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 ――まずい。


 私の敵はいったいなんなのだろう。そう思ったことは数あれど、この状況になって初めて、どこかで「知りたくなかった」という考えになってしまう。

 がたごとと揺れるひどく粗末な馬車の中で、一人頭を抱える。少なくとも、こうもあっさり人の命が消えることに、漠然とした何かが胸を支配していくようだ。

 何度も襲撃はあった。魔物も徘徊し、危険なことは多々あって、……レイシスたちも目を覚まさなくて。

 けれど、切り抜けられると、思っていたのだろう。まぁ、根性論というやつだ。

 ――敵がローザリア様だっていうのは、わかってた筈なんだけどな。

 ぽつりと心の中で呟いた声は、きっと私のそばにいる植物の精霊たちが聞いているだろう。おじいちゃん精霊もきっと聞いてる。……まぁ、おじいちゃん精霊は今まであまりいなかったタイプだが。……どこまで何を知っているのだろう。


 わかっていた筈だった。私はフォルとガイアスに薬を飲ませた時点で、相手がローザリア様であると確信していた。……それは、私を脅すのに一番効果的であると思われる人間であるフォルの名が、一切出されなかったからだ。

 フォルと繋がりたい貴族は多い。それは単に、公爵家の血筋に娘を嫁がせたい貴族ばかりではない。ある意味隔離された学園に身を置く私が一番気をつけなければいけない恐ろしい相手は、フォルに恋をしている女の子たちの嫉妬である。……恋をしている、なんていえば可愛らしいが、特殊科に在籍してイヤと言う程味わった嫉妬による嫌がらせは、『あんなものなんでもないわ』で済ませられないものだってあるのだ。だからこそ、ある意味該当者は多い……が、これまでルブラと繋がっていた貴族の中に、レディマリア様がいる。……彼女より立場が弱い貴族が主犯に近いとは考えにくく、そうなると数は限られる。

 それだけではない。ルレアス公爵の領地は、黒くも白くもない、しかし評判の良い土地だ。だが、私を闇魔法で操ろうとしていたあの『虫』を使っていたのは、ルレアス家の領地の孤児院の少女である。その時点で、怪しいに決まっていた。証拠がないだけで。彼女が動いたのは、本当にあちらの手がなりふり構わずになっていたせいなのかもしれない。

 今この場には、私しかいなかった。連れ去られる際に、お前はこっちだ、なんてそれらしいことを言ってローザリア様と私は別々の馬車に乗せられた。ローザリア様の馬車は現れた男共が一緒で、私が乗せられた馬車よりかなり上質なもの。一方私が押し込まれたこちらは、なんというか……座っているだけでお尻が、どころではなく全身が痛い。

 それでも捕まえておいて一人にするだなんて、と思うが、乗せられたときに確認したものの馬車全体には少々厄介な壁の魔法がかけられているらしく、これを打ち破るには相当魔力を消費するだろう。やってできないことはない。だがそれをやった後にあいつらとの戦闘を控えていると思うと、得策ではなかった。

 なんて、いろいろ言い訳をしているが、つまりはこうだ。


 あの時私は、ついていくべきではなかったのだ。……ヴィヴィアンヌ様のことに動揺し、判断を誤った。『もしかしてローザリア様は敵ではなかったのでは?』と、思ってしまった。冷静に考えれば、間違いなく彼女は敵だったのに。


 上手い作戦、だと思った。これまでルブラを相手にしてきて、私たちは何度も追い詰め、そして逃げられていた。グーラーのことを考えればそれこそ入学前から、三年も目の前をちらちらとちらつく存在であったのに、いまだにその存在をつかめない相手に焦れていたのは確かだ。だからこそ、『まさか』と思ってしまった。

 それなのに相手は私の性格をよく見抜いている。……私にはどうしてもできなかった。もしかしたら、敵ではなかったかもしれない相手を人質にされての交渉に、否と唱えることが。医療科の生徒で、兄のような存在を殺され、学園で後輩をも殺された私には、無理だ。

 万事休すか。本物であったかどうかの確認はできなかったが、まさか、自分側の仲間を殺してまで私を連れ出すための演出を作るとは、思わなかった。とはいっても、あの場で私が逃げの姿勢を見せた場合、恐らくやつらは別な手段をとったのだろう。たとえば、闇の精霊の力を使わず人為的に強力な魔法で偶然町人を巻き込んだり、偶然森に火がついたり、だ。

 結局のところ、精霊との約束はあったといえど、敵にとっては抜け道がいくらでもある状態だったということだ。わかったことといえば、ローザリア様が出てきたことで、最低限私を脅す為に人を捕らえることはないと思っていた約束が覆された……つまり、ローザリア様たちにはそれが適用しなかった。私の脅しの材料にならない人間、それはつまり敵そのものだ。うっかり騙されてしまったが。

 まぁ、今更悔やんでも意味がない。私が今やるべきことは、連行先についての情報集めか。こうなったら、何か証拠掴んでやる。


『そろそろ、反省は終わったかの? 娘っこ』

「あ、……」

 声を出しかけて、慌ててとめる。そうだ、声を出さずに会話しろといわれた筈。

 ――ええと、お待たせしました?

『ほっほっほ、人の子はもっと迷い悩むものだと思っていたが。なに、ほんの一時であったな、まだ太陽が真上に上っておらん』

 ――悩んでますよ! まぁ、あれこれ考えるより動くほうが好き……ってこれじゃ私脳筋系じゃ……

『うんうん、慌てふためくようではどうしようかと思ったが、なかなか肝が据わっている。そろそろ約束通り、そなたにエルフィとしての知恵を教えてやろうかの』

 ――え、今!?

 人のことを肝が据わっているといいながらつまり暢気だとか図太いだとかそういった目線で見ておいて、この敵に連行中の現在で、なぜ勉強を開始するのか!

 ……なんて思ったのはバレバレであったようで、姿は見えずとも声は楽しげに笑い、私の周囲をくるりと回ったようだ。少ししてうんうんと楽しげに頷いた声は、実はの、と笑いを含んだまま、どこか誇らしげに続けられた。

『そなたの言う、エルフィは精霊と友人になれるという考えは、ある意味当たっている。エルフィとはすなわち、精霊を『とも』にする者たちであった』

 え、と思わず出しかけたのを飲み込んで瞬けば、何も見えない空間にまたほっほっほ、と精霊の笑い声が聞こえた。

 友にする者。そういう意味であったが、何か含むような響きを持つ言葉を反芻する。

 そもそもエルフィを一般的に見るとどうであるか。……例えば、精霊の姿が見える、声が聞こえる、話すことができる。これは初歩だ。だが国が保護対象とするエルフィの最大の特徴は、精霊の力を借り、無詠唱ながらその属性の魔法を使えるだとか、関連する知識を得られることだとか。

 これだけでも十分、他にはない大切な力。それに加えて最近知ったのは、闇のエルフィの存在。今は実感がないのだが、安定感がない闇使いにとって闇のエルフィは特別だという。

 そこでふっと疑問が湧いた。


 これらの特徴の中から、私は決定的に外れているものを知っている。それはそう、……アルくんや、ジェダイの存在。そして、今目の前にいるであろうおじいちゃん精霊の存在。

 ……契約? そういえば、アルくんは事情があるとは言え、ジェダイもアルくんも、私の言葉を最優先としている。植物の精霊は数いれど、違う。魔石の精霊についてはまだよくわかっていないが、それはつまり……私は一般的なエルフィではないのではないか? 母や伯父に、特別連れまわる精霊がいた記憶はない。

 グラエム先輩も、自分は出来損ないだと言いながら、あれほど彼を慕う精霊の声のみは聞くことができるという。彼もまた、特定の精霊を連れていた。エルフィとは、つまり……

『どのような場においても、精霊を供として連れた、いわば召喚士に似た才である。わかってもらえたか、娘っこ。その本の石に入った元地精霊も、そなたが呼べば姿を現すであろう? 戦いを共にしてくれる、そのような存在じゃ。そなたの最大の強みはなんであるか。『特殊な知識』か? 無詠唱魔法か? それとも、人脈か? ……それらすべて大切なものであろうが、そなたは努力によって魔法を使いこなし、『この世界の』知識を蓄え、精霊との契約をつけた。並大抵の努力ではなかっただろう、それを誇るといい』

 ――でも。

『そなたは確かに特典を受け生まれた。いろいろな状況を省みるとどうであるかは別として、一般的に見れば恵まれて育っただろう。だが、そのようなものよりそなたの力となったのは、それではない筈だ。精霊を喚び出すことができる若いエルフィの子よ、契約したわしらは、そしてそなたが得た魔法の知識と強さは、何よりそなたの力となる』

 ――待って、待ってください、何を言いたいのか、わからない。それに、まるで、

 このおじいちゃん精霊は、私が転生者であると、神様に特典をつけられたと、知っている!

 何か大事なことを話されている、というのはわかるのに、混乱して言葉を続けられずにいるうちに、さて、とおじいちゃん精霊はこの話は終わりだと言い、ぱんぱんと手をたたく音が聞こえた。

『それで、そなたの今後のことであるが、みすみす殺されるようなことは避けねばなぁ。どうだいっそ、敵地に連行されるのではなく、乗り込んだつもりで情報収集したあとは、盛大に大魔法でも』

 ――意外と大胆だなおじいちゃん……

 まぁでも、うん。そちらのほうが、得意かもしれない。というか現状それ以外どうしろと。

 となれば、作戦を立てねば。……今の私は一人じゃない。一人で出てきたけれど、そこはやはり、エルフィの強みというべきか。ここまできたら、緑のエルフィであることを隠すことより、最大限に生かして……生きて、戻らないと。フォルたちのところに。

 安っぽい馬車は窓部分が板で覆われ目張りされている。けれど、これで私が外の様子を見れないと思ったら、大間違いだ。

 ジェダイ、と声をかけると、すぐに聞こえた同意と共に彼が離れていく。ぎゅっとポケットの桜の石を握り締めると、どこか勇気が湧いてくる気がした。


 貴族に復讐しようと思っていた。もてる全てを使って、絶対にくだらない身分制度を壊してやろうとしていた。

 元凶であるやつらを、魔力が擦り切れるまで修行した魔法で殺せば解決しただろうか。

 過去の知識を使って資産を得、それを元に掴んだ権力でいけ好かない制度を変えるよう画策すれば解決しただろうか。少なくともそう思っていた私は今、それだけではダメだと気づいてしまった。

 だってそれは、今上にいる腐った貴族とやっていることが変わらない。

 身体だけが成長して学園に入り、子供ながらほんの少し広がった世界で知ったのは、私が見るべき、知るべき敵はもっと複雑で、それは『貴族』でも『身分制度』でも、もちろん『ルブラ』だけだというわけでもなかったということ。……それらを壊せば終わり、幸せ万々歳なんて筈がなかったのだ。

 凝り固まったその考えが仲間のおかげで少しずつ崩されたその先で得たのは、少し大人の、もっと複雑な世界。


 もっと先を見据えて、私は生きなければ。――アイラ・ベルティーニ、参ります!

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