、私だって医療科だ。そうとわかれば、といくつかの診断の魔法を使い、かけられている魔法の特定に入る。多少複雑なのは、妨害魔法のせいか。……相手も医療科の人間だからか。

 ――不安になりやすくするようなものと……魔力の流れを遅くするもの、かな。そっちは応用がかかってる気がするんだけど、なんだろう。

『……ふむ、訴えていた違和感はそれのせいでは』

 ――体内時計は狂わされてるっぽい、です。でもそれじゃあ、ジェダイが景色がおかしいと言っていたのと繋がらないし……いや、体内時計も狂わされた上で、転移魔法とまでは行かないまでも風魔法で移動速度を上げている? となると、相手はこれから連行する先の予測を立てられたくないってことか。

 ふむ……てっきりルレアス公爵領かと思ったんだけど、移動先を知られたくないのはなぜ……? どうせ私を逃がすつもりがないなら、別に連れて行く先がどこであるかばれても気にしない筈。逃げるけど。ジェダイの訴える外の様子からして、グラエム先輩は追跡を振り切られている可能性が高い。……とにかく知られたくない行き先? どういうこと?

 少し考えて、私は椅子を叩いて立ち上がった。ぐらりと揺れる身体は足を踏み出すことで支えなおし、ぐん、と両手に魔力を貯める。

『んんん?』

 突然の私の行動に、おじいちゃん精霊が不思議そうな声をあげたが、とりあえず後回しだ。

「出る! もし国外に連れ出されたりしたら、たまらないわ! ルブラがこの国だけの組織ではないってすっかり忘れてた!」

 そうだ、もし連れて行くとしたら、私が万が一逃げ出したとき危険性が高い領地内のはずがない!

 全身を探り、無用心にも私の荷物を適当にしかチェックしなかった敵が見落とした魔力回復薬を確認する。私の太腿につけたバンドに、きらきらと輝く小瓶に入ったままの特上級が二本。腰につけていたポーチは没収されてしまったが、二本あればなんとか……!

 目の周りがぶわりと熱くなり、馬車を見渡してかけられた防御魔法の穴を探す。

 ルセナほどの使い手でなければ、薄い膜状の防御壁はいくら耐久度が高かろうと、弱い部分と強い部分で歪んでいる。ルセナはそういったものがない点でも天才で、そしてそれを見分ける術を、聖騎士の授業で私たちに教えてくれたことがあった。これまでの知識は、何一つ無駄ではない。


『そなたの強みはこれまでの努力よ、特典ではなくてなぁ』


 楽しげなおじいちゃん精霊の言葉を励みに、ふっと天井を見上げた。……ここだ。万が一にも私が脱走を図らないように、不安になるような闇魔法を使ったのだろう、が!

「闇のエルフィになろうとしてる女が、嫉妬の闇魔法になんか負けてたまるか! ――貫け! 氷の槍!」

 熱かった指先がひゅうと冷たい水に浸したかの如く冷え、突き出したその瞬間腕よりも太い氷柱、いや氷の槍が、まるで雷のように魔力の衝突を周囲に撒き散らし、粗末な木の天井を貫く。

 天井の周囲は破裂した魔力で無残にも吹き飛ばされ、私は機を逃すまいと飛び出した。その間およそ、三秒か。しかし飛び出した瞬間御者から放たれる何らかの魔法がこちらに向けられ、対抗しようと突き出した氷の槍は霧散する。

「逃げ出したぞ!」

「愚かな!」

「愚かなのはそっち! 喰らえ雷の花!」

 私が放った雷の花がスパークし、無数の球となって敵を攻撃し、周囲を巻き込みながら照らす。薄暗かったが、どうやら深い森の中だ。馬車が揺れていたのはあまり丁寧に整備された道ではなかったせいか。

「ジェダイ!」

 最早隠す余裕もなく呼んだ名前はすぐさま気配を感じさせてくれる。投げ渡した魔力を受け取ったジェダイは、盛大に前を走っていた馬車の下の地面を突き上げさせた。

 前の馬車が横転したことで、こちらの御者が慌てたように馬を止めさせる。が、間にあわず馬は衝突して嘶き、御者は風の魔法で飛び上がって転落を回避した。その間に、私はさっさと地面に足をつけて周囲を探り、植物の精霊の協力を得て逃げ道の確保を進める。雷の花は暴れまわったままだ。

 速度を上げるため、尋常ではないほど魔力が消費されていく。左手にグリモワを展開させ、右手で小瓶の一つを掴み、口で乱雑に蓋を開けて一本を飲み干したところで、向けられた攻撃魔法をグリモワで叩き落す。……風属性魔法か、厄介な。

 相手に風使いがいるのは移動方法からも明らかだったが、こうなると私の風歩もしくはグリモワによる移動でどこまで逃げ切れるか。やっぱり回復薬二本じゃ無謀だったかも、と思いつつも次の手を打つ為に体勢を低くした私の前で、やはりと言うべきか、偉そうな男共に守られるように防御魔法をかけられた女が、横転した馬車から無傷で浮かび上がった。

 いるのは御者らしき男が私の馬車に一名、前の馬車に二名、そして銀色の鎧に身を包んだ見覚えのある男が二名と、女一名。男の一人はあの大鎌を持っている。女はローザリア様の侍女かもしれないが、捕らえられた際にもう少しいたように思う兵士はいない。気配もないところを見ると、対戦闘用につけられたのはあの二人か。御者は、ありがたい事に全員先程の雷の花で伸びたようだ。

「アイラ様、どうして大人しくしてくださらないのかしら」

 呆れたような声音、しかし動かない表情のまま私を見下ろす銀の瞳は、私の大好きな瞳と同じようでまるで違う。

「吸血族はあなたかしら? ローザリア・ルレアス嬢。先に仕掛けてきたのはそちらでしょう?」

「ここは学園外よ。身分を弁えなさい」

「あら、失礼致しましたわ。……ですが残念ですけれど、どの国もルブラ捕縛の際は身分関係なく確保を最優先に、が秘密裏ながら常識だそうですの」

「私が吸血族で、ルブラだと?」

「そうですね、ルブラ、ということを知っているのもまた、ルブラに被害にあったかルブラかのどちらかだと思いますが……あなたは後者では?」

「あらいやだ。私を吸血族だというならば、あなたと同じ狙われる立場。ルブラの存在をあなた同様知っていてもおかしくはないでしょう? ああそのお話ですと、あなたもルブラの可能性がある、ということかしら。私たちがあなたを捕らえるのも、問題ありませんわね?」

「ふふ、ご冗談がお上手ですのね。私を先に誘拐しておきながら、面白い」

 かゆくなるような茶番を続け、笑い合う。どちらも目的は時間稼ぎ。

 相手は魔力を正確に貯めるため。どうやら瞬発火力は私に分があるようだ。私は最優先として逃げ道の確保。だがそれも長くは続かず……来る!

「アクアラッシュ!」

「ウィンドストーム!」

 ぶつかるのは上級水魔法と上級風魔法。魔法を得意としているのは、鎌を持っていないほうの男らしい。……が、すぐに鎌を持った男も何かを呟きながらこちらに突進してくる。げ、あの鎌は勘弁していただきたい!

 全てを飲み込む私の水魔法が風魔法を押している。だが、さすがに二対一は、とグリモワを振り上げ、鎌男へと突撃させた。落ち着け、聖騎士の授業で、あれほど対複数の授業をしていたではないか!

「精霊たちよ!」

 どうせ狙われるのならば隠す意味は皆無である。私の呼び声に答えて、森がざわりとざわめいた。次に聞こえるのは、甲高い悲鳴だ。ローザリアを守るように立っていた女が、全身蔦に巻きつかれて助けを求めるように空に手を伸ばしたまま、ずぶずぶと緑に埋もれていく。

 さすがと言うべきか、ローザリア様はその蔦を防御壁で弾いたようだ。じわりと彼女の周りに、黒い魔力が膨れ上がる。やはり……吸血族。

 大鎌が、蔦に絡めとられて地面に埋め込まれていく。恐らくジェダイと植物の精霊が協力し合ったのだろう。舌打ちをした男が、水の魔法を掻い潜ってさらに距離を詰めようとするのを執拗にグリモワが妨害する。さすがジェダイ!

 かなり薄いと思われていた勝機はあった。いまや風魔法は私の水魔法に完全に押され、大鎌使いは植物に足をとられて転んでいる。

 いまだ、と逃げかけた時、ぐらりと一瞬視界が揺れた。


 冷たくて暗くて洞窟の中のような魔力。


 それなのに、包まれるとほっとする、あたたかい力。



「フォル!」


 目の前にさらりと流れる銀の髪。私に向けられる、紫苑の混じる銀の瞳。ああ、フォルだ。どうしてここに、とか、一人できたのか、とか、そんな疑問よりも、歓喜が勝る。身体がまるで水を欲するように、その魔力を求めた。

 それを見た瞬間ローザリア様が唇を噛む。悔しげなその表情を気にするよりフォルに視線を囚われた私は、そのあと彼女が暗く笑みを浮かべたことになど、気付かなかった。


「アイラ。無事でよかった」

 微笑むフォルが、私に手を伸ばす。抱きすくめられて、覚えのある魔力にほっとした。間違いなく、フォルだ。その安堵で、目の前にフォルの瞳がある事に一瞬気づくのが遅れた。

 唐突に重なる唇。は、なんで、とその時になって漸く、私は身体を強張らせた。

 こんな人前で、敵がいる目の前で、フォルは何をしている? この、味は、


「……っ、やだ!」

 無意識に動いた腕はフォルを突き飛ばし、その瞬間悲しげに下げられた眉が見えて胸がずきずきと痛みを訴えた。……耐えられないほどのそれに、膝を付く。


「フォルセ様の魔力で本人だと気付くなんて、やはりあなたは、既にフォルセ様と魔力の交換をしておりましたのね……まぁ、裏切り者のあなたに次はないかもしれませんけれど」

 気付けば視界に、ローザリア様の足元が映りこんでいた。近くなった声はどこか蔑むもので、意味がわからず顔を上げて、息が止まる。見慣れたはずの銀髪はそこにない。私が突き飛ばした男は、一体誰だ。

「フォルじゃ、な……」

「ええそうですわ。あなたが唇を許したのは、別の男。フォルセ様の血を使って闇魔法で偽装された、別人。闇の精霊は、他の男に魔力を送り込まれたあなたを、認めるかしら?」


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